百詩篇第2巻30番

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*原文 Vn qui les dieux&sup(){1} d'Annibal infernaulx Fera renaistre, [[effrayeur]]&sup(){2} des humains&sup(){3} Oncq'plus&sup(){4} d'horreurs&sup(){5} ne plus&sup(){6} pire&sup(){7} iournaux&sup(){8} Qu'auint&sup(){9} viendra par Babel aux Romains. **異文 (1) dieux : Dieux 1611B 1620PD 1627 1644 1650Ri 1653 1660 1665 1672 1792La (2) effrayeur : affrayeur 1588-89 (3) humains : Humains 1672 (4) Oncq'plus : Onc plus 1557B 1620PD 1672, Onc, plus 1588-89, Onq'plus 1590Ro, Oncq; plus 1627, Oncq plus 1589PV 1628 1649Ca 1650Le 1665 1668A 1716, Oncq. plus 1668P, Oncques plus 1772Ri (5) d'horreurs 1555 1557U 1588-89 1589PV 1840 : d'horreur &italic(){T.A.Eds.} (&italic(){sauf} : d'orreur 1668P) (6) ne plus : ne plns 1627 (7) pire : dire 1568 1590Ro 1597 1600 1605 1610 1611A 1627 1628 1644 1649Xa 1650Ri 1653 1665 1672 1716, pires 1588-89, dires 1611B 1660 1792La (8) iournaux : Iournaux 1620PD, fournaux &italic(){conj.(PB)} (9) Qu'auint : Qu'aduint 1649Ca 1650Le 1653 1665 1668 (注記)1792La はランドリオ出版社版の異文。 **校訂  3行目 journaux (日誌、新報)を[[ピエール・ブランダムール]]は fournaux (かまど)と校訂している。これは[[ブリューノ・プテ=ジラール]]や[[ジャン=ポール・クレベール]]が支持している。[[ピーター・ラメジャラー]]は、journaux をそのままにし、直前の pire を異文に従って dire と読んだ。 *日本語訳 その男はハンニバルの地獄の神々を 生き返らせるであろうところの、人類に恐れられる者である。 かつて生じたどれよりも大きい戦慄とより悪しきかまどが、 [[バベル>バビロン]]によって[[ローマ]]人たちへとやってくるだろう。 **訳について  3行目はブランダムールの校訂を受け入れ、fournaux として訳している。  4行目 Qu'avint は異文にもあるように Qu'advint (過去に生じたよりも)ということ。3行目の比較級から続いているので、便宜上3行目に回して訳した。  山根訳はおおむね許容範囲内だろう。後半「過去のどんな戦慄 新聞が伝えるどのような悪い事よりも/もっとひどい事がバベルによって ローマ人たちにもたらされよう」は意訳しすぎにも見えるが、journaux のまま訳そうとすると若干強引になるのは仕方がないだろう。  大乗訳の前半「すさまじいハンニバルの神々の一人/人類の恐れがふたたびよみがえり」((p.78))は、2行目の Fera の主語を何と取るかの違いだが、1行目の関係詞節の捉え方が微妙。  3行目「そこにはこれを越えた恐怖はなく 日々語りつくすこともできず」は誤訳。「そこには」と「語りつくす」という訳語が何から導かれたものか不明である。また、「日々」は journaux を jours ないし journalier と取り違えた結果ではないかとも思える。 *信奉者側の解釈  匿名の『[[百詩篇集に関する小論あるいは注釈>Petit discours ou Commentaire sur les Centuries]]』(1620年)は、ユグノー戦争末期のパリのカトリック同盟と国王アンリ3世の対立に関する詩と解釈した((Petit discours..., p.4))。  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、ローマ掠奪を行ったカール5世のこととした((Garencieres [1672]))。  [[アナトール・ル・ペルチエ]]はヴォルテールの思想(啓蒙思想)に関する詩と解釈した。ハンニバルは地獄の神々を証人としてローマへの嫌悪を示した人物とされた。ヴォルテールを筆頭として18世紀に作家やジャーナリストが続々と現れ、啓蒙思想を広めたことがローマにもたらした恐怖は、バベルの塔で起きたとされる混乱以来のものだとした((Le Pelletier [1867a] p.163))。  [[チャールズ・ウォード]]は、ハンニバルはアルプスを越えイタリアに侵攻した点で、ナポレオンの原型といえるとして、ナポレオンと解釈した((Ward [1891] pp.228,319))。  ナポレオンとする解釈は[[セルジュ・ユタン]]もしていた((Hutin [1978]))。  [[マックス・ド・フォンブリュヌ]]は、ここでいう地獄の神々とはモロク(Moloch, 人間を生贄として捧げさせたセム族の神)だろうとしたが、詩の内容についてはほとんどそのまま訳したような解釈しかつけていなかった((Fontbrune [1939] pp.227-228))。  [[アンドレ・ラモン]]は、ヒトラーがイタリアにもたらした不幸に関する予言とした((Lamont [1943] p.223))。  [[五島勉]]は他の詩とも関連付けつつ、中東がソ連と手を組み、アメリカ・西欧と衝突し、互いに滅びることになる予言と解釈した((五島『ノストラダムスの大予言III』pp.174-179))。 *同時代的な視点  [[ピーター・ラメジャラー]]は、ティトゥス・リウィウスの『ローマ建国史』に描かれたハンニバルのローマ侵略と、『[[ミラビリス・リベル]]』が描く将来のイスラーム勢力によるヨーロッパ侵攻のモチーフが投影されているとしている((Lemesurier [2003b]))。  [[ジャン=ポール・クレベール]]は、「地獄の神々」をモロクやバールといった古代の神々のこととしている。人間が生贄とされるときに生きたまま窯に放り込まれることの残酷さが「地獄」という形容に結びついたのだろうという。 クレベールは具体的なモデルを示していないが、一つの可能性として異端審問を挙げている。  [[ピエール・ブランダムール]]は、[[高田勇]]・[[伊藤進]]が紹介したように、[[暦書]]での用例を元にハンニバルは好戦的な政治家の象徴だろうとした。その上で、かまどの話は『ダニエル書』に登場するネブカドネザルのエピソードを想起させるもので、暴政を示しているのではないかとした((Brind’Amour [1996], 高田・伊藤 [1999]))。  なお、クレベールやブランダムールは「バベル」を殊更にバベルの塔とは結びつけず、単にバビロニアのこととした。 ---- #comment
*原文 Vn qui les dieux&sup(){1} d'Annibal infernaulx Fera renaistre, [[effrayeur]]&sup(){2} des humains&sup(){3} Oncq'plus&sup(){4} d'horreurs&sup(){5} ne plus&sup(){6} pire&sup(){7} iournaux&sup(){8} Qu'auint&sup(){9} viendra par Babel aux Romains. **異文 (1) dieux : Dieux 1611B 1620PD 1627 1644 1650Ri 1653 1660 1665 1672 1792La (2) effrayeur : affrayeur 1588-89 (3) humains : Humains 1672 (4) Oncq'plus : Onc plus 1557B 1620PD 1672, Onc, plus 1588-89, Onq'plus 1590Ro, Oncq; plus 1627, Oncq plus 1589PV 1628 1649Ca 1650Le 1665 1668A 1716, Oncq. plus 1668P, Oncques plus 1772Ri (5) d'horreurs 1555 1557U 1588-89 1589PV 1840 : d'horreur &italic(){T.A.Eds.} (&italic(){sauf} : d'orreur 1668P) (6) ne plus : ne plns 1627 (7) pire : dire 1568 1590Ro 1597 1600 1605 1610 1611A 1627 1628 1644 1649Xa 1650Ri 1653 1665 1672 1716, pires 1588-89, dires 1611B 1660 1792La (8) iournaux : Iournaux 1620PD, fournaux &italic(){conj.(PB)} (9) Qu'auint : Qu'aduint 1649Ca 1650Le 1653 1665 1668 (注記)1792La はランドリオ出版社版の異文。 **校訂  3行目 journaux (日誌、新報)を[[ピエール・ブランダムール]]は fournaux (かまど)と校訂している。これは[[ブリューノ・プテ=ジラール]]や[[ジャン=ポール・クレベール]]が支持している。[[ピーター・ラメジャラー]]は、journaux をそのままにし、直前の pire を異文に従って dire と読んだ。 *日本語訳 その男はハンニバルの地獄の神々を 生き返らせるであろうところの、人類に恐れられる者である。 かつて生じたどれよりも大きい戦慄とより悪しきかまどが、 [[バベル>バビロン]]によって[[ローマ]]人たちへとやってくるだろう。 **訳について  3行目はブランダムールの校訂を受け入れ、fournaux として訳している。  4行目 Qu'avint は異文にもあるように Qu'advint (過去に生じたよりも)ということ。3行目の比較級から続いているので、便宜上3行目に回して訳した。  山根訳はおおむね許容範囲内だろう。後半「過去のどんな戦慄 新聞が伝えるどのような悪い事よりも/もっとひどい事がバベルによって ローマ人たちにもたらされよう」は意訳しすぎにも見えるが、journaux のまま訳そうとすると若干強引になるのは仕方がないだろう。  大乗訳の前半「すさまじいハンニバルの神々の一人/人類の恐れがふたたびよみがえり」((p.78))は、2行目の Fera の主語を何と取るかの違いだが、1行目の関係詞節の捉え方が微妙。  3行目「そこにはこれを越えた恐怖はなく 日々語りつくすこともできず」は誤訳。「そこには」と「語りつくす」という訳語が何から導かれたものか不明である。また、「日々」は journaux を jours ないし journalier と取り違えた結果ではないかとも思える。 *信奉者側の解釈  匿名の『[[百詩篇集に関する小論あるいは注釈>Petit discours ou Commentaire sur les Centuries]]』(1620年)は、ユグノー戦争末期のパリのカトリック同盟と国王アンリ3世の対立に関する詩と解釈した((Petit discours..., p.4))。  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、ローマ掠奪を行ったカール5世のこととした((Garencieres [1672]))。  [[アナトール・ル・ペルチエ]]はヴォルテールの思想(啓蒙思想)に関する詩と解釈した。ハンニバルは地獄の神々を証人としてローマへの嫌悪を示した人物とされた。ヴォルテールを筆頭として18世紀に作家やジャーナリストが続々と現れ、啓蒙思想を広めたことがローマにもたらした恐怖は、バベルの塔で起きたとされる混乱以来のものだとした((Le Pelletier [1867a] p.163))。  [[チャールズ・ウォード]]は、ハンニバルはアルプスを越えイタリアに侵攻した点で、ナポレオンの原型といえるとして、ナポレオンと解釈した((Ward [1891] pp.228,319))。  ナポレオンとする解釈は[[セルジュ・ユタン]]もしていた((Hutin [1978]))。  [[マックス・ド・フォンブリュヌ]]は、ここでいう地獄の神々とはモロク(Moloch, 人間を生贄として捧げさせたセム族の神)だろうとしたが、詩の内容についてはほとんどそのまま訳したような解釈しかつけていなかった((Fontbrune [1939] pp.227-228))。  [[アンドレ・ラモン]]は、ヒトラーがイタリアにもたらした不幸に関する予言とした((Lamont [1943] p.223))。  [[五島勉]]は他の詩とも関連付けつつ、中東がソ連と手を組み、アメリカ・西欧と衝突し、互いに滅びることになる予言と解釈した((五島『ノストラダムスの大予言III』pp.174-179))。 *同時代的な視点  [[ピーター・ラメジャラー]]は、ティトゥス・リウィウスの『ローマ建国史』に描かれたハンニバルのローマ侵略と、『[[ミラビリス・リベル]]』が描く将来のイスラーム勢力によるヨーロッパ侵攻のモチーフが投影されているとしている((Lemesurier [2003b]))。  [[ジャン=ポール・クレベール]]は、「地獄の神々」をモロクやバールといった古代の神々のこととしている。人間が生贄とされるときに生きたまま窯に放り込まれることの残酷さが「地獄」という形容に結びついたのだろうという。 クレベールは具体的なモデルを示していないが、一つの可能性として異端審問を挙げている。  [[ピエール・ブランダムール]]は、[[高田勇]]・[[伊藤進]]が紹介したように、[[暦書]]での用例を元にハンニバルは好戦的な政治家の象徴だろうとした。その上で、かまどの話は『ダニエル書』に登場するネブカドネザルのエピソードを想起させるもので、暴政を示しているのではないかとした((Brind’Amour [1996], 高田・伊藤 [1999]))。  なお、クレベールやブランダムールは「バベル」を殊更にバベルの塔とは結びつけず、単にバビロニアのこととした。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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