マビノギ限定ギルド@Wiki
「既出」はいけないのか
最終更新:
mabinogi-gentei
-
view
まったく問題はない。
もし「既出」を完全にタブー視するのならば、人間は生きていけなくなる。
人間というのは「有限」の存在である。
「無」から何かを作り出すことは誰にもできないため、
人間の業は、すべて既存の事象の応用なのである。
人間の業は、すべて既存の事象の応用なのである。
100%、完全な「オリジナル」など存在しない
ということは以前にも説明した。
人の姿を絵に描くのなら、それは
「すでに形を成した状態の人間」の「複製」や「模写」をしているにすぎないからだ。
「すでに形を成した状態の人間」の「複製」や「模写」をしているにすぎないからだ。
また、ある人がある事象について「知っている」としても、
別の人は「知らない」場合がある。
別の人は「知らない」場合がある。
自分が「知っている」立場の人間だからといって、
誰かが同じことを話しているところに向かって
「それは既出」
と言うのは、愚かな行為である。
誰かが同じことを話しているところに向かって
「それは既出」
と言うのは、愚かな行為である。
その人自身が状況をまったく「知らない」でいるではないか。
絵についても同じことがいえるのだ。
どんなに自分で「オリジナルな絵」を主張しても、
見る人が見れば、「何かに似ている」部分がたくさんある。
見る人が見れば、「何かに似ている」部分がたくさんある。
ところが「似ていてはいけない」というルールや規則などは一切ない。
そんなものに縛られていては、何も描くことができなくなる。
楽しさ、やりがい、面白み、
他者との交流、
まったく話にならないものになってしまう。
他者との交流、
まったく話にならないものになってしまう。
「既出」ということは、それだけその概念が何度も何度も、
繰り返し繰り返し現れているのであるから、
タブー視するなど論外であり、素直に受け入れるようにすべきである。
繰り返し繰り返し現れているのであるから、
タブー視するなど論外であり、素直に受け入れるようにすべきである。
どんなに想像力豊かな人間でも、「常に新規なことを行う」のは不可能である。
むしろ、彼らの発想のほとんどは、「既出の事象の応用」だということを
理解するようにしたい。
理解するようにしたい。
もし、そこに感動や喜びをまったく見出せないのであれば、
その人は本当の意味で「不相応」であり、絵を描くことに向いていないといえる。
その人は本当の意味で「不相応」であり、絵を描くことに向いていないといえる。