「詩百篇第10巻31番」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
「詩百篇第10巻31番」(2019/02/12 (火) 22:42:17) の最新版変更点
追加された行は緑色になります。
削除された行は赤色になります。
[[詩百篇第10巻]]>31番*
*原文
Le saint&sup(){1} empire&sup(){2} viendra en Germanie&sup(){3},
[[Ismaelites>Ismaëlite]]&sup(){4} trouueront&sup(){5} lieux ouuerts.
Anes vouldront&sup(){6} aussi la [[Carmanie]]&sup(){7},
Les soustenens de terre&sup(){8} tous couuerts&sup(){9}.
**異文
(1) saint : Saint 1672Ga
(2) empire : Empire 1568C 1572Cr 1611B 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1653AB 1981EB 1665Ba 1667Wi 1672Ga 1716PR 1720To 1772Ri 1840
(3) Germanie : Germaie 1611B
(4) Ismaelites 1568X 1568A 1590Ro 1603Mo 1672Ga : Ismaëlites &italic(){T.A.Eds.}
(5) trouueront : treuueront 1627Ma 1627Di
(6) vouldront : viendront 1672Ga
(7) la Carmanie : la Germanie 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1720To, la Garmanie 1650Le, de la Caramanie 1672Ga
(8) terre : terres 1667Wi 1668P, Terre 1672Ga
(9) couuerts : ouuerts 1611B 1653AB 1981EB 1665Ba, couvert 1772Ri
*日本語訳
神聖な帝国がゲルマニアに来るだろう。
イシュマエルの末裔たちは開かれた場所を見つけるだろう。
ロバたちもカルマニアを欲するだろう。
支持する者たちは皆、土に覆われる。
**訳について
1行目は「現れるだろう」と訳されることがしばしばあるが、ここでは直訳した。
山根訳は細かな表記を除けば問題ない。
大乗訳1行目「聖なる威力はドイツにおこり」((大乗 [1975] p.292))は empire を「威力」と訳すのが疑問。
同3行目「ロバはカルマニアからでて」は、基にしている異文の訳としては許容範囲内だが、aussi が訳されていない(なお、ロバーツの原文は 1672 と異なり de が落ちているので、「~から来る」と訳そうにも不正確である)。
同4行目「彼の役目を受けて すべて地上をおおう」は前半が意味不明。後半も couvert(e) de は「~で覆われる」の意味なので不適切。同じ指摘は[[五島勉]]の訳にもあてはまる。
*信奉者側の見解
[[テオフィル・ド・ガランシエール]](1672年)は、トルコによるドイツ侵略が起こることの予言とした((Garencieres [1672]))。その後、1930年代までこの詩の解釈は見られない。
[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]は将来起こる西欧とイスラーム勢力の衝突に関連付けた((Fontbrune [1939] p.246))。[[ロルフ・ボズウェル]]や[[スチュワート・ロッブ]]も似たようなものだが、彼らはそのときにドイツが再び熱心なキリスト教国に戻ることの予言とした((Boswell [1943] p.323, ロッブ [1974] pp.89-90))。
[[セルジュ・ユタン]]は1871年のドイツ帝国(第二帝国)成立の予言としつつ、汎ゲルマン主義を掲げる第三帝国にも当てはまりうるとした((Hutin [1978]))。
[[ジョン・ホーグ]]は『ノストラダムスと千年紀』(1987年)において、1行目の「神聖な帝国」を「ロシア」、ゲルマニアを「アフガニスタン」と訳し、ソ連のアフガニスタン侵攻(1979年)と解釈した。
[[エリカ・チータム]]は1973年の時点ではこの詩に全く触れていなかったのだが、後にホーグのこの翻訳を引き合いに出し、それを支持しないと表明した((Cheetham [1990]))。ホーグの本の日本語版『ノストラダムスの千年記』でもこの部分は訳されており、[[山本弘]]はその訳の強引さを指摘した((山本[1999] pp.248-249))。
この英訳についてはホーグ自身が後に釈明し、自分が一切与り知らないところで編集者の[[ピーター・ローリー]]が勝手に挿入したが、初版出荷直前に気づいたときには手遅れで、改訂版で訂正することになったと主張した((Hogue [1997/1999]))。
ホーグは、神聖ローマ帝国と関わりがあるのではないかとしたチータムの読み方に同意している。
なお、ソ連のアフガニスタン侵攻と解釈した他の論者としては、[[モーリス・シャトラン]]が挙げられる((シャトラン [1998] pp.95-96))。
[[五島勉]]は3行目の Carmanie を英語のカーマニアと結びつけ、ノストラダムスがドイツの自動車メーカーの隆盛を予言したと解釈した。五島は「馬についての対話」という史料も引き合いに出し、ノストラダムスはカトリーヌ・ド・メディシスに carro に近い名で呼ばれる乗り物の登場を予言していたと述べた((五島 [1973] pp.33-46))。
この詩をドイツの自動車メーカーと結びつける解釈は、『[[ノストラダムス全予言>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]』の日本語版スタッフ、[[大川隆法]]を通じて語ったというノストラダムスを名乗る霊、[[池田邦吉]]らも展開した((大川『ノストラダムスの新予言』文庫版、pp.63-64 ; 池田『ノストラダムスの預言書解読III』pp.225-226))。
[[内藤正俊]]はクルマ社会の到来とする五島の解釈には無理があると批判し、ノストラダムスは『黙示録』にある日の出の方角から来るものをイランと推測し、それがヨーロッパを荒らしに来ると見ていたのではないかとした((内藤『ノストラダムスと聖書の預言』pp.91-92, 125))。
[[加治木義博]]は「神聖な帝国」を(神聖帝国と自称した)第三帝国と解釈し、ヒトラーの再来と思われることが近未来にドイツで見られると解釈した((加治木『真説ノストラダムスの大予言 激動の日本・激変する世界』p.194))。
**懐疑的な視点
五島が紹介している「馬についての対話」は架空の史料であろう。彼はそれを王室書記マロンの日誌にある記述を元に欧米の研究者達がまとめたものとしているが、[[ロベール・ブナズラ]]らの包括的な書誌研究にも、[[エドガール・ルロワ]]や[[ピエール・ブランダムール]]らの実証性の高い伝記にも一切見られない。
そもそもその対話があったという1552年ごろには、ノストラダムスと王室の接点自体が存在していなかった。
*同時代的な視点
[[ピーター・ラメジャラー]]は、『[[ミラビリス・リベル]]』におけるイスラーム勢力のヨーロッパ侵攻のモチーフと重ね合わせている((Lemesurier [2003b]))。
五島勉は神聖ローマ帝国が現在のドイツ領よりも広大な国家で、ドイツ内にできたものではなかったことをもって神聖ローマ帝国に否定的な見解を示したが、神聖ローマ帝国は15世紀以降「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」という国号を用いるようになり、1512年以降は公文書にも登場するようになっている((菊池良生『神聖ローマ帝国』講談社現代新書、p.189))。
「神聖な帝国」を神聖ローマ帝国とすることに特段の問題はないように思われる。
----
&bold(){コメントらん}
以下のコメント欄は[[コメントの著作権および削除基準>著作権について]]を了解の上でご使用ください。
- ナチ時代にドイツが神聖ローマ帝国を継承する第三帝国だと盛んに用いられた。ヒトラーはアーリア人が最高の人種だと考え、党員(ロバ)たちもそれを支持した。「イラン」という国名はペルシア語で「アーリア人の国」を意味する。1921年にレザー・ハーンがクーデターを起こして1925年にはイラン皇帝に即位し、パーレビー朝を開始した。1941年に親ナチス政策に転換したが、ソ連が彼を強制的に失脚させた。 -- とある信奉者 (2013-02-07 22:20:14)
#comment
[[詩百篇第10巻]]>31番*
*原文
Le saint&sup(){1} empire&sup(){2} viendra en Germanie&sup(){3},
[[Ismaelites>Ismaëlite]]&sup(){4} trouueront&sup(){5} lieux ouuerts.
Anes vouldront&sup(){6} aussi la [[Carmanie]]&sup(){7},
Les soustenens de terre&sup(){8} tous couuerts&sup(){9}.
**異文
(1) saint : Saint 1672Ga
(2) empire : Empire 1568C 1572Cr 1611B 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1653AB 1981EB 1665Ba 1667Wi 1672Ga 1716PR 1720To 1772Ri 1840
(3) Germanie : Germaie 1611B
(4) Ismaelites 1568X 1568A 1590Ro 1603Mo 1672Ga : Ismaëlites &italic(){T.A.Eds.}
(5) trouueront : treuueront 1627Ma 1627Di
(6) vouldront : viendront 1672Ga
(7) la Carmanie : la Germanie 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1720To, la Garmanie 1650Le, de la Caramanie 1672Ga
(8) terre : terres 1667Wi 1668P, Terre 1672Ga
(9) couuerts : ouuerts 1611B 1653AB 1981EB 1665Ba, couvert 1772Ri
*日本語訳
神聖な帝国がゲルマニアに来るだろう。
イシュマエルの末裔たちは開かれた場所を見つけるだろう。
ロバたちもカルマニアを欲するだろう。
支持する者たちは皆、土に覆われる。
**訳について
1行目は「現れるだろう」と訳されることがしばしばあるが、ここでは直訳した。
山根訳は細かな表記を除けば問題ない。
大乗訳1行目「聖なる威力はドイツにおこり」((大乗 [1975] p.292))は empire を「威力」と訳すのが疑問。
同3行目「ロバはカルマニアからでて」は、基にしている異文の訳としては許容範囲内だが、aussi が訳されていない(なお、ロバーツの原文は 1672 と異なり de が落ちているので、「~から来る」と訳そうにも不正確である)。
同4行目「彼の役目を受けて すべて地上をおおう」は前半が意味不明。後半も couvert(e) de は「~で覆われる」の意味なので不適切。同じ指摘は[[五島勉]]の訳にもあてはまる。
*信奉者側の見解
[[テオフィル・ド・ガランシエール]](1672年)は、トルコによるドイツ侵略が起こることの予言とした((Garencieres [1672]))。その後、1930年代までこの詩の解釈は見られない。
[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]は将来起こる西欧とイスラーム勢力の衝突に関連付けた((Fontbrune [1939] p.246))。[[ロルフ・ボズウェル]]や[[スチュワート・ロッブ]]も似たようなものだが、彼らはそのときにドイツが再び熱心なキリスト教国に戻ることの予言とした((Boswell [1943] p.323, ロッブ [1974] pp.89-90))。
[[セルジュ・ユタン]]は1871年のドイツ帝国(第二帝国)成立の予言としつつ、汎ゲルマン主義を掲げる第三帝国にも当てはまりうるとした((Hutin [1978]))。
[[ジョン・ホーグ]]は『ノストラダムスと千年紀』(1987年)において、1行目の「神聖な帝国」を「ロシア」、ゲルマニアを「アフガニスタン」と訳し、ソ連のアフガニスタン侵攻(1979年)と解釈した。
[[エリカ・チータム]]は1973年の時点ではこの詩に全く触れていなかったのだが、後にホーグのこの翻訳を引き合いに出し、それを支持しないと表明した((Cheetham [1990]))。ホーグの本の日本語版『ノストラダムスの千年記』でもこの部分は訳されており、[[山本弘]]はその訳の強引さを指摘した((山本[1999] pp.248-249))。
この英訳についてはホーグ自身が後に釈明し、自分が一切与り知らないところで編集者の[[ピーター・ローリー]]が勝手に挿入したが、初版出荷直前に気づいたときには手遅れで、改訂版で訂正することになったと主張した((Hogue [1997/1999]))。
ホーグは、神聖ローマ帝国と関わりがあるのではないかとしたチータムの読み方に同意している。
なお、ソ連のアフガニスタン侵攻と解釈した他の論者としては、[[モーリス・シャトラン]]が挙げられる((シャトラン [1998] pp.95-96))。
[[五島勉]]は3行目の Carmanie を英語のカーマニアと結びつけ、ノストラダムスがドイツの自動車メーカーの隆盛を予言したと解釈した。五島は「馬についての対話」という史料も引き合いに出し、ノストラダムスはカトリーヌ・ド・メディシスに carro に近い名で呼ばれる乗り物の登場を予言していたと述べた((五島 [1973] pp.33-46))。
この詩をドイツの自動車メーカーと結びつける解釈は、『[[ノストラダムス全予言>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]』の日本語版スタッフ、[[大川隆法]]を通じて語ったというノストラダムスを名乗る霊、[[池田邦吉]]らも展開した((大川『ノストラダムスの新予言』文庫版、pp.63-64 ; 池田『ノストラダムスの預言書解読III』pp.225-226))。
[[内藤正俊]]はクルマ社会の到来とする五島の解釈には無理があると批判し、ノストラダムスは『黙示録』にある日の出の方角から来るものをイランと推測し、それがヨーロッパを荒らしに来ると見ていたのではないかとした((内藤『ノストラダムスと聖書の預言』pp.91-92, 125))。
[[加治木義博]]は「神聖な帝国」を(神聖帝国と自称した)第三帝国と解釈し、ヒトラーの再来と思われることが近未来にドイツで見られると解釈した((加治木『真説ノストラダムスの大予言 激動の日本・激変する世界』p.194))。
**懐疑的な視点
五島が紹介している「馬についての対話」は架空の史料であろう。彼はそれを王室書記マロンの日誌にある記述を元に欧米の研究者達がまとめたものとしているが、[[ロベール・ブナズラ]]らの包括的な書誌研究にも、[[エドガール・ルロワ]]や[[ピエール・ブランダムール]]らの実証性の高い伝記にも一切見られない。
そもそもその対話があったという1552年ごろには、ノストラダムスと王室の接点自体が存在していなかった。
*同時代的な視点
[[ピーター・ラメジャラー]]は、『[[ミラビリス・リベル]]』におけるイスラーム勢力のヨーロッパ侵攻のモチーフと重ね合わせている((Lemesurier [2003b]))。
五島勉は神聖ローマ帝国が現在のドイツ領よりも広大な国家で、ドイツ内にできたものではなかったことをもって神聖ローマ帝国に否定的な見解を示したが、神聖ローマ帝国は15世紀以降「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」という国号を用いるようになり、1512年以降は公文書にも登場するようになっている((菊池良生『神聖ローマ帝国』講談社現代新書、p.189))。
「神聖な帝国」を神聖ローマ帝国とすることに特段の問題はないように思われる。
----
※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
----
&bold(){コメントらん}
以下に投稿されたコメントは&u(){書き込んだ方々の個人的見解であり}、当「大事典」としては、その信頼性などをなんら担保するものではありません (当「大事典」管理者である sumaru 自身によって投稿されたコメントを除く)。
なお、現在、コメント書き込みフォームは撤去していますので、新規の書き込みはできません。
- ナチ時代にドイツが神聖ローマ帝国を継承する第三帝国だと盛んに用いられた。ヒトラーはアーリア人が最高の人種だと考え、党員(ロバ)たちもそれを支持した。「イラン」という国名はペルシア語で「アーリア人の国」を意味する。1921年にレザー・ハーンがクーデターを起こして1925年にはイラン皇帝に即位し、パーレビー朝を開始した。1941年に親ナチス政策に転換したが、ソ連が彼を強制的に失脚させた。 -- とある信奉者 (2013-02-07 22:20:14)