赤壁の戦い 前編


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 *赤壁の戦い 前編


 袁紹を破り、華北を手中に収めた曹操。

 彼の次なる目標は当然、南方。荊州、そして揚州であった。

 その彼が、都たる許都の中心にて、軍議を開いていた。

「丞相。次はやはり南方へと軍を向けるおつもりですか」

 秀麗な容姿の男が、細い目を向けて主に尋ねる。

「当然だ」

 答えた男―その態度からして彼の、そしてここに居並ぶ諸将の主であろうが、風采はむしろ、みすぼらしいといってよかった。
 しかし、その瞳の奥に宿る光、その体から発する威風、どれをとっても底知れないものがある。
 見るものが見れば、この中で英雄は誰か、と尋ねられたとき、この風采の上がらない男を選ぶだろう。

「しかし、急に孫権を攻めるのはあまり上策ではない、と存じます」
「成る程、ならば筍彧よ。そちはどのように考える」
「先に荊州を攻めるべきかと」
「それならば、劉備も始末できるな。それに、万が一奴が荊州を得たとあれば、ちと面倒だ」
「荊州さえ攻め取れば、孫権など、出口を塞がれた鼠のようでしかありませぬ。更に、孫権を攻めるとあれば、船が必要。それもまとめて手に入れられまする」
「確かに水軍は必要。それさえあれば、あそこは寄り合い所帯だからな。むしろ出口を塞いで脅しをかけたほうが」
「よいでしょう」

 筍彧は字を文若といい、今の曹操の片腕とも言える存在だった。
 その才能は「王佐の才」と評され、曹操からは「我が子房なり」とまで言われた。
 子房―漢帝国の創設に多大な貢献をした3人、漢三傑のうちの一人、張良そのひとである。
 表面だけなら、私の名参謀、であるが、深く意味を考えると、自分を漢の高祖に擬えているのである。
 このことを見ても、曹操という男は容易に測れる人物ではなかった。

 その片腕との話で、方針は決まった。
 諸人、異論は無い。

 いざ、荊州へ。

 曹操の軍勢は、瞬く間に新野の劉備を蹴散らし、荊州を降伏させた。

 しかし、
「劉備をとり逃したか。逃げ足の速いやつめ」
「申し訳ありませぬ」
「まぁ、よい。あれは今に始まったわけでなし―それよりも、これで孫権の出方を伺えるな」
「ええ、孫権が丞相につけば、劉備の運命も丞相の掌です」
「筍攸頼りにしているぞ。」

 筍攸、字は公達。
 先に出てきた、筍彧の甥であり、二人とも参謀として高い評価を曹操よりうけていた。
 なお、その筍彧は、都に残り、留守を守っていた。

 それはともかく、曹操は孫権に直筆の書状を送った。

 今、劉備という魚を予は捕らえんものと船を出して漁をしている。公もいざ、船を出してこの漁を楽しもうではないか。

 このような文面の書状を。
 つまり内容としては、降伏勧告であった。
 無論、このような書状だけで降伏するなどと、曹操は甘く考えてはいない。
 いつの時代も、要求に答えられないのなら、別の手段で、と実力を見せておくものである。

 曹軍20万。号してこれを80万とし、孫権との国境一帯に展開した。

「なるべくなら、孫権は下ってくれたほうがよい」
「当然ですな。それに、我が軍にも不安がないわけではありませぬ」
「うむ。我が軍の兵数は、孫権のそれを上回ってはいるが、船戦は、ほとんど出来ぬ、といっても過言ではない」
「船は、荊州を降伏させたときに手に入れましたが」
「いかんせん、兵が水に慣れておらぬ」
「荊州の兵を投入できればよいのですが、降伏したばかりでこちらはなんとも」
「頼れぬものを頼っても仕方あるまい。それに、今頃孫権のもとでは降伏論が優勢なはずだ」

 曹操は、自信に満ちた表情で断言し、その底知れない光を湛えた瞳を南方へ向けていた。

 ―一方、その揚州―孫権の治める地では、曹操の予想通り、降伏論が優勢であった。
 この地方は、豪族の力が強く、孫権は主君というよりも、豪族をまとめる豪族、といった形であり、ゆえに調整役としての手腕が重要視されていた。
 曹操が寄り合い所帯と評したのも、このような実情を知ってのことである。

「曹軍は80万というのですぞ!誇張はいくらかあるにせよ、とても我が軍では相手になりませぬ!」

 長老格の張昭を始め、この意見が大多数であった。

 だが、当然開戦派も存在する。

 孫権自身、降伏に傾きかけてはいたが、開戦派の、今降伏するとあれば、二度と天下に志を遂げられぬ、という言葉にも心が動き、いかんともしがたかった。

 開戦派に、魯粛というものがある。彼が、
「江夏の劉備の元へ行ってみます」
 と、孫権へ告げた。

「劉備の兵力は弱小。しかも、曹操と戦うたびに負けているではないか」
「そこです。何度も戦ったことがある。そこが重要なのです。さすれば、曹操の得意とする戦術などを知っていましょう」
「しかし、敵を知っていようと、あれだけ弱小ではどうしようもないが」
「ですから、我が軍が背後にあり、とあれば、曹操もうかつに動けなくなるでしょう。荊州にいたときも、荊州で内紛のようなものが起きるまでは、彼に手をだそうなどと、考えていなかったわけですから」
「なるほど」

 かくして、魯粛は江夏へと長江を上った。

「我が君、魯粛殿がお見えになっております」

 番の兵がそう告げる。折も折、である。

「そうか、すぐ通してくれ」
「分かりました」
「軍師、やはり来たな」
「来ましたな」
「曹操軍の実情を探りに来たのだろう」
「それ以外にありませぬ」
「受け答え方に注文はあるかな?」
「では、曹軍に関しての情報は、知らないの一点張りにお願いいたします。後は私が話を付け、孫権の下へ行きますので」
「おぬしがいない間ちと不安だが・・・よかろう」
「では」

 間もなく、一室に魯粛を通した。
 型通りの儀礼を施した後、魯粛はさっそく本題へと入った。

「劉予州。お察ししているとは思いますが、今日こちらへ参ったのは他でもない。我が方にも曹操の圧力がかけられ、降伏か
 否か、で論争が起きております」
「それは承知しています」

 頷く劉備。その顔を魯粛はじっと見つめる。
 魯粛は、思わず瞬いた。目の前にいるのは人間のはずなのに、自分が見ているのは、龍の顔のように見えたからである。

(なるほど・・・これは、やはり只者ではない。一世の英雄、いや、偉大な凡人かもしれぬ)

 基本的には、凡庸な人物に見える。しかし、ふとした瞬間に、とても偉大な『何か』に見えるのだった。
 その偉大な『何か』に見えるときは、孫権を凌ぐ大器に見えた。

(漢の高祖も、このような人物だったのだろうか)

 今は最早末期とはいえ、400年続いている王朝を興した男。
 彼は、その伝説的英雄の姿が、どうにも目の前の男のような感じではなかったのではないか、と考えた。
 いまや伝説となった人物であるが、元はヤクザの親分だった、というところも共通している。

 しばしの間、ものも言わなかった魯粛を怪しみ、
「どうなされた?子敬殿?」
「あ、ああ。失礼いたした。実は、私は曹軍の実情を探るよう申し付けられてまいったのです。貴殿は曹軍と何度か刃を交え、いくらかはその実情を知っていましょう」
「ううむ、お恥ずかしい話、曹軍来るときけば、常に逃げ惑っていましたので」
「しかし、それにしても、おおまかな兵力、装備、中心となっている人材は分かりましょう」
「兵力については、やはり逃げるを上策としていたので分からず、人材も、多士済々ということくらいしか・・・」

 魯粛はこの受け答えを聞き、早くも心のうちで、諸葛亮の仕業だと確信はしたが、口には出さず
「劉予州。聞けば、近頃臥龍と称される諸葛先生を帷幕にお招きなされたとか」
「軍師なら少しは知っておるかもしれぬ。お呼びいたそう」

 その言葉に招き入れられた一高士。身の丈は八尺あまり、顔は白く、手には羽扇を持ち、歩けば一歩毎に風がそよぐようであった。
 彼こそ、諸葛亮、字を孔明。後の蜀丞相となるその人だった。

「お初にお目にかかる。子敬殿」

 そういって軽く会釈をする。

「あなたが諸葛先生ですか。はてさて、噂に違わぬ人品をおもちのようですな」
「私などは・・・それよりも私の兄が日ごろお世話になっているとのこと」
「私のほうがあなたの兄上のお世話になっておりますよ」

 これでは話が進まない、と思った劉備が口を開く。

「軍師、実は子敬殿が、曹軍の実情をお知りになりたいそうでな」
「なるほど」

 わざとらしく頷いてみせる諸葛亮。

「ご存知かとは思いますが、かつては私も江北にすんでいましたので、多少はお答えできるかと」
「ではまず、曹軍の兵力は」
「南下した兵は80万と唱えられていますが、実情はその半分もありますまい」
「しかし、それであったとしても、我が軍は、劉予州の軍とあわせても5万ほど。これはどうお考えですかな?」

 魯粛の問いに、微笑を保ったまま、口を開く諸葛亮。

「子敬殿。あなたは打ち破れるという確信があるはずです。私などに意見を求めずとも。また、周提督もおられるではありませぬか」
「貴方の考えは?」
「恐らく貴殿と同じです。そもそも曹軍80万といいますが、輸送力などの問題で、実数は20万ほどでしょう。それも、大半は水に不慣れな北方の兵。あなた方のように、水になれているわけではありません。恐らく、南下してきたとて、兵の体調不良に悩まされるでしょう。このような軍隊、さすがに戦などできますまい」
「なるほど。先生もそのように考えておりましたか」
「となると貴殿も」

 自分の予想通りの展開に、諸葛亮は、更に魯宿に視線で先を促す。

「ええ。いくら曹操といえど、このような状況では様子見が限度でしょう」
「しかし、時間をかければ相手も船戦の訓練をし、水に慣れてしまうでしょう。そうなってからでは遅い」
「そうです。破るとしたら今しかありません。どうです、先生。こちらへ来ていただき、我が主君の迷いを断ち切っていただけませんか」
「言うまでも無いこと。早速、船に同伴させていただきます」

 こうして、諸葛亮は、魯粛とともに長江を下った。
 やがて、この後起こる決戦は、伝説として後世に伝えられるようになる。