第1章第35話「騒がしい夜半」


※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

作:イシス


PM.23:26 八代薬局


日付も変わろうかという時刻でありながら、八代薬局の明かりはまだ消えていない。明かりはリビングからの
ものだった。簡素な造りの室内にこれまた簡素な木造テーブルを、紫のロングヘアーの麗人、ボロボロの白衣を
着た少女、そして中性的な顔立ちの美少年が囲う。

麗人、“暗殺者”の前には湯気を立てるティーカップが置かれており、“暗殺者”はそれを一口、口にする。ただ
紅茶を飲んでいるだけだというのに、その仕草は気品に溢れた美しさを感じさせる。静かにカップがソーサーに
置かれた。これが合図となり、まず“暗殺者”が口火を切る。

「さて、今日一日で集まった各々の情報を整理しようと思うのだけれど・・・棗は?」
「もう寝てるよ。なんか元気なさそうだったがな。」
「あら?」

“暗殺者”は意外といった表情を浮かべた。元気が取り柄の棗に限ってそれはないと思っていたからだ。右拳を
顎に当て、左手は右手を押さえるようにして考え込む仕草を取る“暗殺者”に、八代は少し茶化した声色で
彼女の逡巡を止めてやる。

「どうせ、学校ではしゃぎ過ぎて疲れたんだろ。明日にゃまた跳ねまわってるだろうさ。」
「・・・そうかもね。」

“暗殺者”もこれ以上追及しようとはせず、本題に戻ることにした。最初に情報を提供したのは八代である。

「ボード学園の方だが・・・ま、取り立てて怪しいのはいないな。“今は”。」
「そう。そんなものよね。あとはあなたがヘマをしないよう気をつけるだけね。」
「んあー・・・だな。どうも、勘の鋭いのもいるみたいだし。」

八代は溜息混じりに天井を見上げる。


思い出すのは、あの自称天才少女だ。かなりどうでもいいやり取りしかしていなかったはずなのに、彼女は
自分の“仮面”を一枚、見抜いてみせた。他にもそういう生徒がいるのかもしれないし、下手すれば正体に
気づく者だって現れるかもしれない。あの学び舎で生活していくということは、自分のような者にとっては
かなり神経を使うようなことになるだろう。


「ま、やるしかないさ。」
「そうね。ボード学園の情報はあなたの活躍にかかっているのだから。」
「おいおい・・・棗もいんだろが。」
「あの娘には、学生らしい生活を送ってもらわないと。まだまだ育ち盛りなのだし。」
「俺はいいのかよ・・・」

この麗人、いや毒婦はどんな時でも人をからかわねば気が済まないのだろうか。蝶を食い殺しでもしそうな、
誰の目にも残虐なサディストだと分かる笑みを作るのを見て、八代は重々しく溜息を吐く。

「あー・・・姉貴はどうなんだ?なんか変わったことあった?」

このままでは、またいつものように“暗殺者”のペースに飲まれるだけだ。八代は強引にでも話を進めることで
“暗殺者”をこれ以上、調子づかせないようにする。

「そうですね~。」

相変わらずこのボロボロの白衣を着た少女は、マイペースそのものだった。八代の、早く何か話してくれという
期待を見事に裏切ってくれるぐらい、のんびりと長考する。情報交換をすると決めているのだから、ちゃんと
話す内容は決めておいて欲しいものだ。何十秒ぐらいしてからだろうか、ようやくアンナは言いたいことが
纏まったらしく、満面の笑みで語りだした。

「今日はぼちぼちお客さんも来て~、売上はそれなりにありました~。早く地域の皆さんに~、も~っと利用
 してもらえるような~、良い薬局を目指しますよ~。」

違う、そういうことを聞きたいのではないと、八代は盛大な溜息を吐いた。

しかし冷静に考えれば、彼女から大きなネタが来ることを期待したのが間違いだった。アンナ・ルチルナは
その間延びした口調通りに、どこまでもマイペースな人間だ。そもそも、彼女の役割は八代薬局の店長として
表社会に溶け込むことだ。裏で暗躍する“暗殺者”や八代らとは違い、大きな情報が転がりこんでくることは
まずないだろう。せいぜい、近所の噂程度がいい所だ。

「あ~、そういえば~。」

と、アンナはぽんと手を打ち、間延びした声とは不釣り合いな驚いた顔を作る。

「今日ですね~、あそこの~、え~っと、そうそう~!白姫邸の~、執事さんが来たんですよ~。頭に猫さんを
 乗せちゃって~、なんだか可愛かったですよ~。」
「白姫邸の・・・執事?」

白姫邸とは、あの白姫久遠の住む屋敷のことだろうか。そこの執事が白鷺緋色であることは知っている。しかし、
八代が彼を学園で見た印象としては、多くの人間が感じた通り、近寄りがたいというものだった。そんな彼が、
どうして頭に猫などを乗せているのだろうか。

もしかすると、八代が思っている以上に白鷺緋色という人間は、接していると楽しい人間ではないのだろうか。
そう考えると、明日から彼と接するのも少しは楽な気がしてきた。動物関係の話題、特に猫の話などをして
やれば、食いついてくれるかもしれない。

「でも執事さんですか~。やっぱり主人の男の方と~、毎夜~、ねっとりとしたのを過ごしているのですかね~。
 見た目通りに攻めな気もしますが~、彼なら受けでもいいと思いますね~。」

とりあえず、この変態意見については黙殺の方針である。


しかし、仮に白鷺緋色が猫好きだとする。猫の話題で緋色に近づくことができれば、彼との友好関係だけでなく、
ひょっとしたら白姫の有力な情報を得られる可能性だってあるかもしれない。少ない可能性かもしれないが、
今はこれが最良の手段だ。

ひとまず、彼が猫好きという前提で八代は緋色と接触するシチュエーションを想像してみた。何事もまず思い
浮かべてみることは大事だ。ボクシングで対戦相手を想定し、シャドーをするような感じである。一番想像し
やすいものとして、休み時間に八代が緋色に話しかけたとする。緋色から話してくるようにはまず思えない。





「なぁ、白鷺君。君、猫が好きなんだって?」
「好きだ。大好きだ。」

流石にいきなりこんなストレートに言うとは思えないが、そもそも彼とは会話をしていないので、どう喋るのか
想像できない。だから、これは八代の勝手な緋色の口調である。

「頭に猫乗せるぐらいだからね。よっぽど好きなんだ。」
「ああ。猫さえいればいい。もう猫以外いらないぐらいだ。」

だんだんと想像が変な方向へ働きだした。彼の情報がアンナから仕入れたものしかないからだと、八代は内心
毒づかずにはいられない。

しかし、今はそんなことに気を揉んでいる暇はない。おそらく、ここまでで緋色との仲を築く寸前までいけた
ような気がする。あともう一押しだ。八代はいよいよ大勝負に出た。


「殺してでも うばいとる」
「な なにをする きさまー!」





待て。何でいきなり“ねんがんの~”みたいな展開にならなければいけないのだ。そうではなく、もっと
フレンドリーに彼と接触し、自然と友人関係を結べるような展開にもっていかなければ。

再び八代は思考の世界を展開させた。





「なぁ白鷺君以下略」

途中までは同じようなのしか想像できなかったので割愛だ。なんだか自分の想像力は貧困なのではないかと、
八代は少し泣きたくなってくる。

先の失敗を反省し、今度はさらにイメージを練り直す。理想は彼と友好を結ぶことだ。共通の趣味で会話を盛り
上げいてく所までは上手くいった。あとは詰めをどうするかである。自然と、それでいて効果絶大なセリフで
彼の心を捉えなければいけない。

これまでの経験が、“人形使い”として数々の修羅場を潜り抜けてきた戦士の経験が、最良の言葉を紡ぐ。


「組まないかわたしと」
「ッッッッッ!?」





いつから自分は、握手をして腕の関節を外すような髭面のおっさんになった。と言うか、これはもう“人形使い”
とは何の関係もない。

結局、八代はロクな案が浮かばず、緋色との接触は現時点では断念せざるを得ないという結論に達した。
それはそれでいいとして、随分と想像の中とはいえ、学友で勝手に遊んでしまった感はある。

だから、八代は心の中でそっと

(すまぬッ)

と、何故か抜けきれぬ刃●イズムで謝罪するのだった。





馬鹿な想像もそこそこに、八代は話を元に戻すことにした。

「さて、残るはあんただけだ。一番動いてたのは“暗殺者”なんだから、何か収穫あったろうな?」
「あれ、それが人に話を聞く時の態度かしら。」
「説教は後で聞く。それよりも・・・」
「冗談よ。」

“暗殺者”は八代に蟲惑的な微笑が返される。彼女とて、悪戯が許されるレベルぐらいは弁えている。紅茶を
一口啜って舌を湿らせ、彼女の今日、見聞きしたことが語られようとする。今までの余裕ある表情とは少し違い、
緊迫感を感じさせるものとなっていた。八代もアンナも空気が一変したことを読み取り、自然と背筋が伸びる。

「まず、話が“G”のことになるのだけれどね。今日、アリシア・ステイトに声をかけられたの。」
「そういや、連中もこっちで任務中なんだったよな。」

“騎士団”と“G”こと“守護神機関”。共に似たような理念・行動を取ることから、両機関はどうしても
任務地が重なることがある。過去、そのことで何度か衝突し双方に被害が齎された苦い経験から、現在では
代表者が必要最低限の情報を交換し、任務に支障をきたさないようにしている。

アリシア・ステイトは“G”側の代表者として、“騎士団”との交渉の場に出てくることが多い。その際には、
偶然なのか“暗殺者”が彼女と取りあうことが多々あったため、二人は知らぬ仲ではなくなっていた。

「その内、詳しい資料も届くと思うけど、私たちが争うようなことにはまずならないでしょう。」
「だといいけどね。」

軽く返す八代だが、内心では“騎士団”と“G”との抗争だけは避けたいと考えている。どちらも強大な力を
持った組織だ。ぶつかればこの地で任務を遂行するどころではない、甚大な被害を受けることになるだろう。


「それにしても、相変わらず彼女は隙がないのね。それはそれで魅力的なのだけれど、もう一つアクセントが
 欲しいのよねぇ。それって、どういうのがいいと思う?」
「俺に聞くなよ・・・」

これまで以上に麗しく、しかし抑えきれない猛獣のオーラを漂わせる“暗殺者”の笑みに、八代はそっぽを向く
しかない。何がアクセントだというのだ。いくら八代が若輩だとしても、今の“暗殺者”が企んでいることなら
すぐに想像できる。

“暗殺者”はアリシア・ステイトを困らせたいのだ。

怒らせたいのか泣かせたいのか。どこまで過激なものかは想像できないし、したくもないが、これまで彼女
相手に“暗殺者”が出し抜けなかったことを考慮すると、かなり虐めたいと思っているはず。アリシアも厄介な
女に目を付けられてしまったものだと、八代は心の中で憐れんだ。


「“G”に関してはこのぐらいね。まだ情報も少ないからね。それよりも、さっそく大きな収穫があったわ。
 言わなくても分かると思うけど・・・」
「・・・“タンタロス”、だろ。」

一拍ほど間を置いてから、八代は宿敵たちの名を口にした。


“タンタロス”。“騎士団”が何代にも渡って争い、いまだ雌雄を決することができぬ異形のモノたち。絶えず
その体から群青の泡を放出し、人の命を喰らうことで自らの命を繋ぎとめ、そして“騎士団”の築く秩序を乱す。

今までも“タンタロス”との衝突はあったが、今回は訳が違う。これまでにない数の“タンタロス”たちが、
一斉にこの街に集結しているというのだ。どれだけの規模が潜伏しているかは不明だが、もしも一気に攻撃を
仕掛けてきたら、街はひとたまりもないかもしれない。そうなる前に、早く手を打たねばならなかった。


「さっそく、一体発見して討滅を果たした。あまり大したことない相手で良かったわ。」
「わぁ~。さっすが“暗殺者”様です~。」

にこにこと頬を緩みっぱなしのアンナから、ぱんぱんと気の抜けるような拍手が紫の髪の麗人に贈られる。
その“暗殺者”はというと、珍しく神妙な面持ちで顎に手を当てて考える仕草を取っていた。彼女がこのような
態度を取る時は、よっぽどのことなのを八代は知っていた。

「何かあったのか?」
「・・・その“タンタロス”には奇妙な点があった。一つは正体不明のシスターのこと。もう一つは、律儀に
 守っていた紋様ね。」
「なんだそりゃ?シスターに紋様?」

八代は首を傾げる。それだけでは何を意味するか、さっぱり分からない。

「分からないのは私も一緒。シスターの方は“タンタロス”に宝石のようなものを与えていた。それを飲んだ
 “タンタロス”は命の消耗をかなり抑えていたわ。」
「・・・そのシスターが“タンタロス”だと?」
「あるいはそれに準ずる“何か”。それと紋様の方だけど、こっちはお手上げ。どうにもできないから放って
 きちゃった。」
「おいおい・・・いいのかよそれで。」
「どうにもできないのだからしょうがないじゃない。」

言わんとすることが分からない訳でもないが、そのまま無視するのもどうなのだろう。いきなり爆発する
とんでもない代物だったらどうするつもりなのか。もっとも、返事は決まってこうだ。

“その時はその時よ。”

弟分でもある少年の考えなどお見通しなのか、“暗殺者”は微笑を浮かべる。この笑みをされると、抱いている
心配事が些細なことのように思えて頼もしくなる半面、全て見透かされているようで、事実そうなのだが、
それでも少し複雑な気分になる。どちらが上かをはっきりと突きつけられた気がするからだろうか。

「画像はノアに送ってあるから、あとはあの娘に任せておけば大丈夫。そういえば、ナツメはどうだったの?
 何もなければそれに越したことはないけど。」
「そういや、あいつも“タンタロス”を倒したとは言ってたな。友達との帰りだったらしいけど。」

途端に“暗殺者”の表情が怪訝なものとなる。

今の話は何かおかしい。何故ならナツメは学校で友達を作ることを非常に楽しみにしていた。そして八代の
口ぶりからだとさっそくナツメは友達を作っている。彼女の性格を考えるなら、興奮した様子で、八代に伝える
どころか自分の口で語ってくるはずだ。それが元気をなくして帰ってくるというのは、どうも腑に落ちない。

「ねぇ、“人形使い”。ナツメはずっと寝たまま?」
「あ?そうだと思うぞ。あれから部屋から出てきた気配もないしな。」
「・・・そう。」

“暗殺者”の目が僅かでも鋭くなったのを八代は見逃さない。彼女は何か勘づいている。それを突きとめる前に、
一瞬で“暗殺者”は表情を変えてしまったので、その機会は失われてしまった。

「・・・何か忘れているような気がするわ。」
「何か?何かって・・・・・・」
「ナニですか~?」

アンナの危ない発言はさておき、この麗人が困ったような顔でこんなことを口にするのを、八代は久々に見た
気がする。それは彼女にとってとても愉快な出来事だったはずだが、今日一日のことが頭の中からその愉快な
出来事を忘れさせてしまったようだ。

頭のどこかへ行ってしまったその出来事が思い出されようとしたのは、こんな真夜中に近所迷惑になるのも
お構いなしに轟く爆音だった。意外にもそれは乗り物によって齎されたものではなく、何者かの足音だった。
おまけに悲鳴なのか雄叫びなのか判断しづらい声まで立てている。

唯一はっきりしているのは、声の主は女ということだった。


「ぎぃぃぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


絶叫と共に玄関のドアをぶち破ってきたのは、2m近い身長をした、薄水色の髪をおさげにした女だった。
その顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃで、恥じらいというものが何一つ感じられない。長身の女は勢い余って転倒し、
鼻から地面を出迎えた。散々もいい所だ。

「あら~。八雲じゃない~。どうしたの~?」

やはりマイペースなアンナに敬意でも表したくなるが、八雲と呼ばれた長身の女、“騎士団”のトラブルメーカー
“槍使い”はそれどころではない。涙と鼻水、さらに鼻血まで加えた酷さ満点な怯え顔の八雲は、ガチガチと
歯を鳴らし、指だけ後方を指した。

「あ、ああああああ、あれ、ああ、あれれれれ!!」

無敵と思われた女がこれだけ取り乱すのには、勿論訳がある。彼女には一人だけ太刀打ちできない者がいた。


そこにいたのは、まさに紅蓮の魔人だった。背後に炎でも湧き立たせるかのような凄味、隠すつもりもなく
堂々と発露させた怒気が、炎のイメージをより強くさせる。天然パーマに近いぼさぼさの髪は、炎そのものを
纏っているかのような迫力さえある。

魔人の正体は女だった。八雲に比べれば背は低いのだが、それでもモデルとして通用するぐらいの背丈はあるし、
何よりその肢体はしっかり鍛え抜かれていた。女の迫力と肉体の凄味は、その場にいれば八雲など蟻程度にしか
見えなくなるほどだ。


「や~~~~~~~~~~~~く~~~~~~~~~~~~も~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!」
「ぎゃ~~~~~~~~~~!!何で、何でお師匠様がいるんですか~~~~~~~!?!?」


沖島八雲の、“槍使い”の師匠。“騎士団”創世にも関わった、誉れ高き家の者。
彼女はディオナ・ユナレシア。“炎使い”と恐れられる、“騎士団”きっての女傑だった。

「またあなたという娘は任務をほっぽり出して遊んでばかり、しかもライダーシステムまで故障させて!
 一体あなたはどこまで人様に迷惑をかければ気が済むの!?」
「ええええええ!?な、なしてお師匠様がそのこと知ってるんですか~~~~!ああ!さ、さては!
 “暗殺者”でしょ!?あれだけお師匠様には言いふらさないでって言ったのに~~~~~!!」

ここまできたら隠す必要もないのか、それとも気が動転してそこまで頭が回らないのか。八雲は“暗殺者”に
黙っているようにという約束を反故にされた怒りを、この局面でまき散らす。

理不尽極まりない長身の女に、それでも“暗殺者”は揺るがない。落ち着いて紅茶を啜る余裕さえ見せた。

「なに言ってるの。私は約束を守ったでしょ。」
「じゃ、じゃあなんでお師匠様が知ってるのよ!?」
「よく思い返しなさい。私は“ディオナには告げ口しない”と言ったの。でも、“他の誰かにしない”とまでは
 言ってない。理解した?」
「・・・へ?」

沖島八雲という女は頭がからきしな方ではあるが、この危機的状況は彼女のあまり使われない脳をフル可動させ、
珍しく真相に行きつくことができた。血の気の引いた顔で、恐る恐る“炎使い”の顔を窺う。女傑の顔には
悪魔の如き迫力があった。

「私があなたの怠慢を知ったのは、ノアちゃん経由なの!これで分かったかしら!?」
「ひええええええ!?そ、そんなのズルじゃん!!“暗殺者”のバカ~~~~!!」
「仕事ぐらいは真面目にやらないあなたの所為だと思うけど。」

“炎使い”の告げた真相は、八雲の心の中に「オワタ\(^o^)/」と浮かべさせるのに十分だった。“暗殺者”も
突き放した言い方をするが、顔は満面の笑みだった。優しさなど欠片もない、サディスティックここに極まりだ。

八雲に救いの手はない。完全に悪いのは彼女なのだから当然だし、怒れる“炎使い”に挑むなど自殺行為だった。
ゆらりと女傑が一歩踏み出すだけで、八雲の寿命が急速に焦がされていく。お仕置きというにはあまりに酷く
手痛い一撃が、今まさに放たれようとする。


しかし、八雲は立ち上がった。それは誰も予想しなかったことで、“暗殺者”も「あら」などと口にしていた。
“炎使い”は器用に片眉を上げ、さらに眼光を鋭くして八雲を睨む。

「なんの真似?」
「・・・こ、こうなったら・・・ここでお師匠様を超えるしか、私に生き残る道はありません!
今ここで、お師匠様越えを果たしたいと思います!!」

“炎使い”を指さし、八雲は高らかに宣言する。だが、腰は完全に引けているし体は小刻みに震えている。
虚勢なのは明らかだった。

「大人しくゲンコツされなさい。じゃないと、もっと痛い目を見るわよ。」
「こ、こここ、ここまできたら自棄です!!私だって、少しは強くなったつもりなんですからね!?」

新たな日の到来は、長身の女と赤髪の女傑との決戦という、妙な形で迎えられた。じりじりと間合いを詰め
ようとする八雲と、一歩も動かず視線だけでその動きを追う“炎使い”。八雲が仕掛け、それを“炎使い”が
迎え撃とうする。分かりやすい構図だが、はっきりしているのは、勝負は一瞬で決まることだった。

(ねぇ~、八代君~。こういうの~、なんて言ったかな~。)
(あー。これは・・・)

異様な光景にあるものを連想したアンナが八代に内緒話を持ちかけた瞬間。それが二者の決戦の合図になった。


「だりゃああああああああああああああ!!!」


騒音レベルな絶叫は八雲のものだった。豪快に左腕を振り上げ、その長身を活かし打ちおろしを狙う。


(死亡フラグだ。)


そんなことを八代が思い浮かべると、“炎使い”の方はその腕を簡単に取ってしまう。並外れた腕力で自分の懐へ
一気に引きこむと、強引に八雲の腕を固めてしまう。見事なアームロックだった。まるで、モノを食べる時は
誰にも邪魔されず自由でなんというか救われてなきゃダメ、というのが信条の男が今ここにいるかのようだった。

「がああああ」
「痛っイイ」
「お・・・折れるう~~~~」

この攻防でどちらが上なのかは証明され、八雲の心はもう折れていた。だからこんな気の抜けた悲鳴が出たの
だろうか。

「あ・・・やめて!それ以上いけない」

しかも八代まで気の抜けたような制止をする。それでも“炎使い”は聞く耳を持たず、より力を籠めて八雲の
腕をどんどん決めにかかる。


「あ~。これはもしかしたら~マズイかもしれませんね~。あれ~?“暗殺者”様~?」

手に負えない状況の対応を聞こうとしたアンナだったが、いつの間にか彼女が師と仰ぐ麗人の姿はなかった。
ほどなくして、あまり耳にしたくない音がリビングに響き渡り、


「うっぎゃああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!」


長身の女の断末魔が絞り出される。

言うまでもなく、後日八代薬局に騒音の苦情が来て、客足は遠のき売上は崖から落ちるように落下した。





“暗殺者”は喧騒から一人抜け出していた。彼女の前には一枚のドアがあり、かけられたネームプレートには
可愛らしくハートなどがデコレーションされた、“棗”の文字が書かれていた。

中にいる少女が何をしているかが気になってここにいるのではない。そんなことを彼女は知りたいのではない。
彼女は伝える為にここにいる。“暗殺者”の手が、そっとドアに添えられる。

「ねぇ、ナツメ。これは私の独り言。何も返さなくたって構わないわ。」

そう前置きしてから、“暗殺者”は一言だけ呟く。

「“正義の味方”になるのは大変だと思わない?」

その問いに返ってくるものは何もない。構わず“暗殺者”は次を紡ぐ。

「それでも、あなたは自分の理想を追いなさい。どれだけの障害に遮られても、ね。“騎士団”にもそれぐらい
 まっすぐな人間が必要なのよ。」





アドバイスかどうかも分からない、一方的な独り言。ナツメの耳は布団を頭まで被っていながらも、ドア越しの
独り言を確かに聞き入れていた。真意は知らない、分からない。今はそんなことを考える余裕もない。


友達ができたと思っていた。
“タンタロス”と戦えば誰もが自分を受け入れてくれると思っていた。

“正義の味方”になれると思っていた。


それがたった一日で、何もかもが終わったような気がした。これからだと燃える闘志が湧き立ってこない。
何をすべきか、何をしたらいいか。頭の中をぐるぐる回る“何”という言葉は、ナツメを苦悩の渦から抜け
出させてくれない。

薄目を開くと、視界の端に何かが見えた。照明のない暗闇であっても、それは見間違えない。彼女のトレード
マークとも言える、あの迷彩柄のバンダナだった。


このバンダナには彼女の信念の全てが詰まっている。このバンダナに誓ったはずだ。“正義の味方”になる、と。
揺らぐことないと信じていた決意が、今どれだけ頼りないものになってしまったことか。

(私は・・・間違ってたのかな・・・・・・)

遂にはこんな考えまでしてしまうようになっている。


この暗い部屋と一緒だ。明るく照らされていたはずの道も、照明が落ちれば行き先が全く見えなくなってしまう。
何も見えない恐怖は、進むことを躊躇わせる。ナツメにとって、これだけの葛藤は初めてのことだった。

少しはマシと思えそうな答えも見つけられないまま、ナツメの意識も闇に溶けていった。




ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。