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「1番にこだわりすぎないように」(2009/08/18 (火) 23:32:42) の最新版変更点
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**「1位」「最高」「頂点」を目指すのは大切なこと。
**でも、必ずそうでなければいけないわけではない。
マラソンや徒競走などで「1位」に輝くのは素晴らしいことである。
さまざまな競技において、ある種目の頂点に立つことには大きな意義がある。
だが、少し考えてほしい。
「順位」を競っている場合、「1位」に立つことができるのは「1人」だけである。
……では、はたして、その「1人」以外の大勢の人たちには、何の意義も「ない」のだろうか?
***そんなはずがない。
優勝することにしか意義がなく、他の人には「やりがい」も「達成感」もないわけではない。
「頂点」を目指して競技に臨むが、結果がどのようなものであれ有意義であるはずだ。
「参加することに意義がある」
とはよく言ったものである。
一度、自分自身のことを振り返ってみよう。
幼い子供には「自分が一番でなければ気が済まない」というタイプが少なくない。
競技における順位もそうだが、ほかの場面でもあてはまる。
たとえば兄弟姉妹のいる子で、親の感心を「一番」引こうとする。
常に自分のことを「最優先」し、また「最優先されたがる」のである。
自分には他の人よりも価値があって、優れた存在である、と思い、
自分以外の人にもそれを認めてほしいと願うのだ。
認められない場合、ひどく困惑し、落胆したり暴れたりすることもある。
多かれ少なかれ、人間にはこのような傾向があるといってもいいだろう。
この傾向は、時としてよい結果を生み出すが、
通常は悪影響を及ぼしかねない。
いつでも「自分優先」「自己中心」なのは決して「悪い」と断言できるわけではないが、
自分以外の人間と何らかの形で交流を持つ場合は、
大きな支障となる可能性がとても高い。
さて、これと絵を描くことがどう関係しているのだろうか。
絵の「上手い下手」を問われる場面に直面したときに注意してほしいのである。
***「絵が一番上手くなければいけない」などと決め付けないようにしよう。
もし、そのような雰囲気になってしまったら、たった1人の絵しか評価されないことになり、
ほかの人は何もすることがなくなってしまう。
非常に険悪な雰囲気で、「居心地の悪い」空気が張り詰める。
>私は、このようなトラブルを未然に防ぐため、
>初めから「上手い下手」や「良し悪し」を問わない姿勢で臨んでいる。
>
>「とりあえず何か描いてほしい」
>「嫌なら描かなくてもいい」
>「この絵を適当にアレンジしてほしい」
>
>
>絵が上手いか下手かというよりも、絵の題材となっているものや、
>描くために払われた努力の痕跡や、
>作者の「個性」が現れている部分に注目し、
>絵だけでなく、絵を通じて、その人の理解を深めていきたいと考えている。
「自分が一番上手い」
などと思っていると、ろくなことにならないのだ。
自尊心は大切だが、「傲慢」「尊大」な態度は慎むべきである。
また「自分が一番上手い」と思っていると、「上達する機会」を失ってしまう。
結局だらだらとしてしまい、ろくなことにならない。
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