Oracles of Nostradamus (1891)

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 『&bold(){ノストラダムス神託集}』(Oracles of Nostradamus)は、[[チャールズ・ウォード]]が執筆したノストラダムス予言の解釈書。1891年にロンドンのレドンホール・プレス(Leadenhall Press)から出版された。20世紀以降の英語圏の解釈に大きな影響を与え、何度も再版されている。 #amazon(1595478280) 【画像】『ノストラダムス神託集』(2007年の復刻版)の表紙(クリックするとAmazon のページに飛びます) *内容  最初にノストラダムスの伝記が載せられている。これは先行する伝記の英訳などではなく、ウォードが独自にまとめたものになっている。現代的視点で見れば、伝説的傾向の強さは否めない。  その後、「セザールへの手紙」と「アンリ2世への手紙」の英訳が載せられている。  MAGIC と題する方法論的トピックが続き、以降、時代ごとに予言の的中例を眺めてゆく形式になっている。的中例の最後はナポレオン3世時代であり、著書刊行時点(1891年)で未来に属していた事柄は対象になっていない。 *コメント  [[ヴライク・イオネスク]]は[[アナトール・ル・ペルチエ]]の解釈の焼き直しと評したが、実際には単純な焼き直しではなく、独自に解釈をしなおしたり、[[テオフィル・ド・ガランシエール]]や[[D.D.]]の解釈も取り込んで再編集している。また、未来解釈も組み込んでいたル・ペルチエと異なり、未来解釈に禁欲的な点も特徴的である。  従来、フランス語圏の解釈者([[バルタザール・ギノー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]ら)は、英語圏の解釈を考慮することがほとんどなかった。そのため、例えばロンドン大火とされた[[百詩篇第2巻51番]]、チャールズ2世とされた[[百詩篇第10巻4番]]などは、彼らの著書では全く触れられていない。  その一方、英語圏の体系的な解釈書は D.D. (1715年)のものが最後であり、フランス革命以降に関して次々と積み重ねられていったフランス語圏の解釈は、英語圏では余り紹介されていなかった。  そういう意味では、19世紀末の時点での英語圏の解釈と仏語圏の解釈を統合した著書ということができ、信奉者側の著書としては記念碑的なものといえるだろう。  ウォードのこの著書は、1940年に再編集されて再版された。当時、急速に数を増やしていた英語圏の解釈書に影響を及ぼしたことはもちろんだが、日本でも[[渡辺一夫]]や[[黒沼健]]といった最初期の紹介者たちの参考文献にもなった。  その後、現在までに何度も復刻版が出版されており、復刻版の一部の版はインターネット上で閲覧することも可能である。  なお、念のため付言しておくと、実証主義的な観点からは余り見るべきものがない。 ---- #comment
 『&bold(){ノストラダムス神託集}』(Oracles of Nostradamus)は、[[チャールズ・ウォード]]が執筆したノストラダムス予言の解釈書。1891年にロンドンのレドンホール・プレス(Leadenhall Press)から出版された。20世紀以降の英語圏の解釈に大きな影響を与え、何度も再版されている。 #amazon(1595478280) 【画像】『ノストラダムス神託集』(2007年の復刻版)の表紙 *内容  最初にノストラダムスの伝記が載せられている。これは先行する伝記の英訳などではなく、ウォードが独自にまとめたものになっている。現代的視点で見れば、伝説的傾向の強さは否めない。  その後、「セザールへの手紙」と「アンリ2世への手紙」の英訳が載せられている。  MAGIC と題する方法論的トピックが続き、以降、時代ごとに予言の的中例を眺めてゆく形式になっている。的中例の最後はナポレオン3世時代であり、著書刊行時点(1891年)で未来に属していた事柄は対象になっていない。 *コメント  [[ヴライク・イオネスク]]は[[アナトール・ル・ペルチエ]]の解釈の焼き直しと評したが、実際には単純な焼き直しではなく、独自に解釈をしなおしたり、[[テオフィル・ド・ガランシエール]]や[[D.D.]]の解釈も取り込んで再編集している。また、未来解釈も組み込んでいたル・ペルチエと異なり、未来解釈に禁欲的な点も特徴的である。  従来、フランス語圏の解釈者([[バルタザール・ギノー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]ら)は、英語圏の解釈を考慮することがほとんどなかった。  そのため、例えばロンドン大火とされた[[詩百篇第2巻51番]]、チャールズ2世とされた[[詩百篇第10巻4番]]などは、彼らの著書では全く触れられていない。  その一方、英語圏の体系的な解釈書は D.D. (1715年)のものが最後であり、フランス革命以降に関して次々と積み重ねられていったフランス語圏の解釈は、英語圏では余り紹介されていなかった。  そういう意味では、19世紀末の時点での英語圏の解釈と仏語圏の解釈を統合した著書ということができ、信奉者側の著書としては記念碑的なものといえるだろう。  ウォードのこの著書は、1940年に再編集されて再版された。当時、急速に数を増やしていた英語圏の解釈書に影響を及ぼしたことはもちろんだが、日本でも[[渡辺一夫]]や[[黒沼健]]といった最初期の紹介者たちの参考文献にもなった。  その後、現在までに何度も復刻版が出版されており、復刻版の一部の版はインターネット上で閲覧することも可能である。  なお、念のため付言しておくと、実証主義的な観点からは余り見るべきものがない。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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