Les Vraies Centuries et Prophéties de Michel Nostradamus (Reynaud-Plense)

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 『&bold(){ミシェル・ノストラダムスの真の百詩篇集と予言集}』(Les Vraies Centuries et Prophéties de Michel Nostradamus)は、[[シャルル・レノー=プランス]]の著書。1940年に[[サロン=ド=プロヴァンス]]のアンプリムリー・レジオナル(Imprimerie régionale)から出版された。表紙に「1939」とある版と「1940」とある版の二通りがある。 *正式名 -Les Vraies Centuries et Prophéties de Michel Nostradamus Médecin-Astrologue et conseiller ordinaire des Rois Henri II, François II et Charles IX (1503-1566). --Le Grand Voyant de Salon. --Colligées des premières éditions imprimées à Lyon en 1558-1568-1605 et, à Troyes, en 1611, et, à Leyde en 1650 avec sa Vie, et, un Glossaire Nostradamique par Charles Reynaud-Plense Conservateur-Adjoint du Musée de l'Emperi à Salon-de-Provence. -国王アンリ二世、フランソワ二世、シャルル九世附きの常任侍医・顧問・占星術師ミシェル・ノストラダムス(1503年 - 1566年)の真の百詩篇集と予言集。 --サロンの偉大な先見者 --1558年・1568年・1605年の各リヨン版、1611年トロワ版、1650年ライデン版などの初期の版に基づき校正され、伝記とサロン=ド=プロヴァンスのアンペリ城博物館学芸員補佐シャルル・レノー=プランスによるノストラダムス語彙集が併録されている版。 *内容  1940年版を基準に叙述する。  ペーパーバックで表紙には緑色の紙が使われている。  表紙と全く同じ中扉に続き、レノー=プランスによる序文が掲載されている。  その後に、「ジャン=エメ・ド・シャヴィニーによるノストラダムスの生涯」と題する伝記が収録されている。実際には、シャヴィニーの伝記を下敷きにしつつも、レノー=プランス自身による加筆がかなりある。一応、引用部と地の文が分けられてはいるが、引用部にも本来存在しなかった加筆が紛れ込んでいる。なお、この伝記には豊富な図版が併録されている。  その後、『予言集』正編が第一序文([[セザールへの手紙]])、百詩篇第1巻から第7巻、第二序文([[アンリ2世への手紙]])、百詩篇第8巻から第10巻の順に収録されている。  そのあと補遺篇に関する解説、百詩篇補遺、六行詩、予兆詩141篇が収録されている。なお、解説は[[アナトール・ル・ペルチエ]]のものと酷似している。  最後に用語集が掲載されている。これもル・ペルチエのものを踏襲している部分がかなりあるが、[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]らの解釈を基にして差し替えている項目もある。  本編の後に、[[サロン=ド=プロヴァンス]]や周辺の町の名所案内(広告)が載せられている。  [[ジャン=ポール・ラロッシュ]]の紹介によれば、1939年版はペーパーバックで表紙はオレンジ色だという。伝記、予言詩、用語集などの構成は1940年版と同じようだが、写真・図版の類への言及が全くない。 **コメント  題名には複数の版への言及があるが、オリジナルに当たったかは不明である。  レノー=プランスは明言していないが、一部の内容から言って彼が[[アナトール・ル・ペルチエ]]の『[[ミシェル・ド・ノートルダム神託集>Les Oracles de Michel de Nostredame, 1867]]』を参照していたことは間違いなく、その『神託集』では、1558年リヨン版(実際には17世紀初頭)、1568年リヨン版(実際には[[1772年頃の偽版>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (偽ブノワ・リゴー版)]])、[[1605年版>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1605年)]]、[[1650年ライデン版>ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ピエール・レファン、1650年)]]が用いられていた。それとは別に、1939年には[[1611年トロワ版>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・シュヴィヨ、1611年)]]の復刻版も出されていた。  以上から、彼が挙げている諸版を参照したというよりも、単にル・ペルチエの著書などから孫引きした可能性も容易に想定できるのである。 *出版年  表紙に「1939年」とある版は巻末に「1940年1月6日印刷終了」と書かれているという((Laroche [1999]))。  表紙に「1940年」とある版は巻末には何も書かれていない。これらからすれば、どちらの版も実質的に印刷されたのは1940年といえるだろう。 *派生  [[セルジュ・ユタン]]は一連の『[[ノストラダムス予言集>Les Prophéties de Nostradamus (Hutin)]]』について、このレノー=プランスの原文を底本としたことを明記している。 ---- #comment
 『&bold(){ミシェル・ノストラダムスの真の百詩篇集と予言集}』(Les Vraies Centuries et Prophéties de Michel Nostradamus)は、[[シャルル・レノー=プランス]]の著書。1940年に[[サロン=ド=プロヴァンス]]のアンプリムリー・レジョナル(Imprimerie régionale)から出版された。表紙に「1939」とある版と「1940」とある版の二通りがある。 *正式名 -Les Vraies Centuries et Prophéties de Michel Nostradamus Médecin-Astrologue et conseiller ordinaire des Rois Henri II, François II et Charles IX (1503-1566). --Le Grand Voyant de Salon. --Colligées des premières éditions imprimées à Lyon en 1558-1568-1605 et, à Troyes, en 1611, et, à Leyde en 1650 avec sa Vie, et, un Glossaire Nostradamique par Charles Reynaud-Plense Conservateur-Adjoint du Musée de l'Emperi à Salon-de-Provence. -国王アンリ二世、フランソワ二世、シャルル九世附きの常任侍医・顧問・占星術師ミシェル・ノストラダムス(1503年 - 1566年)の真の百詩篇集と予言集。 --サロンの偉大な先見者 --1558年・1568年・1605年の各リヨン版、1611年トロワ版、1650年ライデン版などの初期の版に基づき校正され、伝記とサロン=ド=プロヴァンスのアンペリ城博物館学芸員補佐シャルル・レノー=プランスによるノストラダムス語彙集が併録されている版。 *内容  1940年版を基準に叙述する。  ペーパーバックで表紙には緑色の紙が使われている。  表紙と全く同じ中扉に続き、レノー=プランスによる序文が掲載されている。  その後に、「ジャン=エメ・ド・シャヴィニーによるノストラダムスの生涯」と題する伝記が収録されている。実際には、シャヴィニーの伝記を下敷きにしつつも、レノー=プランス自身による加筆がかなりある。一応、引用部と地の文が分けられてはいるが、引用部にも本来存在しなかった加筆が紛れ込んでいる。なお、この伝記には豊富な図版が併録されている。  その後、『予言集』正編が第一序文([[セザールへの手紙]])、百詩篇第1巻から第7巻、第二序文([[アンリ2世への手紙]])、百詩篇第8巻から第10巻の順に収録されている。  そのあと補遺篇に関する解説、百詩篇補遺、六行詩、予兆詩141篇が収録されている。なお、解説は[[アナトール・ル・ペルチエ]]のものと酷似している。  最後に用語集が掲載されている。これもル・ペルチエのものを踏襲している部分がかなりあるが、[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]らの解釈を基にして差し替えている項目もある。  本編の後に、[[サロン=ド=プロヴァンス]]や周辺の町の名所案内(広告)が載せられている。  [[ジャン=ポール・ラロッシュ]]の紹介によれば、1939年版はペーパーバックで表紙はオレンジ色だという。伝記、予言詩、用語集などの構成は1940年版と同じようだが、写真・図版の類への言及が全くない。 **コメント  題名には複数の版への言及があるが、オリジナルに当たったかは不明である。  レノー=プランスは明言していないが、一部の内容から言って彼が[[アナトール・ル・ペルチエ]]の『[[ミシェル・ド・ノートルダム神託集>Les Oracles de Michel de Nostredame, 1867]]』を参照していたことは間違いなく、その『神託集』では、1558年リヨン版(実際には17世紀初頭)、1568年リヨン版(実際には[[1772年頃の偽版>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (偽ブノワ・リゴー版)]])、[[1605年版>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1605年)]]、[[1650年ライデン版>ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ピエール・レファン、1650年)]]が用いられていた。それとは別に、1939年には[[1611年トロワ版>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・シュヴィヨ、1611年)]]の復刻版も出されていた。  以上から、彼が挙げている諸版を参照したというよりも、単にル・ペルチエの著書などから孫引きした可能性も容易に想定できるのである。 *出版年  表紙に「1939年」とある版は巻末に「1940年1月6日印刷終了」と書かれているという((Laroche [1999]))。  表紙に「1940年」とある版は巻末には何も書かれていない。これらからすれば、どちらの版も実質的に印刷されたのは1940年といえるだろう。 *派生  [[セルジュ・ユタン]]は一連の『[[ノストラダムス予言集>Les Prophéties de Nostradamus (Hutin)]]』について、このレノー=プランスの原文を底本としたことを明記している。 ---- #comment

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