第1章エピローグ7「忘れられた場所にて」

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作:イシス 深夜 この街にはかつて、ある病院があった。その病院は少し離れた山の方に位置し、昔はそこぐらいしか 大きな病院がなかったこともあり、それなりに繁盛していた。今ではそこもスマートブレインの傘下に入り、 人口の流動と共に施設も街の方へ移転した為、その病院も解体されるのを待つばかり。 そのはずだったが、景気の変動やら利権関係のごたごたなどがあり、いつしか解体の話自体が有耶無耶となり、 時の経過と共に人々の記憶の中からも、その病院の存在はもはや忘れ去られていた。 今や外装は殆ど朽ち、山間ということもあり蔦などが複雑に絡みついている。おまけに内部は黴と埃が充満して いるという最低の環境にあった。衛生面を最重視していたはずの施設としての面影はもうない。 だが、そこに微かに明かりが存在していた。施設内の照明ではない。時の経過は院内全ての照明の機能を 失わせている。それは病院ではまず置かれることがないであろう、いかにもアンティークなランプだった。 しかもランプにはあらゆる宝石が隙間なく敷き詰められており、豪華を通り越して悪趣味と言えるレベルに 到達している。ランプの灯りよりも、宝石の輝きの方が照明になりそうだ。 さらに、眩い煌きを誇るのはランプだけではない。それが置かれているテーブルもだ。こちらはなんと、巨大な 水晶をテーブルの形に掘って拵えたという、手間も金もかかる一品だった。当然、テーブルの周りには庶民では 手が届かないような額の宝石たちが、惜しげもなく埋め込まれている。 場違いどころではない。こんな場所にアンティークを飾るなど、物好きを通り越しただの奇人でしかない。 しかも、その者は奇人な貴人であった。 貴人の髪は本物の金で編まれたかのような艶やかさを誇っている。しかし、髪型はマンガなどでしかまずお目に かかれぬであろう縦ロールだった。似合っているには違いないが、もう少しマシな形もあったろう。 さらに、貴人は相当自己顕示欲が強いと見え、衣服は様々な輝きを放つ宝石をこれでもかと鏤めた、豪華と いうよりおぞましささえ感じさせるドレスを身に纏っている。おまけにありえないほど豊満な肉体は、世の男の 目を釘付けにすることは間違いない。なにせ、ドレスの胸や尻がはち切れそうなほどなのだから。 宝石の奇人の傍らには、桃色の髪のシスター、そしてスーツを着こなす灰色の髪の長身の男がいた。シスターは 貴人に抱き寄せられ、髪を櫛で梳いでもらいながら、人形のような瞳でテレビに視線を向けていた。 男もシスター同様、作り物と感じさせる目をテレビへと向けている。 当然、櫛もテレビも庶民の手がでるような外観をしてはいなかった。 テレビは黄色い全身タイツの少年と、一見美少年がラグビーの試合をしているアニメを映していた。しかし、 相当昔のアニメらしく、画質は酷い上に作画や音質など、色々と残念な仕様になっていた。何せ効果音すら ロクに流れないのだ。 話も美少年が「エ゛ーイ」とか「ヴェイ」とか奇声を上げたり、発音の問題で「たなびたいこと」などと 言ってしまったり、展開も完全に投げっぱなしという、酷い有様だった。作った人間の気がしれない。 そしてこれを見るためにDVD-BOXを買ってしまった人間の気はもっとしれない。 「なんじゃこれは。よくもまぁこんな下らぬ動画を作るものじゃ。コーデリアはこういうのが好きなのかえ?」 貴人は見た目もそうなら口調も時代錯誤な人間だった。 道端の石ころでも見るかのような侮蔑の目で流れているアニメを一蹴するが、抱き寄せているシスターを 見下ろす目は、愛娘へと向けるそれである。コーデリアと呼ばれたシスターは小柄な為、抱き寄せられると 貴人の豊満な胸で体が見えなくなってしまう。しかもコーデリアは抗おうともしないので、殆ど貴人の愛玩 道具のようになっていた。 「・・・お待たせしました。」 ランプの灯りがあるといっても、施設内の殆どは闇に覆われている。その闇に消えてしまいそうなほどか細い 声を発したのは、ファー付きのドレスを来た、アイスブルーの髪色をしたボブカットの少女、イオだった。 学校での気弱さがさらに強調されたように、少女の瞳は不安以上の感情に染まっている。体も小刻みに震えを 起こしており、運んできているポットにティーカップを乗せたトレーを引っ繰り返してしまう恐れがあった。 おまけにトレーを落とさぬようにと慎重すぎるぐらいの歩幅で貴人の下へ向かっているので、熱された液体で 満たされているポットが冷める方が速そうだ。 「・・・ん?そういえば寝る前に紅茶でも頼んでおったな。全く、リサの奴の帰りが遅いから妾がこんな時間まで  起きる羽目になるのじゃ。今頃はベッドで寝ている時間じゃというのに・・・」 貴人の愚痴は放っておけばいつまでも続いていただろう。そして明らかに気分を害している。これ以上は貴人の 怒りの矛先を向けられるのが自分になってしまうことを、イオは“経験”から知っていた。一刻も早く気を 静めてもらおうと、イオはカップをテーブルに置く。 「・・・まぁよいわ。さ、コーデリア。ティータイムとでも洒落込むぞえ。」 「・・・・・・」 貴人はようやくコーデリアを解放し、向かい側に座らせてやる。程なくして二人分の紅茶が注がれる。 コーデリアは目の前で湯気を立てるティーカップを見ようともしなければ、手に取る様子もない。だが、貴人は そんなシスターの様子を不快に思っている訳でもなく、むしろ彼女を見ているだけで満足といったようだ。 まるでシスターの分まで味わってやるとばかりの面持ちで、貴人がティーカップを口に運ぶ。 しかし、一口にも満たない内にカップが貴人の唇から離れた。 「・・・イオ。」 「は、はい・・・」 貴人の声のトーンが一気に低くなり、院内の闇もさらに深みを増したような気がした。彼女がこれほど不機嫌な 声になった時の行動を、イオはその身でよく知っている。それでもイオは動けない。眼前の恐怖は抵抗など一切 許さないほどの大きさだった。 「なんじゃこの不味い茶はーーーーーー!!!!」 「きゃっ!」 貴人の怒号とカップの熱湯が同時にイオへと飛ぶ。咄嗟に腕で庇いなんとか顔にかかることはなかったが、 下手すれば惨いことになっていたのは容易に想像できる。それを知ってこの貴人はこんな暴挙に出ているのだ。 イオが怯んだ所へ追い打ちをかけるように、貴人は水晶のテーブルに立てかけてあった豪奢な錫杖を手に取り、 それでいきなり殴打した。 「かはっ!あっ!ひうっ!」 「妾への恩義に対してこんな瑣末な泥水しか用意できぬのか!この愚図が!塵が!」 「いぎっ!あ・・・ああっ!」 イオの小柄な体が廃病院の薄汚い地面に転がり、それでも貴人はイオを錫杖で殴るのをやめない。そして彼女が どれだけ惨い仕打ちを受けようとも、シスターと男は微動だにしなかった。一瞥さえもせぬその姿は、完全に そこにあるだけの人形である。 「ぜー・・・ぜー・・・もうよい!さっさと下がれ!」 「・・・は・・・はい・・・・・・」 十数回も殴打しても貴人は鼻息荒くイオを睨みつける。主の怒号から逃げるように、イオは体を引きずりながら 闇の奥へと姿を消した。 「もう我慢の限界じゃ!リサはどこじゃ!?まだ帰ってこぬのか!」 「荒れておるのう、エルダ。」 「・・・御老体か。ふん、気も荒れるわ!」 貴人、エルダは声がした方向に振り返らず、代わりに荒っぽい語気で答えた。 皺嗄れた声の主は、タキシードにシルクハットの老人だった。いつからそこにいたのか、老人は埃の堆積した 来客用のソファに腰かけていた。見たこともない変わった杖を突くその姿は老人特有のものでありながら、 漂わせる雰囲気はもはや人間の範疇を超えていた。帽子の下から覗かせる鋭い眼光は、エルダをしっかり捉える。 「まぁ、貴様の言い分も尤もだ。リサめ、ここまで帰りが遅いとはな。よもや儂等を裏切ったか?」 「まさか!あの金の亡者がそんなことをするはずがない。何せ、妾が金を払っておるのじゃからな。これで仕事  放棄でもすれば、それこそ彼奴の名が廃るというものじゃ。あれで何かとプライドの高い女じゃからな。」 「貴様と同じだな。」 「妾をあんな金の亡者と一緒にするでないわ!」 老人のからかいにかなり本気で腹を据えかねた所で、新たな気配が院内に現れた。軍服に軍帽、そして軍靴を きっちりと揃えた白髪の女。“死神”と恐れられるリサ・シュルフだった。 「ただいま戻りました。」 「遅い!今までどこをほっつき歩いておったのじゃ!」 エルダの怒りの原因は悪びれた様子もなく彼女の前に立った。返答次第では口から火を噴くほど怒り狂っても おかしくないエルダだったが、対するリサは表情を変わらない。仮面でも被っているかと思うほどだ。 「少し月夜の散歩に出ていました。」 「・・・はぁ!?冗談も休み休み申せ!お前のような奴がそんな女々しいことをするはずなかろうが!」 「女々しいも何も、私は女ですからしても問題ないかと。」 「ええい、黙れ!それが契約主に対する態度か!!」 わざと素っ気ない振る舞いを見せているようなリサの態度に、エルダはますます青筋を浮かべ怒鳴り散らす。 内心で、リサはこの契約主の怒り顔を見てほくそ笑んでいた。月夜の散歩など当然嘘であり、実際はわざと 報告を遅らせるよう、適当な場所で時間を潰していただけだ。前々から彼女の理不尽な依頼で自分の仕事に 対する情熱やらプライドやらが踏み躙られた苛立ちを考えれば、この程度など生ぬるすぎる。 だが、各地に放った“タンタロス”の監視など、やるべき仕事はちゃんとこなしている。完全に仕事放棄を してしまうほど“死神”リサ・シュルフは落ちぶれていない。 「詳しいことはまた明日にでも。今日はもう眠いので寝させてもらいます。」 「な・・・!?こ、こらリサ!妾はお前の報告を待つためだけにこんな時間まで起きておるのじゃぞ!?だのに  お前が先に寝てどうする!寝るなら先に報告を・・・」 「お断りします。」 流石のエルダも狼狽し早口に捲し立てるが、リサは鉈でも振り下ろしたように一言で断ち切った。 「ああ、忘れる所でした。イオとユリウスをしばらくお借りします。では、おやすみなさい。」 「おいリサ!妾の許可なく・・・きー!なんなのじゃあ奴は!?ここ最近、特に今日の狼藉は目に余るぞ!?  御老体!お主からも何か言ったらどうなのじゃ!同じ“タンタロス”なのじゃろう!?」 肝心の相手が早々に消えてしまったことで、不幸にも宝石の貴人の喚きはそれまで傍観を決めていた老人へと 向けられてしまった。僅かに顔を上げた老人の鋭い眼にやや疲労の色が見えたのは、厄介な事態になったと 思ってのことだろうか。 「・・・あ奴は“タンタロス”の中でも異端中の異端。あれほど“タンタロス”らしくない思考の持ち主はおるまい。」 「そんなことはどうでもよい!妾が言いたいのは、奴がロクすっぽ仕事も果たしておらぬということじゃ!  これは我らが“王”の御心をこの世に具現させる為の、大事な任務なのじゃぞ!?」 「奴が仕事を放棄することはあるまい。そこは保障しよう。だが、遅れているのも事実だ。」 「だからそれは何故なのじゃ!」 このままエルダを放置しておけば、勝手に一人でいつまでも喋り続けていただろう。一度ハッキリと言うしか ないと分かると、老人は一度重々しく溜息を吐いた。 「お前を嫌っておるからわざと遅らせておるのじゃろう。」 「んなっ・・・!?」 まるで槍で一突きするかのような言葉の棘は、見事に貴人を絶句させるほど追い込んだ。 ここは表向きこそ廃病院であるが、実は密かに電気やガスなどが供給されていて、生活する分には何不自由ない 環境であった。その為、院内にはまだ使える施設が幾つか残っており、その一つが患者用の浴室だ。 本来は一人では入浴できない患者の為に用意された代物も今や無用の長物となっていた。 まるでホラー映画の舞台にもなりそうな薄暗い浴室に、二つの影が蠢く。それは廃病院の霊などではなく、 アイスブルーの髪をした少年と少女、ユリウスとイオだった。 二人の間を遮るものは何もない。一切隠されぬ発展途上の肉体が、互いの目の前に繰り広げられている。 しかし、イオもユリウスも全身には幾つもの青痣や傷跡が生々しく残っており、特にイオは先ほどの仕打ちで 新しい傷をまだまだ未成熟の体に作っていた。 「イオ・・・」 ユリウスの不安げな声がイオにかけられる。 「・・・大丈夫。今日はまだマシな方だったから・・・」 心配をかけぬようにとの計らいだったが、その声色は誰が聞いても心配で落ち着くことなどできないだろう。 特にユリウスは誰よりも彼女と長く過ごしてきた。彼女の痛みすら手に取るように分かるほどに。 「無理しなくていい。イオの痛みは僕の痛みだから・・・」 「ユリウス・・・」 どちらからとなく、二人の距離が密着せんばかりに近づく。やがて互いの手が触れ合い、視線が交わる。 傍から見れば異常なこの光景も、二人にとっては当たり前の行為だった。互いを異性と知っていながら、 肉親の関係を超えた仲で結ばれた二人。イオはユリウスであり、ユリウスはイオである。 「学校・・・緊張したね。」 「うん。でも・・・何もかも新鮮だった。」 手と手を触れあわせお互いを見つめあいながら、二人は今日の出来事に思いを馳せる。この魔獣の腹の底同然な 廃墟にいては想像もできなかったほど、ボード学園での一日は穏やかで、争いもなく誰もが平和を享受できる 空間がそこにあった。自分たちには勿体ないほどに。 「風瀬先輩・・・いい人だったね。」 「新聞部の皆さんやクラスメートの皆さんとも・・・仲よくなれたらいいね。」 自分の幸せは相手の幸せになり、相手の辛苦は自分のものとして返ってくる。思考、身体の感覚、境遇、 何もかもが同一としか思えぬぐらい近似する二人の少年少女。願いと呼ぶにはあまりにささやかだったが、 この二人は互いが、これ以上の望みは罰が当たると本気で思っていた。 イオとユリウスにとって、肉体と心の痛みから解放される時は入浴と睡眠の時ぐらいしかない。エルダにとって 二人はそこらの石ころ以下の価値しか見出していないこともあり、幸か不幸かその時までエルダの暴力が 及ぶことはなかった。 だが、入浴を終え後は眠るだけの二人の前に現れた人物に、イオとユリウスは言葉を失った。 「少しいいか。」 「リ・・・リサ・・・様・・・・・・?」 脱衣所にいたのは泣く子も黙る“死神”リサ・シュルフであった。ある意味エルダよりも恐るべき殺し屋が 声をかけてくるというこの不意打ち同然の展開に、入浴を終え解れたはずの全身の筋肉が一気に硬直した 気がした。ありありと不安に塗り潰された二人のアイスブルーをした瞳を見ても気にせず、リサは話を続ける。 「お前たちに頼みがある。既にエルダさんの許可は取ってあるから、そこは気にしなくていい。」 「は、はぁ・・・」 戸惑った返事が同時にリサに返される。当然だがリサの言う許可とは、彼女の方からエルダへと押し付けた 一方的なものであり、実際この二人を使っていいかどうかの返答はまだない。もっとも、リサはエルダの この二人に対する関心は殆どないと確信している為、承諾は後ででも問題ないと思っていた。仮に許可が 下りなかったとしても、リサはこの二人を使うつもりでいる。 自らの仕事の為と、あの傲慢な依頼主に対する嫌がらせもあった。 「名前は・・・そうだ、ハナエだ。フセハナエという少女について調べろ。どんなことでもいい。それだけだ。」 “死神”からの依頼とは誉められない仕事も辞さないものだと二人は覚悟していたが、予想よりも簡単そうな 内容にまずはホッと胸を撫でおろす。それよりも、二人の気がかりな所はリサが口にした名前だ。 彼女の言う名字と同じ人物と今日自分たちは接したのではなかったか。 「あの・・・それって・・・・・・」 「風瀬先輩の・・・親族なのでしょうか・・・?」 「先輩?」 今度はリサが眉を顰める番だった。二人は“風瀬”という名字の人物を知っているらしい。だが、リサの 指定する少女と二人が思い描く人物とは何か違うようだ。そもそも、華枝はリサが見た限りではこの二人と 歳もそう変わらぬはずだった。 数秒置いてふと、リサはある可能性に気づく。新たな依頼主から渡された資料には、確かハナエには兄がいたと 記載されていたはずだ。 「・・・もしや、その先輩とはレツという少年か?」 「!!」 「は、はい!」 記憶の隅にあったその兄の名前がリサの口から出た。壊れた人形のように何度も首を縦に振るのを見るに、 リサの推察は当たっていたようだ。それならそれで彼女にとっては好都合以外の何物でもない。 「なら話は早い。そのレツからハナエに関することを聞き出してこい。」 相手はあの“死神”だ。断れば即刻首が落とされても不思議ではない。そこまでの度胸はイオもユリウスも 持ち合わせていないが、依頼の目的を聞こうという意思ぐらいはある。 「え・・・あ、あの・・・・・・」 「それは・・・何のために、えと・・・風瀬先輩の妹さんを・・・・・・?」 おずおずとした二人の質問に、しかしリサは答えない。表情を一切変えず、永久凍土の氷にも似たひたすら 冷たい視線が二人を射止める。その眼が自分たちに向けられていると思うと、イオとユリウスは呼吸の方法も 忘れてしまうぐらいの恐怖心に全身の自由を奪われてしまう。 「お前たちが知ることはない。ただ私に言われた通りのことだけやれ。」 「「・・・はい。」」 “死神”の一方的な指示は、反論も言葉を詰まらせることも許さないほどの威圧感を含んでいるようであった。 もはや二人は“死神”の言葉に従う他なく、後は幽鬼の如く脱衣所を後にしていく。 リサ以外には人の気配も人以外の気配もなくなった脱衣所は、等間隔に滴り落ちる水滴の音もあいまって、 魔境を超えて何かおぞましい物へと変質したように錯覚してしまう。いつまでもいれば気が狂いそうなそこに、 数瞬の灯りが点き、やがて紫煙の臭いが拡散していく。 愛用の葉巻を咥えながら、ようやくリサは安息を心に感じることができた。あの金だけはどれだけ使おうと なくならいほど抱える傲慢な依頼主に雇われてからというもの、彼女は碌な仕事がなかった。何の為に働き 金を貰っているのかに迷ってしまうほど、正直参っていたと思う。 元々、エルダやあの老人の目論見など知らなければ興味もない。ただ“死神”の名の通り、誰かを殺し成功 報酬として金が欲しいだけなのだ。そして久々に、その“死神”らしい仕事が舞い込んできた。 この機を逃せば殺し屋稼業など廃業するしかあるまい。 「・・・こんなに心躍る依頼は久々だ。絶対に達成してみせる。私の名誉と私欲の為にも・・・・・・!」 葉巻が脱衣所の朽ちた床に落ちたと同時に、火種が軍靴によって踏み躙られた。
作:イシス 深夜 この街にはかつて、ある病院があった。その病院は少し離れた山の方に位置し、昔はそこぐらいしか 大きな病院がなかったこともあり、それなりに繁盛していた。今ではそこもスマートブレインの傘下に入り、 人口の流動と共に施設も街の方へ移転した為、その病院も解体されるのを待つばかり。 そのはずだったが、景気の変動やら利権関係のごたごたなどがあり、いつしか解体の話自体が有耶無耶となり、 時の経過と共に人々の記憶の中からも、その病院の存在はもはや忘れ去られていた。 今や外装は殆ど朽ち、山間ということもあり蔦などが複雑に絡みついている。おまけに内部は黴と埃が充満して いるという最低の環境にあった。衛生面を最重視していたはずの施設としての面影はもうない。 だが、そこに微かに明かりが存在していた。施設内の照明ではない。時の経過は院内全ての照明の機能を 失わせている。それは病院ではまず置かれることがないであろう、いかにもアンティークなランプだった。 しかもランプにはあらゆる宝石が隙間なく敷き詰められており、豪華を通り越して悪趣味と言えるレベルに 到達している。ランプの灯りよりも、宝石の輝きの方が照明になりそうだ。 さらに、眩い煌きを誇るのはランプだけではない。それが置かれているテーブルもだ。こちらはなんと、巨大な 水晶をテーブルの形に掘って拵えたという、手間も金もかかる一品だった。当然、テーブルの周りには庶民では 手が届かないような額の宝石たちが、惜しげもなく埋め込まれている。 場違いどころではない。こんな場所にアンティークを飾るなど、物好きを通り越しただの奇人でしかない。 しかも、その者は奇人な貴人であった。 貴人の髪は本物の金で編まれたかのような艶やかさを誇っている。しかし、髪型はマンガなどでしかまずお目に かかれぬであろう縦ロールだった。似合っているには違いないが、もう少しマシな形もあったろう。 さらに、貴人は相当自己顕示欲が強いと見え、衣服は様々な輝きを放つ宝石をこれでもかと鏤めた、豪華と いうよりおぞましささえ感じさせるドレスを身に纏っている。おまけにありえないほど豊満な肉体は、世の男の 目を釘付けにすることは間違いない。なにせ、ドレスの胸や尻がはち切れそうなほどなのだから。 宝石の奇人の傍らには、桃色の髪のシスター、そしてスーツを着こなす灰色の髪の長身の男がいた。シスターは 貴人に抱き寄せられ、髪を櫛で梳いでもらいながら、人形のような瞳でテレビに視線を向けていた。 男もシスター同様、作り物と感じさせる目をテレビへと向けている。 当然、櫛もテレビも庶民の手がでるような外観をしてはいなかった。 テレビは黄色い全身タイツの少年と、一見美少年がラグビーの試合をしているアニメを映していた。しかし、 相当昔のアニメらしく、画質は酷い上に作画や音質など、色々と残念な仕様になっていた。何せ効果音すら ロクに流れないのだ。 話も美少年が「エ゛ーイ」とか「ヴェイ」とか奇声を上げたり、発音の問題で「たなびたいこと」などと 言ってしまったり、展開も完全に投げっぱなしという、酷い有様だった。作った人間の気がしれない。 そしてこれを見るためにDVD-BOXを買ってしまった人間の気はもっとしれない。 「なんじゃこれは。よくもまぁこんな下らぬ動画を作るものじゃ。コーデリアはこういうのが好きなのかえ?」 貴人は見た目もそうなら口調も時代錯誤な人間だった。 道端の石ころでも見るかのような侮蔑の目で流れているアニメを一蹴するが、抱き寄せているシスターを 見下ろす目は、愛娘へと向けるそれである。コーデリアと呼ばれたシスターは小柄な為、抱き寄せられると 貴人の豊満な胸で体が見えなくなってしまう。しかもコーデリアは抗おうともしないので、殆ど貴人の愛玩 道具のようになっていた。 「・・・お待たせしました。」 ランプの灯りがあるといっても、施設内の殆どは闇に覆われている。その闇に消えてしまいそうなほどか細い 声を発したのは、ファー付きのドレスを来た、アイスブルーの髪色をしたボブカットの少女、イオだった。 学校での気弱さがさらに強調されたように、少女の瞳は不安以上の感情に染まっている。体も小刻みに震えを 起こしており、運んできているポットにティーカップを乗せたトレーを引っ繰り返してしまう恐れがあった。 おまけにトレーを落とさぬようにと慎重すぎるぐらいの歩幅で貴人の下へ向かっているので、熱された液体で 満たされているポットが冷める方が速そうだ。 「・・・ん?そういえば寝る前に紅茶でも頼んでおったな。全く、リサの奴の帰りが遅いから妾がこんな時間まで  起きる羽目になるのじゃ。今頃はベッドで寝ている時間じゃというのに・・・」 貴人の愚痴は放っておけばいつまでも続いていただろう。そして明らかに気分を害している。これ以上は貴人の 怒りの矛先を向けられるのが自分になってしまうことを、イオは“経験”から知っていた。一刻も早く気を 静めてもらおうと、イオはカップをテーブルに置く。 「・・・まぁよいわ。さ、コーデリア。ティータイムとでも洒落込むぞえ。」 「・・・・・・」 貴人はようやくコーデリアを解放し、向かい側に座らせてやる。程なくして二人分の紅茶が注がれる。 コーデリアは目の前で湯気を立てるティーカップを見ようともしなければ、手に取る様子もない。だが、貴人は そんなシスターの様子を不快に思っている訳でもなく、むしろ彼女を見ているだけで満足といったようだ。 まるでシスターの分まで味わってやるとばかりの面持ちで、貴人がティーカップを口に運ぶ。 しかし、一口にも満たない内にカップが貴人の唇から離れた。 「・・・イオ。」 「は、はい・・・」 貴人の声のトーンが一気に低くなり、院内の闇もさらに深みを増したような気がした。彼女がこれほど不機嫌な 声になった時の行動を、イオはその身でよく知っている。それでもイオは動けない。眼前の恐怖は抵抗など一切 許さないほどの大きさだった。 「なんじゃこの不味い茶はーーーーーー!!!!」 「きゃっ!」 貴人の怒号とカップの熱湯が同時にイオへと飛ぶ。咄嗟に腕で庇いなんとか顔にかかることはなかったが、 下手すれば惨いことになっていたのは容易に想像できる。それを知ってこの貴人はこんな暴挙に出ているのだ。 イオが怯んだ所へ追い打ちをかけるように、貴人は水晶のテーブルに立てかけてあった豪奢な錫杖を手に取り、 それでいきなり殴打した。 「かはっ!あっ!ひうっ!」 「妾への恩義に対してこんな瑣末な泥水しか用意できぬのか!この愚図が!塵が!」 「いぎっ!あ・・・ああっ!」 イオの小柄な体が廃病院の薄汚い地面に転がり、それでも貴人はイオを錫杖で殴るのをやめない。そして彼女が どれだけ惨い仕打ちを受けようとも、シスターと男は微動だにしなかった。一瞥さえもせぬその姿は、完全に そこにあるだけの人形である。 「ぜー・・・ぜー・・・もうよい!さっさと下がれ!」 「・・・は・・・はい・・・・・・」 十数回も殴打しても貴人は鼻息荒くイオを睨みつける。主の怒号から逃げるように、イオは体を引きずりながら 闇の奥へと姿を消した。 「もう我慢の限界じゃ!リサはどこじゃ!?まだ帰ってこぬのか!」 「荒れておるのう、エルダ。」 「・・・御老体か。ふん、気も荒れるわ!」 貴人、エルダは声がした方向に振り返らず、代わりに荒っぽい語気で答えた。 皺嗄れた声の主は、タキシードにシルクハットの老人だった。いつからそこにいたのか、老人は埃の堆積した 来客用のソファに腰かけていた。見たこともない変わった杖を突くその姿は老人特有のものでありながら、 漂わせる雰囲気はもはや人間の範疇を超えていた。帽子の下から覗かせる鋭い眼光は、エルダをしっかり捉える。 「まぁ、貴様の言い分も尤もだ。リサめ、ここまで帰りが遅いとはな。よもや儂等を裏切ったか?」 「まさか!あの金の亡者がそんなことをするはずがない。何せ、妾が金を払っておるのじゃからな。これで仕事  放棄でもすれば、それこそ彼奴の名が廃るというものじゃ。あれで何かとプライドの高い女じゃからな。」 「貴様と同じだな。」 「妾をあんな金の亡者と一緒にするでないわ!」 老人のからかいにかなり本気で腹を据えかねた所で、新たな気配が院内に現れた。軍服に軍帽、そして軍靴を きっちりと揃えた白髪の女。“死神”と恐れられるリサ・シュルフだった。 「ただいま戻りました。」 「遅い!今までどこをほっつき歩いておったのじゃ!」 エルダの怒りの原因は悪びれた様子もなく彼女の前に立った。返答次第では口から火を噴くほど怒り狂っても おかしくないエルダだったが、対するリサは表情を変わらない。仮面でも被っているかと思うほどだ。 「少し月夜の散歩に出ていました。」 「・・・はぁ!?冗談も休み休み申せ!お前のような奴がそんな女々しいことをするはずなかろうが!」 「女々しいも何も、私は女ですからしても問題ないかと。」 「ええい、黙れ!それが契約主に対する態度か!!」 わざと素っ気ない振る舞いを見せているようなリサの態度に、エルダはますます青筋を浮かべ怒鳴り散らす。 内心で、リサはこの契約主の怒り顔を見てほくそ笑んでいた。月夜の散歩など当然嘘であり、実際はわざと 報告を遅らせるよう、適当な場所で時間を潰していただけだ。前々から彼女の理不尽な依頼で自分の仕事に 対する情熱やらプライドやらが踏み躙られた苛立ちを考えれば、この程度など生ぬるすぎる。 だが、各地に放った“タンタロス”の監視など、やるべき仕事はちゃんとこなしている。完全に仕事放棄を してしまうほど“死神”リサ・シュルフは落ちぶれていない。 「詳しいことはまた明日にでも。今日はもう眠いので寝させてもらいます。」 「な・・・!?こ、こらリサ!妾はお前の報告を待つためだけにこんな時間まで起きておるのじゃぞ!?だのに  お前が先に寝てどうする!寝るなら先に報告を・・・」 「お断りします。」 流石のエルダも狼狽し早口に捲し立てるが、リサは鉈でも振り下ろしたように一言で断ち切った。 「ああ、忘れる所でした。イオとユリウスをしばらくお借りします。では、おやすみなさい。」 「おいリサ!妾の許可なく・・・きー!なんなのじゃあ奴は!?ここ最近、特に今日の狼藉は目に余るぞ!?  御老体!お主からも何か言ったらどうなのじゃ!同じ“タンタロス”なのじゃろう!?」 肝心の相手が早々に消えてしまったことで、不幸にも宝石の貴人の喚きはそれまで傍観を決めていた老人へと 向けられてしまった。僅かに顔を上げた老人の鋭い眼にやや疲労の色が見えたのは、厄介な事態になったと 思ってのことだろうか。 「・・・あ奴は“タンタロス”の中でも異端中の異端。あれほど“タンタロス”らしくない思考の持ち主はおるまい。」 「そんなことはどうでもよい!妾が言いたいのは、奴がロクすっぽ仕事も果たしておらぬということじゃ!  これは我らが“王”の御心をこの世に具現させる為の、大事な任務なのじゃぞ!?」 「奴が仕事を放棄することはあるまい。そこは保障しよう。だが、遅れているのも事実だ。」 「だからそれは何故なのじゃ!」 このままエルダを放置しておけば、勝手に一人でいつまでも喋り続けていただろう。一度ハッキリと言うしか ないと分かると、老人は一度重々しく溜息を吐いた。 「お前を嫌っておるからわざと遅らせておるのじゃろう。」 「んなっ・・・!?」 まるで槍で一突きするかのような言葉の棘は、見事に貴人を絶句させるほど追い込んだ。 ここは表向きこそ廃病院であるが、実は密かに電気やガスなどが供給されていて、生活する分には何不自由ない 環境であった。その為、院内にはまだ使える施設が幾つか残っており、その一つが患者用の浴室だ。 本来は一人では入浴できない患者の為に用意された代物も今や無用の長物となっていた。 まるでホラー映画の舞台にもなりそうな薄暗い浴室に、二つの影が蠢く。それは廃病院の霊などではなく、 アイスブルーの髪をした少年と少女、ユリウスとイオだった。 二人の間を遮るものは何もない。一切隠されぬ発展途上の肉体が、互いの目の前に繰り広げられている。 しかし、イオもユリウスも全身には幾つもの青痣や傷跡が生々しく残っており、特にイオは先ほどの仕打ちで 新しい傷をまだまだ未成熟の体に作っていた。 「イオ・・・」 ユリウスの不安げな声がイオにかけられる。 「・・・大丈夫。今日はまだマシな方だったから・・・」 心配をかけぬようにとの計らいだったが、その声色は誰が聞いても心配で落ち着くことなどできないだろう。 特にユリウスは誰よりも彼女と長く過ごしてきた。彼女の痛みすら手に取るように分かるほどに。 「無理しなくていい。イオの痛みは僕の痛みだから・・・」 「ユリウス・・・」 どちらからとなく、二人の距離が密着せんばかりに近づく。やがて互いの手が触れ合い、視線が交わる。 傍から見れば異常なこの光景も、二人にとっては当たり前の行為だった。互いを異性と知っていながら、 肉親の関係を超えた仲で結ばれた二人。イオはユリウスであり、ユリウスはイオである。 「学校・・・緊張したね。」 「うん。でも・・・何もかも新鮮だった。」 手と手を触れあわせお互いを見つめあいながら、二人は今日の出来事に思いを馳せる。この魔獣の腹の底同然な 廃墟にいては想像もできなかったほど、ボード学園での一日は穏やかで、争いもなく誰もが平和を享受できる 空間がそこにあった。自分たちには勿体ないほどに。 「風瀬先輩・・・いい人だったね。」 「新聞部の皆さんやクラスメートの皆さんとも・・・仲よくなれたらいいね。」 自分の幸せは相手の幸せになり、相手の辛苦は自分のものとして返ってくる。思考、身体の感覚、境遇、 何もかもが同一としか思えぬぐらい近似する二人の少年少女。願いと呼ぶにはあまりにささやかだったが、 この二人は互いが、これ以上の望みは罰が当たると本気で思っていた。 イオとユリウスにとって、肉体と心の痛みから解放される時は入浴と睡眠の時ぐらいしかない。エルダにとって 二人はそこらの石ころ以下の価値しか見出していないこともあり、幸か不幸かその時までエルダの暴力が 及ぶことはなかった。 だが、入浴を終え後は眠るだけの二人の前に現れた人物に、イオとユリウスは言葉を失った。 「少しいいか。」 「リ・・・リサ・・・様・・・・・・?」 脱衣所にいたのは泣く子も黙る“死神”リサ・シュルフであった。ある意味エルダよりも恐るべき殺し屋が 声をかけてくるというこの不意打ち同然の展開に、入浴を終え解れたはずの全身の筋肉が一気に硬直した 気がした。ありありと不安に塗り潰された二人のアイスブルーをした瞳を見ても気にせず、リサは話を続ける。 「お前たちに頼みがある。既にエルダさんの許可は取ってあるから、そこは気にしなくていい。」 「は、はぁ・・・」 戸惑った返事が同時にリサに返される。当然だがリサの言う許可とは、彼女の方からエルダへと押し付けた 一方的なものであり、実際この二人を使っていいかどうかの返答はまだない。もっとも、リサはエルダの この二人に対する関心は殆どないと確信している為、承諾は後ででも問題ないと思っていた。仮に許可が 下りなかったとしても、リサはこの二人を使うつもりでいる。 自らの仕事の為と、あの傲慢な依頼主に対する嫌がらせもあった。 「名前は・・・そうだ、ハナエだ。フセハナエという少女について調べろ。どんなことでもいい。それだけだ。」 “死神”からの依頼とは誉められない仕事も辞さないものだと二人は覚悟していたが、予想よりも簡単そうな 内容にまずはホッと胸を撫でおろす。それよりも、二人の気がかりな所はリサが口にした名前だ。 彼女の言う名字と同じ人物と今日自分たちは接したのではなかったか。 「あの・・・それって・・・・・・」 「風瀬先輩の・・・親族なのでしょうか・・・?」 「先輩?」 今度はリサが眉を顰める番だった。二人は“風瀬”という名字の人物を知っているらしい。だが、リサの 指定する少女と二人が思い描く人物とは何か違うようだ。そもそも、華枝はリサが見た限りではこの二人と 歳もそう変わらぬはずだった。 数秒置いてふと、リサはある可能性に気づく。新たな依頼主から渡された資料には、確かハナエには兄がいたと 記載されていたはずだ。 「・・・もしや、その先輩とはレツという少年か?」 「!!」 「は、はい!」 記憶の隅にあったその兄の名前がリサの口から出た。壊れた人形のように何度も首を縦に振るのを見るに、 リサの推察は当たっていたようだ。それならそれで彼女にとっては好都合以外の何物でもない。 「なら話は早い。そのレツからハナエに関することを聞き出してこい。」 相手はあの“死神”だ。断れば即刻首が落とされても不思議ではない。そこまでの度胸はイオもユリウスも 持ち合わせていないが、依頼の目的を聞こうという意思ぐらいはある。 「え・・・あ、あの・・・・・・」 「それは・・・何のために、えと・・・風瀬先輩の妹さんを・・・・・・?」 おずおずとした二人の質問に、しかしリサは答えない。表情を一切変えず、永久凍土の氷にも似たひたすら 冷たい視線が二人を射止める。その眼が自分たちに向けられていると思うと、イオとユリウスは呼吸の方法も 忘れてしまうぐらいの恐怖心に全身の自由を奪われてしまう。 「お前たちが知ることはない。ただ私に言われた通りのことだけやれ。」 「「・・・はい。」」 “死神”の一方的な指示は、反論も言葉を詰まらせることも許さないほどの威圧感を含んでいるようであった。 もはや二人は“死神”の言葉に従う他なく、後は幽鬼の如く脱衣所を後にしていく。 リサ以外には人の気配も人以外の気配もなくなった脱衣所は、等間隔に滴り落ちる水滴の音もあいまって、 魔境を超えて何かおぞましい物へと変質したように錯覚してしまう。いつまでもいれば気が狂いそうなそこに、 数瞬の灯りが点き、やがて紫煙の臭いが拡散していく。 愛用の葉巻を咥えながら、ようやくリサは安息を心に感じることができた。あの金だけはどれだけ使おうと なくならいほど抱える傲慢な依頼主に雇われてからというもの、彼女は碌な仕事がなかった。何の為に働き 金を貰っているのかに迷ってしまうほど、正直参っていたと思う。 元々、エルダやあの老人の目論見など知らなければ興味もない。ただ“死神”の名の通り、誰かを殺し成功 報酬として金が欲しいだけなのだ。そして久々に、その“死神”らしい仕事が舞い込んできた。 この機を逃せば殺し屋稼業など廃業するしかあるまい。 「・・・こんなに心躍る依頼は久々だ。絶対に達成してみせる。私の名誉と私欲の為にも・・・・・・!」 葉巻が脱衣所の朽ちた床に落ちたと同時に、火種が軍靴によって踏み躙られた。 ←[[第1章エピローグ6「オヤスミナサイ、でも眠れない」]]

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