「既出」はいけないのか


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まったく問題はない。

もし「既出」を完全にタブー視するのならば、人間は生きていけなくなる。



人間というのは「有限」の存在である。

「無」から何かを作り出すことは誰にもできないため、
人間の業は、すべて既存の事象の応用なのである。


100%、完全な「オリジナル」など存在しない

ということは以前にも説明した。

人の姿を絵に描くのなら、それは
「すでに形を成した状態の人間」の「複製」や「模写」をしているにすぎないからだ。


また、ある人がある事象について「知っている」としても、
別の人は「知らない」場合がある。

自分が「知っている」立場の人間だからといって、
誰かが同じことを話しているところに向かって
「それは既出」
と言うのは、愚かな行為である。

その人自身が状況をまったく「知らない」でいるではないか。


絵についても同じことがいえるのだ。


どんなに自分で「オリジナルな絵」を主張しても、
見る人が見れば、「何かに似ている」部分がたくさんある。

ところが「似ていてはいけない」というルールや規則などは一切ない。

そんなものに縛られていては、何も描くことができなくなる。

楽しさ、やりがい、面白み、
他者との交流、
まったく話にならないものになってしまう。


「既出」ということは、それだけその概念が何度も何度も、
繰り返し繰り返し現れているのであるから、
タブー視するなど論外であり、素直に受け入れるようにすべきである。


どんなに想像力豊かな人間でも、「常に新規なことを行う」のは不可能である。


むしろ、彼らの発想のほとんどは、「既出の事象の応用」だということを
理解するようにしたい。


もし、そこに感動や喜びをまったく見出せないのであれば、
その人は本当の意味で「不相応」であり、絵を描くことに向いていないといえる。





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