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467 : ◆UDPETPayJA [sage] :2008/11/01(土) 01:08:57 ID:SmTe1Fw1
 路面には桜の花びらが散りばめられている。日差しは暖かく、心地よい。まさに春の始まりにふさわしい光景だ。
時刻は午後12時。入学式を終えた新入生たちはわれ先とばかりに校門でひしめき合い、徐々に外へとはけていく。
そんななか、その男 ―七瀬 翼― は1人音楽室を訪れていた。

部屋の中には一台のグランドピアノが置かれている。七瀬は椅子に腰掛け、ふたを上げて鍵盤を弾き出した。
お世辞にも広いとは言えない、ちょうど一般的な教室およそ二部屋ぶんの空間に旋律が響きわたる。―――が、1分ほどで七瀬は指を止める。

「…はぁ、やっぱり鈍ってんな、指。」

七瀬の唯一の趣味であるピアノ。しかし彼の家はけして裕福とはいえない。七瀬は中学時代、学校のピアノでひたすら欲求を解消し続けてきた。
彼の技術はアマチュアのそれにしては優れていたものだった。教師にも、コンクールに出てみないかと何度か誘われたことがある。が、彼は断り続けてきた。
あくまで、趣味は趣味。弾くのは楽しかったが、プロを目指す気持ちはまったくない。しかし中学卒業から今日までの期間、七瀬がピアノに触れる機会はなかった。
多少は鈍っているのも当たり前といえよう。
七瀬はため息をつき、部屋をあとにしようとした。そのとき、音楽室の入り口から声がした。

「―――最後まで弾かないの?」と、少女の声。
「とっても上手でしたよ。」さらにもう1人。

七瀬は、声の主たちに目をやる。
1人は、肩の長さに切りそろえられた真っ赤な髪の少女。もう1人は、青い髪の少女。どちらもそっくりな顔をしている。
髪の色さえ同じなら区別がつきそうにない、双子だった。

「……ああ、今日は調子が悪いんだ。」七瀬は言い返した。
「明日もここに来るの?」といったのは赤髪の少女。
「そうだな…たぶん来る。」

少女たちは互いに目を合わせたあと、自己紹介を始めた。

「僕は、藤堂 朱音(あかね)。こっちは、妹の浅葱。よろしくね。」
「…ぼく?」
「ああ…癖なの。気にしないで。君は?」
「俺は七瀬 翼。よろしくな。」


469 : ◆UDPETPayJA [sage] :2008/11/01(土) 01:10:23 ID:SmTe1Fw1

* * * * *


 それからというもの、昼休み、放課後と彼らは決まって音楽室に集まっていた。じきに梅雨に入る。ピアノの知識を持つ七瀬ならその管理もぜひ、と担当教員に頼まれてい

た。それによってこうしてほぼ自由に出入りできるようになったのだ。
七瀬は簡単な曲を弾き、姉妹はそれを聴き入る。時には楽しく漫談も織り交ぜる。それが彼らの日常だった。

ある日の昼休み、彼らは同じように集まっていた。

「…ねぇ七瀬、プロは目指さないの?」質問をしてきたのは朱音だ。
「同じことを中学の先生にも訊かれたよ。ピアノは俺にとっては単なる趣味だ。そんなやつが出たところで意味はあるまい?」七瀬は、二人にむけてそう説いた。
「…そういううものなのかな?」
「いいじゃない。」と、浅葱が口を開いた。「七瀬くんのピアノはすごくきれいな音だもん。それを二人じめできてる私たちは幸せ者よ?」
「うん…そうだよね!七瀬のピアノは僕たちだけが知ってるんだよ!」負けじと、朱音が続ける。
「…なんだか、恥ずかしいな……。でもまあ、お前たち聴いてくれるだけで十分だよ。」

ぽんぽん、と双子の頭をたたいてやる七瀬。姉妹はなにやらくすぐったそうに顔をはにかませた。

「そうだ、今日は七瀬のぶんも弁当作ってきたんだよ!」
「……ここ、飲食禁止じゃなかったか?」
「? そうだっけ。ま、いいや。でさ、浅葱ったら妙にはりきっちゃって。今日なんか5時起きだよ?」
「朱音ちゃんっ!そんなこといわなくていいよっ!もう…」

といいつつ、床に広げられる弁当箱。三つあるうちのひとつ、一回り大きい箱はどうやら七瀬のためのものらしかった。
早速、箸をつける七瀬。それを追って姉妹も食事を始める。

「うん…うまいよ。これならいつ嫁に行っても大丈夫だな。」と、七瀬は率直な感想を述べる。
「よ 嫁!?七瀬くんっ!?」浅葱は顔を真っ赤にしてうろたえている。
「浅葱は七瀬らぶだもんね、そのままくっついちゃえば?」
「馬鹿いうな。こんないい娘、俺なんかにはもったいないよ。」

こうして、いつまでも楽しく過ごしていられると、このときは誰も信じて疑わなかった。


470 : ◆UDPETPayJA [sage] :2008/11/01(土) 01:11:50 ID:SmTe1Fw1

* * * * *

 夏が過ぎ、秋も終わりかけた、とある寒い日にそれは起きた。

音楽室には七瀬と、赤い髪の少女の2人。

「…今日は浅葱はいないのか?」七瀬が問う。それに対し朱音は、こう答える。
「あの子は今日は委員会の仕事なんだ。だから、今日は僕だけだよ。それとも、浅葱がいなくて残念?」
「いや…珍しいな、と。お前と二人きりなんて初めてだからな。」
「そうだね。僕は嬉しいよ?七瀬と二人っきり。」

朱音はひと息つき、こう続けた。

「僕、七瀬のことが好きだから…二人っきりになれて嬉しいんだ。七瀬は嫌?」

いきなりの告白に驚く七瀬。が、それも一瞬のこと。次の瞬間、七瀬は朱音の唇を奪っていた。

「嫌じゃないよ。俺も、朱音が好きだからさ。」
「七瀬っ…!」

互いの気持ちを知り、それを噛み締めるかのように抱きしめあう2人。だが、それを見ている人物に気づくことはなかった。

ドアの隙間からこっそり中を覗いていたのは青い髪の少女―――浅葱。
彼女は涙を流していた。目を背けたい。今すぐここから逃げ出したい。なのに、足が動かない。

「朱音ちゃんっ…七瀬くん…どうして…?」

その場にへたりと座り込んで、声を殺して泣きたかった。だが、予鈴がなるまであとわずか。
どうにか壁伝いに立ち上がり、おぼつかない足取りで音楽室を離れた。

それから浅葱は音楽室を訪れなくなった。行けばまた現実を見せつけられる。そのことへの恐怖が、彼女をそうさせた。
しかし家に帰れば朱音と顔を合わせることになる。そうなれば当然訊かれる。どうして来ないんだ、と。
今の浅葱にとって心休まる居場所はなかった。正確には、それらはすべて自分の半身である朱音に奪われた。そう思っていた。
それでも、彼女なりに気を遣い、応援しようとした。…祝福しようとした。
そして2週間が経ったその日、浅葱は再び音楽室を訪れた。

ドアに手をかけ、中に入ろうとしたそのとき、声が聞こえた。

「―――っ ――――! ―――!!」

もはや限界だった。自分と同じ声の、まるで発情した猫のような嬌声。その猫の名を呼びながら荒い吐息をもらす思い人の声。浅葱が聞き取ったのはまさにそれらだった。
浅葱は逃げるようにトイレへと駆け込んだ。これ以上なにもないというまでに吐き、涙が枯れんばかりに泣いた。狂ったように自慰行為もした。
そんな彼女に唯一…いや、ふたつ残ったのは張り裂けそうなほどの七瀬への愛。そして自らの半身への狂いそうなほどの憎しみだけだった。


471 : ◆UDPETPayJA [sage] :2008/11/01(土) 01:13:22 ID:SmTe1Fw1

* * * * *

翌朝、七瀬は音楽室に来ていた。朱音と愛し合うようになってからは朝にも会うようになっていたのだ。
彼女をを待つあいだ、ピアノで曲を弾きこなす。それはいつの日か朱音が教えてくれた、彼女のお気に入りの曲だった。
ひととおり弾き終わり、ふたを下ろす。ふと、ドアのほうから声がした。

「相変わらず、とっても上手だね。」

声の主は赤い髪の少女。だが、七瀬はすぐ違和感に気づいた。

「おまえ…浅葱か?髪染めたんだな。まるで朱音みたいだ。」
「そう…髪染めたの。七瀬くんが好きなのは朱音ちゃんだから、このほうが喜ぶかなぁって思ったんだ。ほら、見て?真っ赤でしょ。」
「ああ…でも、不思議ないろだ。朱音の髪よりももっとこう…まるで血みたいだ。」

浅葱の髪色に対してそう表現した七瀬。浅葱はこう返した。

「よくわかったね。そう、これは朱音ちゃんの血で染めたの。どう、似合う?」

一瞬、その言葉の意味がわからなかった。が、よく見れば彼女の手もまた髪と同じいろの何か…血で染まっていた。

「まさか……お前、朱音を…」殺したのか、と続けたかった。だが、それは言葉にならなかった。
浅葱は、七瀬の唇を自らのそれで塞いだ。数十秒、当事者である彼らからしたら数分にも思える時間だった。
やがて唇は離され、浅葱がこう言った。

「七瀬くん…翼が好きなのは浅葱じゃないんだよね?僕だよね?」

たどたどしいながらも、彼女の言葉遣いはまるで朱音のものそっくりだった。このとき七瀬は理解した。
浅葱は、"朱音"になることで自分に愛されたかったのだ、と。
七瀬は、自分に愛されたいがために自分自身を"殺そうと"している彼女を哀れに思った。しかし、浅葱のこの悲痛な思いをないがしろにすることはできなかった。

「…浅葱。お前がそこまですることはないんだ。だから…もうやめろ…!」

浅葱を抱きしめてそう訴えた七瀬。だが彼女はすでに―――――

「…なにいってるんだい?僕は朱音だよ。浅葱は死んじゃったんだよ。…もうどこにもいない。だから、気にすることないよ。浅葱なんか忘れて、僕と愛し合おうよ、翼。」

すでに、壊れていた。彼女はもはや浅葱であって、浅葱じゃなくなっていた。
今にも泣きそうな瞳で必死にすがりついてくる浅葱。その体は震えていた。
拒否されることへの恐怖からか…?拒めばきっと…いや、間違いなく今度こそ……。七瀬はそう思った。だからこそ、彼女の願いに応えてやるべく、こう言った。

「…ああ。愛してるよ、朱音。」