うちの母ちゃん凄いぞ
1名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします投稿日:2009/04/16(木) 03:16:51.62 ID:Ax0QvrS80
母ちゃん48歳自分23歳オヤジの借金で家に乗り込んできた893相手に「そんな雷おこしみたいな髪の毛して!恥ずかしくないの!?」と馬頭して追い返した事のある母ちゃん。ありがちな、母ちゃんが死んじゃうオチや、母ちゃんが病気しちゃったオチはないけど、ちょっとお前らに母ちゃんを自慢したかったのでスレ立てた。
自分は3人兄妹。3つ上の兄と、7つ下の妹に挟まれた真ん中。母ちゃんはどこにでもいるような母ちゃん。若い俳優にキャーキャー言うし、パートから帰ってきたらオヤジにパート先の愚痴をこぼしたり、普段はお菓子なんか作らないくせに、自分や兄妹の友人が遊びにきた時だけクッキーやマドレーヌを焼いて、「いつも作ってるんだけど、今日はちょっと失敗しちゃったわぁ」とか言って焦げた手作りお菓子を友達に振舞うような、見栄っ張りな母ちゃんだ。
例えるなら、クレヨンしんちゃんの「みさえ」がぴったりだろうな。そんな母ちゃんだったんだけどさ。自分が14歳の時、オヤジの借金が発覚したんだよ。元々詐欺みたいな学習用品のセールスをしてたオヤジは、その会社でずっとトップセールスマンでな。自分が9歳(妹が赤ちゃんの頃だな)くらいまでは月収手取りで100万以上稼いでたらしい。 そんな高収入(だった)オヤジが借金を始めたきっかけは、バブル崩壊。バブルが弾けてからどんどん売上も落ちていくし、どんどん給料も落ちていって、オヤジの手取りが20万を切るのはそう遅くなかったようだった。
>>8シラネ『来月は頑張る』『来月こそは』というのがオヤジの口癖のようになっていって、100万の収入は、10万、16万、10万…と、カウントダウンのように減っていった。母ちゃんは「パートへ出る」と言ったんだけど、オヤジが「いや、来月こそは絶対稼いでくるから!」と母ちゃんを引きとめて、貯金を切り崩す生活をしばらく続けていたようだ。
当時妹はまだ2歳とかだったし、自分も9歳。そして兄がちょうど中学校に入学する、そんな大切な時期だったからこそ、母ちゃんに家にいてみたかったみたいだけど、オヤジの収入が8万を切った(家のローンがいよいよ払えなくなった)時点で、オヤジは何も言わなくなった。オヤジが静かになったのを見計らって、缶工場へパートへ出た母ちゃん。自給800円、月8万円余りの収入でも、大分家計は助かっていただろう。
だが、やはり母ちゃんがパートをしてるのを快く思わなかったのであろうオヤジ。何を思ったのか、サラ金から生活費を借りて「ほら、一時期収入も落ち込んでたけど、また100万くらい稼げるようになったぞ」「だからお前もパートを辞めなさい」 サラ金から借りた札束をひらひらさせながらそう言ったオヤジ。母ちゃんはパートさえ辞めなかったけど、それでも、『あぁ、これで生活が安定する』と思っていたらしい。ほっと安心する母ちゃんの顔を見て、オヤジは能天気に「笑った顔が可愛いなぁ」と思っていたらしい(後日談)
規制に巻き込まれ始めたしかし、いよいよ。自分が14歳、中学二年生の時だな。危ない所から生活費を借りてたオヤジの付けが回ってきたようで、昼夜問わず893が家に来るようになった。 今みたに回収が甘くないからな、平気で扉をドンドン叩くし、時間なんか関係なしにインターフォンも鳴らし続ける。893が来ない日でも、ポストには“融資可能”“審査なしで即融資”と書かれたDMが沢山入ってた。サラ金から金を借りきれなくなったオヤジが、ヤミ金へ手を出した証拠だったんだけどさ。
家に来る893、そして仕事してんだかしてないんだか分からないオヤジ。17時までだったパートの時間に、残業をいれ始めた母ちゃん。全てに嫌気がさした自分、当時中学2年生。厨二病まっさかりなその時期、家の混乱を受け入れられなくて、こう思った。「あ、頭おかしくなろう」
頭がおかしくなれば、精神病っぽくすれば、家族はみんな自分を心配してまた元に戻るかも!!まぁ当時は本気でそう思ってな、中学3年生に上がったばかりの頃、精神病っぽく装い始めた。どう装ったかといえば、今も昔もエセメンヘルに大人気の、多重人格(笑)だよ。ほんとにこの病気で悩んでいる人、もしいたら、不謹慎ですまん。ここまでが書き溜めなので、以降はリアルタイム更新していく
多重人格を装うのは意外に簡単だった。簡単2ステップだ。「あ…!頭が…!!」と言いながら、頭を抱えてうずくまる→「ふふふ…私は誰か分かるか?」これでエセ多重人格の完成
しかし両親、そんな厨二病と向き合った事がなく、本気で自分の頭を心配してくれたようで。何度も何度も病院へ連れていってくれた。その間もずっと、オヤジの借金取りは自宅へ来るし、まだ小学2年生だか3年生だかの妹の方が、よっぽど精神的に辛かったなんて知るよしもなく。エセ病気のふりをする度に両親が力を合わせて病院探しに熱中しているのを見て、「あぁ、これでまた幸せな家族に戻れる」とか本気で思っていた。
>>26お前経験者か?そしてある日だ。中学3年生の夏休み。自分は自宅にいて、アニメスペシャルを見ていた。はずだったのだが。気づいたら病院にいた。気付いたら、というのが遅すぎたようで、丸々2週間人工呼吸機で命をつないでいたようだった。原因は首つり。首を吊った覚えなんかないし、夏休みアニメスペシャルのスラムダンクを見ていた記憶しかない自分は、病院、というか集中治療室で目が覚めてマジでびびった覚えがある。
正直、この時母ちゃんが見舞いに来て鏡越しになんか涙ぐましい事言ってた覚えはうっすらあるが、ぶっちゃけ覚えてない。ただ、集中治療室で流れてたラジオの音しか、今でも記憶はない。どうやら、多重人格を装っていた自分は、まじで多重人格になってしまったようで、他の人格が首つり自殺を図ろうとしたらしい。だけどな、2週間意識不明、しかも首つり。母ちゃんが「なんか胸騒ぎがするから」っていう理由で自宅に戻ってきて自分を発見してくれて救助されたようだが、マジで覚えてない上に、医者が心配するような後遺症も全然感じられない
結局そのまま3カ月入院。後遺症はなかったが、再発防止とかいって、変なカウンセラーの元で何度も変な絵を描かせられたりする日々で貴重な受験期間を潰してしまった。まぁお約束のように、自分は高校受験に失敗。中卒ニートで、毎日毎日家で薬を飲みながら生活していたわけだ。
>>34いや、メンヘルスレじゃないから安心してくれ今は元気にしてる趣味は2ちゃんとアニメ。外出は週に一度の精神科通院。あーら見事に絵に描いたようなメンヘラが出来あがった訳だが、相変わらずオヤジの借金とりは家に来るし、ヤミ金DMも毎日のように届く。みかねた母ちゃんがオヤジをけしかえるように、パートで働いていた缶工場で社員として働くようになった。その頃トラックの運転手に転職してたオヤジ。そこそこ稼いでいた物の、母ちゃんの収入にあっというまに並ばれていた。
>>38それはまた口述で母ちゃんに収入も並ばれ、自分のせいで出来た借金で毎日家族が取り立てられる毎日。ストレスがたまったオヤジは、仕事帰りに自宅で酒を飲みながら意味不明な言葉をずっと叫んでいた。「ダァっ!!!」みたいな言葉だったな。今でも意味わからん。兄は高校へ行きながらバイトもして、自宅へ戻らないよう彼女の家へ入り浸ったりしていたが、どうしようもならなかったのが妹だ。まだ小学3年生。幼いながらに893と話したり、ニートの自分と遊んでくれたりしていた。
なんか暗い話になってるが、全然暗い話じゃないんだけどな。一気に暗い部分を終わらせる。だけど、また自分は首つりをした“らしく”、気づいたら病院へいた。医者から、また無意識でやったんですよと言われて、何をしているんだろうと罪悪感でいっぱいになった覚えがある。そしてまた入院。今度は長めで、5カ月の入院。退院する頃には、同級生はもう高校二年生。いったい私は何をしてるんだろう、と思う中、一人元気なのは母ちゃんだった。
母ちゃんは、見舞いにきながら毎日のように自分へこう言ってくれた。「もう一人の自分がいるなんて凄いじゃん!別に恥ずかしい事じゃないよ」にこにこしながらそう言ってくれて、仕事に家事に忙しいはずの体で毎日見舞いに来てくれた。だけど、そんな家庭環境に限界が来てしまったのは妹で、ある日母ちゃんと見舞いにきた妹が、うつむきながら言った。「お姉ちゃん、私、おしめしてるの」
どうやら、尿意が分からなくなってしまい、気づくと漏らしてしまうらしい妹。大人用のおしめをつけて生活しているという。びっくりしたが、妹はにこにこしていて、早く直さないとプールに入れないと言っていた。この一件が原因なのかどうなのかは分からないが、自分が退院してすぐ、母ちゃんとオヤジは離婚する事になったと言った。離婚する理由は、あくまでも「893の追い込みから妹を守る事」だったが、本当の理由なんか明確だと思った。
しかし、どんなオヤジでもオヤジはオヤジ。そして、自分が病気になったそもそもの理由だって、両親が仲良くなってほしいから、であって。最後まで両親の離婚に反対したのは自分だった。当然ながら、親権は母ちゃんに。しかも母ちゃん、兄と私と妹、3人まとめて引き取るという。オヤジはこれから膨らみに膨らんだ数千万の借金のために自己破産手続きをしなくてはいけないので、親権をとる事は出来ないというし。だけど、母ちゃん一人の稼ぎで3人も育てていけるのか?と。母ちゃんに引き取られると聞いてすぐに思ったんぽはそれだった。
>>49あぁ、20万→16万→10万の間違いだw当時の母ちゃんの稼ぎ、正しくは知らないけど工場の事務正社員なわけで、よくて20万くらいだろう。そして、この予想は限りなく当たっていると思う。オヤジに養育費なんか払う技量はないし、兄も高校をやめるつもりはないらしい。しかも自分ニートだし。そうすんだ、と思って母ちゃんに聞いたら、「なんとかなるでしょ、大丈夫大丈夫」とけらけら笑っていた。そういえば、自分が自殺未遂を起こした時も、893がおしかけてきた時も、母ちゃんは一度も涙を見せた事がないな、と思っていた。
離婚してからすぐ、まだ母ちゃんとオヤジは同じ家に住んでいて、母ちゃんと自分等の自宅が決まるまで離婚済みの同居生活をしていた。何で母ちゃんが出ていかなきゃいけないのか、と当時は思ってたけど、893にばれている住所に子供たちを住まわせる訳にいかないからな、と今なら事情は分かる。その頃家は、毎日お葬式みたいだった。ニートの自分に、家に帰ってこない兄。そして、おもらししては一人泣く妹。酒を飲んで泣くオヤジ。どんより暗い家の中でも、母ちゃんだけは一人元気だった。
>>57すまんwだけど安心しろ、世にもびっくりな明るい話だある日そんな葬式みたいな家に、会社の制服姿のまま帰ってきた母ちゃん。手に住宅情報誌を持って、「発表があります!」と万面な笑顔で自分と妹とオヤジへ声をかけてきた。「家が決まりました!」と言って、住宅情報誌の付箋が貼ってあるページをめくった母ちゃんは、3LDKのマンションの見取り図を指さして、「ここがあたらしい家だよ」と言った。家賃13万。どう考えても、母ちゃんの収入じゃやっていけない言えだった。
駅から徒歩10分。新築でもないが、オートロックのマンション。前の借主は、地元の女医さんらしい。写真を見たが、どう考えても綺麗過ぎる。全部屋フローリングで、一番狭い部屋でも6畳あるし。「こんな部屋借りたらやっていけないだろ」オヤジが申し訳なさそうに言ったら、母ちゃんは鼻の穴を膨らませて、こう言った。「あなた、私の収入知らないでしょ」「知ってるさ。子供の前だから金額は言わないけど…」「じゃあ、私が 主 任 になったのは知らないでしょ?」えっへん、と漫画に出てくるような擬音付きで膨らんだ鼻の穴から息をふきだした母ちゃん。
凄いじゃん!とか、言ったか言わないか覚えてないが、その場にいた全員で「えぇええええええええ」となったのはよく覚えてる。離婚が決まってから仕事に勤しんで、頑張って頑張って事務主任の座にまで上り詰めたらしい母ちゃん。子供3人W守らなきゃ!という一心で、ほとんど寝ずに仕事をしてたらしい。あの時初めて、母ちゃんが大分痩せていた事に気付いた。元々痩せていたけど、更に小さくなっていた、というか。
手取りで18万~20万くらいの給料が、20数万に上がったらしい母ちゃん。パートからここまでのし上がったのは凄いと思うが、それにしてもまだまだ家賃13万のマンションで生活出来るとは到底思えない。どうするつもりなのかめちゃくちゃ心配だった覚えしかない。これだけ稼いでしまうと、県や国からの母子家庭手当ももらえないしな。がだけど母ちゃんは、「まぁ、何とかなるでしょ」が口癖で、強引にそのマンションへの引っ越しを決めてしまった。
>>84簿記の資格とって資格手当もらったり、秘書検定受けて仕事の幅増やしたり色々あるらしいがよく分からん。引っ越し当日、オヤジはこの世の終わりみたいな顔してたけど、母ちゃんが「ちゃんと出直したらまた一緒に暮らしましょ」と声をかけていて、少し表情が和らいでいた。 結局今でもオヤジとは一緒に暮らしていないけど、当時、母ちゃんのその言葉はオヤジにとって何よりの励みになっていたと思う。オヤジと最後の飯を食べた時、母ちゃんは自腹でオヤジが大好きなすきやきを作って、久々に兄も一緒に家族5人でご飯を食べた。その日だけは、妹もおもらしをしなかったし、みんな全員笑ってたっけな。
引っ越し先のマンションは、とにかく綺麗だった。先にも言ったが、自分の母ちゃんはクレヨンしんちゃんのみさえみたいな母ちゃんだからな、想像つくと思うが、とにかく見栄っ張りなんだよ。収入が増えたら増えたで、安い長屋とかに住んで金貯めて家買えばいいのに、「汚い家はいやだ!」(長屋住まいごめんな)とか言ってとにかく綺麗な暮らしをしたがる。母ちゃんが凄いのはここから。綺麗な暮らしをしたがればしたがるほど、もちろんお金もかかってくるだろ。「お金がないなら稼げばいいのよ!」とか言って、訳わからん資格の勉強をしたり、たかが主任なのに社長に直々「会社をよくするため」とかいって企業改革提案をしたり。 働いて、家事して、おもらしが止まらない妹を病院へ連れていって、勉強して。一体いつ寝てるんだろう、と。相変わらずニートをしながら、母ちゃんを見て思っていた。
そんな母ちゃんを見て、高校卒業まじかの兄は高校卒業したらすぐ働いて母ちゃんを助けるといった。母ちゃんは、ガリガリに痩せた顔でもまっすぐな笑顔で、「お前(兄)が大学出るだけのお金はもう貯まってるから、進学しなさいよ」と言ってた。兄はなぜかぼろぼろ泣いてて、母ちゃんにお礼を言ってたけど、自分の事で手いっぱい(笑)なニートな自分は、なぜ兄が泣いてて、なぜ母ちゃんが笑顔なのかよく分からなかった。マジで。
だけど結局、進学をやめてフリーターになった兄。就職しなかった理由をつい最近話してくれたが、どうやらまだ当時父親の借金で両親が離婚している、という事実は就職活動で不利だったらしく、思っていた職につけなかったからと言っていた。 アルバイトで稼ぎながら、母ちゃんにお金を入れている兄をみて「偉いなぁ」とは思いつつも、自分も働いて母ちゃんを助けようという意識は皆無だった自分。そして、母ちゃんの仕事が忙しくなるにつれて酷くなる妹のおもらし。ついには小学校へ投稿しなくなり、毎日毎日、ニートの自分と一緒にポケモンをして時間を潰すようになっていった。
長文が規制できえたがっかり
規制に負けず頑張るアルバイトをしながら稼いだお金を母ちゃんへ渡す兄を見て、えらいなぁと思いながらも自分は何もしようとは思わなかった。そしてその頃になると、母ちゃんは現場責任者の仕事もしてほしいと言われていたようで、フォークリフトの動かし方から、専門的な機材の動かし方まで、日々勉強していたようだった。
当時の母ちゃんの一日。朝5時起床。不登校の妹と、ニートの私、そして兄のために朝食と昼食を作り、自分の弁当を作る。昼休み12時頃必ず帰宅。妹と自分と一緒に弁当を食べる。食べてすぐ会社に戻る。夜9時頃帰宅。家事、夕食作り。その後勉強。深夜起床。そんな生活だったが、母ちゃんが弱音をはいた事はない。今でも、別に当時の生活はつらくなかったと言い張る。
妹のおもらしが酷くなり、不登校が数カ月続くと自然と妹の通院日数も増えてくる。ついに現場責任者となった母ちゃんは仕事を抜け出す訳にもいかず、唯一の休憩時間を使って妹を病院へ連れていく日々を送ってた。お前ニートなんだからお前が病院へ連れていけよ、と思うだろ?あぁ、今ならそう思うが、当時はそんな考えは微塵もなかったな。ただ、母ちゃんは大変だぁって思いしかなかった。
だけどある日、母ちゃんが夜中にせき込んでるのを聞いた。ただの風邪だ、と言い張るけど、どう考えても顔真っ赤だし、声はがらがらだし、体は鶏がらみたいだし、悪い病気の人みたいな風貌。「お前が頑張って“社会へ戻る勉強”が出来るように、母ちゃん頑張らなきゃいけないから、こんな事でへこたれてられない」とか言って、難しい本をひたすら読んでなんかノートを書いてた母ちゃん。その姿を見て、ちょっとだけ心が揺らいだ。
先にいっておくが、どらまちっくな展開とか、母ちゃん死んじゃうかもとかそんなオチはないぞ心が揺らいだけど、何をしていいかよく分からなかった自分。いや、働けよと思うが、働こうという意思は皆無だったからなぁ。家事もやり方なんぞ分からないし、料理だって出来ない。さてどうしよう、と思って、何もしなくていいか、とは思いつつ。だけどなんか揺らいだこの気持ちを形に残したいと思った自分。一日妹とポケモンしながら考えてた所、テレビである特集をしていた。
疲れた体には甘い物が一番!みたいな特集で、家庭で簡単に出来るお菓子作り!みたいなワイドショーにありがちなテレビのワンコーナーだった。プリン作りの特集で、美味そう…と思った自分は、卵と砂糖と牛乳というシンプルな材料で作れるそのお菓子を作ってみたくなった。あ、言っておくけど、別に母ちゃんに作ってあげようと思ったわけじゃない。ただ、なんかエネルギーがわいて、美味しいプリン作れたら、なんか自分、変われるかも!みたいな、何の根拠もないやってみよう精神だけだったけどな。きっと、このなんかとりあえずやってみようかな精神は、ニート経験者なら分かってくれると思う。
相変わらずおむつをつけたままの妹と一緒に、プリン作りを始めた自分。プリンが好きな妹から、「出来たらひとつちょうだい」と可愛くおねだりされたから、自分の分と妹の分、合計二つつくろうと思った。プリンの型なんかないから、どんぶりを代用して作ったプリン。蒸し器に入れてから、あとは出来あがったプリンを冷蔵庫に入れるだけとなった所で、強い強い達成感から睡魔が襲ってきた。何とか蒸し終えたプリンを冷蔵庫に入れて、妹と二人、ソファーで昼寝をした。
目が覚めたらすっかり夜で、隣で寝てたはずの妹がいなかった。寝ぼけた頭で妹を探したら、キッチンで母ちゃんと一緒に、妹はいた。自分は目が悪いので、眼鏡をかけない状況で視界がぼやけていたけど、これだけは分かった。母ちゃんが、声を上げて泣いていた。母ちゃんの泣き声に驚いて、慌てて眼鏡をかけてキッチンへ向かうと、どんぶりに入ったプリンを食べながら、母ちゃんがぼろぼろに泣いてた。
オムツをつけた妹が、「お姉ちゃん、おはよう」と笑って、「私、食べきれなかったからお母さんにプリン半分だけたの。お姉ちゃんの分はちゃんと冷蔵庫にあるよ」と言った。 なんで妹のプリンを食べながら母ちゃんが泣いてるのかよく分からない。だから、どうして泣いているのか母ちゃんに聞いたら、おいおい泣きながら母ちゃんは言った。 「疲れた時には甘い物がいいて…テレビで見て、母ちゃんのために作ってくれたんだろ?」いや、ちげーよ。私はプリンを腹いっぱい食いたくて自分のために作ったんだよとはさすがに言えない空気で、とりあえず頷いておいた自分。泣く母ちゃんの後ろで、おむつをつけた妹が嬉しそうに笑っていた。
結果的に、9歳の妹に出し抜かれた私は、なんだか母親の泣き顔を見るのが辛くて、そそくさと部屋へ戻った。変な時間に昼寝を挟んだせいで、ベッドへ横になっても全然眠れない。深夜、DVDでも見ようとリビングへ行くと、母親が勉強をしていた。「まだ起きてたの?もう3時だよ」と言っても、母親はノートから目を離さず、「あんたが作ってくれたプリンでやる気全快だから、あと30時間は起きていられる」と冗談ぽく言ってた。母ちゃんのために作ったんじゃない、と言いかけたけど、なんだか言ってはいけない雰囲気な気がして、結局黙って部屋へ戻った。
母ちゃんの会社には社報みたいなものがあるんだけど、ある日母ちゃんが社報を持って帰ってきて、自分に見せてきた。社報いっぱいの見出しは、「課長の娘さんは世界一のパティシエ」(とかそんなだったと思う)課長が疲れて帰ってきた時…自慢の娘さんが何と手作りプリンを作って出迎えてくれた!母ちゃん「私は世界一幸せな母親です(笑)」みたいな、そんな記事が書かれた社報。「専務にちょっと自慢したら社報に乗っけてくれてさぁ」とか言って嬉しそうにしている母ちゃんを前に、嬉しいとか恥ずかしいとか、そんな気持ちより先に母ちゃんが 課 長 へ昇進した事が一番驚きだった。
うちの母ちゃん、ふっつーの高校卒業して、ふっつーに高卒でOL経験して、ふっつーに結婚した人。特に秀才でもないし、特に何か飛びぬけて凄い物もっているわけでもない(と思う)生活費の足しに始めたパートで、パートから社員へ、社員から主任へ、主任から現場責任者へ、そして課長。いやもう、どっかのテレビ局が取材に来てもおかしくないんじゃね?と思うばかりのトントン出世にみえた。
ちょとうんこしてくる
社員数60人くらいの小さい会社だけど、それでも課長は凄いと思う。しかしまぁ、母ちゃんの出世と引き換えに、母ちゃんの帰宅時間はどんどん遅くなっていった。理由は簡単。ISOとかいうのを、母ちゃんが筆頭に会社で取得しようとしていたらしく、母ちゃんは勉強に研修に、とあちこち回っていたからだ。
>>244>>1町工場なので、現場の人間はDQNか派遣かパートのおばちゃんばかり。(工場勤務の人、偏見ある言い方すまん)人間関係もだめだめらしく、ISO取得と同時に、そのだめだめな人間関係も修復しなくちゃ駄目だ!と思ったらしい母ちゃんは、自ら“24時間電話相談”とかいうのを始めて、人間関係や仕事の悩み、果てはパートのおばちゃんの家庭の悩みや若い社員の恋愛事情まで全部丸ごと相談に乗るわよ!みたいな活動を始めた。
>>249あれはあくまでもモデルはいるが、架空の話だろ?(多分。読んだ事ないから詳しくはしらんがw)母ちゃんは日本のどこかで今日も元気に生きてる実在の人だからな毎日毎日遅く帰宅しては、電話で社員の悩み相談を受ける母ちゃん。ある時なんか、パートのおばちゃんが「旦那が浮気してるかもしれない」と泣いて電話をかけてきた時、「今から行くから!」と夜中に家を飛び出していったし、またある時は派遣で将来が心配…と言った男の子を、午前休を使ってハロワへ連れて行った事もあるくらいだ。のめりこむと凄まじいというか、周りが見えなくなる母ちゃん。なにをやらせても、常に100パーセントを出す人だと思った。
相変わらずニートだった自分と、アルバイトで忙しい兄と、ほとんど家にいる時間がなくなった母ちゃん。自分はニートながらに、ずっと貯めてたお年玉(w)とかを切り崩して、時に兄から小遣いをもらい、自由奔放に遊びまわっていた。その内、家に帰るのがいやになってきて、寮付きのキャバクラにでも勤めればもっと自由になれるとか本気で思っていた当時の自分。ふらふら遊んでは、夜中に自宅へ戻る事が増えてきた。
>>271すまん、そんな壮大なオチはない…ある日、夜中遊ぶ友人が捕まらなかったので、久々に早い時間(といっても夕方6時くらい)に自宅へ戻った自分。家へ戻ると妹がテレビを見ていて、自分を見るなり嬉しそうに「おかえりなさい」と言って抱きついてきた。相変わらずおもらしが続いているらしく、まだおむつが外せない妹。ほこりをかぶったランドセルを見れば、やはりまだ不登校のようだった。不登校の妹が、誰かと話す機会はなかったらしい。私は家へ戻らないし、兄はアルバイトの合間しか家へ戻ってこない。母ちゃんも、同様。孤独だったらしい妹は、「お姉ちゃん、今日はもうお出かけしない?」「○○(妹)と一緒にポケモンしてくれる?」としきりに聞いてきた。なんかちょっと泣けてきた。
なんだか妹が不憫に思えて、ぴったりと自分に寄り添って離れようとしない妹の頭をその日はずっと撫でていたと思う。そんなこの日。一番衝撃だった出来事。それは妹の夕食だった。「お姉ちゃん一緒にご飯食べよう」と言って、妹がどこからか持ってきたのは、カロリーメイトの4本パック。「お姉ちゃんの分もあるよ」といって、同じ4本パックのカロリーメイトの箱を自分へ手渡して、妹は当たり前のようにそれを食べ始めた。
「これが夕食?」と聞いた私に、不思議そうに首をかしげて、妹は頷く。「カロリーメイト嫌い?」「いや、嫌いじゃないけど…」「美味しいよ!あと、今日はお姉ちゃんと一緒だからいつもの倍は美味しい!」あぁ、自分は、あの時の妹の顔が今でも脳裏に焼き付いて離れない。 嬉しそうな、なんとも微笑ましい、というか。好物を前にした子供のような笑顔。思いだすだけで、ズキズキする。
母ちゃんが忙しくなって、いい加減家事に手が回らなくなったらしい。朝食はまだしも、夕食を作る事は不可能だったらしく。ある日の夕食にコーンフレークを出された妹は、「あぁ、お母さん忙しくて大変なんだな」と思ったとの事。それから、「もう9歳なんだから、自分でご飯買いにいける」と駄々をこねて、母ちゃんからお金をもらったといっていた。母ちゃんからもらったお金で買ったのが、カロリーメイトだったって訳だ。
それでもやはり、お金だけを妹に渡すのが心配だった母ちゃんは、ちょくちょく仕事の合間に妹へ電話を入れたり、ほんの少しの時間を見つけては家へ戻ってきて夕食作りをしていたようだったが、最終的に妹はそれすらも拒否したと言っていた。「学校へ行けない分、お母さんにこれ以上迷惑はかけたくない」とか言って、隣の家のおばちゃんが夕食を作ってくれた、とか、卵焼きを自分でやいて食べたから今日は帰ってこなくていいとか、そんな嘘を母ちゃんについて、「心配いらないから、お仕事がんばってね」、と言い続けていたらしい。それでもやはり、その事実は辛かったようで、めそめそしながら、妹は私にこの話をしてくれた。
私は、それでも真面目に働こうとは思わなかった。働こうとは思わなかったし、じゃあ私が母ちゃんの代わりをしようとも思わなかった。悪いな、これはドラマでも何でもないので、美談はないのだよ。だけど、美談はないけど。それでも、これだけは思った。妹の夕食がカロリーメイト。これはさすがにやばい。次の日私は本屋へ行って、調理本を買ってきた。この本は今でも持ってる。「簡単おべんとレシピ」って本だ。
朝は苦手なので、朝食は作らない。これは母ちゃんに任せた。昼飯も母ちゃんに任せた。自分がちょっとだけ頑張るのは、夜だけ。本片手に、最初は簡単なカレーから。カレーは失敗がないからね、初めて作ったカレーを食べて、妹は「カロリーメイトより美味しい」と何度もおかわりしてくれた。それが単純に嬉しかった。なんか、ちょっと人の役にたててる気がしてね。
おべんとレシピの良い所は、あくまでもお弁当用レシピって所だ。お弁当用レシピ=あんま手間がかからないつまり、だらだらしたニートな自分でも、ちょっとがんばれば作れるって所。妹の夕食を作って、妹が寝るまで一緒にテレビを見るか、ゲームをする。妹が寝てから遊びに行く。遊び癖が抜けなかったんだな。でも、私が家を出ていく度、妹が起きてしまう。「お姉ちゃんどこ行くの?」と泣いて、おもらしをしてしまう。その度、出かける時間を遅らせて、妹を寝かしつける。その繰り返し。妹は可愛いけど、当時は遊びを邪魔されて正直鬱陶しいという気持ちの方が強かった。
子供は凄い。まぁ、当時は自分も子供だったが(16歳とかだしな)、それでも、何も分かっていないだろうと思っていた妹の、人を見る目は半端ないと思った出来事がある。 夕方起きだして、夕食の支度をしようと思ったら、妹がいなかった。部屋中探してもいなくて、代わりに、妹のおむつがいくつもなくなっていた。あと、買いだめしたカロリーメイト もなくなってる。お気に入りのポケモンのぬいぐるみもないし、洋服もない。びっくりして、妹の部屋へ入ると「かぞくへ」みたいな文章から始まる手紙があった。
手紙の内容はよく覚えてない。気が動転してたし、とにかくすぐ母ちゃんと兄に連絡しなきゃ、って事で頭がいっぱいだったから。覚えてる限りの内容は、「○○(妹)がいなくなれば、お姉ちゃんはたくさん遊べます」みたいな。夜泣き(?)を繰り返す妹を鬱陶しいと内心思っていた自分の気持ちを、妹は見事に見透かしていたらしい。母ちゃんに連絡してすぐ、兄と、母ちゃんが示し合わせたように家へ帰ってきた。兄と私は顔を真っ青にしてたが、母ちゃんは「家出は思春期の勲章だ」とか言って、「大丈夫大丈夫」とか言ってた。言ってたけど、声がぶるぶる震えてたのを覚えている。
当時を振り返る度、母ちゃんはこの妹家出事件が、何より辛かったという。オヤジが借金した時より辛かったといってた。働かなきゃ食べていけない。会社を大きくしたい。でも家族も大事にしたい。だって片親だし。兄を進学させてやりたい。私を社会復帰させたくて、社会人の手本になりたい。でも母親として、妹にずっと付き添ってやりたい。あぁでも、働かなきゃ生活が出来ない。もっともっと出世したい。そんな思いで、自責の念と、後悔とでぐちゃぐちゃだったようだ。父親役母親役、二役こなす母ちゃんだからこその本音だったのかもしれない。
警察に連絡しようか、と兄が言った時、「おおごとになれば、○○(妹)が帰りづらくなる」と言って、母ちゃんは一人探しに出かけた。兄と私はいつ妹が帰ってきてもいいように、自宅で待機。兄は探しにいきたいと言っていたが、母ちゃんが「これは母ちゃんの仕事だから」、と兄を静止してた。数時間たたない内に、妹と母ちゃんは帰ってきた。小さい体を縮こめて、体に不釣り合いな大きなリュックを背負った妹を見て、発作的に泣いた。安心というか、「何してんだよ」っていう、なんか、怒りに近い涙だったよ。
母ちゃんは、この時、妹がどこにいたとか、どうやって連れ戻したとか、そんな話は何もしてくれなかった。あとから妹が話してくれたけど、妹は、前の自宅へいたらしい。もう父親も引っ越していて、放置状態の家に一人いて、カロリーメイトを食べて時間を過ごしていたんだと。母ちゃんはこの事で凄く自分を責めたらしいけど、それでも、真っ先に妹がどこにいるか分かった母ちゃんは、やっぱり母親なんだなぁと思う。
おっと先に言っておくが、釣り宣言はしないよだって釣りじゃないもん正直、身内や当時を知る人には身バレ確実状態だけど、それでもいいとうちの母ちゃんも妹も兄も言ってくれた上で書いてるからなそれでも釣りだという人はネタとして楽しんでくれたらありがたいその日から、兄はアルバイトを減らしてなるべく家にいるようになった。収入は減ったらしいが、代わりに母ちゃんが「もっと出世すればいいんでしょ?」とかいって更に勉強を始めてた。でも、なるべく家で勉強するようになって、少しでも妹のそばにいるようにしていたみたいだった。私は相変わらずニートで、唯一の仕事は、家族の夕食を作る事。それでも、美味しい、と兄や母ちゃん。そして妹がそう言ってくれる度に、凄く幸せで、嬉しくなった。
妹の不登校が半年ほど続いた日、合唱祭のお知らせプリントが届いた。妹は昔から歌う事が大好きで、それを知っている担任が、合唱祭をきっかけに登校出来るように、と気にかけてくれての事だった。母ちゃんは、「行きたくなきゃ行かなければいい」と言った。兄は、「ちゃんと学校行かなきゃ、>>1みたいになるぞ」と冗談めかしに言った。私は、何も言わなかった。妹は今更行けない、との一点ばりで、「行きなさい」という兄の前でじっと黙っていた。
ある日母ちゃんが風呂上がりに突然歌い始めた。何かと思ったら、会社で合唱部を立ち上げたと言ってた。妹意識なのは丸わかりだけど、幼い妹は、家で一人合唱の練習をする母ちゃんを見て、目をきらきらさせてた。やっぱり歌が好きらしい。母ちゃんが妹に、「一緒に歌う?」と聞くと、妹は頭をぶんぶん振って頷き、母ちゃんと一緒に歌ってた。曲はシラネなんか、ふんふんふーん、みたいな曲
だって家族承諾もらわなきゃ書けないじゃん妹は歌がうまい訳じゃない。ただ、歌うのは好きなんだろうなぁと、そう伝わってくるようだった。母ちゃんは、妹が歌う度に松村邦弘ばりに手を叩いて、妹を褒めた。「すっごおおおおおおおおおおおおおおおい」「いやぁーーーうちの歌姫だね」「TKプロデュースでデビュー出来るんじゃない?」小室哲也を知らない妹は首をかしげていたけど、それでも母ちゃんに褒められて嬉しそうだった。こんなに上手なら、もっともっと多くの人に聞いてもらえたらいいなぁ、と母ちゃんが言って、自慢の娘をもっと自慢したいと言った。それを聞いて、妹は泣きだした。「学校いかないから、いい子じゃない」「○○(妹)は自慢できる子じゃない」
母ちゃんの凄い所は、子供の良さを最大限に引き出すことだと思う。母ちゃんは決して、子供の人格を否定しない。この時だってそうだった。「生きてご飯食べてうんこしてくれていれば、それだけで自慢出来るよ」あ、何か文字に起こすと何でもない言葉なんだけど、その時の母ちゃんは凄い説得力があるというか、素直に、「あぁ、そうなんだぁ」って思える言葉を使っていたと思う。 だって現に、それを聞いて妹はすぐ泣きやんで、しっかり頷いていたし、学校に行ったらもっと自慢になる?と聞いてた。「行っても行かなくてもどっちでもいいよ」と母ちゃんは言って、そこまで見届けてから、自分はまた遊びに出かけた。
翌日の朝、妹がランドセルを背負っていた。朝兄にたたき起こされて、何だと思ったら、黄色い帽子に赤いランドセルを背負った妹が、名札を探してた。学校へ行くの?と聞いたら、小学生はみんな学校行くでしょと普通に返されて、びっくりした。玄関前で何度かえずいていた妹。母ちゃんに「無理しなくてもいい」と言われたのに、「絶対大丈夫」といって、9歳の小さい妹は、見事にマンションの通学班へ混じりにいった。
子供は凄い、と思った。兄と母ちゃんと私で、通学班の班長さんに「よろしくお願いします」と言ったんだけど、何の疑いもなく、というか、何の違和感もなく、突然混ざった妹とみんなで仲良く話し始めたからね。 これ、高学年だらけの班だったらまた変わってただろうけど、低学年の多い通学班だったから、それが良かったのかもしれない。妹を見送った母ちゃんは目をうるうるさせて、仕事へ行き。兄もバイトへ出かける。今まで妹と二人だった家で突然一人になり、なんだか物悲しさを感じた。
どこへ遊びに行ってるって、別にどこか特別な場所とかじゃなくて、普通だよ。中学時代の先輩の家とか。特に面白い事なんもないよ。普通にDQNな感じを想像そてくれればいい。私は何をしてるんだろう、と思った。なんか、妹が更生…といったら変だけど、あんなに小さいのに頑張って不登校を克服してるのに、私はいまだにニートだし。楽しみなんてないし、兄に小遣いせびって遊ぶ日々。屑人生だな、と。この時初めて実感して泣いたんだよ。
オヤジに似てる、とこのスレの誰かも言ってたけど、間違いなくそうだな。妹と兄は母ちゃん似。私はオヤジ似。家出しなきゃいけないのは妹じゃなくて私だったんだなーと思って、なんか無償に悲しくなった。悲しくなったらお腹すいたので、飯を買いに出かけた。今朝は妹を送り出して母ちゃんがご飯作る時間なかったからな。
眠いぞ眠いぞこりゃ一回寝るかもしれん近所の某ドラ○もんがキャラクターの寿司屋さんに行ったら、当然だけどみんな働いてた。レジ売ったり、寿司握ったりしてた。なんか恥ずかしくなったから、寿司買わずに店を出た。次いでスーパーに出かけたら、やっぱりみんな働いてた。ここでも恥ずかしくなった。ぶらぶら歩いてたら、母ちゃんの会社(てか工場)の近くまで来た。時計みたらもうすぐ母ちゃんの休憩時間だったから、ついでに一緒にご飯食べようと思って会社を覗いた。母ちゃんも働いてた。当然だけどさ。
工場と隣接するように事務室があるんだけど、20人くらいの人がばたばた働いてて、なんか場違いな気がした。いや、場違いなのは間違いないが。自分を見つけた母ちゃんは驚いた顔をして、「ここは会社だから勝手に入ってくるな」と静かに自分を咎めた。また恥ずかしくなった。もうすぐ休憩だから一緒にご飯食べようと言ったら、母ちゃんは「美味しいラーメンおごってあげる」と言ってくれた。会社の近くに、美味しいラーメン屋があるらしい。
事務室の外で母ちゃんの休憩を待っていたら、12時少し回った所で母ちゃんが出てきた。母ちゃんが出てきたと同時に、たくさんの人が出てきた。その人達はみんな、母ちゃん目当てだとすぐ分かった。こぞって母ちゃんに話しかけるみんな。ご飯に母ちゃんを誘うみんな。自分の母ちゃんなのに、何だか盗られた気になって腹がたった。
母ちゃんは、みんなに自分を紹介してくれた。「自慢の娘でーす」とか言って、「うちのコックさん」と紹介してくれた。どうやら母ちゃんは、私が夕食を作っている事をまた社報で書いたらしく、みんなは「あぁ、あの子ですか」とすぐ分かったようだった。「>>1の作る料理は世界一なのよ」そう口火を切って母ちゃんは私を同僚に見せびらかすように褒めちぎり始めた。中には親ばかぶりに呆れた顔をしてた人もいたし、なんかこの時は、褒められて嬉しいというよりも「恥ずかしい」の意識の方が特に強かった。
ラーメン屋でも、やっぱりみんな働いてて、私は小さく小さくなりながらラーメンを食べた。ラーメン屋の隅にアルバイト募集のチラシが貼ってあって、自給が750円と書いてあった。その日私が食べたチャーシューメンと同じ金額。私が黙って食べたこのチャーシューメンは、このお店で一時間働かなきゃ食べられない物なんだと、そんな当たり前の事を改めて痛感した。
その日帰ってから、母ちゃんに話した。今日は一日何だか恥ずかしかった。妹は頑張ってるのに、私は何してるんだろうと思った。外に出て改めて周兄りをみたら、みんな働いてた。それが恥ずかしかった。支離滅裂な言葉をつらつら並べる私に、勉強しなきゃいけないであろう母ちゃんなのに、じっと黙って話を聞いてくれた。その日妹は、合唱祭の楽譜を持ち帰ってきて、楽しそうに練習していた。私は、もう消えてしまいたいと思った。働けよ、と今なら思う。だけど、じゃあ働こうって思考がなかったんんだよね、当時。
目標がない、と言った自分に、母ちゃんは少し悩んで、じゃあ今何が一番したい?と聞いた。ちょっと考えて、「恥ずかしくない毎日がほしい」と、思った事をそのまま言った。そしたら母ちゃんは、じゃあまず、家の事から始めようと言って、こんな提案をしてくれた。夕食だけ作ってた今だけど、昼食も作ってみる。昼食作りに慣れたら、朝食も作ってみる。「そんな事、普通じゃん。別に偉くもなんともないし、それで恥ずかしくない毎日が送れるとは思えない」と言ったら、母ちゃんは怒った顔をした。やろうと思った事をやりとげる、それが自信につながっていくんだから、結果立派なんだ。昼食作りが普通?じゃあアンタは何でその普通が出来ないの?あぁ、もっともだと思った。
自分で普通だと思ってる事が出来ない。出来ないんじゃなくて、やらないだけ。やらないから、自信がなくなってく。でも、普通だ、という意識があるのであれば、絶対出来るはず。自信を取り戻すためにもやってみろ、とか。なんかそんな事を言ってたと思う。とりあえず、母ちゃんの勉強の邪魔しちゃいけないし、そこで「分かった」と言って、部屋に戻った。その日は、なんか遊びにいく気分じゃなくて、ずっと部屋でごろごろしてたと思う。
次の日から、昼食を作ってみた。自分一人だからごく簡単な物だったと思うけど、(何作ったか覚えてない)でも、作ってみた。あぁ、出来た。と思った。帰ってきた母ちゃんに、昼飯作ってみた、と言ったら、呼吸困難に陥るくらいめちゃくちゃに抱きしめられた。たかが昼食を作っただけなのに、大げさな、と思ったけど、単純に嬉しかったと思う。
兄と妹にも褒められた。「やれば出来るじゃん!」「お姉ちゃんすごーい」とかいって、ぱちぱち手を叩かれたと思う。何だか気分が良くなったので、明日も作ろうと思った。昼食を自分で作り始めて数週間。妹の合唱祭の日が近づいてきたので、弁当を作ってやろうと思った。その頃は朝起きれたら朝食も作るようになってたし、ついでだからと思って。「お姉ちゃんがお弁当作ってあげるよ」と言ったら、妹は100点の笑顔で、おかずのリクエストをくれた。からあげが食べたいと言われたが、実は揚げ物が苦手だった私は、妹のリクエストのために毎晩ひそかに練習をしていた。練習したからあげを食べる役目は兄だった。毎晩毎晩からあげを与えたせいで、この時ばかりは兄の体重が3キロ増えたらしい。
合唱祭当日、朝6時に起きようと思ったが、何だか興奮して眠れなかったので結局4時に起きて弁当を作り始めた。朝6時。ばっちりからあげも美味しそうに揚がり、ちゃんとりんごもうさぎに出来た私は、なんか緊張して、リビングで弁当を前に正座してみんなが起きるのを待った。弁当と一緒に正座してる私を見て、母ちゃんは「何してんの?」と笑ってたけど、なんか、ひとつの作品を作り終えた芸術家みたいな気分で、誇らしかった。
つーか私も眠いほんと限界だしかし今日中に何とか終わらせたいので、数時間寝ます落ちたらまた勝手に立てます
おはよう悪いが、ちょっと買い物に出かけなきゃいけないので、もうしばらく待ってほしいです。ぶっちゃけ、あと10行くらいにまとめてさっさと書くつもり満々だったんだけど、ここまで保守してもらってありがたいのでちゃんと書きます。たぶん17時くらいには戻ります。
>>614の続き妹に弁当を渡したら嬉しそうに笑ってくれた。なんか、私も嬉しくなった。宝物みたいに弁当箱かかえて出かけた妹を見送ってから、やたらエネルギーがわいたと思う。よし!自分はやれる!みたいな感じ。自信がつくってこういう事をいうんだろうと思った。
さっき昨夜の分を読み返したら誤字脱字が酷過ぎてうんこ漏らしそうになった。母ちゃんがずっと取ろうとしてたISOとかいうのは、とにかくとるのが大変らしい。よく分かってなかったので母ちゃんに聞いたら、中小企業がこれを取得すると色々お得なんだと母ちゃんが言ってた。ポイントカードみたいなもん?と聞いたら大笑いしながら「そうそう」と言ってたので、今でもISO=ポイントカードだと認識してる。
山のような資料と、研修の毎日。でも家事もこなす。この頃になってやっと、母ちゃんの体が心配になってきた。だって明らかにガリガリだし、いつ見てもリビングで勉強してるし、でも寝坊なんかした事ないし。もしかしたら24時間寝てないのかもしれないと本気で思った。
母ちゃんは絶対に弱音を吐かないし、いつだって元気な母ちゃんてイメージしかない。今でもそうだけど。だけど一度、母ちゃんが泣いてるのを見たことがある。夜中に、オヤジの写真見ながらめそめそ泣いてた。母ちゃんはオヤジが大好きだったからな、離婚してからも、週に一度はオヤジに電話してたし、飯とか作って届けてたみたいだった。オヤジは家から数十分のアパートへ引っ越してたんだけど、実はそのアパートへの引っ越し代も母ちゃんが全部出したらしい。オヤジは身寄りがいないから、母ちゃんは放っておけなかったんだと思う。
母ちゃんは今でも、世界で一番オヤジが好きだ!という。借金してたのに、家族を壊したのはオヤジなのに、と言ったら、離婚してたってなんだって、両親が仲良しなのは子供にとって一番の幸せなんだと母ちゃんは言ってた。 でも893が危ないから今だけ離れて暮らしてるだけで、今でもオヤジは最愛の夫だと言ってた。母ちゃんは強いなぁと思ったけど、夜中に一人で泣いてる姿を見て、母ちゃんはそこまで強い人間じゃないんだなと当たり前の事を改めて実感した。
だからその日、母ちゃんの弁当を作ってあげた。母ちゃんは目ん玉飛び出しそうになりながら喜んでくれて、弁当の写真を何枚も撮ってた。恥ずかしい人だ。母ちゃんに弁当を持たせると、母ちゃんの腕が木の棒みたいになっててびっくりした。「ちゃんと寝てる?」と聞いたら、「寝るよりも出世したい」と言った母ちゃん。「母ちゃん、ISO取れたら昇進出来るんだ」といって、疲れよりも先に目の前に見える昇進という光に対する楽しみの方が上だといってた。
課長の次は何になるんだろうと思って兄に聞いたら、「部長になるんだろ」と言ってた。母ちゃんついに部長かよ…と思って、単純に凄いなぁと思ったけど、それりもあの棒っきれのような腕が気になった。その日は風が強かったのか強くなかったのかぶっちゃけ覚えてないけど、でもなんか、ふと頭に風でびゅーーーーんと母ちゃんが飛ばされちゃうイメージが浮かんで怖くなった。 こりゃやばいなと思って、なるべく母ちゃんはベランダには出しちゃいけないとも思った。なので、その日の洗濯物を始めて取り込んでみた。取り込んだついでに畳んでみた。そんで夕飯を作ったら、あっという間に時間が過ぎていた。家事は大変だと思った。
夕食ついでに母ちゃんにプリンを作ってみた。太らせようと思った。風で飛ばされないように、もっと太らせたいと思ったから、夕食も揚げ物にした。帰ってきた母ちゃんに、「洗濯物取り込んであるし、冷蔵庫にプリン入ってるよ」と言ったら、子供みたいに万歳して喜んでいた。その日もめちゃくちゃ褒めてもらった。というか私、母ちゃんに褒められた記憶しかないな。
ある日母ちゃんに、何でそこまで頑張るの?と聞いたら、母ちゃんは「あんたも子供を産めばわかるよ」とだけ言ってた。例えばそこに水があって、ここは砂漠で、この水を飲まなきゃ死んでしまう。でも水はひとつしかない。そんな時、母ちゃんという生き物は迷わず子供へその水を差しだすんだと。 男脳、女脳とかあるけど、母ちゃん脳という物があるんだろうなと思う。母ちゃんは男でも女でもなく、母ちゃん、という生き物だと思うんだ。
「今日は>>1が家事をしてくれたから大助かりだった」「母ちゃん今日は世界一幸せかも」たかが洗濯と飯作っただけなのに、母ちゃんは100万もらったように喜んでた。家事をすれば母ちゃんは喜ぶんんだなと思った私は、次の日も同じ事をした。今度は風呂も沸かしてみた。そんで次は部屋の掃除もしてみた。ニートから、家事手伝いに昇格した、と思いたい。
ある日母ちゃんに年収を聞いたら、ナイショと言ってたけど、実は兄からの支援を断ってる現場を見てしまった私は、もう兄からの援助がなくても家賃13万の家で生活できるだけの生活費を稼げているんだろうと思った。それもそのはずだ。母ちゃんがめちゃくちゃ高給取りになったわけじゃなくて、母ちゃんは自分の物なんか一切買わない。子供にはお金は使うけど、自分には一切使わない。たくさん貯金をして、子供3人分の預金も作ってるみたいだった。私は、私名義の預金があるならちょうだいよ、と思ってた。
兄から小遣いもせびり辛くなってたし、母ちゃんからはなんかお金もらいにくい。とにかくお金がなくて、一瞬悪い事を考えたりもした。悪い事しようかなと思う度、母ちゃんの顔が浮かんで出来なかったけど。働けばいいんだけど、その頃にんあると外の世界が怖くて嫌だった。だって中卒だし、何の取り柄もないし、昼夜逆転生活だし。身分証明書もないし、年齢的に夜の仕事も出来ない。なんか意味もなく死のうかな、とか思ってた。
母ちゃんにそれをボヤいたら、母ちゃんは求人誌を山ほど買ってきてくれた。ぶっちゃけ、求人誌の見方が分からなくて、読む気なんかなかったけど、研修用の資料を片手に自分の職探しのように「この職場は自給がいくらで、この待遇っていうのはこういう意味で~」とひたすら教えてくれる母ちゃんを前に、「もういいやめんどくさいし」という本音を言う事は出来なかった。
しかし母ちゃんというのはエスパーな生き物で、私が求人誌に興味なしな事を察すると、すぐに求人誌をしまった。「よし!母ちゃんが仕事あげる!!」と言って、ご機嫌にどこかへ電話をかけていた。その日の夜に、母ちゃんのISO取得が上手くいかなかった事を知った。駄目ならまた次ってわけにもいかないみたいで、なんか年に数回しかないらしい。次、はめちゃくちゃ遠いんだと言ってた。あれだけ勉強してても駄目なんて、ISOはずいぶん手ごわいらしい。
でも母ちゃんは全然へこんだ様子じゃなかった。「そりゃショックだけど、仕方ないじゃん」みたいな。逆に次までの時間が長いからもっともっと勉強できる!とかいって、うきうきしてたし。妹は母ちゃんの頭をよしよし撫でてた。母ちゃんは泣きまねをしていた。「よし!また頑張ろう!」といって、また勉強を始めた。母ちゃんのエネルギーはどこから出てるんだろうと思った。
あと40レス、全部私のレスで埋めても終わらないかもしれない次に続いたら申し訳ない綺麗に1つで終わらせたかった本音なんだが。それからまたしばらくして、母ちゃんは私に「バザーのお知らせ」みたいなのをよこしてきた。これで物を売れば金になるよ!と言ってた。母ちゃんがくれると言ってた仕事はこれだったらしい。だけど、ニートに売れるような代物はない。何を売るの?と聞いたら、「あんたお菓子得意なんだからお菓子売りなよ」と言った。バザーで素人が作ったお菓子なんか売れねーよと思ったけど、母ちゃんがやたら張り切っているのでとりあえず生返事だけを返しておいた。
バザーのお知らせを見て、びっくりしたのがバザー主催会場は母ちゃんの会社の工場敷地内だった事。当然、主催も母ちゃんの会社だ。母ちゃんの会社、社内バザーなんかやってたっけ?と思ってすぐに聞いたら、「今年からやる事になった」と言ってた。多分、私のために企画してくれたんだと思う。娘のために会社巻き込んでバザーを開いちゃう母ちゃんなんか、世界中で私の母ちゃんとあと数人くらいしかいないと思う。うちの母ちゃんだけ、とは敢えて言わない。
>>980ありがとうだが、パート表示は…大丈夫なのか?企業主催だから、素人の料理だっておいても安心でしょ!とかいう訳分からない母ちゃんの持論。保健所とか、色々大丈夫なんだろうかと思ったけど、簡単な市の許可さえあれば大丈夫らしい。「社報にもあんたのお菓子は美味しいって書きまくってるから、絶対繁盛するわよ」といって、私よりも楽しそうな母ちゃん。最悪売れ残ったら母ちゃんが全部買いとってあげると言ってくれて、100円でも稼げればマシか、どうせ材料費は兄のお金から出すしな、と思った私は、バザーに出る事をおKした。
>>980>>985どっち?どっちに移動すればいいの?
このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー と 利用規約 が適用されます。
1文字以上入力してください
本文は少なくとも1文字以上必要です。
1文字以上入力してください。
下から選んでください: