ブノワ・オド

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 &bold(){ブノワ・オド}(Benoist Odo)は16世紀[[リヨン]]の出版業者。  詳細な研究がなく、活動状況などはよく分からない。[[アンリ・ボードリエ]]は、この人物が手がけた文献として、[[ノストラダムス]]の『[[1567年向けの暦>ALMANACH POVR L'AN M.D.LXVII.]]』しか挙げていない。しかし、オドは『[[1565年向けの暦>Almanach Povr L'An M. D. LXV.]]』も出版しており、フランス国立図書館には1565年に出版された王令も現存している(([[http://catalogue.bnf.fr/ark:/12148/cb338116724/PUBLIC]]))。  他方、リヨン市立図書館には1573年に「ブノワ・オドの未亡人」が手がけた文献も残されている。  これらからすると、おそらく1560年代半ばに活動し、1570年代初めまでに亡くなっていたのだろうと考えられる。 *ノストラダムス関連  上記の通り、『[[1565年向けの暦>Almanach Povr L'An M. D. LXV.]]』と『[[1567年向けの暦>ALMANACH POVR L'AN M.D.LXVII.]]』を出版した。  ノストラダムスの暦書がリヨンで出されるときには、ブロトー親子([[ジャン・ブロトー]]、ピエール・ブロトー)やアントワーヌ・ヴォランの手で出版されるのが常であり、オドが出したこの2冊は例外的なものである(実際、その間に出された『1566年向けの暦』は、ピエール・ブロトーとアントワーヌ・ヴォランが手がけた)。 ---- #comment
 &bold(){ブノワ・オド}(Benoist Odo)は16世紀[[リヨン]]の出版業者。  詳細な研究がなく、活動状況などはよく分からない。[[アンリ・ボードリエ]]は、この人物が手がけた文献として、[[ノストラダムス]]の『[[1567年向けの暦>ALMANACH POVR L'AN M.D.LXVII.]]』しか挙げていない。しかし、オドは『[[1565年向けの暦>Almanach Povr L'An M. D. LXV.]]』も出版しており、フランス国立図書館には1565年に出版された王令も現存している(([[http://catalogue.bnf.fr/ark:/12148/cb338116724/PUBLIC]]))。  他方、リヨン市立図書館には1573年に「ブノワ・オドの未亡人」が手がけた文献も残されている。  これらからすると、おそらく1560年代半ばに活動し、1570年代初めまでに亡くなっていたのだろうと考えられる。 *ノストラダムス関連  上記の通り、『[[1565年向けの暦>Almanach Povr L'An M. D. LXV.]]』と『[[1567年向けの暦>ALMANACH POVR L'AN M.D.LXVII.]]』を出版した。  ノストラダムスの暦書がリヨンで出されるときには、ブロトー親子([[ジャン・ブロトー]]、[[ピエール・ブロトー]])やアントワーヌ・ヴォランの手で出版されるのが常であり、オドが出したこの2冊は例外的なものである(実際、その間に出された『[[1566年向けの暦>ALMANACH POVR L'AN M. D. LXVI.]]』は、ピエール・ブロトーとアントワーヌ・ヴォランが手がけた)。 ---- #comment

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