詩百篇第10巻78番

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[[詩百篇第10巻]]>78番* *原文 Subite ioye en&sup(){1} subite tristesse&sup(){2} Sera à Romme aux graces embrassees [[Dueil>deul]]&sup(){3}, cris, pleurs&sup(){4}, larm.&sup(){5} sang excellant&sup(){6} liesse Contraires bandes&sup(){7} surprinses & [[troussees>trousser]]. **異文 (1) en : an 1568X (2) tristesse : tristessé 1672Ga (3) Dueil : Dueils 1697Vi 1720To, Deuil 1981EB (4) pleurs : pleur 1716PR (5) larm. 1568A 1568B 1568C 1590Ro 1591BR 1597Br 1603Mo 1605sn 1606PR 1607PR 1611A(b c) 1627Ma 1628dR 1649Xa 1649Ca 1650Ri 1650Le 1667Wi 1668 1772Ri : larm, 1568X 1672Ga, larme 1610Po 1627Di 1650Mo, larm 1611Aa 1627Di, l'arm. 1611B 1981EB, larmes, 1644Hu 1653AB 1665Ba 1697Vi 1720To, larmes 1716PR 1840 (6) excellant 1568X 1568A 1590Ro : excellent &italic(){T.A.Eds.} (7) bandes : bendes 1568X (注記1)larm の異文は不鮮明なので、1611Aaもlarm.かもしれない。1611Abも掠れているのか汚れなのか判別が難しい。 (注記2)1697Viは版の系譜の考察のために加えた。 **校訂  3行目 excellant か excellent かは、前者の方が正しいだろう。後者と理解すると、文脈にあてはまらない。実際、[[ピーター・ラメジャラー]]や[[ジャン=ポール・クレベール]]は excellant を採用している。 *日本語訳 突然の喜びが突然の悲しみへと、 恩寵に包まれたローマで変わるだろう、 悲嘆、叫び、悲哀、涙、流血が歓喜を上回りつつ。 敵対する部隊は急襲されて囚われる。 **訳について  3行目の excellant は形容詞の excellent (卓越した)とは異なり、exceller (乗り越える、凌ぐ)の現在分詞である。  [[ピーター・ラメジャラー]]は liesse を主語にとってそこだけ区切り、「悲嘆、叫び、涙、流血。そして歓喜が戻り来る」と訳しているが((Lemesurier [2003b] p.368))、少々強引ではないかと思える。ここでは[[ジャン=ポール・クレベール]]や[[マリニー・ローズ]]の読み方に従った((Clebert [2003], Rose [2002c] p.120))。  その一方で4行目は直訳した。クレベールは「住民たちは敵の部隊に急襲されて強奪される」という意味に理解しており、確かに文脈には整合するが、構文上からは少々不自然な言葉の補い方にも思えるため、[[エドガー・レオニ]]や[[ピーター・ラメジャラー]]のようにひとまずは直訳した。「敵対する部隊」はローマに敵対するという意味でなく、ローマへの侵略者に「敵対する」防衛側の部隊と理解すれば、クレベールの読み方に近くなるだろう。  大乗訳は全体的に疑問である。前半「とつじょ喜びと悲しみがもどり/ローマで歓迎されためぐみのうちに」((大乗 [1975] p.304))は、喜びと悲しみを並列的に訳しているのも不適切だし、構文理解も不明瞭である。  3行目の最後が「激しい騒ぎ」になっているのは、excellent に従った訳としても、liesse を「騒ぎ」と訳すことの妥当性が疑問。  4行目「反対の軍は驚いてにげるだろう」は、[[trousser]] を「にげる」と訳す根拠が不明。  山根訳は底本に従った訳としてはほとんど問題はないが、1行目「にわかな悲しみにかわるにわかな歓びが」((山根 [1988] p.340))は元になったはずの[[エリカ・チータム]]の英訳 Sudden joy into sudden sadness((Cheetham [1973] p.419))と比べても意味が正反対で、明らかに誤訳である。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、数組の新婚夫婦が喜びの最中に一転して悲劇に襲われることと解釈した。[[ヘンリー・C・ロバーツ]]もその解釈を踏襲した((Garencieres [1672], Roberts [1949/1994]))。  [[アナトール・ル・ペルチエ]]は未来の予言とし、ローマで祝祭が行われているときに暗転するが、イタリアを侵略した軍隊は偉大なケルト人によって打ち負かされることと解釈した((Le Pelletier [1867a] p.344))。  [[マックス・ド・フォンブリュヌ]]は近未来にファシズムの熱狂が悲しみに変わることと解釈した((Fontbrune [1939] p.221))。  [[セルジュ・ユタン]]はムッソリーニの黒シャツ隊がローマを占拠したことと解釈した((Hutin [1978]))。  [[ジョン・ホーグ]]は現代イタリアでのテレビ視聴の描写ではないかとし、飛行機や船舶の事故の映像を見て、瞬時に喜んだり悲しんだりする様子が描かれているのではないかとした((Hogue [1997/1999]))。  [[エリカ・チータム]]は何も解釈していなかったが、その日本語版『[[ノストラダムス全予言>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]』では、上に示した「にわかな悲しみにかわるにわかな歓びが」に基づいた解釈として、ローマ教皇ヨハネ・パウロ1世の急逝の後にヨハネ・パウロ2世が選出されたこととする解釈が示されていた。この解釈は[[池田邦吉]]も踏襲しており、彼の場合、詩番号(第10巻78番)とそこから導かれる15(7+8 = 15)は1978年10月15日を指し、これが新教皇の選出の日を的確に予言していたとした((池田『ノストラダムスの預言書解読II』pp.140-142))。  [[加治木義博]]も似たような訳文を使い、ローマは比喩とした上で、昭和天皇の崩御と今上天皇の即位と解釈した((加治木『真説ノストラダムスの大予言』pp.69-73))。 *同時代的な視点  [[ルイ・シュロッセ]]や[[ロジェ・プレヴォ]]は1557年のローマ情勢とした。この年の3月2日に教皇の援軍としてギーズ公がローマ入市を果たした際には、住民たちは歓呼の声で迎えた。しかし、自国情勢のためにフランス軍は撤退し、同じ年の8月26日にアルバ公がスペイン軍を率いてローマを侵略し、掠奪行為に及んだのである((Schlosser [1986] p.222, Prévost [1999] p.208))。 [[ピーター・ラメジャラー]]はこの読み方を支持しているが、彼の場合は『[[ミラビリス・リベル]]』の光景が投影されている要素にも触れている((Lemesurier [2003b]))。  [[ジャン=ポール・クレベール]]は1527年のローマ掠奪(サッコ・ディ・ローマ)がモデルになっているとした((Clébert [2003]))。 ---- #comment
[[詩百篇第10巻]]>78番* *原文 Subite ioye en&sup(){1} subite tristesse&sup(){2} Sera à Romme aux graces embrassees [[Dueil>deul]]&sup(){3}, cris, pleurs&sup(){4}, larm.&sup(){5} sang excellant&sup(){6} liesse Contraires bandes&sup(){7} surprinses & [[troussees>trousser]]. **異文 (1) en : an 1568X (2) tristesse : tristessé 1672Ga (3) Dueil : Dueils 1697Vi 1720To, Deuil 1981EB (4) pleurs : pleur 1716PR (5) &u(){larm.} : larm, 1568X 1672Ga, larme 1610Po 1627Di 1650Mo, larm 1611Aa 1627Di, l'arm. 1611B 1981EB, larmes, 1644Hu 1653AB 1665Ba 1697Vi 1720To, larmes 1716PR 1840 #co(){larm. 1568A 1568B 1568C 1590Ro 1591BR 1597Br 1603Mo 1605sn 1606PR 1607PR 1611Ab c 1627Ma 1628dR 1649Xa 1649Ca 1650Ri 1650Le 1667Wi 1668 1772Ri} (6) excellant 1568X 1568A 1590Ro : excellent &italic(){T.A.Eds.} (7) bandes : bendes 1568X (注記1)1611Aの larm の異文は不鮮明なので、1611Aaもlarm.かもしれない。1611Abも掠れているのか汚れなのか判別が難しい。 (注記2)1697Viは版の系譜の考察のために加えた。 **校訂  3行目 excellant か excellent かは、前者の方が正しいだろう。後者と理解すると、文脈にあてはまらない。実際、[[ピーター・ラメジャラー]]や[[ジャン=ポール・クレベール]]は excellant を採用している。 *日本語訳 突然の喜びが突然の悲しみへと、 恩寵に包まれたローマで変わるだろう、 悲嘆、叫び、悲哀、涙、流血が歓喜を上回りつつ。 敵対する部隊は急襲されて囚われる。 **訳について  3行目の excellant は形容詞の excellent (卓越した)とは異なり、exceller (乗り越える、凌ぐ)の現在分詞である。  [[ピーター・ラメジャラー]]は liesse を主語にとってそこだけ区切り、「悲嘆、叫び、涙、流血。そして歓喜が戻り来る」と訳しているが((Lemesurier [2003b] p.368))、少々強引ではないかと思える。ここでは[[ジャン=ポール・クレベール]]や[[マリニー・ローズ]]の読み方に従った((Clebert [2003], Rose [2002c] p.120))。  その一方で4行目は直訳した。クレベールは「住民たちは敵の部隊に急襲されて強奪される」という意味に理解しており、確かに文脈には整合するが、構文上からは少々不自然な言葉の補い方にも思えるため、[[エドガー・レオニ]]や[[ピーター・ラメジャラー]]のようにひとまずは直訳した。「敵対する部隊」はローマに敵対するという意味でなく、ローマへの侵略者に「敵対する」防衛側の部隊と理解すれば、クレベールの読み方に近くなるだろう。  大乗訳は全体的に疑問である。前半「とつじょ喜びと悲しみがもどり/ローマで歓迎されためぐみのうちに」((大乗 [1975] p.304))は、喜びと悲しみを並列的に訳しているのも不適切だし、構文理解も不明瞭である。  3行目の最後が「激しい騒ぎ」になっているのは、excellent に従った訳としても、liesse を「騒ぎ」と訳すことの妥当性が疑問。  4行目「反対の軍は驚いてにげるだろう」は、[[trousser]] を「にげる」と訳す根拠が不明。  山根訳は底本に従った訳としてはほとんど問題はないが、1行目「にわかな悲しみにかわるにわかな歓びが」((山根 [1988] p.340))は元になったはずの[[エリカ・チータム]]の英訳 Sudden joy into sudden sadness((Cheetham [1973] p.419))と比べても意味が正反対で、明らかに誤訳である。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、数組の新婚夫婦が喜びの最中に一転して悲劇に襲われることと解釈した。[[ヘンリー・C・ロバーツ]]もその解釈を踏襲した((Garencieres [1672], Roberts [1949/1994]))。  [[アナトール・ル・ペルチエ]]は未来の予言とし、ローマで祝祭が行われているときに暗転するが、イタリアを侵略した軍隊は偉大なケルト人によって打ち負かされることと解釈した((Le Pelletier [1867a] p.344))。  [[マックス・ド・フォンブリュヌ]]は近未来にファシズムの熱狂が悲しみに変わることと解釈した((Fontbrune [1939] p.221))。  [[セルジュ・ユタン]]はムッソリーニの黒シャツ隊がローマを占拠したことと解釈した((Hutin [1978]))。  [[ジョン・ホーグ]]は現代イタリアでのテレビ視聴の描写ではないかとし、飛行機や船舶の事故の映像を見て、瞬時に喜んだり悲しんだりする様子が描かれているのではないかとした((Hogue [1997/1999]))。  [[エリカ・チータム]]は何も解釈していなかったが、その日本語版『[[ノストラダムス全予言>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]』では、上に示した「にわかな悲しみにかわるにわかな歓びが」に基づいた解釈として、ローマ教皇ヨハネ・パウロ1世の急逝の後にヨハネ・パウロ2世が選出されたこととする解釈が示されていた。この解釈は[[池田邦吉]]も踏襲しており、彼の場合、詩番号(第10巻78番)とそこから導かれる15(7+8 = 15)は1978年10月15日を指し、これが新教皇の選出の日を的確に予言していたとした((池田『ノストラダムスの預言書解読II』pp.140-142))。  [[加治木義博]]も似たような訳文を使い、ローマは比喩とした上で、昭和天皇の崩御と今上天皇の即位と解釈した((加治木『真説ノストラダムスの大予言』pp.69-73))。 *同時代的な視点  [[ルイ・シュロッセ]]や[[ロジェ・プレヴォ]]は1557年のローマ情勢とした。この年の3月2日に教皇の援軍としてギーズ公がローマ入市を果たした際には、住民たちは歓呼の声で迎えた。しかし、自国情勢のためにフランス軍は撤退し、同じ年の8月26日にアルバ公がスペイン軍を率いてローマを侵略し、掠奪行為に及んだのである((Schlosser [1986] p.222, Prévost [1999] p.208))。 [[ピーター・ラメジャラー]]はこの読み方を支持しているが、彼の場合は『[[ミラビリス・リベル]]』の光景が投影されている要素にも触れている((Lemesurier [2003b]))。  [[ジャン=ポール・クレベール]]は1527年のローマ掠奪(サッコ・ディ・ローマ)がモデルになっているとした((Clébert [2003]))。 ---- #comment

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