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232 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/09/15(月) 06:17:19 ID:9MUG/176
***

「え、もう帰った?」
 放課後になって、一年の妹のクラスへすぐに向かったら妹の姿は無かった。
 それならばと弟のクラスへ行ったら、妹と同じく弟も居なかった。
 で、クラスメイトの子に聞いたら、もう帰った、ですって。……何よそれ。
 詳しく聞いたら、帰りの教師からの連絡を聞いた後、誰よりも早く教室から出て行ったらしい。
 ちなみに、今日の弟は日直だったわけでも、何かの当番だったわけでもないという。
 おかしいわね。それじゃあ、なんで朝食も食べずに一人で登校したのかしら。
 これじゃ、まるで避けられてるみたいじゃない。
 ……けど、まさか。
 弟が私を嫌いになるとかそんなこと…………ある訳無いわよ、ね?

「ふあぁ………………たーいくつぅ……」
 はしたないぐらい大口を開けてあくびしてしまう。
 こうして一人で歩いて帰るって言うのも久しぶりだわ。
 いつもなら弟と妹が一緒に居るところ、もしくは弟を掴まえて一緒に帰っていたから。
 ちなみに妹はあえて探さない。弟を掴まえてしまえば後で追いかけてくるんだもの。
 二人が居ない時は、クラスに残っている友達と一緒に帰ってたし。
 下校途中、妹はよく言ってたわね。
 姉さんもそろそろ彼氏でも作ったらどう? とか。
 おおかた、弟と二人きりで帰りたいからそんなこと言ったんでしょうけど。
 簡単に言わないで欲しいわよ。できそうにないのよ、恋人なんて。
 誤解しないでね、妹。これでも私、結構告白されたりするんだから。
 ラブレター渡されたりとか、修学旅行とか文化祭の最中に呼び出されて。
 いい返事をしたことは一度も無いけど。
 女友達には、弟君よりもむしろあんたに彼氏ができないことの方が問題よ、ガード固すぎ、なんて言われてる。
 そう言われてもね……付き合おうって気分にならないんだからしょうがないじゃないの。
 深い関係になろうと思えない。遊ぶだけなら友達でもできるし。
 友達のままじゃできないことをするために付き合うのかもしれないけど、そういうの、私にはまだ早い。
 だって、自分の体を男の人に全て委ねるなんて考えられないわ。
 キスされたりとか、おっぱい揉まれたり、お尻を撫でられたり……クラスの男の子にそんなことされたら、まず叫んで、次に殴るわね。
 そういうことされても許せる男の人って、見たことがない。
 顔のつくりなら弟、男らしさならお父さん、っていう基準があるから、そこを超えないと特別に見られない。
 テレビに映る人ならそんな人も居るけど、身近には居ない。
 それはつまり、男の人に恋したことが無いってことなんでしょうね。
 ああ、これじゃあ恋人ができないのも当たり前か……。

 ぼんやり考え事をしているうちに、自宅の前まで辿り着いていたらしい。
 腕時計で時刻を確認すると、いつもより少しだけ早い時間に帰宅していたことがわかった。
 一人で帰ると会話をする相手が居ない分、早く歩いてしまうらしい。
 玄関を開ける。
 まっさきに見えたのは投げ出された二つの鞄と、ひっくりかえった二足の靴。
 きっかり二つずつということは、弟と妹の物ね。
 あの子達、私を置いて二人きりで帰っていたわけ。
 はあ……親離れならぬ姉離れ、ってやつかしら。お姉ちゃん寂しいわ。
 でも、そろそろそんな時期なのかもね。
 高校を卒業したら私はこの家から離れた大学に通うから、一人暮らししないといけない。
 そうしたらもちろん家族とは毎日会えなくなる。
 勉強を真剣にする気になれないのは、たぶんどこかで今の生活を手放したくないと思っているからなんでしょうね。
 友達の言うとおり、やっぱり私はブラコンでシスコンだわ。
 ま、悪いとは思ってないから、今更性格を変えるつもりなんかないけど。



233 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/09/15(月) 06:19:32 ID:9MUG/176
 二人の靴を揃えてから、鞄を二つとも抱えて二人の部屋へ向かう。
 ……姉離れ、か。
 じゃあ部屋に入るのも自重しなきゃいけないのね。
 しょうがない。こっそりドアを開けて鞄を中に置いておこう。
 ノックせずにドアノブをゆっくり回して、音を立てないよう開く。
 そのまま隙間から鞄を入れようとしたところで、異変を耳が捉えた。
 ――泣き声?
 この声、妹よね。
 ということは、今の妹は泣いているの?
 ……ここは引いて放っておく? それともあえて踏み込んで慰める?
 逡巡する時間、呼吸一回分。
 慰めることを決断して、ドアを開き部屋へと足を踏み入れる。

 ――そして、私は凍り付いた。

 予想だにしなかった光景を目にして、自分が果てしなく遠い世界に立っているような感覚に囚われた。
「え? ……な、何? いきなり、何なの、これ……?」 
 制服のシャツ一枚の弟と、制服をはだけさせた妹が、ベッドの上で絡み合ってた。
 妹はうつぶせのまま腰を上げてた。スカートをめくれ上がらせたままで、ショーツを穿かず。
 ふとももとお尻をさらけだした、半裸の状態。
 妹のお尻に弟の腰がくっついてる。
 二人の下半身がくっついて、離れて、くっついて、離れて、くっついて、離れて……それがずっと続く。
 パンパンっていう、ぶつかる音が聞こえる。
 弟は妹の腰を掴んで離さない。引き寄せて、乱暴に、執拗に、妹を下半身で突き続ける。
 妹は弟の名前を呼びながら、切ない声で鳴いてる。
 気持ちいいとか、もっと突いてとか、卑猥な叫び。
 今まで聞いたこともない、妹の――女の部分が上げる声だった。
 二人とも私に背中を向けていて、私が居ることに気付いていない。
 誰だか知らない人間二人が忍び込んで行為に浸っているなら、まだ良かった。その方が救いがあった。
 でも、泣き声は妹のもので、荒い息づかいは弟のものだった。
 何より、その背中が――ずっと見続けていた二人の背中とそっくりだった。

 何をやっているの……兄妹で、家族同士で。
 違うでしょう?
 二人ともそんな子じゃなかったはずでしょう?
 どうして、どうしてどうして、どうして、なのよっ!



234 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/09/15(月) 06:20:09 ID:9MUG/176
「何やっているのよ、あんたたちはっ!」
 叫ばずにいられなかった。
 叫ばないと、痴態をとる弟と妹に何もしないまま、言いたいことも言えないまま、その場から逃げてしまいそうだった。
 自分の口から吐き出された言葉は、もはや思考のフィルターを介していなかった。
 振り向いた二人の顔が見えない。
 黒く塗りつぶされて、ぐにゃぐにゃに歪んでいて、私には理解できない。
「兄妹で! 弟と、妹なのに! こんな、おかしい……絶対に、しちゃいけないこと!
 こんなの! 嘘でしょう?! 冗談でしょう?!
 嘘って言いなさい、全部が、嘘だって! 
 ただの、悪ふざけだって……言ってよ!
 …………お願いだから、お姉ちゃんの、お願い、聞いて…………」
 膝から力が抜けた。壁にしがみついて、倒れないようこらえる。
 吼えても、怒鳴っても、泣いても、乱れた感情が治まらない。
 涙が勝手にあふれ出てくる。併せて情けない嗚咽の声が漏れ出でる。
 一体、何がいけなかったっていうの?
 私はただ、仲の良い姉弟で居たかったのに。……たった、それだけなのに。
 そんな単純な願いさえ、私は願うことが許されないの?

「…………たすけ、て……」
 誰か、助けて。
 喉がせき止められて呼吸ができない。
 鼓動がどんどん早まっていく。
 目眩がして、視界が歪み、霞んでいく。
 体が床にぶつかった。
 立ち上がる気力が無い。
 何もする気が起きない。

 私はもう、二人を止められない。




235 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/09/15(月) 06:21:23 ID:9MUG/176
***

「髪が黒のロングの、後輩の女の子?」
「そう。たぶん葉月さんと同じぐらいの長さなんだけど、見たことない?」
 約一週間ぶりとなるごくありふれた下校風景の中に俺は居た。
 しかし同時に、あまりにも以前と変わらないこの状況に、違和感も覚えていた。
 下校時間、一緒に帰る人は葉月さん、二人とも制服姿。
 違うところがあるとすれば俺の腕にギプスががっちりと装着されているぐらい。
 それ以外は、全く何ら変わりない。
 そう――――不気味なぐらいに。
「んーー……知らないなあ。一年生って言っても全員知ってるわけじゃないし。
 それ、葵紋って子が髪を黒く染めただけじゃないの?」
「まあ、あいつの髪の色は元々黒だけど。
 朝にあいつを見た時は紛れもなく金髪だったから、放課後までに染め直すとは、ちょっとね」
「へー、そうなんだ……」
 葉月さんはそこで唇に指を当て斜め上に視線を向けた。
 これは葉月さんが何か考えている時の仕草である。
「ねえ、一つ聞いていいかな?」
「いいよ。答えられないことじゃなければ」
「どうしてその子と話をしたの?」
 ……どうして、と言われましても。
 俺が後輩と会話しちゃまずいのか?
「後輩の女の子と話すために、放課後になったらすぐに教室を飛び出していったの?
 いつからその子と知り合ってたの? どれぐらい仲を深めたの?」
 質問が増えている気がするが、そんなつっこみも入れにくい。
 というか、葉月さんは何か勘違いしているみたいだ。
「俺がその子と会ったのは今日が初めてだよ。
 だって去年の文化祭から一度も一年の教室なんか行ってないんだから」
「……本当に?」
「本当だって。そんなことで嘘吐いて俺に何の得があるのさ?」
「得はないかもしれないけど、ごまかすことはできるじゃない。
 私だってあなたのこと全部把握しているわけじゃないんだから」
 まあ、そりゃそうでしょう。
 というか、全部把握してもらっちゃ困る。
 俺が家で何をしてるかなんて、絶対に知られたくない。
 変なことしてるから、じゃない。
 例えば、俺が風呂で体を洗う時どんな動きをしているかとか、改めて考えると恥ずかしくなってしまうことを知られたくないだけだ。
「だいたい、今日会ったのも偶然だし。
 それに話をしたって言っても、なんだかよくわからないこと言われただけで終わったし」
「よくわからないことって? 例えば?」
「ん……俺の運命の相手とか、その人とすでに会っているとか、そういう話」



236 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/09/15(月) 06:25:07 ID:9MUG/176
 突然、左を歩いていた葉月さんの姿が消えた。
 振り返る。葉月さんは右足を踏み出した姿勢のまま一時停止していた。
 これは――振りか?
「…………だるまさんが転んだ」
「いえ、別にそういう遊びをしてるつもりはないんだけど。
 ちょっと待ってよ…………私にその女の子のことを聞いてきたってことは、
 正体も何もさっぱりわからないからなの?」
「そうだよ。じゃなきゃ、わざわざこんなこと聞いたりしないって」
「えっと、あれ、あれ?
 待って待って。そこで止まってて。考え直すから」
 眉間を揉みながら考える仕草をする葉月さん。
 わけがわからない。
 なぜ俺でなく葉月さんが考え込んでいるのだろう。
 俺はそんなに難しい話や、的外れなことを言ったりしたのか?
 思い返す。
 …………しかし、思い返してもわからない。

「私が放課後あなたに話しかけるまで何をしていたか、知ってる?」
「さあ? 何か用事でもあったの? 図書室で担任に本の整理させられたりとか」
「いえ、そうじゃないの。実は、一年生のクラスに行ってたの。
 そこで私は…………さすがにここまで言えば、わかるよね?」
「そうだったんだ。でも何してたのかはわからないよ。
 弟でも探してた? 弟なら今日は花火と帰ってたみたいだよ」
「違うわよ! えっと、私、私は…………」
 そんな何か言いたげな顔をしなくても、言ってしまえばいいのに。
 俺が正答することを期待してもらっても、生憎葉月さんの行動などわからないのだから答えられない。
 俺だって葉月さんのことを全て把握しているわけではないのだ。
「あう、あー、あああああ……………………まさかここまで鈍いだなんて思わなかった。
 てっきり気付いてると、ノッてくれてるんだとばかり……」
 ため息をつかれてしまった。肩までがっくりと下がっている。
 どうやら俺は葉月さんの期待に応えられなかったようだ。
 だからって、ここまで落ち込まなくても。
「ごめんなさい。今日はここで」
「いや、どうせだから葉月さんの家まで送っていくよ」
「ううん、いいの。予定が狂っちゃ……変わっちゃったから。
 …………今日はちょうど良い日だから、別の日は駄目だし」
「ん? 何か言った?」
「ううん、なんでもない。また今度送ってね。それじゃあ、バイバイ」
 俺を置き去りにして葉月さんは駆け出した。
 路地を曲がり、姿が見えなくなるまで、俺の足は動かなかった。
 そういえば、俺って葉月さんを傷つけてたんだっけ。
 それなら、家まで送ってもらいたくなくなるのも無理はない。
 下校時は送るのが習慣になってたから、すっかり忘れてしまっていた。
 いかんな、こんなことじゃ。早く今の環境に溶け込まないと。

 それにしても、ネタばれとはなんのことだったんだろう?




237 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/09/15(月) 06:27:14 ID:9MUG/176
 家に到着し、真っ先に向かうはマイルーム。
 制服を脱ぎ、左手を使ってハンガーにかける。
 ここまでは概ねいつも通り。
 さて、この次は…………何をしよう?
 考えてみると、今の俺は何もすることがない、いや何もできない。
 だって、右腕が使えないのだ。
 学校から家に帰って最初にやることと言えば、俺の場合はその日の授業の復習と課せられた宿題をこなすこと。
 が、筆記用具を持てなくてはそのどちらもできない。
 俺の左手ができることと言えば、せいぜい本のページをめくるぐらいのもの。
 試しに左手で文字を書いてみたら、いつのまにかこの世の誰にも読めないような図形が二行にわたって記されていた。
 何せアラビア数字の一が三角形になってしまうのだ。
 それを消そうとして消しゴムで擦ると、上手く消せないときたもんだ。
 ノートなどとらなくても勉強できる人はできるのだろう。
 だが俺は違う。
 自慢にならないが、むしろ隠すべきことだが、メモやノートをとらないと勉強できないのである。
 ノートに書き写すのだって、自分がわかりやすいように書いているだけで黒板を丸写ししているわけではない。
 家で復習する時、ああこんな内容だったなと思い出せるように書いている。
 先生のコメントがページの隅っこに書かれていたり、自分なりの解釈が書かれていたり。
 よって、俺のノートは俺以外の人間が見てもほぼ理解できない。高橋すら例外ではない。
 そんな高橋のノートはというと、黒板丸写しだった。
 しかもあの男、黒板に合わせてノートを横書きしている。
 これはこれで、本人にしか理解できないノートだ。
 しかし、借りてきた以上は有効活用せねば。昼休み時間にジュースを奢る約束もしているわけだし。

 高橋ノートと格闘しつつ、今日受けた教科の復習を終えた頃には、外の景色は夕方を通り過ぎていた。
 二月中旬の日の暮れは早い。
 さて、せっかくノートを借りたのだ。お次はこいつをコピーしよう。
 コピーするとなれば、我が家ではコンビニを活用せねばならない。
 そのコンビニは歩いて二十分以上かかる距離にある。
 とてもではないが、行く気分ではない。
 ここは兄の強権を発動するとしよう。弟の出番だ。
 玄関に弟の靴があったから、きっと花火とアレやコレをすることなく帰宅しているはずだ。
 そういえば……あの二人、今はどういう関係なんだろう。
 今朝の様子を見る限りでは、ちょっとだけ仲を深めているように見えた。
 でもあの時は人目があったからお互いに遠慮していたはず。
 澄子ちゃんの件を機に何らかの変化が生まれたのは間違いない。
 今日二人一緒に帰ったのだって無関係ではあるまい。
 弟が身の回りに警戒して花火と一緒に帰るようになった。
 そして、花火は弟を守るために他の人間を近づけないようにしている。
 少なくとも何の変化もないというのはありえない。
 せっかくだから、付き合っているのか聞いてみようか。
 弟は前々から花火のことが好きだと言っていたのだから、隠したりはしないだろう。
 嬉々として交際している事実を話されたら、もしかしたらジャブをお見舞いするかもしれんが。
 言葉ではなく、拳的な意味で。
 決してお前が羨ましいからではない。これは俺なりの祝砲だ。
 その辺を誤解するなよ、弟。



238 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/09/15(月) 06:28:35 ID:9MUG/176
 弟と妹の部屋のドアをノックしても返事は無かった。
 部屋を覗いてみる。やけに内装がすっきりしていた。
 忘れていた。弟を捜しに花火の奴が来て、部屋をひっくり返していったんだった。
 二人分の机はそのまま。床に置きっぱなしの本はかつて本棚に収まっていたものだろう。
 それ以外にはテレビの配置が変わっていたり――おや、ベッドの代わりに布団が二組ある。
 さすがに二段ベッドの手配まではしていないか。
 あるいはこれからは布団を敷いて寝なさいと両親が言ったか。
 まあ、その辺は弟と妹の意志次第。
 ベッドの方がいいと意志を通すなら、両親との交渉をするだろう。
 布団派の俺は味方などしない。
 むしろ布団にしろ。天井から布団が落ちてきてもせいぜい床に倒れるぐらい。安全だ。
 
 次に向かうはリビング。
 リビングのドアから漏れる光が、暗い廊下を部分的に照らしている。
 おそらくは二人ともリビングでくつろぎモードに入っているはずだ。
 しかし――――何かがおかしい。
 静かすぎる。
 弟と妹が一緒に居て、ここまで静かになることなどありえない。
 とすると、今朝の一件で機嫌を損ねた妹が弟を責めている、ってのも無いな。
 ……ただごとではない予感がする。
 先の事件で俺が物事を深刻に考えすぎているなら、それでいい。
 しかし、もしも勘が的中していたら、どうする?
 今の俺にできるのは説得か、通報ぐらい。
 決してとっ組みあいをしてはならない。
 この右腕は問題ないレベルまで回復する。ただし、無茶をしなければ。
 ちくしょうめ。どうして安息の場のはずの我が家でこんな緊張感に包まれなければならんのだ。
 あー、前にも似たようなことあったよな。
 葉月さんが家に来て、妹が逆上して、俺が投げられた去年の出来事。
 せめて、あの時よりはまともでありますように。
 そんな願いを込めて、床に膝を着き、ドアに嵌っているガラスからリビングを覗き込む。

 最初に見えたのは、俺の居る方――入り口へと伸ばされた弟の手だった。



239 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/09/15(月) 06:32:41 ID:9MUG/176
 息を呑む程度の反応で済んだのは、あらかじめ覚悟をしていたからだろう。
 のほほんと部屋に入ろうとしていたら間違いなく駆け寄っていた。
 弟の手は、ドアまであと五十センチというところまで達していた。
 見た限りでは部屋が荒れている様子はない。
 弟の顔色も普通だ。ただ寝ているだけにも見える。
 異常な点をあげるなら、上半身に半袖シャツ一枚しか身につけていないところ。
 弟は手の届く距離に居る。じゃあ――妹はどこに居る?
 リビングの窓際に動きがあることに気付いた。
 窓が開いたままだ。カーテンが風に煽られて、時折なびき、鎮まる。
 弟も妹も、この季節に窓を開けっぱなしにしたりしない。
 つまり、何者かが侵入した形跡。もしくはすでに脱出した形跡か。
 座ったままではよく見えない。立ち上がって、再度覗き込む。
「い――――!」
 妹が居た。ソファの上に。
 さっきは死角になっていて見えなかったのだ。
 弟とは違い、目隠しと猿ぐつわをされている。両手両足は細い紐で何重にも縛られている。
 倒れた弟、縛られた妹。
 誰かがやった。俺の家に、俺の生活の中に、土足で入り込んで荒らしていった。
 左の拳が震える。右腕が熱くなる。痛みを脳に訴えてくる。
 肘の痛みが、己の無力さを思い出させる。
 分かってる。ここで飛び込んでいくのは間違いだ。何よりも先に通報すべきだ。
 でも、冷静に行動できない。
 怒りが全身の血を滾らせ、頭に上らせてくる。
 歯を食いしばって壁伝いに下がる。
 携帯電話は部屋に置いてある。部屋に着くまで十歩も必要ない。
 落ち着け。落ち着いてこのまま警察に電話をするんだ。
 自分の部屋のドアノブに手をかけた、その瞬間だった。
「あら、ここに居たの」
「……あ…………」
 リビングのドアが開き、弟でも妹でもない、別の人物が現れた。
 顔を何か黒いもので覆い、長い黒髪をさらけだし、群青の服を体に纏っている。
 弟と妹が倒れているリビングから出てきた。加えて、怪しい格好をしている。
 もう考える必要はない。
 こいつは、このクズは、紛れもなく――俺の敵だ!



240 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/09/15(月) 06:35:15 ID:9MUG/176
「ようやく見つけたわ。
 私はあなたを探してた。さっきは危ないところだったのよ。あなたの妹さんが」
「……見つけたのは」
「弟さんを眠らせて、体にのし掛かって服を脱がせ……って、え?」
「見つけたのはこっちだ。この――」
 右足、踏み込む。左足、跳ぶ。
 右足で床を踏み締める。左足と左拳を思い切り伸ばす。
 そして、叫ぶ。
「こんの腐れ外道があっ!」
 拳から、肘、肩、背中に突き抜ける確かな手応え。
 突如現れたそいつは、顔面のど真ん中に拳を受けて後ろに倒れた。
 拳の表面に残る痛みからして、顔に防具らしきものをつけているらしい。
 ぐるりと後転し、そいつが言う。
「ちょ、あなた、いきなり何を」
「黙れ阿呆!」
「なっ、阿呆ですって?!」
「人の家に勝手に上がり込んで、俺の弟妹に好き勝手して!
 阿呆じゃなきゃなんだ! 大馬鹿野郎か!」
「何よ! 大馬鹿野郎はあなたじゃない!
 人の気持ちは無視するわ、人並み外れて鈍いわ、弟妹の異変には気付かないわ!
 さっきは弟さんの貞操の危機だったのよ!」
「誰がそんなこと信じるか!」
 左足を踏み出し、右足で蹴りを放つ。
 仮面の女の頭部を刈るつもりで放った蹴りは、いとも容易く避けられた。
 勢い余って背中を向けた隙を逃さず、そいつは左足を払い、軸を折った。
 尻を床に強かに打ち付けた。
 あっという間に俺は右肩と左腕を押さえられ、床に押し倒された。
「くっそ、てめえ……」
「形勢逆転ね。さっきの一撃は良かったわ。でも……あれで倒せなかったのは失敗ね」
 もがいても仮面の女のホールドは解けない。
 むしろ動く度に四肢を床に縫い付けられている感じがする。
 こいつの着ている服、道着か。
 そして被っているのは……なんだこれ。ヘッドギアとか言うのか、こういうの。
 顔全体が黒で覆われていて、目だけしか露出してない。
「……何の真似だよその格好。馬鹿っぽくてお似合いだけど」
「う、うるさいわね! 顔を隠すものがこれしかなかったんだからしょうがないじゃない!
 これだって本当はあなたに被せるつもりで持ってきたんだから!」
「じゃあ、その格好は?」
「勝負服よ!」
 ……うん、たしかに勝負服だ。実戦的な意味で。
「住居不法侵入の犯罪者で、その上ファッションセンス無しか。
 可哀想な女なんだな、お前」
「色々迷った末にこうなっちゃっただけよ! 他にも普通の服はあるわ!」
「いや、見栄張らなくてもいいぞ?」
 なんだか、話してるうちに可哀想になってきた。
 そうか。きっと実家の道場を継ぐために毎日毎日修行に明け暮れて、女らしさを磨く暇が無かったんだな。
 これまでは一家で力を合わせて頑張ってきたけど、他の道場に門下生をとられてにっちもさっちもいかなくなった。
 そしてとうとう門下生は自分一人になり、心労で師範の父が倒れ、道場の看板を下ろすことになった。
 でもこいつはそれをよしとせず、道場再建のために活動を開始する。
 お金が無いから食事は自給自足。休日は山菜採りで午前中を潰す。
 時々出会う中年夫婦とは仲良しで、会う度に昼食を恵んでもらっている。
 家に帰ったら、父の看病をして、山菜料理を作って、道場で一人稽古に励む。
 たった一人で、涙を堪えるために空手で汗を流す。
 どうしよう。こいつの目を見ていたら……そんな想像が湧いてきた。



241 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/09/15(月) 06:36:22 ID:9MUG/176
「え? なんで涙目になってるの? そんなに痛い? 緩めようか?」
 首を横に振る。
「そうじゃない……お前の、事情がわかってしまったんだ。そしたら、なんだか悲しくなった」
「嘘?! ちょっと、今ばれたら私、あわわわわ、まず、やば、どうしよ!」
「お前、今日一年の教室で俺に話しかけてきた女の子、だろ?」
「………………………………は?」
「とぼけなくてもいい。そんな綺麗な長い髪の人はお前以外には一人しか心当たりがない。
 その人は間違いなく人の家に無断で上がり込んだりしない。消去法でいって、お前しかいない」
「無断で上がり込まないって…………あう、あう、あう」
「ストレス溜まってたんだろ。だから机を叩いた。俺に八つ当たりしたくなった。
 気にするな。俺は怒ってない。事情を理解した今の俺は、お前の友達だ。
 怖くなんかないぞ? なんならこれから一緒に晩ご飯を食べよう。
 弟と妹のことは水に流してやるからさ」
「そんな目で見つめないで! やめて!
 私がここに来たのは、あなたを、あなたを…………好きにしようと……して!
 罪悪感が、罪悪感が…………うわあああああ!」
 突然叫ぶと、仮面の女は俺から離れた。
 開けっ放しのリビングへ一目散に駆け込んだ。
 しかし何を思ったか、再び廊下に仮面に包まれた顔を出した。
「ごめんなさい! 今日のことは忘れて! 私のことも忘れて……忘れてください!
 もう二度としません! さよなら、すいません、さようなら!」
 そう言い残し、仮面の女は姿を消した。
 リビングを覗き込んだら、窓もすっかり閉めきられていた。
「うっ……んん、あれ、兄さん?
 お帰り、ってどうして僕、上に肌着しか着てないの?!」
「んんー! んん、んんんんんんんーー!」
 あの子はこの寒さの中、無事に家まで帰り着けただろうか。
 午後七時、いつもなら夕食をとるこの時間。
 半袖の弟と、拘束された妹の声に気付くまで、俺は可哀想な仮面の女の子に思いを馳せた。