ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1644年リヨン)

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 1644年頃から1665年頃にかけて、リヨンでは様々な出版・印刷業者達が『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』を刊行した。[[ジャン・ユグタン]](4世)と[[クロード・ラ・リヴィエール]]が1644年に出版した版は、その中でも最も初期のものと推測されている。 #ref(1644huguetan.JPG) 【画像】ユグタンによる第一部の扉(左)、ラ・リヴィエールによる第二部の扉(右)((画像の出典:Chomarat [1989] pp.112-113)) *正式名 第一部 -LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS, --Dont il y en a trois cens qui n'ont iamais esté imprimées. Adioustées de nouueau par ledit Autheur. --A LYON, Pour IEAN HVGVETAN, en ruë Merciere, au plat d'estain. -ミシェル・ノストラダムス師の予言集。 --前述の著者によって新たに加えられた未刊の300篇を含む。 --リヨン、メルシエール通りの「錫の皿」にてジャン・ユグタンによる。 第二部 -LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS. --Centuries VIII. IX. X. Qui n'ont encores iamais esté imprimées. --A LYON, Chez Claude de la Riuiere, 1644 -ミシェル・ノストラダムス師の予言集。 --未刊であった百詩篇第八・九・十巻。 --リヨン、クロード・ド・ラ・リヴィエールの工房にて、1644年。  第一部の題名では1627年以前のリヨン版で encores iamais となっていた箇所が単なる iamais になっている。なお、「錫の皿」は旗印だろう。 *内容  1627年にリヨンで相次いで出された版をほぼ踏襲している。  第一部は、第一序文(セザールへの手紙)、百詩篇第1巻から第6巻([[ラテン語詩>愚かな批評家に対する法の警句]]は含むが、補遺篇の[[百詩篇第6巻100番]]は含まない)、第7巻([[43番>百詩篇第7巻43番ter]]、[[44番>百詩篇第7巻44番]]を含む44篇)の順に収められている。  第二部は、第二序文(アンリ2世への手紙)、百詩篇第8巻から第10巻([[101番>Adiousté depuis l'impression de 1568.]]を含む)、第11巻(四行詩2篇と[[六行詩>この世紀のいずれかの年のための驚くべき予言]]58篇)、第12巻([[56番>百詩篇第12巻56番]]を除く10篇)が収められている。  1627年版と違うのは、第11巻以降に別の扉が付けられていた1627年版に対し、1644年版ではそういうことなしに第10巻からそのまま連続していることである。  原文の特色はおおむね1627年と[[1650年代(?)のアントワーヌ・ボードラン版>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (アントワーヌ・ボードラン)]]を橋渡しするようなものになっている。 *刊行年  第二部の扉に1644とあり、これが刊行年と受け止められている。同時に、似たような木版画が使われているリヨンの版の刊行年の上限でもあると受け止められており、それらが1644年から1665年の刊行と推測される根拠にもなっている。 *所蔵先 -リヨン市立図書館、[[ポール・アルボー博物館]]、セドル図書館(B. des Cedres, ローザンヌ) -かつて[[ダニエル・ルソ]]も私蔵していた。 *類似の版  この版と同じ内容を含むとされ、なおかつ1644年と刊行年が明記されている版はあと2つある。 **ユグタン、ラ・リヴィエール  題名は同じで第一部の住所表示が -A LYON, Pour IEAN HVUGVETAN, en ruë Merciere, au Phoenix. -リヨン、メルシエール通りの「不死鳥」ジャン・ユグタンによる。  第二部の住所表示が -A LYON, Chez CLAVDE DE LA RIVIERE, 1644 -リヨン、クロード・ド・ラ・リヴィエールの工房にて、1644年 となっている((Benazra [1990] p.200))。1644年と明記された3つの版の中で、第二部の扉のラ・リヴィエールの名が大文字のみで書かれているのはこの版だけである。  かつて[[ダニエル・ルソ]]が私蔵していた。また、第一部に破損がある不完全な伝本がロチェスター大学に所蔵されている。 **ラ・リヴィエール  題名は同じで第一部の住所表示が -A LYON, Chez CLAVDE DE LA RIVIERE, en ruë Merciere -リヨン、メルシエール通りのクロード・ド・ラ・リヴィエールの工房にて。  第二部の住所表示が --A LYON, Chez Claude de la Riuiere, 1644 -リヨン、クロード・ド・ラ・リヴィエールの工房にて、1644年 となっている((Benazra [1990] p.200))。  ヴロツワフ中央図書館にのみ現存している。 ---- #comment
 1644年頃から1665年頃にかけて、リヨンでは様々な出版・印刷業者達が『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』を刊行した。[[ジャン・ユグタン]](4世)と[[クロード・ラ・リヴィエール]]が1644年に出版した版は、その中でも最も初期のものと推測されている。 #ref(1644huguetan.JPG) 【画像】ユグタンによる第一部の扉(左)、ラ・リヴィエールによる第二部の扉(右)((画像の出典:Chomarat [1989] pp.112-113)) *正式名 第一部 -LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS, --Dont il y en a trois cens qui n'ont iamais esté imprimées. Adioustées de nouueau par ledit Autheur. --A LYON, Pour IEAN HVGVETAN, en ruë Merciere, au plat d'estain. -ミシェル・ノストラダムス師の予言集。 --前述の著者によって新たに加えられた未刊の300篇を含む。 --リヨン、メルシエール通りの「錫の皿」にてジャン・ユグタンによる。 第二部 -LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS. --Centuries VIII. IX. X. Qui n'ont encores iamais esté imprimées. --A LYON, Chez Claude de la Riuiere, 1644 -ミシェル・ノストラダムス師の予言集。 --未刊であった百詩篇第八・九・十巻。 --リヨン、クロード・ド・ラ・リヴィエールの工房にて、1644年。  第一部の題名では1627年以前のリヨン版で encores iamais となっていた箇所が単なる iamais になっている。なお、「錫の皿」は旗印だろう。 *内容  1627年にリヨンで相次いで出された版をほぼ踏襲している。  第一部は、第一序文(セザールへの手紙)、百詩篇第1巻から第6巻([[ラテン語詩>愚かな批評家に対する法の警句]]は含むが、補遺篇の[[百詩篇第6巻100番]]は含まない)、第7巻([[43番>百詩篇第7巻43番ter]]、[[44番>百詩篇第7巻44番]]を含む44篇)の順に収められている。  第二部は、第二序文(アンリ2世への手紙)、百詩篇第8巻から第10巻([[101番>Adiousté depuis l'impression de 1568.]]を含む)、第11巻(四行詩2篇と[[六行詩>この世紀のいずれかの年のための驚くべき予言]]58篇)、第12巻([[56番>百詩篇第12巻56番]]を除く10篇)が収められている。  1627年版と違うのは、第11巻以降に別の扉が付けられていた1627年版に対し、1644年版ではそういうことなしに第10巻からそのまま連続していることである。  原文の特色はおおむね1627年と[[1650年代(?)のアントワーヌ・ボードラン版>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (アントワーヌ・ボードラン)]]を橋渡しするようなものになっている。 *刊行年  第二部の扉に1644とあり、これが刊行年と受け止められている。同時に、似たような木版画が使われているリヨンの版の刊行年の上限でもあると受け止められており、それらが1644年から1665年の刊行と推測される根拠にもなっている。 *所蔵先 -リヨン市立図書館、[[ポール・アルボー博物館]]、セドル図書館(B. des Cedres, ローザンヌ) -かつて[[ダニエル・ルソ]]も私蔵していた。 *類似の版  この版と同じ内容を含むとされ、なおかつ1644年と刊行年が明記されている版はあと2つある。 **ユグタン、ラ・リヴィエール  題名は同じで第一部の住所表示が -A LYON, Pour IEAN HVUGVETAN, en ruë Merciere, au Phoenix. -リヨン、メルシエール通りの「不死鳥」ジャン・ユグタンによる。  第二部の住所表示が -A LYON, Chez CLAVDE DE LA RIVIERE, 1644 -リヨン、クロード・ド・ラ・リヴィエールの工房にて、1644年 となっている((Benazra [1990] p.200))。1644年と明記された3つの版の中で、第二部の扉のラ・リヴィエールの名が大文字のみで書かれているのはこの版だけである。  かつて[[ダニエル・ルソ]]が私蔵していた。また、第一部に破損がある不完全な伝本がロチェスター大学に所蔵されている。 **ラ・リヴィエール  題名は同じで第一部の住所表示が -A LYON, Chez CLAVDE DE LA RIVIERE, en ruë Merciere -リヨン、メルシエール通りのクロード・ド・ラ・リヴィエールの工房にて。  第二部の住所表示が -A LYON, Chez Claude de la Riuiere, 1644 -リヨン、クロード・ド・ラ・リヴィエールの工房にて、1644年 となっている((Benazra [1990] p.200))。  ヴロツワフ中央図書館にのみ現存している。 ---- #comment

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