aspirin用個人メモ


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もう休憩?

無駄な話ばかりで、ようやく本題に入ったと思ったのに、もう休憩ですか!?
はい。休憩です。

私が非効率的な独学で10年かけて習得した技術を、たったの数日で説明することは不可能です。
ここに貼られている絵(特に鉛筆の絵)は今から6年から10年ほど昔に描かれたもので、
ちょうど「高校生」の年齢に相当する時代です。
私は高校へ進学していないため、絵を描く時間は無駄に長かったようです。

それがWindows XPの発売とともにパソコンとインターネットの環境が手に入るようになり、
絵は一気にデジタル化!!!!!!!!と思われましたが、ほとんど進展しませんでした。

むしろ、絵を描く機会をほとんど失ってしまいました。

今までのように絵で表現しなくても、キーボードで文字を入力すれば十分だからです。
そのため、以前はほぼ一日中、絵を描いていたのに、まるっきり描かなくなってしまいました。

今日まで正直に計算すると、ほぼ 8年間のブランクがある といっても過言ではありません。
「ブランク」というとかっこよく聞こえるかもしれませんが、サボっていたのです。

初めて絵を描こうと思ったきっかけは「クレヨンしんちゃん」でした

クレヨンしんちゃんは1990年に連載が始まって、もう20年にもなる漫画です。
私の絵の歴史もほぼ同じ長さといえます(ブランクを含めるw)。

20年前というと6歳。小学1年生のころです。
当時の私は、クレヨンしんちゃんの内容を十分に理解することができませんでしたが、
その「丸みを帯びたフォルム」に惹かれ、突然、描いてみたいという衝動に駆られたのです。
午後8時ごろだったと思います。
私は親に「写し紙(トレーシングペーパー)はない!?」と尋ねると、倉庫から大量の紙を持ってきてくれました。
そしてそれを適当なページに重ねると、一心不乱に絵をなぞり始めました。
……なんとも奇妙なことをする子供と思われたことでしょう。

しかしすぐにトレーシングペーパーでは描きにくいと思うようになり、トレース作業はやめて、
どうやったら本物そっくりに描くことができるのだろうか………を考えるようになったのです。

私も初めは「模写」から始まったということですね。

そして…

そして…

家でも学校でも、描く紙さえあれば、ノートだろうが教科書だろうがチラシの裏だろうが、とにかく絵を描いていました。
今も残っている絵は1つもありませんが、膨大な量になっていたと思われます。
しかし小学生のころに描いたものが、今のような絵になることは決してありませんでした。

中学になると…

続く…


あすさん 2010/6/25 (Fri.) 02:31:16
よく目を凝らして、人物ではなく人物の周りの空間を見つめてみよう。

そして、周りの空間を描いてみよう。


このとき「画面の端」に注意する。


写真を見ながら描く場合、写真は長方形をしていることが多いから、それがそのまま「画面の端」に対応する。

その長方形の内側と、人物との境界線を描くのである。


そのようにして描かれたものは、人物の「影」を映し出した状態になっている。

人物の「周りの空間」を描くと、いとも簡単に「人物」を浮き上がらせることができるのである!
これが本当に重要
あすさん 2010/6/25 (Fri.) 02:35:37
人物は「複雑すぎる」ので上手く描くことが難しい。

しかし、「人物の周りの形」は簡単に描くことができる。


見る部分を変えるだけで、絵に対する意識が180度違ってくるだろう。

あすさん 2010/6/24 (Thurs.) 01:14:28
見れば見るほど、描けば描くほど、歪みがひどくなってしまう場合、いっそのこと対象を描くのをやめて、
対象の「周囲」、「余白」に注意を向けてみよう。

その、何もない空間を意識し、余白の部分を描いてみるのである。

余白を埋めていけば、いつの間にか対象の形が浮かび上がってくるのだ。
あすさん 2010/6/23 (Wed.) 01:38:42
棒や鉛筆を手に持ってかざしてみればよい。

「デスケル」と呼ばれる、透明なプラスチック板の表面に直交する線が何本か引かれ、方眼紙のように見える長方形を成し、透かしてみることによって、対象の比率を実際に描く用紙と照らし合わせられる道具がある。

ほかにも「はかり棒」というシンプルな道具もあり、ものさしのように目盛りの入った細長い棒の先に、自由に角度を変えられるピアノ線が取り付けられていて、対象にかざして長さの比率を読み取ったり、ピアノ線を合わせて角度を知るのに役立つ。

どちらも画材店などで500~1000円くらいで売られているから、ただ鉛筆をかざしてみるだけではサッパリわからないという人は、購入するといいかもしれない。
あすさん 2010/6/19 (Sat.) 01:26:10
自分の頭をわずかでも傾けていると、いつの間にか絵が傾いてしまい、勾配に矛盾が生じることがある。

絵を描くときの姿勢も大切なのだ。

あまり無理をせず、適度に休憩しながら続けるようにしよう。
あすさん 2010/6/18 (Fri.) 02:01:11
「簡略化」とも取れるし、逆に複雑に見えることもある。

どうしても「線」や「線画」を上手く描くことができない場合、
思い切って太いペン(ブラシ)を選び、「面」を塗りつぶすようにしていくといいかもしれない。

「形」がはっきりと見えて、認識できるようになるまでは、
シャープペンシルのような細い線よりも、濃い(太い)鉛筆を使ったほうがよい。

濃くて滑らかな鉛筆を使うと、細かい部分の描写がほとんどできなくなるので、
かえって「気が楽になる」作用をもたらし、上達が早くなる場合がある。
あすさん 2010/6/17 (Thurs.) 00:52:53
こんなふうに、人物の形を「切り抜く」ようなつもりで描いてみる。

鉛筆でなぞったり、線を引こうとしたりするイメージではなく、
カッターナイフやはさみを使って、人物の形を切り取っていくのである。

実際に、このように描いたほうが、そうでない手段で描くよりも、よりいっそう「絵描き」の感覚に近づくことができる。


線の変化を目で追いながら描くのは難しい。

ある1点に注目することはできても、そこから目と手を動かして線を描画するのは容易ではない。

いつまでも難しい描き方をしていると、許容されないほど大きな「歪み」が現れてしまい、自信喪失につながることにもなりかねない。


「切り抜き」で歪んでしまったとしても、許容の範囲内で収まることが多い。

つまり、このように描いたほうが、ずっと上手くなったような感覚を味わえるのだ。
あすさん 2010/6/28 (Mon.) 00:52:48
ようやく形を描くことができるようになっても、その質感を表現するために陰影をつけるとなると、まったく勝手が違ってくる。

簡単にするために、まず一様に塗りつぶしてみよう。

白紙のまま陰影をつけようとすると難しい。

いったん灰色になるように塗りつぶし、「より暗く」見える部分を濃く塗っていく。

そして、「より明るい」部分を消して、「白紙に戻す」ようなイメージで進めていく。


「紙そのものの色と、もっとも濃く塗りつぶした色」の範囲内で絵を描かなければならないため、最初に「中間色」で塗りつぶすのがよい。

最初から「もっとも濃い色」を塗ると、あとはもうそれより明るい色を使うしかなくなってしまう。

あえて中間の、灰色のような色を塗ることで、より暗くしたり、より明るくしたりできるのである。
あすさん 2010/7/10 (Sat.) 01:20:39
グリッドを利用できない場合、画面の端を意識するようにしよう。

あたかも対象が「枠の中」にぴったり納まっているかのように見るのである。

水平と垂直は不変であるため、信頼できるガイドラインとして利用することができるのだ。


このような観察の仕方を学んでいくにつれて、「描くこと」より「見ること」のほうがどれほど重要であるかを理解できるようになるだろう。
Re:画面(用紙)の端をガイドとする
あすさん 2010/7/10 (Sat.) 01:29:59
「歪んだ絵など見るに耐えられない」と思う人は、デッサンの練習を積むべきである。

「歪んでいても気にしない」
「いざとなればトレースする(手本を上からなぞる)からいい」
という人は、デッサンを無理に学ぶ必要はない。

目的や動機といった意識をしっかりと持っていなければ上達しないからだ。
あすさん 2010/7/11 (Sun.) 00:59:57
いったん描いた線を消していく。

作った形を削っていくようなイメージである。
削りすぎたら、また付け加えればよい。
Re:少しずつ修正
あすさん 2010/7/11 (Sun.) 01:09:26
完璧に描くことを過剰に意識する必要はない。
自分にできる範囲で意識すればよい。

なぜなら

絵を見る人の目が、多少の狂いや歪みを自動的に「補正」してしまうからだ。


よほど大きな狂いがあったり、見る人の目が訓練されていたりしない限り、ごく自然に見えるのである。
あすさん 2010/7/14 (Wed.) 00:36:59
デッサンの観点からすると、何を描く場合でも難易度は変わらない。
しかし実際に描いてみると、「やっぱり顔よりも体のほうが難しい」と思うことが多い。

なぜだろうか?

デッサンの能力が十分に身についていない人が人体を描く場合、 「人体に関する自分の知識」が妨害的に作用してしまう からである。

わかりやすく説明すると、
「腕の長さはこのくらい、足の長さはこのくらい、背の高さはこのくらい…」というように、「人体」の様相に対して“自分が知っている情報”を描き出してしまう、ということだ。

つまり、実際には「見ているものを描いてはいない」。
自分で「こうだろう」と思っているものを無意識のうちに描いているのである。

「見ているものを信じて描く」ことが大切なのであって、
「信じているものを描く」のではない。


…そう。だから何度も述べているように、描くことよりも見ることのほうが重要なのである。
あすさん 2010/7/15 (Thurs.) 00:57:37
下書きを過信しすぎると歪む。
下書きが間違っていれば、清書をしてもやはり間違っていることになる。

下地の線がなまじ見えるせいで、かえって修正が困難になってはいないだろうか?

もう一度、「周りの形」を注意深く見てみよう。

下地という「既存の枠」に注意を払いすぎると、どうしてもその「内側」での作業に気を取られがちになり、歪みが悪化する場合がある。
Re:まだ修正できる段階
あすさん 2010/7/15 (Thurs.) 11:20:33
こういうことがあるから、トレースで「練習」をしようとするのはほとんど不可能だ。
トレースで実力を身につけることはできない。

大切なのは、「自分の目で見て」「自分の手で描く」ことである。
あすさん 2010/7/29 (Thurs.) 00:18:11
明部と暗部を意識して観察する。
このときも形の違和感があれば、適宜修正するようにする。
Re:大ざっぱな陰影
あすさん 2010/7/29 (Thurs.) 00:29:40
細部を見るよりも、全体を完成させることを意識してみよう。

その後、「修正する」過程をたどることによって、よりいっそう慎重な観察力が発揮されるはずだ。

「あえて迂回する」のは、こういった理由があるからである。
あすさん 2010/7/30 (Fri.) 01:20:15
濃淡を利用するのもいいが、「クロスハッチング」という技法を使うのもいい。

素早く平行線を引き、その平行線の角度、密度、重なりの違いによって陰影を表現することができる。

これはある程度の練習が必要と思われる。

ここで初めて、「見る」能力以外に、手を動かすちょっとした技術が必要となるのである。
Re:陰影の表現にだけ、ちょっとした技術が必要かもしれない
あすさん 2010/7/30 (Fri.) 02:17:37
もちろん、この技術をマスターしたところで絵が劇的に上達するわけではない。
線を引くことを覚えたり、手の動かし方を身につけたりすることが目的なのではない。

何度も言うように、本当に必要なのは「対象を観察すること」である。
デッサンについて的確に学ぶことが可能であれば、「ぜんぜん絵を描けない人」が「なぜ描けないのか」を理解でき、自信を持って練習に臨めるようになると思う。

絵画技法の多くは、観察の「結果」を紙に表現するための手段に過ぎない。
絵の具を使って着色したり、フォトショップで色を塗ったりするのもいずれ必要になるかもしれないが、その前にデッサンを少しでも学んでおくべきである。


十分な観察をできなければ、想像だけで色を塗ることは困難になるだろう。
ただ機械的に、「この部分はこの色、あそこは違う色」というように、指定された色を塗っていくだけでその本質を知ろうとしないのなら、いつまでたっても上達しない。


「絵を描くのも『勉強』だ」と考え、ある程度の緊張感は持つようにしよう。

本を買って読むだけで上達することなどありえない。
実際に自分の目で見て、自分の手で描いてみることが必要である。



こうしてある程度「デッサン」ができるようになれば、自分の好みのキャラクターを思い通りに描くことも容易になる。
あすさん 2010/8/3 (Tue.) 00:29:26
画面の端のみを頼りにすると難しい。
右と左、上と下でバランスが悪くなっていく。

1つの絵を描くのに下絵を何度も描いてよい。
「一発で描く」ことにこだわりを持っていると上手くいかない。

1つの下絵を一生懸命に直すことも必要だが、あきらめて最初から描き直すことも大切なのだ。


とにかく、懲りたり飽きたりせずに、たくさん描いてみること。
あすさん 2010/8/8 (Sun.) 00:00:17
何度も失敗を繰り返しているうちにわかってきたことがある。

おそらく、これがデッサンを学ぶうえでもっとも難しい課題である。


「ちゃんと見ているのに歪んでしまう」のは、
「見ているつもり」で「実際には見ていない」 からである。

もう一つは、

どんなに正しく見ていても、描いている最中に頭を動かしたり、傾けたり、自分の立つ(座る)位置を変えたり、対象を移動させたりすると、「見え方が変わってしまう」からである。


カメラで写真を撮る場合を考えてほしい。

まったく同じ構図の写真を撮るにはどうすればいいのだろうか?

「同じ場所で、同じ高さで、同じ角度で、同じ方向にカメラを向けて撮る」。

少しでも違っていれば同じ写真撮れないし、比べてみると歪んでいるように見えてしまうだろう。


絵を描くときも同じなのである。


描いている最中に頭を動かすというのは、せっかく固定されているカメラを動かしてシャッターを切ることと同じなのだ。


頭を動かしたり、視点を移動させたりするたびに「見え方が変化する」のだから、歪みがどんどんひどくなっていくのである。
Re:平面の絵だけで練習するときの落とし穴
あすさん 2010/8/8 (Sun.) 00:53:21
二次元の平面を見て描いた経験しかない人が「デッサンが狂っている」と指摘されても、恥ずかしがる必要はない。

そのような人にデッサン力が不足しているのは、少しも不思議なことではないからだ。

三次元の立体を見て描くことによって、初めて正式な「見方」を習得できるのだから、それを学んでいない段階でデッサン力のないことを気にする必要はまったくない。


独学ゆえ間違いもあるかもしれないが、自分で気づく点については、人から教えられたことよりも実用的なものになるはずだ。
あすさん 2010/8/9 (Mon.) 23:44:25
ただ「黒で塗りつぶしただけ」の絵から描いてみる。

普通、白紙に黒で描くのが順当だが、その逆でもまったくかまわない。

黒く塗りつぶした部分を影とみなし、白で「消す」ことで明部を表現するのである。
Re:線によらない明暗だけの表現
あすさん 2010/8/10 (Tue.) 03:02:34
ただ他人の作品を見たり、制作工程を観賞したりするだけでは意味がない。
人の絵を見て感動を覚えたとしても、それだけで自分の画力が向上することはないからだ。

自分の手で実際に絵を描いてみることが大切だ。



自分で描くことをせずに満足したり、他人を批判したりするのは妙な話 である。

とにかく自分で描いてみる習慣を身につけよう。
100回感動しても、1回しか描かないのであれば上達は難しい。
あすさん 2010/8/13 (Fri.) 01:30:26
斜めの人物を見て描くとき、無意識のうちに自分も同じ角度に傾いてしまうものである。

しかし決して傾いてはならない。

「見たまま描く」ことが大切である。
頭を傾けて描いたなら、それはもはや「見たまま」ではなく、アレンジが加えられてしまっている。


「斜めの人物なんて描きにくい!」と思うのは、「見ているものを信じていない」からである。


自分も同じように斜めになって描くということは、「見慣れた」「なじみのある」もの、つまり、「自分の記憶にあるもの」を懸命に再現しようとしているのである。

だから、
「見ているものを実際には見ずに、自分で『こうだろう』と思っているもの」
を描いてしまっているのだ。
Re:頭を傾けるとまともに描くことはできない
あすさん 2010/8/13 (Fri.) 01:39:48
デッサンには適切ではない「自分の記憶にあるもの」を思い出すことと、「それでも懸命に目の前にあるものを見よう」と思うことが衝突すると、
この絵のように、何度も線を引いては直し、引いては直し……という作業を繰り返さざるを得なくなる。


「こういう角度ではこんなふうに見えるのではないだろうか」と考えることは別に不思議ではない。

しかしデッサンでは、そのような考えを捨てなければならない。

描くために必要な情報は、あなたの記憶ではなく、目の前にあるのだ。

描くために必要な情報は、あなたの記憶ではなく、目の前にあるのだ。


大事なことなので2回言いました。

記憶を頼りにするのではない。
''目の前にあるものを見て描くのである。 ''

Re:頭を傾けるとまともに描くことはできない
あすさん 2010/8/13 (Fri.) 02:01:47
一度やり方を覚えてしまえば、ずっと絵を描き続けることができる。

よほどのことがない限り、絵を描くスキルは健在で、生涯の娯楽・仕事となる可能性が高い。

ただ、そのスキルを習得するまでの過程が問題なのだ。



絵を描ける人にとっては、「なぜ自分は描くことができるのか」を説明することが難しく、
絵を描けない人にとっては、「なぜ自分は描くことができないのか」という理由を説明することが難しい。

もし簡単に説明できるのなら、誰でも描けるようになるはずである。

しかし現実はそうではない。

ある人は描けるのに、ある人はずっと描けないままである。

これをいかに合理的に説明できるか、が課題である。
あすさん 2010/8/13 (Fri.) 23:05:57
これがデスケルの効果である。

直交する線が何本かあるだけで、驚くほど観察しやすくなる。

平行の線に対してどんな角度か、垂直の線に対してどんな角度か、注意深く観察することができる。


「16個のマス目」があるとみなせば、それぞれのマスの中身を埋めていく気持ちで観察すればよいため、頭を傾ける失敗を防ぐこともできる。


「見ているものを信じて描く」ための工夫であるから、「自転車の補助輪をつけて練習する」のと同じ感覚で、自力で描けるようになるまで頼りにしてもよいだろう。
Re:たったこれだけのことで難易度が下がる
あすさん 2010/8/14 (Sat.) 00:11:15
たとえこの工夫によって絵を描けるようになったとしても、まだ大きな課題が残っている。

おそらく99%の人が不満を感じ、
「こういう絵を描きたいのではない」
「結局、何かを見ながらでなければ描けないではないか」
「何も見ずに描けるようになりたい」
「自分のキャラクターを描けるようになりたい」
と思うはずである。

だから

デッサンを描くことや、デッサンの練習をすることや、デッサンに力を入れることや、デッサンを重視するのは「おかしい」、「意味がない」と感じ、 初めから無視される傾向がある のである。

Re:たったこれだけのことで難易度が下がる
あすさん 2010/8/14 (Sat.) 00:24:16
だが、ちょっと待ってほしい。
(何度も待たせたり、後戻りさせたりして申し訳ない)


もともとデッサンは「描くことを目的としているものではない」。

デッサンを通じて「ものの見方を習得すること」が本当の目的である。



だから本当はものすごく大きな意味があり、非常に重要なことなのだ。


「見ることがどうでもいい」と思うのなら、目隠しをして絵を描いてみよう。
あるいは絵の上手い人に「手元を見ずに描いてほしい」と頼んでみよう。

もし、 何も見ずに描けるのなら、デッサンの必要性は「ゼロ」 である。


はたして、結果は……


「描けるわけないだろう!」と、描く前からわかるはずである。
「対象を見なくてもいいが、手元を見ることは必要だ!」と思うだろう。

手元を見なければ描けないのは、いずれにせよ「見る必要がある」ということである。

もし機械のように「手で描く」ことができるのなら、何も見なくても描けるはずである。

実際には見なければ描けないことから、
「手ではなく、目で描いている」ということができる。

Re:たったこれだけのことで難易度が下がる
あすさん 2010/8/14 (Sat.) 00:30:54
好きなキャラクターを「模写」した経験のある人もいるだろう。

この 「模写」という行為さえ、手本となるキャラクターを「よく見て描く」必要がある。

ただ見本が置いてあるだけで、実際にはそれを「見ずに」描くのであれば、そもそも模写をしていることにならない。


それで「模写が思い通りにいかない」という人は、「ものの見方が上手くできていない」、
つまり
デッサンが上手くできていないのと同じ ことなのである。
あすさん 2010/8/15 (Sun.) 00:41:03
当たり前のようだが、「見えていない部分は描けない」。

最大にして最悪の欠点といえよう。

写真を見て描くだけでは、すぐに限界が来てしまうのである……


Re:この方法の欠点
あすさん 2010/8/15 (Sun.) 00:52:08
いくらマンガのプロでも「コマの枠をフリーハンドで書くはずがない」ということは誰でも理解できるだろう。

「コマの枠を手で書けるように努力する漫画家」もいないと思う。

なぜなら、定規を使えば済むからである。


利用できる道具があるのに利用しないのは、自分が損をするだけだ。


利用できる技術や道具は、何でも利用してみるといいだろう。

Re:この方法の欠点
あすさん 2010/8/15 (Sun.) 02:18:26
「描きやすいもの」だけを描いていてはすぐに限界が来てしまうので、「目を背けたくなるようなもの」にも挑戦しなければならない。
これは意識する必要がある。


失敗を恐れてはいけない。

苦手なものを描くのだから、失敗するのは「当たり前」だからだ。


10回失敗しても11回目がある。
100回失敗したって101回目に成功すればいいではないか。
そうすれば100回の失敗は無駄にはならない。


「失敗を恐れるな」と言われることに無理を感じるだろうか?

そんな人にこそ、基礎からゆっくりと学んでいってほしい。

最初はコピー用紙でもノートでも用意して、用紙に対角線を引いてみるとよい。
曲がってもかまわないし、曲がらないことのほうがおかしいので、気を楽にしよう。

対角線の交わったところが用紙の中心である。
これも本当の中心でなくてもかまわない。
フリーハンドで行うのだから、ずれているのが当たり前だからである。

今度は中心から垂直な線と水平な線を引いてみよう。
もちろん曲がっていてもかまわない。
この垂直と水平な線によって、用紙を4等分することができた。

その4つの四角形にも同じように対角線を引き、交点から垂直・水平な線を引けば、ちょうどこのデスケルもどきのようになる。

この時点では何か絵を描く必要はない。
ただ「白紙」に自分の手で線を引き、「やり方」にしたがって理論的な方法で分割するだけでよい。



何度か繰り返すうちに、絵を描くことへの抵抗や不安、「失敗を恐れる気持ち」は薄らいでいくはずである。
あすさん 2010/8/16 (Mon.) 01:19:55
全体のバランスのほうが大切である。

「失敗したな」と思うところは自分の苦手な部分である。


苦手な部分は、他の部分に比べて適当だったり、逆に懸命に観察しようとそこだけ細かく描いたりするものである。

そのため、絵の全体を見ても、その部分だけが 妙に目立っている ことが多い。


全体を調和させることは意識しても難しいが、意識しないのはもっと難しいのである。


どの部分が難しいか、というよりも、全体を調和させることに注意を向けてみよう。

細かい部分よりも、全体的におかしい場合がほとんどである。
Re:細かい部分よりは…
あすさん 2010/8/16 (Mon.) 01:33:04
どんなに正確に描いても、その位置や大きさが間違っていたら台無しである。

たとえば、手を上手く描いても、腕の長さや位置が間違っている絵や、
顔を上手く描いても、体に対する大きさが狂っているような絵である。


そうならないためにも、細部を描き込むよりも、全体のバランスを意識することのほうが重要なのだ。



デッサンが上達すればするほど、適当に描いたような絵(適当といっても真面目な絵)や、短時間で仕上げるラフスケッチ、クロッキーなどの能力も高くなっていく。



とにかく自分の目と手を信じて、よく観察することには意味があるのだと言い聞かせて、自信を持って描いていけばよい。

Re:細かい部分よりは…
あすさん 2010/8/16 (Mon.) 02:22:12
たとえプロから教えられても、
どれほど優秀な解説本を読んでも、
自分で実際に描いてみないことには始まらない。

絵の学校に入って授業を聞いているだけでいいとか、
絵の本を買い込んだから読むだけでいいと思っているのなら、それに費やしたお金と時間は 無駄 になるだろう。


自分の態度と練習の質と量こそが肝心なのに、「学校の教え方が悪い」とか「本が間違っている」などと 言いがかりをつける人は少なくない ようである。


「自分で描いてみよう」と思いもしない人は、どんな学校や本に出会っても決して上達することはない。
あすさん 2010/8/22 (Sun.) 01:10:22
静物画を順調にデッサンすることができても、女性の顔はまともに描けない場合がある。

「見たまま描いているのにどうして!?」という疑問が残ったまま挫折するか、前へ進めなくなってしまうこともある。

髪の毛は描けるし、描くのが楽しいと思えるけど、顔はぜんぜんだめだというケースが少なくないようである。


それはモデルが悪いわけでは決してない。
絵師の観察眼が節穴というわけでもない。
「描きすぎ」が原因なのである。

たとえば目の周囲や、鼻から口にかけての「しわ」が「見えた」としよう。
しかし、それをそのまま描くと見るに耐えられない顔になってしまう。


……つまり、描く必要はないのである。


ためしにしわを消してみるとよい。


「見えるのに描いてはいけないの? 見えるものはきちんと描くべきなのでは?」
と思うのならしわを描き入れてみよう。
Re:女性の顔のほうが難しい…?
あすさん 2010/8/22 (Sun.) 01:44:02
なぜ描けば描くほど悲惨な絵になってしまうのか?

これについては、観察の仕方や、描き方では説明することができない。

人間の「視覚」というものを知る必要がある。

人間の「目」はカメラと違い、入ってきた光(映像)をそのまま認識してはいない。
視覚が生じる過程には「推論的」な要素があるため、対象の置かれた状況によって変動してしまうからである。

真っ黒の背景に置かれた灰色の物体と、灰色の背景に置かれた灰色の物体は、同じ色なのに違って見える。
真っ黒の背景に置かれたもののほうが、明るい色に見える。

このように、知覚される「色」が周囲の色(明るさ)によって変わる──推論的な知性が働いているため──のである。


「目の錯覚」と称する「同じ大きさなのに違って見える図形」や、「平行な線なのに歪んで見える図形」を見たことがあると思う。
これらの図形は、見れば見るほど不思議に思うようになる。

しかも「本当に同じ大きさ」「本当に平行な線」だと 「理解した」あとでも、やはり違っているように見えてしまう という特徴がある。
カメラがとらえた図形をコンピュータが解析すれば、このような「錯覚」は決して起こらない。
人間の目が特別で、カメラやコンピュータにはない仕組みが「視覚」にはあるからだ。


錯覚の図形には、「本来ないはずの形が見える」というものもある。
色のついた「くさび」がいくつか向き合った形で並んでいると、その隙間を埋めるかのように、本来そこには描かれていない図形が見える。

これと同じことが絵でも起こるのである。

「描いていないしわが見える」。

しわの線を引かなくても、しわの起点と終点を示唆するように描くだけで、まるでそこにしわがあるかのように見えるのである。

このとき絵を見る人は、「女性はしわが浮き出るのを嫌うはずだ」とか「できれば隠そうとするだろう」というような「推論」を無意識のうちに働かせる。

すると、「実際にしわの描かれた絵」を見ると、その推論がいわば「外れた」ことになるので、違和感を覚えるというわけである。

しわを描いていなくても、絵を見る人の「目」がそれを補うような形で「見える」ようになるため、違和感がなくなるのだ。



事実、女性の化粧というのは、この錯覚を上手く利用している。

ひたすらしわを隠そうとすると、逆にその部分が周囲に比べて目立つようになってしまうため、逆効果になる。

ちょうど、「しわが見えたのだから描き込む」のと逆である。
逆もまた目立つということである。

化粧によって顔の形状そのものを変えることは不可能であるから、あくまで視覚的に、陰影を上手く制御するのである。

たとえば「本来、影になる部分の色を明るくする」とか「あえて影(暗部)を作り、周囲から際立たせる」ことなどが可能である。
あすさん 2010/8/23 (Mon.) 02:12:57
大ざっぱに全体の形をとらえてみる。

「まだ描いたことのない形」を描くには、まず簡単なスケッチから始めるとよい。

簡単なスケッチを何度も繰り返し描くことによって、全体の形をより素早く把握できるようになる。
Re:いわゆるラフスケッチ
あすさん 2010/8/23 (Mon.) 02:24:22
屋外などでデスケルを用意できないときや、動く動物を描くためにマス目を参考にする時間的余裕さえないことがある。

そういう場合でもスケッチできるようにするためには、この絵の1/10ほどの時間で描く練習を積むとよい。

30分も要していては間に合わないのである。

素早く描くことを「ラフスケッチ」や「クロッキー」などと呼ぶが、どのように呼ぶかで悩むよりは、その時間を利用して描いたほうがよい。
Re:時間をかけたなら
あすさん 2010/8/24 (Tue.) 02:36:34
写真の人物を見て描くことのほうが、石膏像よりも難しい。


「デッサンといえば石膏像」といわれるように、石膏像は基本的に陰影しかなく、精巧に作られているものでも目の瞳や反射光はないし、髪の毛や衣服(装飾品)の表現も単純であるため、練習には最適なものと考えられる。

しかし写真の場合はそうはいかない。
陰影だけでなく色の違いも観察しなければならないし、目や髪や衣服もはるかに複雑になっているからだ。


石膏は「3次元」だから余計に難しいのではないかと思われるかもしれないが。実は写真や絵画を見て描くことのほうがはるかに難しい。
Re:(¬¬)
あすさん 2010/8/25 (Wed.) 01:08:14

視力が悪くても、悪いなりに見て描くことは可能である。


が…

できればよい視力を保っておきたいところだ。


目がよく見えないのは大きなハンディキャップとなるし、体の負担も増え、絵を描く以外の分野でも不利になることがほとんどである。

オンラインゲームや携帯ゲームで目を酷使し視力を低下させてしまうのは、ものすごく残念なことである。

目が疲れるほどゲームをしても、実際に描く練習をしない限り、画力は決して上達しないのだ。

ゲームで遊ぶ行為は、絵を描いてみようという「動機づけ」になるだけなのである。

あすさん 2010/8/26 (Thurs.) 02:18:28
さあ、やってみよう!

実際にやってみると、3分は非常に短いことがわかるだろう。

もちろん完璧に仕上げることなどできないし、それが目的ではないので、思い通りにならなくても心配する必要はない。


30分間、継続して絵を描ける人は、絵の素質が十分にあるといってもいい。

30分間も集中して絵を描けるのなら、3分間で絵を描くこともできるはずだからである。
Re:3分間で描いてみる
あすさん 2010/8/26 (Thurs.) 03:21:02
初めのうちは、形を上手く描き出すための線を多用し、どの線を信用すればよいのかわからなくなるほど重なってしまうことが多い。

この問題については、できるだけ絵を大きな紙に大きく描くことによって軽減できる。

絵が小さければ小さいほど難しくなってしまう。

A4以上のコピー用紙や、リングでとじられている大きなスケッチブックを利用するのが便利である。

用紙の下敷きも注意して選ぶべきである。
表面が凸凹していたり、傷や歪みのあるものは使えない。

コピー用紙に描く場合は、そのサイズに合ったクリップボードや、もっと大き目の画板、ベニヤやプラスチック製の製図板に載せて固定するとよい。

普通の大学ノートは、ページをしっかり開いても中央部分がわずかに膨らんでしまい、常に押さえていなければならなくなるため、練習には不向きである。


そして、シャーペンではなくできるだけ鉛筆を使うのがよい。
シャーペンは鉛筆より細い線を容易に引くことができる半面、細かい作業に気をとられがちになって全体のバランスを損なわせやすいものである。

安価な筆記用ではなく、絵画・製図用で、4Bくらいの軟らかい鉛筆を使うのが一番よい。


つまりどういうことかというと、 マウスやペンタブを利用しての「デジタル描画」は練習には適さない ということである。
Re:さらによく観察してみる
あすさん 2010/8/27 (Fri.) 00:29:28
簡単なスケッチも入念に描かれるデッサンも、初心者にとってはどこが間違っているのかや、どこを直せば改善されるのかというのを「自分で気づくこと」は難しい。

これが独学の最大の難しさなのだ。

だからこそ、ある程度まともに描くことができる人に見てもらい、修正すべき部分を教授してもらうのには大きな価値があるのである。


この絵の大きな間違いはどこにあるのかというと、脚部である。
大腿の太さ、長さ、角度が無視できないくらい間違っている。

パッと見ただけで気がつけるようになるまでには、地道な練習が必要なのである。
Re:じわじわと修正されていく
あすさん 2010/8/28 (Sat.) 00:32:55
自分で「こんなふうだろうと思っているもの」ではなく、
「実際に見ているもの」をそのまま描き写すことが大切である。


「早く自分の好きなものを思い通りに描けるようになりたい!」
と思い、
「見たものを描くなんて退屈」と感じてしまうかもしれないが、
どんなものを描く場合であっても「観察力」がまず必要であり、何も見ずに手を動かすだけで描けるわけではないので、避けて通ることは不可能なのだ。

Re:じわじわと修正されていく
あすさん 2010/8/28 (Sat.) 00:42:23
ものの見方さえ習得すれば、どんなものでも描けるようになる。

具体的にいうと、観察の仕方がわかれば苦手意識がなくなるので、何度か簡単に描くだけ(ラフスケッチ)ですぐに 慣れることができる ようになる。

Re:じわじわと修正されていく
あすさん 2010/8/28 (Sat.) 00:50:25
自分の「名前」は手元をほとんど見なくてもフルネームで書けるだろう。

絵も、名前と同じような感覚で描くことができるものもある。

そのような絵は、いわば「サイン」である。


サインのように繰り返し描く絵と、よく観察してから描く絵には、大きな違いがある。

最初から自信を持ってサインを──自分の名前を漢字で──書けた人はいないだろう。
大きさが狂っていたり、そもそも漢字を誤って書いたりと、何度も失敗を繰り返したはずである。


実は絵も、これと同じことがいえるのである。

ただ手を動かしているだけでは「名前」を書くことはできない。
漢字を思い浮かべるか、実際に見ながら手を動かしていたはずである。
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