第0章「違えた道の果て、男女は決別す」


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その夜は特別だった。音と気配が失せてしまったかのような、不気味な夜。
野原の草葉は風に靡いているにも関わらず、風の音も草葉の擦れる音もない。
やや注意を払えばどこででも見つけられそうなそこらの虫の気配すら感じられない。

唯一健常なのは視覚。空には絵に描いたような見事な満月、漆黒の夜天、そして宝石を鏤めたような星々。
その、あまりにも夜を演出しているような情景が、逆にこの夜の異常性を強調したのかもしれない。


閃光が奔る。遅れて空気を撫で斬りする独特な音が生じる。それが鋭利な刃物による一閃だとはたして気づけただろうか。
刃物の造形は大変緻密であり、そこらの安物ナイフなど比べること自体が侮辱に値するほどだ。
刃は月光を照り返すほどの美しさを誇った。その見事なナイフの刃が生き物のような滑らかさで空を裂き奔る。

途端、真紅の噴水が噴き上がった。噴水は白いロングコートを羽織った男からのものだった。
男は苦しげに右眼を抑えたが、抑えども赤い涙は止め処なく溢れ、指の隙間から洩れていく。
ゆらりと男が後ずさる。白いロングコートを赤く染めながら、見開かれた左眼は驚愕を湛えながら正面を凝視する。


その男の前には女が佇んでいた。紫のロングヘアーに、深いスリットの入った黒のドレスを纏う艶やかな女。
見る者を蟲惑してしまいそうな美貌。美しくもあったが、同時に言葉にできない危なさも感じさせた。

その女の左手には先ほどのナイフが握られ、刃からは赤い水が・・・血が水滴となり滴り落ちる。
そして、右手にあったのは球体だった。大きさにして卓球の球ほどであろうか。
球体は空気に触れ赤黒く変色を始めた血に塗れ、まるで生きているように脈打つ。


古来より月の光は忌むべきものとする俗説が存在する。しかし、この女の凶行を見ては俗説などで片づけられないだろう。
月光を一身に浴びる紫の髪の淑女は、ただただ美しく、同時に恐ろしい。


「ミ・・・・シェ・・・・・・ル・・・・・・・!」

男の口がくぐもった、どこか悲壮な声で女の名を絞り出す。女の方は彼の苦痛に悶えている姿を見てなお無表情だった。
ひたすら冷酷に血染めのナイフを男に向ける。それが手向けの花であるかのように。
その時、初めて女の整った唇が動いた。

「貴方は危険すぎる。その思想も、力も。けど、他の誰にも横取りなんてさせないわ。
 だって、私は貴方を愛しているもの。だから、せめて私の手で葬ってあげる。」
「・・・・・・・・・」
「これは私の責任。貴方を愛していながら、止められなかった私の責任。いえ、罪と言った方が正しいかしら。」

女がナイフを振りかぶった。その刹那、様々な記憶がフラッシュバックされる。



男との出会いはまさに運命だった。女は初めて、恋というものを知ったと思う。
共に闘った日々はよく覚えている。男の強さは抜きんでているどころか、並ぶものすらない。そこがまた男の魅力だった。
食事の時は笑みが絶えなかった。他愛もない話で盛り上がり、食卓に華を添えた。
夜は男と過ごした。今まで両手でも零れる程の男と共にしたが、彼との一夜には他にはない不思議な温もりを感じられた。

愛している。昔も今も、これからだって愛している。

だが、二人は相いれなかった。どれだけ愛しても、二人は交わらず平行線を辿っていただけだった。
こんな馬鹿な話があるなんて。これは愛の神の仕打ちだろうか。もしそうなら、随分惨いではないか。


ならばと、女は運命を受け入れる決意を固めた。その証こそこの凶行。
これは罪だ。男を愛していながら導いてやれなかった自分の罪だ。それを償おう。

彼の命で。

男の思想は、力は危険だ。放っておけば世界は成す術なく破滅の一途を辿るしかない。
その前に殺す。これは他の誰でもない、自分にしかできないこと。いや、させない。
彼の全ては自分のもの。肉体も、心も、命も、今この手にある眼球も。



「愛しているわ、カイン。だから、私の手で送ってあげる。」










気づけば朝だった。さっきまで確かにあった野原も夜空もなく、おぼろげな視界には白い天井が広がる。
今ここはドレッサーにベッド、クローゼットあとはキャビネット、そしてデスクとチェアーが設置された、ごく一般的な女性の部屋だ。
目線を移動すると、デジタル時計がすぐそこにあった。時刻は朝七時で日付は八月二十日。

ああ、そうだと、女は手で顔を隠すように持っていく。
今は夏でここは日本での自分の仮住まい。そしてさっきまでの光景は、何のことはない。ただの夢だ。

「もう二年も前のことを夢見るなんてね。私もいよいよセンチメンタリストになったかしら?」

女はうっすらと笑みを作り溜息を吐いた。こんなことを口走るなど、頭がまだ覚醒してない証拠か。
割とあっさり布団から這い出て、軽く一伸びする。体の調子は良好、いつも通りだ。
女はふっと、寝癖がありながらなお美しい紫のロングヘアーをかき上げながら、時計のすぐ傍の写真立てに目をやる。


写真には黒いドレスを着た自分、そして白いロングコートの“まだ両目のある”男が写っていた。


もう数年前のものだというのに、未練がましくこんな物を残しているとは。
本当にセンチメンタリズムでも極まったのかもしれない。
やれやれとまた溜息を吐き、女は部屋を出て行った。





世界は秩序で成り立っている。秩序とは、言うなら世界を構成させる掟のようなものだ。
掟である以上、それを破るなど言語道断、僅かな歪みすら世界にどんな影響を及ぼすことか。
それを正す為、正確にはその秩序を均衡させ世界に安寧を齎す組織が存在した。

名を“騎士団”。それは世界の守護者たるべく騎士として育てられた者たちの組織。
その敵は世界の秩序を乱そうとする不逞の輩。それは愚かな人間もいれば、人外もまた存在した。

“騎士団”の敵たる人外は概ね“タンタロス”とされる。永遠の責め苦を味わうことを意味する
その名を持つ人外たちは、主に世界の秩序を混乱させる行いに出ることが多い。
これは“騎士団”に言わせれば、“辛苦から逃れたいが為の凶行”に他ならないとされている。
無論、そんな身勝手な理由で世界の運営を妨げられる訳にはいかない。故に断罪する。一切の慈悲なく。



女の住まいは二階建ての薬局だった。造りはどこにでもありそうな平凡なそれである。
ただし、出来たのがつい最近なので本格営業を開始するのはもう少し先だった。

日本に来たことは何度かあるが、今回は長い滞在になるだろう。
世界的な企業スマートブレイン社を置くこの地に滞在することになったのには、勿論理由あってのことだ。

一つはこの地に“タンタロス”の反応が強く現れるようになったこと。
次に“それ以外”の活動も活発になってきていること。
そして、“騎士団”でも最優先される“敵”がこの地にいることが判明したからである。
どれを取っても“騎士団”として看過できる問題ではない。


故にその女は派遣された。ミシェル・フェオニール。
現“騎士団”最強の女はその実力と功績から畏怖を籠めてこう呼ばれる。“暗殺者”と。



「ん~♪ん~♪おお~かみは~走る~前に~、ま~んげつに~吠える~♪」

二階の自室から一階へ、まず洗面所で手早く洗顔などを済ませていると、キッチンから酷く間延びした歌声が聴こえてきた。
“暗殺者”は微笑を浮かべつつキッチンへ移動する。

そこにはボロボロの白衣を着た栗色のショートヘアーの少女がいた。
慣れた手つきで調理を進めていくが、外見的な問題で何か悪魔の儀式のようにしか見えない。


少女はアンナ・ルチルナといい、“薬剤師”の異名を持つこれでも“騎士団”のエージェントである。
アンナの実家のルチルナ家は“暗殺者”のフェオニール家の正当な分家である。
フェオニール家は“騎士団”創生にも関与するほどの家柄なので、その分家のルチルナ家も当然、十分な功績などはある。

特にアンナはその異名通り、薬物に関しては師と仰ぐ“暗殺者”よりも優れた能力がある。
のだが、如何せん性格は温厚でマイペース、しかも趣味が男色というのだから始末に負えない。
挙句、“暗殺者”は止めもしないものだからアンナの悪趣味は増長するばかりだった。


やがて料理は速やかに完成、皿に盛りつけをしていく。皿は計四枚あり、まず自分の皿を盛り付ける。
スクランブルエッグやサラダ、ベーコンにトーストと、一般的な朝食の完成に満足した少女は
満面の笑みを浮かべながら台所に皿を移していく。そこで、既に椅子に腰かけ新聞を読んでいた“暗殺者”に気付いた。

「あ~、“暗殺者”様~おはようございます~。」
「おはようアンナ。今日もいい朝ね。」
「はい~。飲み物は紅茶でいいですか~?」
「ええ、お願いするわ。」

やはり間延びした調子で紅茶を淹れるアンナを微笑ましく見やり、次には新聞の字面に視線を落とす。
新聞のスポーツ面には“☆野日本、惨敗!!”と、極太の字で空しい見出しが書かれていた。
しばらく記事を流し読みしていた“暗殺者”はやがてふっと鼻で息を吐く。

「確かに、あれは惨敗よね。」

どこか嗜虐的な笑みを浮かべつつ、だが。



やがて、食卓には全員が揃ったと見え、計四人の姿があった。
まず“暗殺者”、その向かいにはアンナがいる。隣には薄い青色の髪にエメラルドの瞳をした少年がトーストを齧っていた。

「日本まで来て俺が学生か。何か変な感じだな。」
「人形でも操る感覚で過ごせばいいのよ。」
「これでも俺は人間だけどな。」

蟲惑的な笑みでアドバイスなのか虐げているのか判別つき難い言葉を放つ淑女に、少年は溜息を吐いた。


少年は“人形使い”と呼ばれるエージェントであり、“暗殺者”の生まれたフェオニール家の養子でもある。
フェオニール家は“騎士団”創生の頃より続く名家であるが、それ故敷居も高い。
おまけに“人形使い”は元々孤児の為、どことも知れぬモノがフェオニールの名を持っていることを理由に毛嫌いされている。

“人形使い”は別段、そのことで誰かを恨んだりしたことはない。それは当然だと思うからだ。
ただ、自分を育ててくれたフェオニール家や“暗殺者”には申し訳ないという気持ちから、あまりフェオニールを名乗ろうとしない。
代わりに彼は自分だけの力で“人形使い”の資格を得た。いざという時、自分の力で生きられるように。


一方、“人形使い”の向かいには迷彩柄のバンダナをした黒髪の奇妙な少女が美味しそうにベーコンを食べていた。
少女の名はナツメ。コードネームは“回転”。彼女もまた“騎士団”のエージェントである。

優れた才能がある為“騎士団”にスカウトされ、しかも“人形使い”同様フェオニール家の養子入りを果たしている。
ただ、その底抜けに明るい性格と実力もあってか、“人形使い”ほど周囲の目は厳しくない。

ナツメは“騎士団”として“タンタロス”と戦うことこそ、世界を平和にする第一歩と考えている。
彼女の目標は正義の味方、夢は世界の安全、皆が楽しく暮らせる毎日の実現だ。
その為には努力も惜しまない、言うなればどこまでも実直な娘だった。


“人形使い”とナツメ、そしてアンナはこの日本で活動する為、偽名として“八代”という姓を名乗っている。
“人形使い”は八代 みつる、ナツメは八代 棗、そしてアンナは八代 杏奈。
この薬局も“八代薬局店”として、主にアンナが経営することで“騎士団”の隠れ蓑としているのである。


「学校まだかなー。」
「ん?ナツメは学校行きたいのか?」
「そりゃそうだよお兄ちゃん!お友達いーっぱい作って、皆の平和を守る正義の美少女戦士になるの!」
「なんじゃそりゃ・・・」

世間的にはまだ夏休みなので、当然授業などは全くない。
新学期になれば“人形使い”は高校二年に、ナツメは中学二年の教室に入ることになる。
ナツメにとって、学生生活は憧れのようなものなのだろう。
ここ最近だと学校はまだかとか友達を作って正義のヒロインになるとかばかり口にしている。

拳を震わせ背に炎でも湧き立たせているようなナツメに呆れつつ、“人形使い”はコーヒーを啜る。
どうにもまだナツメとのやり取りには慣れない所が彼にはあった。まず、“お兄ちゃん”という呼び方がむず痒い。

「ナツメ、友達たくさん出来るといいわね。」
「はい、お姉さん!」

さっきの“人形使い”へのサディスティックな言葉とは真逆に、ナツメには優しい声をかける。
ますます気合十分なナツメを見て、“人形使い”は朝からげんなりしてしまう。

別に今に始まったことではない。“暗殺者”はこうやって彼の反応を楽しんでいるのである。
その証拠に、今日はそれなりに彼女を満足させたのか、“暗殺者”は横目で悩める少年を微笑みを湛えて見ていた。
やはりその笑みには嗜虐的な何かが含まれてはいたが。

「え~っと、今はみつる君だよね~。みつる君も~、お友達い~っぱい作ってくださいね~。」
「“男友達”を、だろ?」
「はい~♪みつる君とお友達のBL~、楽しみです~♪早く~お友達のナウい息子を見たいですよ~♪」

アンナはというと、相変わらず自重せず趣味で生きていること丸出しなのが口からどんどん出てくる。
朝からよくこんな調子でいられるなと、ますます“人形使い”の表情は暗くなる。
そしてやはり隣の“暗殺者”は微笑んでいた。何かより嗜虐性が増しているような気がしたが。





「んで、情報は確かなんだろうな?」

朝食を終え、一息吐いていた所で先にそう口火を切ったのは“人形使い”だった。
コーヒーカップを口に運びつつも、エメラルド色の瞳の奥は爛々と不気味な火が灯っているように見える。
“暗殺者”はいつもと変わらぬ調子で、少なくとも傍目にはそう見えるように返答する。

「ええ。“タンタロス”の活動とあの男との動きが一致した。それがこの町よ。」
「“タンタロス”だね!よーっし!ナツメちゃん、バンバン倒しちゃうから!!」

元気のあり余っているナツメは明後日の方向へパンチを揮う。

「じゃあ、ナツメは主に“タンタロス”の撃退を任せるわね。」
「はい、お姉さん!」
「“人形使い”は主に裏方作業に回ってもらうわ。場合によってはナツメのサポートもお願い。」
「はいよ。」

手短に役割分担がされる。もっとも、このメンバーの場合は誰が何をすべきか明確なので、それほど時間はかからない。
残されたアンナにしても、この薬局で表向きには販売員をし、情報の中継点も担うぐらいか。

「他にメンバーは~、誰が来るのでしょうか~?」
「“炎使い”たちに“魔術師”たちよ。」
「随分と豪勢な戦力だが・・・ま、相手を考えたらこれでも・・・」

“人形使い”の声のトーンが落ちる。言わんとすることを理解し、アンナも珍しく何も言わなかった。
ナツメだけは理由が分からず頭に疑問符を浮かべている。

「貴方たちにはあの男の仲間とかを相手にしてもらえばいいわ。彼の相手は私がする。」
「けど・・・・・・」
「私のことなら心配ないわ。それより貴方たちは、ちゃんと学生生活を送ることを憂いなさい。」

艶やかな笑みを、それまでの不安を払拭するように“人形使い”たちに向ける“暗殺者”。
やはり周囲には感情の変化などを悟らせないのは、生き方の差と言うべきか。
ごちそうさまと告げて“暗殺者”はティーカップを置き、立ち上がった。その動きだけでも様になるほどに魅力的である。

「少し外の空気でも吸ってくるわ。大丈夫とは思うけど、警戒を怠らないで。」
「あんたもな。」
「誰にものを言っているのかしら?」

“暗殺者”の余裕たっぷりの笑みに“人形使い”はもはや溜息しか出ない。
とは言え、彼女がそう易々とやられるはずもないし、その性分から自分などの言葉をまともに聞くとも思えない。
“人形使い”としてはその方が却って安心出来た。それこそ、自分が理想とする女性の姿だと。



外出の準備をするべく自室に戻った“暗殺者”の視界にまず入ったのは、あの写真立てだった。


かつての淡い思い出がそこに形としてある。確かにあの頃の自分は間違いなく幸せであったろうし、満たされていた。
だが、あの時から二人の道は完全に違えた。写真に写る男は今や自分の敵だ。

しかし、“暗殺者”は一度としてこれを復讐などと思ったことはない。
言うなら贖罪である。彼を正しく導けなかった自分の罪、その償いには彼の命しかない。

彼の目的はハッキリしている。それを阻止せねば、世界は終わる。
秩序維持の為には彼を倒すしかなく、そしてそれが出来るのは今や自分だけ。その資格も自分だけのもの。
他の者には決して譲らない。これは、彼女の宿命なのだから。


「さぁ、全てに決着をつけましょう。カイン。」

自分に言い聞かせるような台詞を吐き、“暗殺者”は静かに写真立てを倒した。
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