詩百篇第10巻89番

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*原文 De brique&sup(){1} en&sup(){2} marbre&sup(){3} seront les murs&sup(){4} [[reduits>reduire]] Sept & cinquante&sup(){5} annees pacifiques&sup(){6}, Ioie aux&sup(){7} humains renoué&sup(){8} Laqueduict&sup(){9}, Santé&sup(){10}, grandz&sup(){11} fruict&sup(){12} ioye & temps melifique&sup(){13}. **異文 (1) De brique : Deb rique 1627, De Bricque 1672 (2) en : eu 1568C (3) marbre : mabre 1600, Marbre 1672 (4) murs : Murs 1672 (5) Sept & cinquante : Sept cinquante 1627 (6) pacifiques : pacifique 1605 1628 1649Xa 1649Ca 1650Le 1668 (7) aux : anx 1653, eux 1772Ri (8) renoué : renoüé 1649Ca 1650Le 1668, renevé 1672 (9) Laqueduict 1568A 1568B : laqueduict 1590Ro, l'aqueducts 1611B, l'aquedict 1653 1665, l'aqueduct 1672, l'aqueduict &italic(){T.A.Eds.} (10) Santé : Sante 1568A 1590Ro (11) grandz : temps grands 1600 1610 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1716 (12) fruict 1568A 1568B : fruicts &italic(){T.A.Eds.} (13) temps melifique : mellifiques 1600 1610 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1716, temps mellifiques 1611B 1660 **校訂  3行目 Laqueduict は1568年版の中でも l'aqueduict との揺れがあるが、後者の方が正しい。  4行目 grandz fruict は明らかにおかしい。1568年版の一部にも見られるように、grands fruits の誤植と見るのが妥当だろう。もちろん、17世紀のリヨン系の版に見られるように、grands の位置をずらしてしまうのも一案だが、少々強引に思える。 *日本語訳 レンガから大理石へと壁が変えられるだろう。 五十七年間の平和。 人々には喜び。水道橋は繋ぎ直される。 健康、大きな果実、喜び、そして蜜の時代。 **訳について  大乗訳は特に問題はない。山根訳2行目「七十五年間の平和」((p.342))は単なる誤植だろう。  なお、川尻の解釈(後述)との関係上、数字の読み方について補足しておくが、この場合は Sept & cinquante で前半律を構成しているので、それでひとまとまりと見るべきである。詩法上、分けて読むのは適切ではない。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、多くの破滅的な出来事の後に57年間の黄金時代が来ることと解釈した。  その後、[[バルタザール・ギノー]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[フランシス・ジロー]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]ら19世紀までの論者たちは触れていなかった。  [[マックス・ド・フォンブリュヌ]]はルイ14世の「大御世」についての予言とした。彼は、ピレネー条約締結の1659年11月からルイ14世が歿した1715年9月までの期間に対応させている((Fontbrune [1939] pp.77-78))  この説は[[ロルフ・ボズウェル]]、[[スチュワート・ロッブ]]、[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]らが踏襲している((Boswell [1943] p.126, Robb [1961] pp.68-69))。ロッブは期間を1657年から1715年にしている。  [[セルジュ・ユタン]]はナポレオン戦争後にフランスが平和だった時期のこととした((Hutin [1978/2002]))。  [[川尻徹]]は日本の戦後復興と平和についての予言とし、1行目は「赤レンガ」の愛称で親しまれた旧海軍省が解体され、官庁街に生まれ変わったこととした。3行目で57が「7と50」に分けられているのは、戦後50年間は平和が続くものの、1995年から7年間は人類破滅に繋がるような激動の時代になることを暗示したものだという((川尻『ノストラダムス暗号書の謎』pp.107-108, 155-156))。  [[中村惠一]]は20世紀末頃に起こる大戦争の後には人類は57年間の平和な時代を享受することになると解釈した((中村『ノストラダムス大予言の構造』pp.150-154))。  [[加治木義博]]は2007年以降に救世主となる人物が世界的な平和を達成し、57年もそれが続くと解釈した((加治木『真説ノストラダムスの大予言・黄金の世紀』pp.189-191))。 *同時代的な視点  [[ピエール・ブランダムール]]や[[ジル・ポリジ]]は、スエトニウス『ローマ皇帝伝』から借用する形でアウグストゥスの事績を要約したものとした((Brind’Amour [1996] p.XLVI, Polizzi [1997] p.55))。その場合、57年はカエサル暗殺後の第2回三頭政治(紀元前43年)からアウグストゥスの死(紀元14年)までと理解すべきだろう。『ローマ皇帝伝』でもアウグストゥスの支配期間として提示されているのはほぼ同じ期間である。 「&italic(){ついでアウグストゥスは、その頃から軍隊を準備し、まずマルクス・アントニウスとマルクス・レピドゥスと組み、ついでアントニウスとのみ組んで、ほぼ十二年間、最後は一人で四十四年間、国家を支配した}」。((国原吉之助・訳『ローマ皇帝伝』(上)、岩波文庫、p.101))  [[ピーター・ラメジャラー]]も支持しているが、彼の場合、『[[ミラビリス・リベル]]』に描かれたイスラーム勢力を追い払った後に訪れる黄金時代も投影されているとした((Lemesurier [2003b]))。  [[ジャン=ポール・クレベール]]はジル・ポリジの見解として上記の説に触れているが、それとともに、1543年のニース陥落後、都市が再建され繁栄していたことと関係がある可能性も示していた((Clébert [2003]))。  [[ロジェ・プレヴォ]]は、アラゴン王アルフォンソ5世がマルセイユを略奪・放火した1423年からペストが大流行する1480年までの57年間は、再建されたマルセイユが安定した繁栄を享受していたことと関連付けた((Prévost [1999] p.104))。 ---- &bold(){コメントらん} 以下のコメント欄は[[コメントの著作権および削除基準>著作権について]]を了解の上でご使用ください。なお、当「大事典」としては、以下に投稿されたコメントの信頼性などをなんら担保するものではありません (当「大事典」管理者である sumaru 自身によって投稿されたコメントを除く)。 - 「ガリア戦記」をヒントにした。というのはわかるが、未だに当てはまる事件は起きてない。 -- とある信奉者 (2010-09-18 21:58:50) - Santé (S-)(パリの)サンテ監獄  最近フランス語しゃべってる? タバコは健康に悪いと書く人間は脱出できる監獄を書いたらどうなるんだろう。ノストラダムスの書く文章は統一性があり宜しいと思う。ケースバイケースだと思います。 -- 名無しさん (2014-05-02 16:43:20) #comment
[[詩百篇第10巻]]>89番* *原文 De brique&sup(){1} en&sup(){2} marbre&sup(){3} seront les murs&sup(){4} [[reduits>reduire]] Sept & cinquante&sup(){5} annees pacifiques&sup(){6}, Ioie aux&sup(){7} humains&sup(){8} renoué&sup(){9} Laqueduict&sup(){10}, Santé&sup(){11}, grandz&sup(){12} fruict&sup(){13} ioye & temps melifique&sup(){14}. **異文 (1) De brique : Deb rique 1627Di, De briques 1667Wi 1668P, De Bricque 1672Ga (2) en : eu 1568B (3) marbre : mabre 1607PR 1610Po, Marbre 1672Ga (4) murs : Murs 1672Ga (5) Sept & cinquante : Sept & cinquantes 1603Mo 1650Mo, Sept cinquante 1627Di (6) pacifiques : pacifique 1605sn 1628dR 1649Xa 1649Ca 1650Le 1667Wi 1668 (7) aux : anx 1653AB, eux 1772Ri (8) humains : hnmains 1650Mo (9) renoué : renoüé 1649Ca 1650Le 1667Wi 1668 1697Vi 1720To, renevé 1672Ga (10) Laqueduict 1568X 1568A : laqueduict 1590Ro, l'aqueducts 1611B, l'aquedict 1653AB 1665Ba 1697Vi 1720To, l'aqueduct 1672Ga, l’aqueduicts 1603Mo 1650Mo, l'aqueduict &italic(){T.A.Eds.} (11) Santé : Sante 1568X 1590Ro (12) grandz : temps grands 1606PR 1607PR 1610Po 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1716PR, tems grands 1720To (13) fruict 1568X 1568A : fruicts &italic(){T.A.Eds.} (14) temps melifique : mellifiques 1606PR 1607PR 1610Po 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1716PR, temps mellifiques 1603Mo 1611B 1981EB, temps melefiques 1650Mo, mellifique 1697Vi, mellefique 1720To (注記)1716PRbはページ欠落のため比較できず。 **校訂  3行目 Laqueduict は1568年版の中でも l'aqueduict との揺れがあるが、後者の方が正しい。  4行目 grandz fruict は単複が一致しておらず、明らかにおかしい。1568年版の一部にも見られるように、grands fruits の誤植と見るのが妥当だろう。もちろん、17世紀のリヨン系の版に見られるように、grands の位置をずらしてしまうのも一案だが、少々強引に思える。 *日本語訳 レンガから大理石へと壁が変えられるだろう。 五十七年間の平和。 人々には喜び。水道橋は繋ぎ直される。 健康、大きな果実、喜び、そして蜜の時代。 **訳について  大乗訳は特に問題はない。山根訳2行目「七十五年間の平和」((p.342))は単なる誤植だろう。  なお、川尻の解釈(後述)との関係上、数字の読み方について補足しておくが、この場合は Sept & cinquante で前半律を構成しているので、それでひとまとまりと見るべきである。詩法上、分けて読むのは適切ではない。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、多くの破滅的な出来事の後に57年間の黄金時代が来ることと解釈した。  その後、[[バルタザール・ギノー]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[フランシス・ジロー]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]ら19世紀までの論者たちは触れていなかった。  [[マックス・ド・フォンブリュヌ]]はルイ14世の「大御世」についての予言とした。彼は、ピレネー条約締結の1659年11月からルイ14世が歿した1715年9月までの期間に対応させている((Fontbrune [1939] pp.77-78))  この説は[[ロルフ・ボズウェル]]、[[スチュワート・ロッブ]]、[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]らが踏襲している((Boswell [1943] p.126, Robb [1961] pp.68-69))。ロッブは期間を1657年から1715年にしている。  [[セルジュ・ユタン]]はナポレオン戦争後にフランスが平和だった時期のこととした((Hutin [1978/2002]))。  [[川尻徹]]は日本の戦後復興と平和についての予言とし、1行目は「赤レンガ」の愛称で親しまれた旧海軍省が解体され、官庁街に生まれ変わったこととした。3行目で57が「7と50」に分けられているのは、戦後50年間は平和が続くものの、1995年から7年間は人類破滅に繋がるような激動の時代になることを暗示したものだという((川尻『ノストラダムス暗号書の謎』pp.107-108, 155-156))。  [[中村惠一]]は20世紀末頃に起こる大戦争の後には人類は57年間の平和な時代を享受することになると解釈した((中村『ノストラダムス大予言の構造』pp.150-154))。  [[加治木義博]]は2007年以降に救世主となる人物が世界的な平和を達成し、57年もそれが続くと解釈した((加治木『真説ノストラダムスの大予言・黄金の世紀』pp.189-191))。 *同時代的な視点  [[ピエール・ブランダムール]]や[[ジル・ポリジ]]は、スエトニウス『ローマ皇帝伝』から借用する形でアウグストゥスの事績を要約したものとした((Brind’Amour [1996] p.XLVI, Polizzi [1997] p.55))。その場合、57年はカエサル暗殺後の第2回三頭政治(紀元前43年)からアウグストゥスの死(紀元14年)までと理解すべきだろう。『ローマ皇帝伝』でもアウグストゥスの支配期間として提示されているのはほぼ同じ期間である。 「&italic(){ついでアウグストゥスは、その頃から軍隊を準備し、まずマルクス・アントニウスとマルクス・レピドゥスと組み、ついでアントニウスとのみ組んで、ほぼ十二年間、最後は一人で四十四年間、国家を支配した}」。((国原吉之助・訳『ローマ皇帝伝』(上)、岩波文庫、p.101))  [[ピーター・ラメジャラー]]も支持しているが、彼の場合、『[[ミラビリス・リベル]]』に描かれたイスラーム勢力を追い払った後に訪れる黄金時代も投影されているとした((Lemesurier [2003b]))。  [[ジャン=ポール・クレベール]]はジル・ポリジの見解として上記の説に触れているが、それとともに、1543年のニース陥落後、都市が再建され繁栄していたことと関係がある可能性も示していた((Clébert [2003]))。  [[ロジェ・プレヴォ]]は、アラゴン王アルフォンソ5世がマルセイユを略奪・放火した1423年からペストが大流行する1480年までの57年間は、再建されたマルセイユが安定した繁栄を享受していたことと関連付けた((Prévost [1999] p.104))。 ---- &bold(){コメントらん} 以下のコメント欄は[[コメントの著作権および削除基準>著作権について]]を了解の上でご使用ください。なお、当「大事典」としては、以下に投稿されたコメントの信頼性などをなんら担保するものではありません (当「大事典」管理者である sumaru 自身によって投稿されたコメントを除く)。 - 「ガリア戦記」をヒントにした。というのはわかるが、未だに当てはまる事件は起きてない。 -- とある信奉者 (2010-09-18 21:58:50) - Santé (S-)(パリの)サンテ監獄  最近フランス語しゃべってる? タバコは健康に悪いと書く人間は脱出できる監獄を書いたらどうなるんだろう。ノストラダムスの書く文章は統一性があり宜しいと思う。ケースバイケースだと思います。 -- 名無しさん (2014-05-02 16:43:20) #comment

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