1番にこだわりすぎないように


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「1位」「最高」「頂点」を目指すのは大切なこと。

でも、必ずそうでなければいけないわけではない。


マラソンや徒競走などで「1位」に輝くのは素晴らしいことである。

さまざまな競技において、ある種目の頂点に立つことには大きな意義がある。

だが、少し考えてほしい。

「順位」を競っている場合、「1位」に立つことができるのは「1人」だけである。

……では、はたして、その「1人」以外の大勢の人たちには、何の意義も「ない」のだろうか?



そんなはずがない。




優勝することにしか意義がなく、他の人には「やりがい」も「達成感」もないわけではない。

「頂点」を目指して競技に臨むが、結果がどのようなものであれ有意義であるはずだ。


「参加することに意義がある」

とはよく言ったものである。



一度、自分自身のことを振り返ってみよう。

幼い子供には「自分が一番でなければ気が済まない」というタイプが少なくない。

競技における順位もそうだが、ほかの場面でもあてはまる。

たとえば兄弟姉妹のいる子で、親の感心を「一番」引こうとする。

常に自分のことを「最優先」し、また「最優先されたがる」のである。


自分には他の人よりも価値があって、優れた存在である、と思い、
自分以外の人にもそれを認めてほしいと願うのだ。

認められない場合、ひどく困惑し、落胆したり暴れたりすることもある。

多かれ少なかれ、人間にはこのような傾向があるといってもいいだろう。


この傾向は、時としてよい結果を生み出すが、
通常は悪影響を及ぼしかねない。


いつでも「自分優先」「自己中心」なのは決して「悪い」と断言できるわけではないが、
自分以外の人間と何らかの形で交流を持つ場合は、
大きな支障となる可能性がとても高い。



さて、これと絵を描くことがどう関係しているのだろうか。

絵の「上手い下手」を問われる場面に直面したときに注意してほしいのである。

「絵が一番上手くなければいけない」などと決め付けないようにしよう。


もし、そのような雰囲気になってしまったら、たった1人の絵しか評価されないことになり、
ほかの人は何もすることがなくなってしまう。

非常に険悪な雰囲気で、「居心地の悪い」空気が張り詰める。


私は、このようなトラブルを未然に防ぐため、
初めから「上手い下手」や「良し悪し」を問わない姿勢で臨んでいる。

「とりあえず何か描いてほしい」
「嫌なら描かなくてもいい」
「この絵を適当にアレンジしてほしい」


絵が上手いか下手かというよりも、絵の題材となっているものや、
描くために払われた努力の痕跡や、
作者の「個性」が現れている部分に注目し、
絵だけでなく、絵を通じて、その人の理解を深めていきたいと考えている。



「自分が一番上手い」

などと思っていると、ろくなことにならないのだ。

自尊心は大切だが、「傲慢」「尊大」な態度は慎むべきである。


また「自分が一番上手い」と思っていると、「上達する機会」を失ってしまう。

結局だらだらとしてしまい、ろくなことにならない。





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