ノストラダムスの大予言III

 『ノストラダムスの大予言Ⅲ 1999年の破滅を決定する「最後の秘詩」』は、1981年2月に刊行された五島勉の著書。

 『ノストラダムスの大予言』シリーズの第3巻にあたるが、初巻(1973年11月)と第2巻(1979年12月)が6年開いたのに対し、第2巻と第3巻は1年余りしか開いていない。


【画像】カバー表紙

構成

 全8章の構成である。以下のコメントには批判的内容を多く含むため、客観性の確保のため、目次を引用してこの本の基本構成を示しておく。

  • まえがき―ノストラダムスの「最後の秘詩」とは?
  • 1章 「血の汗」―大滅亡の予兆
  • 2章 破滅の大予言「最後の秘詩」
  • 3章 「ローマの滅亡」が、いま再現する
  • 4章 人の心に潜む「破滅の法則」
  • 5章 滅亡の日までの“タイム・テーブル”
  • 6章 現代「ローマ帝国」の正体とは何か
  • 7章 現代に蘇るユダヤの呪い
  • 8章 日本は果たして生き残れるか

 本書の最大のテーマは、五島が「最後の秘詩」と呼ぶところの詩百篇第10巻65番である。

帯と推薦文

 初版の帯には「"大予言ショック"三たび列島を直撃!」「古代ローマ帝国の滅亡がいま再現する!」「ついに解明された「最後の秘詩」」とある。

カバーの推薦者は
  • 秋山達子(お茶の水女子大講師)「ユングも注目した予言と現実の一致
  • 志茂田景樹「優れた文明批評の書として推す
の2名(肩書はカバー記載の通り。志茂田は1980年に直木賞作家となっていたが、特に記載はない)。

売れ行き

 1981年度のベストセラー総合第7位(出版ニュース社調べ)*1

 『読売新聞』1981年3月4日朝刊には、「発売20日、忽ち22万部!」とする広告が掲載されている。

 公称発行部数は1991年に70万部*2、1997年に67万部*3。数値が減るのはおかしいようだが、いずれも版元に訊ねたとする数値。

関連

 『ムー』1981年5月号には五島の寄稿が載っているが、「それが『ノストラダムスの大予言Ⅲ』である。その内容はじつに奇々怪々なので、ここでそれをダイジェストすることはできない。もし興味がおありの方は、『Ⅲ』をじっくり読んでいただくほかはない」等と、『大予言Ⅲ』の宣伝を兼ねたものであったことが明らかである。

コメント

 いくつかのトピックに分けて叙述するが、網羅的なものではない。

最後の秘詩

 五島によると詩百篇第10巻65番を最後の秘詩と呼んだのは、「アメリカのある女性研究家」だというが*4、そのような女性は当「大事典」では確認できていない。 
 1980年ごろまででそれなりに知られていたアメリカの女性研究者というと、ニューヨークで著書を刊行したエリカ・チータムくらい(ただし彼女は英国人)だが、彼女は特にそのような説明をしていない。
 ほかに、名前からは性別がよく分からないリー・マッキャン(Leeは男性名にも女性名にも使う)がいて、後の五島の著書でも言及されている*5。マッキャンは再版された著書のカバーの紹介文中では男性として扱われているが、実際には女性らしい*6。ただ、いずれにしても、マッキャンの著書にもこのような表現はない。

 根本的に、詩百篇第8巻以降をノストラダムスが書いたことを確証する史料自体が確認されていないのだし、だからこそ未だに真筆かどうか断言できない状況なのである。
 当然、その真贋を断定しきれない中に含まれる第10巻の詩をノストラダムスが特別扱いしていたことをうかがわせる資料などあるはずがない。

大いなるローマ

 五島は、上の「最後の秘詩」としての紹介にあたって、こう述べている。

 ところが、だ。問題はこの「広く巨大なローマ」(原文 Ovaste [sic.] Rome)という言葉である。これはじつは、中世のフランス詩では、古代ローマを指すときにだけ使われた、たいへん特別な言い方だったのだ。
 そういう特別な古代ロ-マ専用の形容詞が使われている以上、これは古代ローマの滅亡のありさまをうたった詩だ、ということになる。
 しかし、ノストラダムスは大予言者、『諸世紀』は彼の予言詩の集大成だ。過去をうたった詩など入っているわけがない。この詩も当然、彼からみた未来に起こるローマ滅亡の予言でなければならない。
 わけがわからない。で、ノストラダムスがこの詩を発表したとき、これを読んだ彼の友人たちは解釈に苦しみ、これは何を暗示しているのかとみんな頭をかかえた。
「ふつうの予言じゃないな。予言なのに、過去にだけ使われる形容詞がついているんだから。これは予言を超えた何かだ、『諸世紀』のうち、いちばんの謎の詩だ」
 ノストラダムスの生涯の友人だった、ペスト研究家のベルトラン博士やグレンビル卿などは言った。*7

 だが、当時の人々が悩んだという話や、ベルトラン博士だのグレンビル卿だのという名前は、五島の本にしか出てこない
 ベルトラン博士は『大予言II』の入試問題を予知したというエピソードにも登場している五島お気に入りの人物だが、エドガール・ルロワらのまともな伝記研究では一切登場しない。

 内容的にも非常に疑わしい。オート・アルザス大学助教授(当時)のジル・ポリジは、当時の人々にとって古代ローマ史は遥か昔の話などではなく、ごく身近な存在として捉えられていたと指摘している*8
 実際、ノストラダムスの予言には、ティトゥス・リウィウス『ローマ建国史』、スエトニウス『ローマ皇帝伝』などからの借用と思しきモチーフは多く指摘されている。その延長からは、古代ローマをモチーフとする比喩を使うことがおかしいなどと取られるはずがない。
 だいたい、ノストラダムスの予言詩にはネロだのハンニバルだのといった古代史の登場人物が複数出てくる(暦書の方はこの傾向がいっそう顕著である)。
 それらは普通の比喩だと解釈するのに、「大いなるローマ」だけは特別究極だ、と解釈するのは何の根拠もない話である。

 ちなみに O vaste Rome が特殊な表現だとする主張は、実証的な論者の文献ではまったく確認が取れない。
 それどころか、この場合のvasteは「巨大な」の意味ではなく「荒廃した」の意味ではないかとする説もあり、当「大事典」ではそちらの説を採っている。

血の汗

 この『大予言III』は、五島が若い頃に函館のハリストス正教会の近藤という聖職者から聞いたという古代ローマの3人の女性が血の汗を流したというエピソードで始まり、それと同じ血の汗を流すという怪奇現象がアメリカ、イースタン航空の客室乗務員の間で流行しているという話と結び付けられている。

 この客室乗務員の血の汗現象は五島自身が新聞記事の写真を掲載しているように、当時は新聞でも報じられた。
 しかし、志水一夫が指摘したように後日談があり、救命胴衣の赤い染料が肌に付着し、汗と混じったものということで解決している*9

ユダヤ陰謀論

 1980年代の日本では、ユダヤ陰謀論を説いているとして宇野正美の著書が社会的に問題となったが、山本弘は、宇野に先立ってユダヤ陰謀論が広まる上で、この本が「火付け役になったと解釈したほうが自然だろう」と指摘している*10

 五島は、ノストラダムスがブロワ城近くの道で王妃カトリーヌ・ド・メディシスに語った発言として、
  • ノストラダムスはそれに答えて、「それは呪い……その巨大な呪いがすべてを決めるのです(C'est un maudissement......le grand maudissement décide tout)」と静かにつぶやいた、と侍女たち→研究者は伝えているのだ。だから、それがだれの、なんに対する巨大な呪いか、というところまでは、このわずかな会話の断片からはわからない。/〔略〕/そして、ノストラダムスの答えた「巨大な呪い」とは、結局、「巨大なユダヤの呪い」のことだったのではないか、ということである。*11

 これも広い意味でのブロワ城の問答と言えるのかもしれないが、当然というか、このような発言を引用している信頼できる研究書は確認できない。

 そもそも、ノストラダムスが『予言集』で使っている単語で「呪い」と訳しうるのは、malefice/maléfique, sortなどであって、maudissementは使われていない。
 「すべてを決定する」とまで重く見ていたのであれば、セザールへの手紙アンリ2世への手紙でさえもひとことも述べていないのは、あまりにも不自然であろう。

 百歩譲ってこのような発言があったとしても、何の呪いか直接的に明言していないこの発言を、「ユダヤの呪い」と決めつけているのは明らかに五島である。

 つまり、発言が実在したか、しないかに関わらず、ユダヤ人を先祖に持つノストラダムス自身に、ユダヤ陰謀論を語らせている点で、非常に悪質な手法であろう。

ノストラダムスの先祖

 すぐ上の「ユダヤ陰謀論」とも関わるが、五島はノストラダムスの先祖についてこう述べる。
  • 彼の母親はイタリア系のフランス人だったが、父親も、祖父も祖母もユダヤ人だった。彼らは一五世紀の半ば、イタリアからフランスへ移ってきた。その前はイタリアのおそらくボロニア地方(ユダヤの移住者が多く、密教カバラがさかんだった)か、ミラノの近く(同)に住んでいた。その前の先祖はローマにいた。そして、その前は――たぶん古代ローマの滅亡のとき、街角に立ってローマへの呪いと破滅を叫んでいたカバラ修行僧の一人が、ノストラダムスの遠い祖先だったらしいのだ。*12

 しかし、この中に史実と裏付けられる事柄はない。
  • ノストラダムスの父方の祖父ピエール・ド・ノートルダムは、確かに元ユダヤ人(ユダヤ教からの改宗者)だったが、妻ブランシュ・ド・サント=マリーはキリスト教徒であり、ピエールとブランシュの間に生まれたジョーム・ド・ノートルダム生まれた時点でキリスト教徒だった。だから、父や祖母がユダヤ人というのは誤りである。
  • 母方はサン=レミ=ド=プロヴァンスの住民であり、イタリア移民であったことは確認できない。母方の祖母ベアトリス・トゥレルの父はマルセイユ出身だったらしいが、そこまでしか辿れない。
  • 父方は15世紀初頭アストリュージュ・ド・カルカソンヌアヴィニョンの住民だったらしいので、それより後の「15世紀半ば」にイタリアから移住することはありえない。
  • 15世紀半ばの移住が虚偽である以上、当然、それ以前のイタリアの先祖など証明できない。なお、父方の先祖は13世紀のヴィダ・ド・カルカソンヌまでは遡れるが、イタリア移民かは分からない。カルカソンヌという姓を名乗っていたことからすると、イタリアに住んでいたようには思えない。
  • 古代ローマ時代の修行僧の真偽に至っては、馬鹿馬鹿しすぎて論ずるまでもない。

書誌

書名
ノストラダムスの大予言Ⅲ
副題
1999年の破滅を決定する「最後の秘詩」
著者
五島勉
版元
祥伝社
出版日
1981年2月15日
注記

外国人研究者向けの暫定的な仏語訳書誌

Titre
Nostradamus no dai-yogen III (trad. / Les Grandes Prophéties de Nostradamus, Tome III)
Sous-titre
1999 nen no hametsu wo kettei suru "saigo no hishi" (trad. / Le cataclysme de l'an 1999, ce sera déterminé par le "dernier quatrain secret".)
Auteur
GOTÔ Ben
Publication
Shôdensha
Lieu
Tokyo, Japon
Date
le 15 février 1981
Note
Examen des quatrains II-30, II-43, II-45, III-97, IV-29, V-62, IX-3, X-65


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最終更新:2021年08月30日 21:53

*1 塩澤実信『昭和ベストセラー世相史』による。

*2 『SPA!』1991年3月20日号

*3 『日経エンタテインメント!』1997年10月号

*4 同書 p.50

*5 『大予言スペシャル・日本編』pp.143-145. 五島の表記では「リー・マッケン」

*6 リー・マッキャン(Shinsenpou World Blog)

*7 『大予言III』pp.53-54

*8 Polizzi [1997]

*9 志水[1991]pp.146-147

*10 山本(1998)[1999] P.80

*11 『大予言III』pp.182-183

*12 『III』200-201ページ