好きだった


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 子どものころから手先を動かすのが好きだった。ラジオを分解しては組み立てる。父が働く三鷹の東京天文台(現国立天文台)に出入りし、不用部品をもらって遊ぶ。17歳で父の同僚になり、独学で天体望遠鏡の作り方を身につけた。望遠鏡の製造会社などを経て35歳で独立した。
 驚くべき製品が次々に生み出された。1ナノメートル(ナノは10億分の1)の精度で微細な凹凸を計測できる99年発売の非接触三次元測定装置もその一つ。集積回路の製造に欠かせない。従来品の2~3マイクロメートル(1マイクロメートルは1000分の1ミリ)と比べけた外れに高い精度。「産業スパイが工場の周りに集まるほど」と苦笑する。
 手術用の顕微鏡は、医師の頭の上から直接下りてくるオーバーヘッドスタンド。さらに07年3月、患部の奥行きが立体的に見えるハイビジョンカメラを世界で初めて開発した。
 「大手はカメラ2台で立体画像を実現しようとして失敗した。うちはカメラ1台の映像を分離し、立体画像に合成した」。天体望遠鏡の技術が生きた。1台数千万円と高価だが、欧米の病院から生産能力の2倍にあたる年間400台の注文が殺到する。

 整えたまゆ、長めの茶髪をかき上げる姿は、今風の若者。しかし、手際よく干し草をやり、牛を扱う手つきは手慣れたもの。「こいつら、家族同然なんですよ」と牛の頭をなでる。
 畜産農家は重三さんが始め、肥育用と繁殖用を育てている。孫の智弥さんは、ヨチヨチ歩きのころから牛舎で遊び、餌やりの手伝いをしてきた。