ただ趣味で絵を描いてみようと思うことと、
それを仕事として代価を得ることは何が違うのか。
それを仕事として代価を得ることは何が違うのか。
この点は、少しでも絵心があって画力にもそれなりの自信を持っている人ならば
いつかは考えるようになる事柄である。
いつかは考えるようになる事柄である。
しかし、その全員が仕事につけるわけでもなく、また全員が趣味の領域にとどまるわけでもない。
「道楽」と「仕事」。
この決定的な違いを分けているものは何なのだろうか。
仕事として絵を描き、代価を得るという工程には、
必ず「報酬を与える人また組織」が存在する。
必ず「報酬を与える人また組織」が存在する。
ここで注目してもらいたいのは、絵を描く側ではなく、それに対して報酬を与える側である。
報酬を与える側は、当然、その作品に「見合った」金額を決めている。
この金額が大きければ描き手の給料は多くなり、金額が小さければ給料は少なくなる。
作品のできばえを描き手が評価するのではないというところが重要である。
あなたが「これはいい作品だ。1000万円の価値がある」と判断するのではない。
その1/1000の価値もない、とみなされても仕方がないのである。
その1/1000の価値もない、とみなされても仕方がないのである。
誰かからある目的で「このような絵を描いてほしい」と依頼されたなら、
いかにその要求を満たす絵に仕上げるかが課題となるのだ。
いかにその要求を満たす絵に仕上げるかが課題となるのだ。
ここに、通常の絵を描くのとは別の、意識的な努力が求められているのである。
大昔の世界とは異なり、現代では、描き手が「自由気ままに」描いた絵で
売り上げを見込むことなど不可能なのである。
売り上げを見込むことなど不可能なのである。
それができたら、経済のバランスは崩壊してしまう。
逆にいうと、そのような絵を描いている人は「道楽」であるといえる。
それだけで不自由なく生活していける利益を上げることは困難であり、
たいていは別の職についているはずである。
たいていは別の職についているはずである。
しかし、ここではプロになることなど考えず、「道楽」を満喫してもらえるような、
プレッシャーの少ない、前向きな話をしていきたい。
プレッシャーの少ない、前向きな話をしていきたい。