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196 :ワイヤード 第十話 ◆.DrVLAlxBI [sage] :2008/10/18(土) 20:13:39 ID:jpNcDmls
第十話『ロストマイセルフ・喪失』

信じていたものが崩れる瞬間、人はなにをするのだろうか。
悲しむのだろうか。怒りにとらわれてしまうのだろうか。心を失ってしまうのだろうか。
愛が憎しみに変わるのだろうか。
それは、それぞれが決めて、進んでいくこと。乗り越えること。
鷹野百歌は、愛にしがみつくことを選択した。
「誰だ……近づくな、近づくな……」
がたがたと震える男に、百歌は手を伸ばす。
――百歌だよ……私は、百歌だよ。
「知らない……! 私はそんなやつ、知らない!」
男は、化け物でも見るような目つきで百歌を睨み、その手を払いのけた。
「亡霊め……『あの女』の形をとって、私をまだ……まだ、縛りつけようと……!」
男は、ぶつぶつと呪いの言葉を口にする。
――私は、『あの女』じゃない……百歌なのに……。
百歌はおびえ、抵抗する男に蹴られ、殴られ、突き飛ばされながらも、ただひたすら男を求め、近づく。
「くるな……くるな……」
百歌は信じた。
男が自分のことを思い出してくれることを。自分が生きている証拠をくれることを。
だから、傷ついても倒れなかった。前を向いて、目をそらさず、手を伸ばした。
未来を求めた。幸せを求めた。
――お父さん、私はお母さんの亡霊じゃない……。私は、百歌だよ。お父さんの、娘だよ……。
存在する確信を失った少女は、壊れゆくその心を護るために、ただ、求め続けていた。
――だから、名前を呼んで……。



197 :ワイヤード 第十話 ◆.DrVLAlxBI [sage] :2008/10/18(土) 20:14:10 ID:jpNcDmls
「百歌ちゃん、百歌ちゃん」
「――っ!?」
がばっと身体を起こし、きょろきょろと周囲を見る。
家の中ではない。自分が今通っている中学の、教室の中。しかも授業の真っ最中であった。
右隣を見ると、おっとりとした笑顔を浮かべた少女が座っていた。
――ああ、またこの夢か。
理解した。割り切ることにして、百歌は嫌悪の感情を感情のみに押さえつけた。決して、態度には出さない。
「ありがとっ、ちょっと疲れてて」
ぺろりと舌を出し、隣の少女に笑い返す。
少女は本当に幸せそうに百歌を見つめ、小声で「悪かったかな?」と、イタズラっぽく言う。
――うん、悪いよ。
この悪夢の象徴である少女に対し、百歌は心のなかで精いっぱいの恨みをぶつけた。
あの幸せを途切れさせ、いつも悪夢に引きずり込むナイトメア。百歌はこの少女が本当に嫌いだった。
ああ、憎らしい憎らしい。そうは思うが、そんな化け物でもこの悪夢の中では格段のリアルだった。だから、しがみつく。くらいつく。
教師のつまらない講義を無視しながら、百歌はナイトメアを観察する。
名前は、『メア・N・アーデルハイド』。外国人だ。いや、外国人ですらない。――たぶん、人間じゃない。
真っ白い。
メアは、燃え尽きた灰のように、何もかもが真っ白かった。
ツーサイドアップの長髪、肌、なにもかも。
その瞳だけが、少しだけ青が混じってかろうじて生物としての存在を主張していた。
それがなければ、本当にただ着色していない人形だった。
美しい。あまりに美しい。



198 :ワイヤード 第十話 ◆.DrVLAlxBI [sage] :2008/10/18(土) 20:14:41 ID:jpNcDmls
正直、人形にたとえることすらできない。人形ですら、メアに対しては比較対象にならない。
恐らく、百歌の短い人生での観測史上最大の美女だろう。
百歌は、『クラスか学年で何本かの指に入る可愛い子』という程度の見た目だと、そう自己認識している。
実はその中でも相当な上位であるということまでは知らないし、そこまで自分の容姿には興味も無かったが――ひとつだけ、わかる。
メアは、そういう風に当たり前の世界の中に生きていていい存在じゃない。
それはまるで、夢の中に生きるもののように。
モノクロの夢の中から現実を侵食してくるように。
百歌の心を、悪夢の中に突き落とす。
全てを奪ったこの怪物が、百歌には憎らしくて仕方が無かった。憎くて、憎くて――
「メア……。大好きだよ」
メアにだけギリギリ聞こえる、本当に小さな声で言った。いや、聞こえることすらそもそも聞こえていない。ほぼ独り言だ。
しかししっかりとメアには伝わっていたようで、メアは「もうっ、百歌ちゃんったら……」と白い頬を赤く染めた。
「ボクも好きだよ」
メアが微笑む。
憎い。
その美しい笑顔を、めちゃくちゃに壊してしまいたい。
壊して、壊して、この悪夢から抜け出したい。
だからその笑顔が――何よりも欲しい。愛おしい。
百歌の心と身体は、悪夢の中に堕ちていた。この現実そのものが、百歌にとっては幻想だった。
自分の存在すら保証してくれない、こんな世界が、百歌は大嫌いだった。この中にいたら、いつか壊れてしまいそうだった。
どうしようもない不安のなかで、薄っぺらい幻想――それを人は未来と呼ぶ――を抱いて生きる人間が嫌いだった。
本当の人間じゃない。信じられるものじゃない。
だれもかれも、何も不安が無くて、幸せの意味も知らなくて。こんな現実を何も考えず、生きるだけ。
生きているという気になっていて、ただここに立っているだけ。
それが嘘であることも知らずに。
生きているという証拠も無いのに。次の瞬間には消えてしまっているかもしれないのに。
この世界に生きる人間は、皆偽りに思えた。だれも存在を認め合おうとしない。ふわふわと、クラゲのように漂っているだけだ。
それはもう、人間なんかじゃない。



199 :ワイヤード 第十話 ◆.DrVLAlxBI [sage] :2008/10/18(土) 20:15:12 ID:jpNcDmls
「すみません先生、気分が悪いので少し出てもいいですか」
すっと立ち上がり、教師にそう告げる。
生徒が何をしようが無関心のその教師――偽りの人間は、百歌にも「ああ」とだけ言って、また黒板をかりかりと汚し始めた。
たぶん、百歌の名前なんて覚えてはいないだろう。
百歌はさっさとこの喧騒の中を離れたかった。
知能の低いクラスではない。誰も授業中に耳障りになるほどの大きな私語など発していない。
それどころか、私語をするのはメアと百歌のみだろう。
だが、そんな事実が百歌の耳の奥にまで響いて、切り裂いてしまう。
誰も、リアルな人間じゃない。
悪夢の中で、百歌だけがぽつんと立っていた。
誰もが、百歌の心を引き裂こうと、悪魔の囁きをしているかのようだった。悪魔の声は、百歌には聞こえない。
その中で百歌に話しかけるのは、メアだけだった。この悪夢の主である、メアだけ。
耐えられるわけが無い。
「(もう……いやだよ、お兄ちゃん……)」
おぼつかない足取りで、トイレに向かった。
メアはその後姿を見送りながら、顔を悲しみに歪ませた。
「(百歌ちゃん……。まだ、夢の中に……)」
そして、決心したようにメアが立ち上がった。
「先生、ボク……!」



200 :ワイヤード 第十話 ◆.DrVLAlxBI [sage] :2008/10/18(土) 20:15:43 ID:jpNcDmls
トイレに入り、すぐに奥の個室に駆け込む。鍵を閉め、壁を背にして崩れ落ちた。
力が抜ける。
「はぁ……はぁ……」
今にも胸を貫いて、『何か』が飛び出してきそうだった。おぞましい何かが。
百歌には、自分が本当に生きているのか、自身がなかった。
人間とは何かも、分かっていなかった。
ただ、ここにいる自分が『人間』と思い込んでいるだけの、何かなんじゃないだろうかという疑いが消えない。
「お兄ちゃん……助けて……」
ハンカチをポケットから出す。
鼻と口に押し当て、大きく吸い込む。『香り』が百歌の身体いっぱいに広がった。
周りの空気に溶け込んでしまいそうだった。麻薬のように侵食していく。
千歳の匂いだった。
昨晩口でして、ほとんど飲んでしまったが、兄の性器にも精液が残っていた。このハンカチはそれをふき取ったものだ。
「はぁ……お兄ちゃん……切ないよ……会いたいよぅ……」
この『発作』は、一日に一回は絶対に起こる。そのたびに鎮めることが必要になった。
イヤホンを取り出し、耳につける。コードが繋がっている先の機械のスイッチを押した。
――百歌。
「あぁ……お兄ちゃん、お兄ちゃん……!」
――百歌。
「そうだよ、名前を、名前を呼んで……!」
兄の、自分を呼ぶ声。あらゆる場面、パターンのものを録音していたそれを百歌は聴いていた。
兄だけが――千歳こそが、百歌にとっての現実だった。
唯一のリアルだった。



201 :ワイヤード 第十話 ◆.DrVLAlxBI [sage] :2008/10/18(土) 20:16:14 ID:jpNcDmls
過去は嘘をつかない。それは知っている。
そして、千歳はその過去の景色の中から、何も変わらずに存在している。百歌の名前を呼んでくれる。
それは、嘘じゃない。本当のことだ。
兄だけが、百歌を本当だといってくれる。必要だといってくれる。
存在に確証をくれる。
消えてしまいそうな百歌に、手を差し伸べる唯一の存在だった。
兄の声が何度も自分を呼ぶ。百歌の興奮がどんどん高まってくる。
――生きてる。私、いま生きてる……!
百歌は高まった興奮のまま、下着に手をかけた。
「お兄ちゃん……さわって……」
――百歌。
兄の声に包まれながら、百歌は下着をずらし、自らの秘所を触り始める。もうそこは十分に濡れていた。
ちゅく。
「はぁ……!」
びくんと身体が跳ねる。
「(自分でちょっと触っただけなのに……お兄ちゃんにされてると思ったら……気持ち、いい……!)」
指を挿入する。とはいっても、処女膜の手前で止める。その先は、兄のものだ。自分のものじゃない。
入り口で指を出し入れし、快感をむさぼる。
「はぅ……あ、あぁ……ん、んんぁ、ああ!!」
声は抑えない。もうこれ以外のことなんて考えられない。
誰かに聞かれようがどうでもいいことだったし、そもそも授業中だ。誰も来ない。
指を加速する。いやらしい水音がかわいたトイレの空気全体に響き渡る。
じゅくじゅくと、わざと卑猥に音をたて、自らの興奮も加速させる。


202 :ワイヤード 第十話 ◆.DrVLAlxBI [sage] :2008/10/18(土) 20:16:45 ID:jpNcDmls
「ふぁ、あぁん! ……お兄ちゃん、好き! もっと激しくして、いいよぉ!!」
だらしなく涎をたらしながら叫ぶ。
スカートをめくり上げ、下着を下ろし、見せ付けるように足を大きく開いた。
誰も見ているわけではないのに、誰かに見せ付ける。――心の中の、兄に。
愛液でてらてらと濡れて光る秘部がむきだしになり、外気にさらされる。その冷たさすら心地が良い。
「見て……お兄ちゃん……」
両手でそこを押し広げ、心の中の兄に中を晒す。
「お兄ちゃんになら……全部……」
妄想だというのは分かっていた。しかし、この世界よりもよほどリアルな想像だった。
百歌にとっては、これは自慰行為ではない。
兄と繋がる手段のひとつ。
繋がるもの――ワイヤードとしての習性のひとつだった。
「指、増やして……。ふぁあ! ……そんな、いきなりぃ……!」
三本。入り口をかき回す。
「あぅ……ぁああん!! ふにゃああ! いいよぉ、きもちいぃよ! お兄ちゃん!!」」
水音と嬌声が木霊する。
頭の中では、兄の自らを求める声が渦巻く。
「お兄ちゃん……来て……百歌を助けて……!」



203 :ワイヤード 第十話 ◆.DrVLAlxBI [sage] :2008/10/18(土) 20:17:15 ID:jpNcDmls
「……」
耳を塞いでしまいたい。そう、メアは思った。
「ふあぁ……そこ、もっとぉ、もっとぉ!!!」
「(百歌ちゃん……)」
トイレの扉の前に立ちながら、その水音と嬌声が奏でる曲を聴いていた。
気になって百歌を追いかけてみたが、やはりこういうことになっていた。
こんなことは今までにもあった。おそらく気付いているのはメアだけであろうし、メアは他の人間に対しては隠しとおそうと思う。
百歌の不幸な心と、声と、自慰の音を、ただ、聴いている。
メアにできるのは、今は見守ることだけだった。
何度、この中に入っていって百歌を抱きしめて愛を叫びたいと思っただろうか。
名前を呼んでやりたいと思っただろうか。
「(百歌ちゃん……まってて……)」
――だがそれは、今までの話だ。
メアは不幸な百歌に対して、ただまっていることなどもうできなかった。
「お兄ちゃん……助けて……」
百歌の悲痛な叫びが、喘ぎ声に混じってメアの耳に、心に突き刺さる。
「(こうして未来を失ってしまうのが『ワイヤード』の宿命なら……)」
――誰よりも愛する百歌のためなら。
「(百歌の苦しみを……その涙を、ボクが止める)」
ワイヤードを、百歌を苦しませる元凶『コントラクター』。
そう。
鷹野千歳を、殺す。



204 :ワイヤード 第十話 ◆.DrVLAlxBI [sage] :2008/10/18(土) 20:17:46 ID:jpNcDmls
「まただ……。また、ワイヤード。これで三人目だ」
さらなるワイヤードの反応を感知し、金髪の少女は狼狽した。
「一体どうなっている……。この街は」
まだ近くにいないであろうに、これほどはっきりとした気配を持って能力を使用するワイヤードが、三人。
これほどに強力なワイヤードを生み出すコントラクターの存在。
「『アドルフ』の再来、か」
歴史の中で、コントラクターは何人も出てきた。
しかし、その多くは力が弱く一人の人間をワイヤードに変える程度だったり、そもそも力の発現がないこともある。
そのなかで、この力は偉大だった。
かつての強力なコントラクターたち。
彼らはみな、大勢の人間をワイヤードにし、かつ側近をかなり強力に変質させたコントラクター。
世界を変える存在。
今はまだ、数をこなしてはいないが、このコントラクターの生み出すワイヤードの強力さを見るに、ここにいる個体は――
「また、始まるのか……」
――世界を変えるもの。
それをめぐる闘い。
そして――その先にある、『クオリア』。
「私が、私が、世界を救わないと……」
金髪の少女は、底知れぬ恐怖を振り払いながら目的地を目指した。
「まずは西又イロリ。やつを――」