予兆詩第115番

「予兆詩第115番」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

予兆詩第115番」(2010/06/14 (月) 23:45:40) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

予兆詩第115番(旧105番) 1565年について *原文 Cent fois plus pire estre cest an que l'an passé, Mesme aux plus grands du [[regne]], & plus clairs de l'Eglise&sup(){1}, Maux infinis leur voir, mort, exil, ruin'cassé. A mort grande estre peste, pluye, playes, gresle, bise.((原文はChevignard [1999] p.168による。)) **異文 (1) l'Eglise : l'eglise 1565Od (注記)1565Od は『[[1565年向けの暦>Almanach Povr L'An M. D. LXV.]]』の異文。この詩は以下に見るように、1565Od 以外の全ての版が[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]によって書き直されたものを基準にしていた。 **1594JFに基づく原文 Pire cent fois cest&sup(){1} an que l'an passé, Mesme aux plus Grands du regne & de l'Esglise&sup(){2}. Maux infinis, mort, exil, ruin&sup(){3}, cassé. A mort Grande estre&sup(){4}. peste, playes & bise&sup(){5}.((Chavigny [1594] p.172)) ***異文 (1) cest : c'est 1668P (2) l'Esglise : l'esglise 1589Rec (3) ruin 1594JF : ruin' 1589Rec, ruine &italic(){T.A.Eds.} (4) A mort Grande estre : La Grande à mort 1589Rec, A mort grandes estre 1668P (5) bise 1589Rec 1594JF : bille &italic(){T.A.Eds.} (注記)1589Rec は[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]の手稿『[[散文予兆集成>Recueil des Presages Prosaiques de M. Michel de Nostredame]]』の異文。 **校訂  ノストラダムスはこの年向けの予兆詩から、1行12音節を採用している。しかし、シャヴィニーはなぜか1行10音節に書き直してしまっていた。  従来はそれが正しい原文として受け止められていたが、正統性が全くない。 *日本語訳 この年は去年よりも百倍悪くなる、 王国の最も偉大な方々や教会の最も輝ける方々にとっても。 尽き果てぬ諸悪は彼等の死、追放、壊された廃墟をもたらすだろう。 偉大な女性は死に瀕する。ペスト、雨、傷、雹、北風。 **1594JFに基づく訳 この年は去年よりも百倍悪くなる、 王国や教会の最も偉大な方々にとっても。 尽き果てぬ諸悪、死、追放、壊された廃墟。 偉大な女性は死に瀕する。ペスト、傷、北風。 (注記)この詩の場合、異文との間で差異が大きいので、あえて1594JF に基づく訳も掲載しておく。なお、1行目は大意に影響しない語句が略されているだけなので、日本語だと差をつけづらい。 *信奉者側の見解  [[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]は、「この年」を1568年とし、第二次ユグノー戦争(1567年 - 1568年)が終結したものの、そのまま第三次ユグノー戦争(1568年 - 1570年)にもつれ込んだことが、前半に予言されているとした。ただし、4行目の死に瀕する偉大な女性は、特定できないとした((Chavigny [1594] p.172))。 *同時代的な視点  1565年が誰にとっても非常に悪い年になると、概略とともに述べたものだろう。  実際の1565年は、国王一行が1564年1月からフランス大巡幸を行い、王家の威光をフランス全土に知らしめようとしていた最中であった。第二次ユグノー戦争の開戦(1567年)はまだ少し先であり、各地での宗教対立はあったにせよ、1564年に比べて1565年の方が100倍悪かったなどとは到底いえないだろう。  「偉大な女性」が誰を想定したものかは判然としない。ノストラダムスが死を願う女性の有力者というと、イングランド女王エリザベス1世が候補の一人として挙がるだろう。  エリザベスはイギリス国教会の権威を高めようとしていたし、反カトリックの視点でフランスのプロテスタントに肩入れしていたからである。ノストラダムスの信仰がどうであれ、内乱を煽るかのような外国の干渉は好ましいものと映らなかった可能性がある。  エリザベス1世の可能性は信奉者の[[ジョン・ホーグ]]も指摘しているが((Hogue [1997/1999]))、彼も認めるようにエリザベスは1603年歿であり、本当にエリザベスを想定していたのだとしたら外れた予言ということになる。 ---- #comment

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: