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『&bold(){1565年向けの暦}』(Almanach Povr L'An M. D. LXV.)は、1565年に[[リヨン]]の[[ブノワ・オド]]によって出版されたノストラダムスの暦書。
#ref(1565alm.JPG)
【画像】『1565年向けの暦』の扉((画像の出典:[[http://www.propheties.it/]]))
*正式名
-Almanach Povr L'An M. D. LXV. Avecques ses tresamples significations & presages d'vn chacun moys, Composé par M. Michel Nostradame, Docteur en medecine, Medecin du Roy, & Astrophile à Salon de Craux en Prouence.
--A Lyon, Par Benoist Odo, M. D. LXV.
--Auec Priuilege.
-プロヴァンス州サロン・ド・クローの医学博士にして王附侍医、愛星家のミシェル・ノストラダーム師により構成され、各月ごとの非常に多くの意味づけと予兆を付記した1565年向けの暦。
--リヨンにて、ブノワ・オドによる。1565年
--特認付。
*刊行年
扉に M. D. LXV. (1565)と刊行年が記載されているが、[[ロベール・ブナズラ]]や[[ダニエル・ルソ]]は実際の刊行年を1564年としている。これは、献辞の日付(1564年4月14日)や奥付(1564年5月1日作成)が理由と思われる。
ただし、タイトルに「王附侍医」とあるのは目を引く。ノストラダムスがこの称号を手に入れたのは1564年11月以降だったからである。このことから、この暦書の出版はそれ以降のことだったと考えることが出来る。あるいは1565年初めの大市に向けて1564年末に印刷されたものだったのかもしれない。
*内容
160ページからなる。
まず冒頭に「敬虔なキリスト教徒の王シャルル9世へ。ミカエル・ノストラダムス」(A Treschrestien Roy Charles ix, de ce nom Michael Nostradamus S.)と題された1564年4月14日付の献辞が掲載されている。
続いてカレンダーが掲載されているが、各月には予兆詩はない。代わりに、その後の散文による各月の概要の冒頭に、予兆詩が収録されている。予兆詩は全般向けのものもあるので、全部で13篇である。この年向けの予兆詩から従来の1行10音節にかわり1行12音節が採用されている。
各月の散文は[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]が転記した『[[散文予兆集成>Recueil des Presages Prosaiques de M. Michel de Nostredame]]』第10巻全体(第1番~第740番)に対応している。
末尾には「1565年向けに1564年5月1日に、サロン・ペトラのミカエル・ノストラダムスによって作成された」(Faciebat Michael Nostradamus Salonae Petreae Prouinciae, prima mensis Maij 1564. pro anno 1565.)とある。
*所蔵先
ペルージャ(イタリア)のアウグスタ公立図書館に唯一所蔵されている。
*ラテン語訳版
ウィーンのオーストリア国立図書館には、この暦書をラテン語訳した手稿が現存している。
その手稿は神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世のために、ミヒャエル・フォン・アイツィンガー(Michael von Aitzinger)がラテン語訳した私家版らしい((Guinard [2008b] pp.258-259))。
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『&bold(){1565年向けの暦}』(Almanach Povr L'An M. D. LXV.)は、1565年に[[リヨン]]の[[ブノワ・オド]]によって出版されたノストラダムスの暦書。
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【画像】『1565年向けの暦』の扉((画像の出典:[[http://www.propheties.it/]]))
*正式名
-Almanach Povr L'An M. D. LXV. Avecques ses tresamples significations & presages d'vn chacun moys, Composé par M. Michel Nostradame, Docteur en medecine, Medecin du Roy, & Astrophile à Salon de Craux en Prouence.
--A Lyon, Par Benoist Odo, M. D. LXV.
--Auec Priuilege.
-プロヴァンス州サロン・ド・クローの医学博士にして王附侍医、愛星家のミシェル・ノストラダーム師により構成され、各月ごとの非常に多くの意味づけと予兆を付記した1565年向けの暦。
--リヨンにて、ブノワ・オドによる。1565年
--特認付。
*刊行年
扉に M. D. LXV. (1565)と刊行年が記載されているが、[[ロベール・ブナズラ]]や[[ダニエル・ルソ]]は実際の刊行年を1564年としている。これは、献辞の日付(1564年4月14日)や奥付(1564年5月1日作成)が理由と思われる。
ただし、タイトルに「王附侍医」とあるのは目を引く。ノストラダムスがこの称号を手に入れたのは1564年11月以降だったからである。このことから、この暦書の出版はそれ以降のことだったと考えることが出来る。あるいは1565年初めの大市に向けて1564年末に印刷されたものだったのかもしれない。
*内容
160ページからなる。
まず冒頭に「敬虔なキリスト教徒の王シャルル9世へ。ミカエル・ノストラダムス」(A Treschrestien Roy Charles ix, de ce nom Michael Nostradamus S.)と題された1564年4月14日付の献辞が掲載されている。
続いてカレンダーが掲載されているが、各月には予兆詩はない。代わりに、その後の散文による各月の概要の冒頭に、予兆詩が収録されている。予兆詩は全般向けのものもあるので、全部で13篇である。この年向けの予兆詩から従来の1行10音節にかわり1行12音節が採用されている。
各月の散文は[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]が転記した『[[散文予兆集成>Recueil des Presages Prosaiques de M. Michel de Nostredame]]』第10巻全体(第1番~第740番)に対応している。
末尾には「1565年向けに1564年5月1日に、サロン・ペトラのミカエル・ノストラダムスによって作成された」(Faciebat Michael Nostradamus Salonae Petreae Prouinciae, prima mensis Maij 1564. pro anno 1565.)とある。
*所蔵先
ペルージャ(イタリア)のアウグスタ公立図書館に唯一所蔵されている。
*ラテン語訳版
ウィーンのオーストリア国立図書館には、この暦書をラテン語訳した手稿が現存している。
その手稿は神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世のために、ミヒャエル・フォン・アイツィンガー(Michael von Aitzinger)がラテン語訳した私家版らしい((Guinard [2008c] pp.258-259))。
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