コルモペード

 コルモペード殿(le seigneur de Cormopède)は、16世紀末頃から17世紀初頭頃に活動した占星術師。その暦書には、ノストラダムスの詩百篇集予兆詩集から盗用した詩篇が含まれており、16世紀から17世紀にかけて何人も現れた偽ノストラダムス同様、ノストラダムスに便乗した人物の一人と言えるだろう。もっとも、彼の暦書には、ノストラダムスの秘書だったジャン=エメ・ド・シャヴィニーがラテン語の詩を寄せており、それが本物なのだとしたら、他の便乗者らとはやや異なると言えるかもしれない。

経歴

 暦書に印刷されている情報以外のことは分かっていない。フランス国立図書館のサイトでは、「1541?-16…?」と記載されている。生年の根拠は『1593年向けの暦』(1592年)で、「51歳の肖像」が掲載されていることに基づくという*1。ただ、この種の暦書の肖像画にどこまで信を置けるか、疑問もなくはない。

 また、フランス国立図書館のサイトでは、ドイツの人物とされている。根拠が書かれていないが、暦書の肩書(「シュテルケンベルク伯爵家の貴族」)や、「低地ドイツ語からの翻訳」という注記によるものだろう。訳者の名前に van というオランダ語の前置詞を含んでいることからすれば、確かに「低地ドイツ語」からという主張はもっともらしいが、ノストラダムスの詩百篇集などからの剽窃を含んでいる以上、もともとフランス語で作成された可能性も低くない。である以上、コルモペード自身が本当に低地ドイツ語圏の人物なのかは、分からないとしておく方が無難ではないだろうか。
 ジャック・アルブロンがまとめた「フランス語占星術文献のアルファベット順目録」(C.A.T.A.F.)によると、本名はジャン=バチスト・アルベール(Jean-Baptist[sic.] ALBERT)とされている。アルブロンはアルベール名義のいくつかの暦を、コルモペードの作品としていたが、根拠は示されていない*2。なお、アルブロンは、別の論文では、コルネイユ・ド・ブロックランとアンベール・ド・ビイイとコルモペードが同一人物の可能性を指摘している(後述)。

 没年は未詳である。ロベール・ブナズラは、1588年から1620年まで1年も途切れずに暦書を刊行していたとしており*3、1905年には類似の指摘をしていた人物もいたが*4、その間の暦書をすべて挙げているわけではなく、これらもどういう根拠なのか、よく分からない。
 また、後掲のように、アムール・ド・ヴァルファンの暦書では、1598年向けの暦書の時点で故人として扱われており、事実ならば、17世紀の暦書は別人による偽作ということになる。

 なお、17世紀末には「パリ在住トロワ出身の占星術師コルモペディ」なる人物の暦書が登場しているが、これは明らかにコルモペードに便乗した偽作だろう。17世紀初頭に実在していたことになっているマチュー・ランスベールが、その後20世紀初頭まで連綿と暦書が刊行され続けていたように、(ランスベールは特に極端なケースとしても)死後も無名のパンフレット作者によって書き継がれる占星術師は当時しばしば見られたのである。

ビイイとの関係

 ジャック・アルブロンは、アンベール・ド・ビイイ(未作成)と同一人物である可能性にも触れている。ビイイが音楽家コルネイユ・ド・ブロックランの変名というのは、アントワーヌ・デュ・ヴェルディエ(未作成)によって当時から言われていた(ただし、異説はある)。
 そして、後掲のアントワーヌ・ファブリの暦書では、「ド・ビイイ、次いでコルモペードと呼ばれたコルネイユ・ド・モンフォール」と言及されているのである。
 アルブロンはその言及に加え、ブロックランに結び付く地名モンフォール(mont山、fort強い)と、コルモペードに結び付くシュテルケンベルク(stärken強くする、berg山)の類似性も指摘している*5
 後述するように、コルモペードの暦書には、ビイイからの剽窃が含まれる。しかし、仮にビイイとコルモペードが同一人物だとすれば、それらは剽窃ではなく、本人による使いまわしにすぎなかったことになる。

書誌

 上で述べたとおり、1588年から1620年まで暦書を刊行したとされているが、現存が確認できる暦書はそう多くない。

コルモペード自身の暦書

 コルモペードはきちんとした研究の蓄積がないため、実際には別人の便乗の暦書なども混じっているかもしれない。
  • Almanach des almanachs le plus certain pour l’an MDXCI (...) Prinses du Bas allemand du Seigneur de Cormopède, Lyon, Jean Pillehotte
  • コルモペードの領主の低地ドイツ語(版)から採録された…1591年向けの正確無比なる暦書中の暦書(リヨン、ジャン・ピユオット)
    • ジャック・アルブロンの私設図書館ビブリオテカ・アストロロギカに所蔵されているという*6。年の記載に誤りがないのであれば、現在確認できる範囲で最古のコルモペードの文献。前出のように、ブナズラらは1588年からの活動と判断しているので、これより古い文献があるはずだが、彼らはそのようなものを挙げていない。

  • Prédictions amples et merveilleuses (...) De l’an 1592, prinses du Bas allemand du Seigneur de Cormopède
  • コルモペードの領主の低地ドイツ語(版)から採録された1592年に関する…多くの驚くべき予言
    • これもアルブロンのビブリオテカ・アストロロギカに所蔵されているという。アルブロンの目録では出版業者名などは書かれていない。

  • Almanach des Almanachs LE PLVS CERTAIN, pour l'An bissextil M.D.XCII, l'An des merueilles & d'estrange remuement. Auec ses amples Predictions du changement & mutation de l’air, sur chacune Lunaison des douze mois de l’Annee : Prinses du bas Alemand du Seigneur de CORMOPEDE, Gentilhomme de la maison du tresillustre & tres genereux Comte de STERCKENBERG, excellent Mathematicien : Et mises en langue Francoise par Ioachin van Gheele habitant de Lyon, & par luy dediees & consacrees, à illustre, hault & puissant Seigneur, Monseigneur le Comte de MONTREVEL, Grand Gruyer pour sa Majesté Catholique, au Comté de Bourgongne. A Lyon, par Iean Pillehotte. Auec permission.
  • 驚異と奇妙なる動乱の閏年1592年向けの正確無比なる暦書の中の暦書。この年の12か月間の各太陰月に関する、空の変化と変転の多くの予言を付記。いとも名高く、いとも高貴なるシュテルケンベルク伯爵家の貴族にして優秀な占星術師コルモペード殿の低地ドイツ語(版)からの翻訳。リヨンの住人ジョアシャン・ヴァン・ゲールによりフランス語に訳され、ブルゴーニュ伯国でカトリック王陛下のための大森林裁判官を務める高名・高位にして権勢を誇る領主モンルヴェル伯爵閣下に捧げられた。リヨンにて、ジャン・ピユオットによる。特認とともに。
    • リヨン市立図書館に所蔵されており、Gallicaで公開されている。
    • 八つ折版全104葉で、暦部分と散文の予言の二部構成になっている。暦には四行詩が13篇掲載されているが、うち8篇はノストラダムスの詩百篇と予兆詩からの剽窃で、2篇はアンベール・ド・ビイイの暦書からの剽窃ないし転用である。シャヴィニーがラテン語の詩篇を寄せている。
    • 特認の日付が1592年1月14日なので、ロベール・ブナズラは1592年に位置づけている。なお、ブナズラは題名を …M.D.XCIII(1593)と転記しているが、ちょうど1の位のローマ数字がリヨン市立図書館の印で隠れているため、どちらか判断しづらい。リヨン市立図書館やGallicaはM.D.XCII(1592)としている。いずれにしても、ブナズラも誤植の可能性を示唆している通り、1592年であるべきことは変わらない(「閏年」という条件からもそれは明らかである)。
    • 題名の「カトリック王陛下」はスペイン王のこと*7。1590年代のブルゴーニュ伯は、スペイン王フェリペ2世だった。

  • Almanach des Almanachs le plus certain, pour l'an M.D.XCIII. Auec ses amples & merueilleuses Predictions du changement & mutation de l’air sur chacune Lunaison des douze mois de l’annee : Prinses du bas Alemand du Seigneur de CORMOPEDE, Gentilhõme de la maison du tresillustre & tres-genereux Cõte de STERCKENSBERG excellent Mathematician & mises en langue Françoise par BARTHOLOME van SHORE, habitant de Lyon, & par luy dediees & consacrees, a Monseigneur le Reuerendissime Archeuesque Comte de Lyon, Primat des Gaules, Conseiller du Roy en son Conseil priué, & d’Estat. [Armoiries.] A LYON, Par Iean Pillehotte. AVEC PERMISSION.
  • 1593年向けの正確無比なる暦書の中の暦書。この年の12か月間の各太陰月に関する、空の変化と変転の多くの驚くべき予言を付記。いとも名高く、いとも高貴なるシュテルケンスベルク伯爵家の貴族にして優秀な占星術師コルモペード殿の低地ドイツ語(版)からの翻訳。リヨンの住人バルトロム・ヴァン・ショールによりフランス語に訳され、国王の私設会議と国務院双方で国王顧問を務めるガリアの首座司教たる、リヨン大司教伯爵猊下に捧げられた。リヨンにて、ジャン・ピユオットによる。特認とともに。
    • フランス国立図書館に所蔵されている。上記の題名はアンリ・ボードリエの書誌による*8。シュテルケン『ス』ベルクとなっているのも、ボードリエの転記に従ったもの。
    • ボードリエによれば、16折104葉で、カレンダー部分と予言の部分の二部構成になっているようである。特認の日付は1592年12月24日だという。
    • 1592年向けの暦書にシャヴィニーが寄せた詩篇は、この版にもそのままコピーされているという(シュヴィニャールの指摘に基づく)。

  • ALMANACH DES ALMANACHS le plus certain, pour l'an M.D.XCIIII. Auec ses amples Predictions du changement & mutation de l’air, sur chacune Lunaison des douze mois de l’annee : prinses du bas Allemãd du Seigneur de CORMOPEDE, Gentilhõme de la maison du tres-Illustre, & tres-Genereux Comte de STERCKENBERG, excellent Mthematicien[sic.] : & mises en langue Francoise par BARTHOLOME’ VAN-SCHORE, habitant de Lyon : & par luy dediees & consacrees à Illustre, Haute, & Puissante DAME, Madame la Comtesse de MONTREVEL. A Lyon, par Benoist Rigaud. Auec permission.
  • 1594年向けの正確無比なる暦書の中の暦書。この年の12か月間の各太陰月に関する、空の変化と変転の多くの予言を付記。いとも名高く、いとも高貴なるシュテルケンベルク伯爵家の貴族にして優秀な占星術師コルモペード殿の低地ドイツ語(版)からの翻訳。リヨンの住人バルトロメ・ヴァンショールによりフランス語に訳され、高名・高位にして権勢を誇る貴婦人モンルヴェル伯爵夫人に捧げられた。リヨンにて、ブノワ・リゴーによる。特認とともに。
    • リヨン市立図書館に所蔵されており、Gallicaで公開されている。
    • 104葉で、暦部分と散文の予言の二部構成になっている。暦には四行詩が掲載されているが12篇全てが百詩篇と予兆集からの剽窃。ブナズラは、1592年向けとの活字の一致などから、下請けとして実際に印刷したのはジャン・ピユオットであったと推測している*9
    • 訳者名に若干の表記の違いはあるが、1593年向けと同じ人物だろう。

  • L’Almanach des Almanachs pour l’an 1595..., prins du bas allemand du seign. de CORMOPEDE, Lyon, in-16
  • 1595年向けの暦書の中の暦書…コルモペード殿の低地ドイツ語(版)から翻訳された。
    • 19世紀のブリュネの書誌で、簡略な形で書名が挙がっている*10。正確な書名や印刷業者名などは不明。ブリュネは「1595年向けの同じ暦…の伝本は、すでに1855年のその書肆の目録に、価格110フランで掲載されていた」(Un exemplaire du même almanach pour l’année 1595, et rel. en mar. r., avait déjà été offert au prix de 110 fr. dans le catal. de ce libraire, 1855, no 1442.)とも述べている *11
    • ブナズラやアルブロンも言及していないため、現存状況などは不明である。

コルモペードに関連する暦書

 コルモペード自身が作者ではないが、コルモペードの名前に言及されている暦書。

  • ALMANACH POVR L‘AN BISSEXTIL 1596. Auec ses amples predictions, changement & mutation de l'air sur chacune Lunaison. Faict à l'imitation de Corneille de Montfort, dict de Billy, puis Cormopede. par M. ANTOINE FABRI, Docteur en Medecine, & Astrophile de Prez en Argonne. A LYON, PAR BENOIST RIGAVD. Auec permißion.
  • 閏年1596年向けの暦。多くの予言、各太陰月の空の変化と変転を付記。ド・ビイイ、次いでコルモペードと呼ばれたコルネイユ・ド・モンフォールを模倣し、プレ=アン=アルゴンヌの医学博士・愛星家アントワーヌ・ファブリ師によって作成された。リヨンにて、ブノワ・リゴーによる。特認とともに。
    • 二部構成で、カレンダー形式と散文の予兆の二部構成になっている。前者に添えられている四行詩は、オリジナルか、剽窃だとしても出典は未詳。
    • リヨン市立図書館に所蔵されており、Googleブックスで公開されている。

  • Almanach des Almanachs, pour l'an 1598. Tiré des escrits de feu le Sieur de Cormopede excellent Mathematicien. ParAmour[sic.] de Vallefin Astrologue Bourguignon. A LYON, Par les heritiers de Benoist Rigaud. AVEC PERMISSION.
  • 1598年向けの暦書中の暦書。ブルゴーニュの占星術師アムール・ド・ヴァルファンにより、今は亡き優秀な占星術師コルモペード殿の原稿から引用された。リヨンにて、ブノワ・リゴーの後継者たちによる。特認とともに。
  • 標題紙に掲げられているのはコルモペードの肖像画。暦形式と散文形式の予言に続き、印刷業者名も明記された中扉(GENERALES ET PARTICVLIE-res predictions...)を挟んで、さらに散文の予言が続く。暦形式の部分には各月の四行詩が添えられているが、1行6音節で、1行10音節(一部12音節)のノストラダムスの様式とは異なるので、少なくともノストラダムスから転用したものではない。
  • オーストリア国立図書館に所蔵されており、Googleブックスで公開されている。

  • Almanach le plus certain, pour l'annee Bissextile 1600. Avec ses plus amples & admirables predictions, Tire des ecrits de feu le Sieur de Cormopede par Amour de Vallessin grand Mathematique. A Lyon, par les héritiers de Benoist Rigaud.
  • 閏年1600年向けの正確無比なる暦。大占星術師アムール・ド・ヴァルサンによって、故コルモペード殿の原稿から引用された最も多くの驚くべき予言を付記。リヨンにて、ブノワ・リゴーの後継者たちによる。
    • 現存状況不明。ボードリエの書誌で、Cat. Borghese からの孫引きの形で言及されている*12
    • 題名には誤記や省略が含まれているものと思われる。

  • (1605年向けの暦?)
    • 書誌学者ジョルジュ・ルプルーによれば、1604年9月3日のルーアン高等法院の記録に、テオドール・ランサール(Théodore Reinsart)、ピエール・クーラン(Pierre Courant)、ルイ・コステ(Louis Costé)という三人の印刷業者に、「ビイイ殿、セザール・ド・ノストラダムス、コスモペディの(それぞれの)暦」(Les Almanachs des Sieurs de Billy, César de Nostradamus et de Cosmopedi)の印刷を許可したとある*13。コスモペディがコルモペードの誤記であるのなら、このときに出されていたと考えることが出来る。ちなみに、「ビイイ殿」はアンベール・ド・ビイイのことであろうが、確かに1602年や1603年にはルーアンで暦書が出版されていたようであり、この記録もその延長線上に捉えられるのかもしれない。ただし、セザール・ド・ノートルダムが暦書を出版したなどという事は、現時点では一切確認されていない。

  • ALMANACH, OV PREDICTIONS VERITABLES. CONTENANT LES DIVERS CHANGE-mens qui doiuent arriuer durant le cours des douze Mois de la presente Année M. DC. XXXI. selon les reuolutions & rencontres des douze Signes, des sept Planettes, Estoiles fixes, & autres Corps superieurs. Le tout diligemment extraict, supputé, & calculé des escrits les plus serieux, & observations plus asseurées de Ptolomée, Fabry, Cormopede, du Curé de Miremõts, Pierre de Lariuey, dit le Ieune Troyen, du Comte de la Ianin, du Grand Origan, & autres Mathematiciens & Astrologues, tant anciens que modernes. Par l'Illust. & Sereniss. Seigneur TYCHOBRAE, Astrologue, Prince Danois, & tres-exact obseruateur des causes secondes. BALET Dancé à Grenoble le Dimanche gras de ladite Année. M. DC. XXXI
  • 暦あるいは真実の予言。十二宮、七つの惑星、恒星、他の諸天体の転回や会合に従い、今年1631年の12か月の間に起こるに違いない様々な変化を含む。すべては、プトレマイオス、ファブリ、コルモペード、ミルモンの主任司祭、トロワのピエール・ド・ラリヴェ2世、ラ・ジャナン伯爵、大オリガン、他の古今の占星術師たちの最も真剣な書きものや最も確実な観測から、抜粋され、推算・算定された。デンマークの巨頭、占星術師、第二因のいとも正確なる観測者、高名にしていとも麗しきティコ・ブラーエ殿による。上述の年のディマンシュ・グラにグルノーブルで上演されたバレエ。1631年。
    • 「七つの惑星」には、太陽と月が含まれる。「ミルモンの主任司祭」はジャン・ブロ、「第二因」は星々(世界を動かす第一因=神に次ぐと考えられた)、「ディマンシュ・グラ」は四旬節前最後の日曜日。なお、ティコ・ブラーエは1601年没であり、この暦書の編著者であることはあり得ない。
    • フランス国立図書館に所蔵されており、Gallicaで公開されている。

コルモペディ

 17世紀末ごろから現れた「トロワの占星術師」
  • ALMANACH ROYAL, POUR L’ANNE’E BISSEXTIL 1692. CONTENANT, LES FORCES DES ROYS, ET PRINCES DE L’UNIVERS. Par l’Illustre CORMOPEDY, Mathematicien de Troyes, habitant de Paris. Avec les Foires franches de Lyon, & plusieurs Secrets eontre[sic.] la Paralysie, & l’Apoplexie. A LYON, Chez MARCELIN GAUTHERIN, devant l’Hôtel Dieu. Avec Permissions.
  • 閏年1692年向けの王者の暦。世界の王たち、君主たちの力を含む。トロワ出身の占星術師にしてパリの住民、高名なるコルモペディによる。リヨンの自由市(について)と、麻痺・卒中に対する多くの秘訣を付記。リヨン、市立病院前のマルスラン・ゴトランの工房にて。特認とともに。
    • リヨン市立図書館に所蔵されており、Googleブックスで公開されている。

  • Al'manach [sic.] royal, pour l'année de grace 1700. ou l'on voit la suite de l'Histoire Sainte, et le moyen de se rendre bon Chrestien. Avec les Foires Franches. Et le départ des Postes de Lyon. Par l'Illustre Cormopedy, Mathematicien de Troyes.
  • 聖史の続きと、善きキリスト教徒となる方法とが理解される1700年向けの王者の暦。…トロワの占星術師、高名なるコルモペディによる。
    • 直接参照したわけではないので、題名は省略されているものと思われる(そういう事情もあるので、自由市云々は訳出しなかった)。リヨンのマルスラン・ゴトランの刊行という。
    • リヨン市立図書館に所蔵されているが、Googleブックスなどでの公開はされていない(2019年2月末時点)。


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最終更新:2019年02月24日 23:14

*1 https://data.bnf.fr/fr/13491791/cormopede/

*2 C.A.T.A.F. C-D

*3 Benazra [1990] p.129

*4 M.Garcin, “Les Almanachs et les Calendriers lyonnais”, Bulletin de la Société littéraire, historique et archéologique de Lyon, avril-septembre 1905

*5 Nouvelles recherches sur l'affaire Chevigny/Chavigny

*6 Catalogue par titres abrégés du fonds Nostradamus de la Bibliotheca Astrologica par Jacques Halbronn

*7 『ロベール仏和大辞典』

*8 Baudrier [1896], 2 series, pp.241-242

*9 Benazra [1990] pp.129-130

*10 Brunet, Manuel du libraire et de l'amateur de livres contenant un nouveau dictionnaire bibliographique ..., tome 6, col.493

*11 Brunet, Manuel du libraire.., 5 édition, Tome 2, 1861, p.275

*12 Baudrier, Tome 10, p.448

*13 Georges Lepreux, Gallia Typographica, Tome 3- Vol. 2, Paris, 1912; Documenta555