「ミシェル・ノストラダムス師の新予言 (1650年)」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
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『&bold(){ミシェル・ノストラダムス師の新予言}』(Nouuelle Prophetie de M. Michel Nostradamus)は、ノストラダムスの『[[予言集>ミシェル・ノストラダムス師の予言集]]』の版の一つである。1650年にパリの[[シルヴェストル・モロー]]が出版したことになっているが、疑わしい。題名は[[1603年のモロー版>ミシェル・ノストラダムス師の新予言 (1603年)]]を除けば全く使われたことのない珍しいもので、以降に引き継がれることがなかった。
*正式名
-NOVVELLE PROPHETIE DE M. MICHEL NOSTRADAMVS, qui n'ont jamais esté veuës, ny imprimées, qu'en ceste presente Année.
--DEDIE' AV ROY.
--A PARIS
--Pour Syluestre Moreau, Libraire,
--M.DC.L.
--AVEC PERMISSION.
-今年まで出版されることも一切目にされることもなかったミシェル・ノストラダムス師の新予言
--王に捧げられた版
--パリにて
--書肆シルヴェストル・モローのために。
--1650年。
--特認付き。
Nouvelle Prophetie とあるのは Nouvelles Propheties とある方が本来は正しい。
なお、業者名は普通 Par, Chez などが使われる場合が多いが、少なくとも当時の特認の表記では、Par (~により) が印刷業者を示すのに対し、Pour (~のために) は書籍商を示すのに使われたという((宮下志朗 「ルネサンスの『特認』と海賊版」『図書』2007年6月号、p.4))。
*構成
百詩篇第8巻1番から第10巻100番から成り立っており、第二序文すら省かれている。第二部のみの単独出版自体が非常に珍しいが、第二序文まで省いた例はほかに確認されていない。
*偽作説
[[ダニエル・ルソ]]は18世紀の偽年代版を疑っていた。理由として挙げているのは半世紀隔たっている[[1603年のモロー版>ミシェル・ノストラダムス師の新予言 (1603年)]]との間でティポグラフィー(Typographie, 植字・組版)が一致するためとしていた。もっとも、当「大事典」でこれらの版のフォトコピーを見比べる範囲では、ルソの主張はいまひとつよく分からない。むしろ、活字や字間・行間が明らかに異なっているように見える(実際、行ごとのバランスが明らかに違う)。
実例を一つ挙げておこう。最後の詩、つまり[[百詩篇第10巻100番]]である。
#ref(1630contre1650.png)
【画像】 第10巻100番の比較(左・1603年版モロー版、右・1650年モロー版)((画像の出典:いずれもフランス国立図書館蔵書のフォトコピーによる。))
一見して明らかなように、1603年版は最後のページの冒頭にこの詩が来ているが、1650年版は直前の詩の後半が最後のページに含まれている。また、1行目の Angleterre の A のサイズが明らかに異なる。さらに、1603年版の場合、一番短いのは4行目だが、字間や活字の違いから、1650年版では3行目の方が短くなっている。これでティポグラフィが一致しているといえるのだろうか。もっとも、表題の「~のために」からすれば、実際に植字を担当した業者が異なっていたと考えることが出来、このこと自体は湖の版の審議を判断する直接的な論拠とはしがたい。
[[ミシェル・ショマラ]]や[[ロベール・ブナズラ]]はそのまま1650年と位置付け、偽作説はルソの見解として紹介しているに過ぎないが、[[パトリス・ギナール]]は偽作を疑っている ((Chomarat [1989] no.210, Benazra [1990] pp.219-220, Guinard [2008a] pp.98-100))。
当「大事典」ではルソとは理由が異なるが、偽作の疑いは強いと考える。
それは、1650年モロー版が特異な異文を含んでいること(例を挙げると[[百詩篇第10巻72番]]で d'[[effrayeur]]を d'effrayent とし、Mars を Mais と綴っている版は、当「大事典」で確認している数十種の古版本のなかで他に無い)、そして[[シルヴェストル・モロー]]の活動時期が1621年までであったことが理由である。刊行年に誤記や誤植がない限り、18世紀かどうかはともかく、別人によって偽作されたものであろうことはほぼ疑いないものと思われるのである。
*所蔵先
-フランス国立図書館
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#comment
『&bold(){ミシェル・ノストラダムス師の新予言}』(Nouuelle Prophetie de M. Michel Nostradamus)は、ノストラダムスの『[[予言集>ミシェル・ノストラダムス師の予言集]]』の版の一つである。1650年にパリの[[シルヴェストル・モロー]]が出版したことになっているが、疑わしい。題名は[[1603年のモロー版>ミシェル・ノストラダムス師の新予言 (1603年)]]を除けば全く使われたことのない珍しいもので、以降に引き継がれることがなかった。
*正式名
-NOVVELLE PROPHETIE DE M. MICHEL NOSTRADAMVS, qui n'ont jamais esté veuës, ny imprimées, qu'en ceste presente Année.
--DEDIE' AV ROY.
--A PARIS
--Pour Syluestre Moreau, Libraire,
--M.DC.L.
--AVEC PERMISSION.
-今年まで出版されることも一切目にされることもなかったミシェル・ノストラダムス師の新予言
--王に捧げられた版
--パリにて
--書肆シルヴェストル・モローのために。
--1650年。
--特認付き。
Nouvelle Prophetie とあるのは Nouvelles Propheties とある方が本来は正しい。
なお、業者名は普通 Par, Chez などが使われる場合が多いが、少なくとも当時の特認の表記では、Par (~により) が印刷業者を示すのに対し、Pour (~のために) は書籍商を示すのに使われたという((宮下志朗 「ルネサンスの『特認』と海賊版」『図書』2007年6月号、p.4))。
*構成
百詩篇第8巻1番から第10巻100番から成り立っており、第二序文すら省かれている。第二部のみの単独出版自体が非常に珍しいが、第二序文まで省いた例はほかに確認されていない。
*偽作説
[[ダニエル・ルソ]]は18世紀の偽年代版を疑っていた。理由として挙げているのは半世紀隔たっている[[1603年のモロー版>ミシェル・ノストラダムス師の新予言 (1603年)]]との間でティポグラフィー(Typographie, 植字・組版)が一致するためとしていた。もっとも、当「大事典」でこれらの版のフォトコピーを見比べる範囲では、ルソの主張はいまひとつよく分からない。むしろ、活字や字間・行間が明らかに異なっているように見える(実際、行ごとのバランスが明らかに違う)。
実例を一つ挙げておこう。最後の詩、つまり[[百詩篇第10巻100番]]である。
#ref(1630contre1650.png)
【画像】 第10巻100番の比較(左・1603年版モロー版、右・1650年モロー版)((画像の出典:いずれもフランス国立図書館蔵書のフォトコピーによる。))
一見して明らかなように、1603年版は最後のページの冒頭にこの詩が来ているが、1650年版は直前の詩の後半が最後のページに含まれている。また、1行目の Angleterre の A のサイズが明らかに異なる。さらに、1603年版の場合、一番短いのは4行目だが、字間や活字の違いから、1650年版では3行目の方が短くなっている。これでティポグラフィが一致しているといえるのだろうか。もっとも、表題の「~のために」からすれば、実際に植字を担当した業者が異なっていたと考えることが出来るため、このこと自体はこの版の真偽を判断する直接的な論拠とはしがたい。
[[ミシェル・ショマラ]]や[[ロベール・ブナズラ]]はそのまま1650年と位置付け、偽作説はルソの見解として紹介しているに過ぎないが、[[パトリス・ギナール]]は偽作を疑っている ((Chomarat [1989] no.210, Benazra [1990] pp.219-220, Guinard [2008a] pp.98-100))。
当「大事典」ではルソとは理由が異なるが、偽作の疑いは強いと考える。
それは、1650年モロー版が特異な異文を含んでいること(例を挙げると[[百詩篇第10巻72番]]で d'[[effrayeur]]を d'effrayent とし、Mars を Mais と綴っている版は、当「大事典」で確認している数十種の古版本のなかで他に無い)、そして[[シルヴェストル・モロー]]の活動時期が1621年までであったことが理由である。刊行年に誤記や誤植がない限り、18世紀かどうかはともかく、別人によって偽作されたものであろうことはほぼ疑いないものと思われるのである。
*所蔵先
-フランス国立図書館
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