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*原文
L’oyseau&sup(){1} royal&sup(){2} sur la cité&sup(){3} solaire,
Sept&sup(){4} moys deuant fera&sup(){5} nocturne augure :
Mur d’Orient cherra&sup(){6} tonnaire&sup(){7}, esclaire&sup(){8},
Sept iours aux portes&sup(){9} les ennemis&sup(){10} à lheure&sup(){11}
**異文
(1) oyseau : Oyseau 1672
(2) royal : Royal 1605 1611 1628 1649Ca 1649Xa 1650Le 1668 1672 1716
(3) cité : Cité 1649Ca 1650Le 1668 1672
(4) Sept : Segt 1627
(5) fera : sera 1668P
(6) cherra : chesra 1772Ri
(7) tonnaire 1557U : tonnerre &italic(){T.A.Eds.} (&italic(){sauf} : tonnairre 1557B, Tonnerre 1672)
(8) esclaire : esclairs 1588-89
(9) portes : Portes 1672
(10) ennemis : ennem. 1557B
(11) lheure 1557U : l’heure &italic(){T.A.Eds.}
**校訂
4行目 lheure は当然l'heure となっているべき。
*日本語訳
[[太陽の都市]]で王家の鳥が、
七ヶ月前に夜間の前兆を示すだろう。
東の壁は陥落するだろう。雷鳴と稲妻。
七日が経つとすぐさま敵たちが門へと。
**訳について
à l’heure は中期フランス語の成句で「すぐに」(aussitôt, sur-le-champ)の意味((DMF))。
4行目は「七日間」に付くべき前置詞が省かれているので、いくつかの読み方が可能である。例えば「すぐさま敵たちが七日間(次から次へと)門へ(押し寄せるだろう)」といった読み方も可能だろう。
大乗訳1行目「王の鳥は太陽の町のもと」((大乗 [1975] p.169))は、sous ならともかく sur の訳語として「もと」という表現が疑問。
同2行目「七ヵ月一緒に夜の占いをし」は、devant (前に)が訳されていない一方、「一緒に」が何に基づくのか不明。
同3行目「東方の城壁は落ち 光はかがやき」は、後半がおかしい。後半の単語は雷の音と光をそれぞれ表現している。
同4行目「敵は門のそばに七日間いるだろう」は、上で触れた à l'heure が全く訳に反映されていない。
山根訳2行目「七ヵ月のあいだ夜ごとの占いを告げる」((山根 [1988] p.203))は誤訳。devant (前に)が「あいだ」と訳される根拠が不明な上、nocturne augure がいずれも単数形なので「夜ごとの占い」は不適切だろう。
*信奉者側の見解
[[テオフィル・ド・ガランシエール]](1672年)や[[ヘンリー・C・ロバーツ]](1949年)はかなり漠然とした解釈しか付けていなかった。
[[ロルフ・ボズウェル]](1943年)は第二次世界大戦時のパリ陥落と解釈した。「太陽の都」をパリ、「王家の鳥」=鷲をドイツの爆撃機、夜の知らせを夜間の空襲と解釈し、最初にパリへの夜間空襲が行われた1939年11月13日から7ヵ月後の翌年6月14日にパリが陥落したことの予言とした。彼の解釈では「東の壁」はマジノ線を指す((Boswell [1943] pp.201-202.))。
[[エリカ・チータム]](1973年)はボズウェルの解釈を踏襲する一方で、「東の壁」はベルリンの壁を指している可能性があるとも指摘していた((Cheetham [1973/1990]))。[[アーサー・クロケット]]もこれを踏襲していたが、その日本語版では訳者の南山宏がベルリンの壁崩壊とする解釈を後押ししている((クロケット [1998] p.166))。
[[ジョン・ホーグ]](1997年)はベルリンの壁とする解釈を認識しつつも、この詩は第二次大戦のパリとマジノ線の陥落のこととした((Hogue [1997/1999]))。
[[セルジュ・ユタン]](1978年)は、ナポレオンがヨーロッパを席巻したあと、ロシアで退却を強いられたことの予言とした((Hutin [1978]))。
[[五島勉]](1979年)は、太陽の都を東京、王家の鳥をアメリカの爆撃機と解釈し、1945年の東京大空襲と解釈した((五島 [1979] p.206))。
[[加治木義博]](1993年)は1990年代後半に起こると想定していた第三次欧州大戦において、日本も戦争に巻き込もうとする好戦派の活動があるが、日本国民はそれに惑わされずに七日間で騒動がおさまることと解釈した((加治木『真説ノストラダムスの大予言 激動の日本・激変する世界』p.88))。
*同時代的な視点
[[ロジェ・プレヴォ]]は、1527年のローマ掠奪(サッコ・ディ・ローマ)と解釈した。太陽はしばしばキリスト教の象徴として用いられることから、ここでの「太陽の都」はローマとした。王家の鳥は鷲のことで、それが示す前兆が前半で述べられている。
後半はローマが1527年4月30日から5月6日までの七日間にわたる包囲の後に、東側から攻め込まれたことに対応しているとした((Prévost [1999] p.204))。[[ピーター・ラメジャラー]]や[[ブリューノ・プテ=ジラール]]は支持している((Lemesurier [2003b], Petey-Girard [2003]))。
[[ジャン=ポール・クレベール]]は[[太陽の都市]]をロードスとした上で、1522年のオスマン帝国によるロードス攻囲がモデルではないかとした。また、仮にプレヴォの読み方が正しいとしても、「東の壁」は東方のイスラーム勢力を隔てるものという象徴的な表現だろうとした((Clébert [2003]))。
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- 大日本帝国の降伏とヤルタ会談で米国が原爆使用を示唆して実際に使用したこと、ソ連の宣戦布告から7日後の8月15日の無条件降伏 -- とある信奉者 (2010-07-09 23:26:22)
*原文
L’oyseau&sup(){1} royal&sup(){2} sur la cité&sup(){3} solaire,
Sept&sup(){4} moys deuant fera&sup(){5} nocturne augure :
Mur d’Orient cherra&sup(){6} tonnaire&sup(){7}, esclaire&sup(){8},
Sept iours aux portes&sup(){9} les ennemis&sup(){10} à lheure&sup(){11}
**異文
(1) oyseau : Oyseau 1672
(2) royal : Royal 1605 1611 1628 1649Ca 1649Xa 1650Le 1668 1672 1716
(3) cité : Cité 1649Ca 1650Le 1668 1672
(4) Sept : Segt 1627
(5) fera : sera 1668P
(6) cherra : chesra 1772Ri
(7) tonnaire 1557U : tonnerre &italic(){T.A.Eds.} (&italic(){sauf} : tonnairre 1557B, Tonnerre 1672)
(8) esclaire : esclairs 1588-89
(9) portes : Portes 1672
(10) ennemis : ennem. 1557B
(11) lheure 1557U : l’heure &italic(){T.A.Eds.}
**校訂
4行目 lheure は当然l'heure となっているべき。
*日本語訳
[[太陽の都市]]で王家の鳥が、
七ヶ月前に夜間の前兆を示すだろう。
東の壁は陥落するだろう。雷鳴と稲妻。
七日が経つとすぐさま敵たちが門へと。
**訳について
à l’heure は中期フランス語の成句で「すぐに」(aussitôt, sur-le-champ)の意味((DMF))。
4行目は「七日間」に付くべき前置詞が省かれているので、いくつかの読み方が可能である。例えば「すぐさま敵たちが七日間(次から次へと)門へ(押し寄せるだろう)」といった読み方も可能だろう。
大乗訳1行目「王の鳥は太陽の町のもと」((大乗 [1975] p.169))は、sous ならともかく sur の訳語として「もと」という表現が疑問。
同2行目「七ヵ月一緒に夜の占いをし」は、devant (前に)が訳されていない一方、「一緒に」が何に基づくのか不明。
同3行目「東方の城壁は落ち 光はかがやき」は、後半がおかしい。後半の単語は雷の音と光をそれぞれ表現している。
同4行目「敵は門のそばに七日間いるだろう」は、上で触れた à l'heure が全く訳に反映されていない。
山根訳2行目「七ヵ月のあいだ夜ごとの占いを告げる」((山根 [1988] p.203))は誤訳。devant (前に)が「あいだ」と訳される根拠が不明な上、nocturne augure がいずれも単数形なので「夜ごとの占い」は不適切だろう。
*信奉者側の見解
[[テオフィル・ド・ガランシエール]](1672年)や[[ヘンリー・C・ロバーツ]](1949年)はかなり漠然とした解釈しか付けていなかった。
[[ロルフ・ボズウェル]](1943年)は第二次世界大戦時のパリ陥落と解釈した。「太陽の都」をパリ、「王家の鳥」=鷲をドイツの爆撃機、夜の知らせを夜間の空襲と解釈し、最初にパリへの夜間空襲が行われた1939年11月13日から7ヵ月後の翌年6月14日にパリが陥落したことの予言とした。彼の解釈では「東の壁」はマジノ線を指す((Boswell [1943] pp.201-202.))。
[[エリカ・チータム]](1973年)はボズウェルの解釈を踏襲する一方で、「東の壁」はベルリンの壁を指している可能性があるとも指摘していた((Cheetham [1973/1990]))。
[[アーサー・クロケット]]もこれを踏襲していたが、その日本語版では訳者の南山宏がベルリンの壁崩壊とする解釈を後押ししている((クロケット [1998] p.166))。
[[ジョン・ホーグ]](1997年)はベルリンの壁とする解釈を認識しつつも、この詩は第二次大戦のパリとマジノ線の陥落のこととした((Hogue [1997/1999]))。
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[[セルジュ・ユタン]](1978年)は、ナポレオンがヨーロッパを席巻したあと、ロシアで退却を強いられたことの予言とした((Hutin [1978]))。
[[五島勉]](1979年)は、太陽の都を東京、王家の鳥をアメリカの爆撃機と解釈し、1945年の東京大空襲と解釈した((五島 [1979] p.206))。
[[加治木義博]](1993年)は1990年代後半に起こると想定していた第三次欧州大戦において、日本も戦争に巻き込もうとする好戦派の活動があるが、日本国民はそれに惑わされずに七日間で騒動がおさまることと解釈した((加治木『真説ノストラダムスの大予言 激動の日本・激変する世界』p.88))。
*同時代的な視点
[[ロジェ・プレヴォ]]は、1527年のローマ掠奪(サッコ・ディ・ローマ)と解釈した。太陽はしばしばキリスト教の象徴として用いられることから、ここでの「太陽の都」はローマとした。王家の鳥は鷲のことで、それが示す前兆が前半で述べられている。
後半はローマが1527年4月30日から5月6日までの七日間にわたる包囲の後に、東側から攻め込まれたことに対応しているとした((Prévost [1999] p.204))。[[ピーター・ラメジャラー]]や[[ブリューノ・プテ=ジラール]]は支持している((Lemesurier [2003b], Petey-Girard [2003]))。
[[ジャン=ポール・クレベール]]は[[太陽の都市]]を[[ロードス]]とした上で、1522年のオスマン帝国によるロードス攻囲がモデルではないかとした。
また、仮にプレヴォの読み方が正しいとしても、「東の壁」は東方のイスラーム勢力を隔てるものという象徴的な表現だろうとした((Clébert [2003]))。
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※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
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以下に投稿されたコメントは&u(){書き込んだ方々の個人的見解であり}、当「大事典」としては、その信頼性などをなんら担保するものではありません。
なお、現在、コメント書き込みフォームは撤去していますので、新規の書き込みはできません。
- 大日本帝国の降伏とヤルタ会談で米国が原爆使用を示唆して実際に使用したこと、ソ連の宣戦布告から7日後の8月15日の無条件降伏 -- とある信奉者 (2010-07-09 23:26:22)