予兆詩第126番

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予兆詩第126番(旧116番) 1565年11月について *原文 Des grands&sup(){1} le nombre plus grand&sup(){2} ne sera tant: Grands changemens&sup(){3}, commotions, fer, peste&sup(){4}: Le peu devis&sup(){5}, prestez&sup(){6}, payez contant. Mois opposite, gelée fort moleste. ((原文はChevignard [1999] p.174 による。)) **異文 (1) Des grands : Des Grands 1589Rec (2) plus grand 1565Od 1594JF 1668P : plus grands 1605 1628 1649Xa 1649Ca 1650Le 1668A (3) changemens : changement 1605 1628 1649Xa 1649Ca (4) peste : perte 1565Od (5) devis : Denys 1589Rec (6) prestez : pressez 1650Le 1668 (注記)1565Od は『[[1565年向けの暦>Almanach Povr L'An M. D. LXV.]]』の異文。1589Rec は[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]の手稿『[[散文予兆集成>Recueil des Presages Prosaiques de M. Michel de Nostredame]]』の異文。 **校訂  2行目最後は 1565Od で perte (損失)になっているが、4行目との韻を考えれば、peste とした[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]の読み方の方が妥当である((cf. Chevignard [1999]))。 *日本語訳 偉人達の数はもはやそれほど多くはないだろう。 大いなる諸変化、精神的な衝撃、鉄、ペスト。 見積もりはほとんどせずに、貸され、満足いくように支払われる。 対極の月、霜がひどく害する。 *信奉者側の見解  [[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]は、まず1565年11月に当てはめ、3行目 le peu devis を le peu [[Denys]] と読み替え、この年にブドウが不作だったこととした。4行目の「対極の月」とは、1年の中で11月の反対に位置する(翌年の)5月のこととした。  1行目は第三次ユグノー戦争(1568年 - 1570年)やサン=バルテルミーの虐殺(1572年)の中で、多くの有力者の犠牲が相次いだこととした。((Chavigny [1594] pp.148, 188, 212)) *同時代的な視点  「対極の月」は百詩篇でも登場例があり、[[ピエール・ブランダムール]]もシャヴィニーのいうように、12ヶ月を時計の文字盤のように配置したときに正反対の位置に来る月(つまり半年前もしくは半年後)であることを認めている。 ---- #comment
予兆詩第126番(旧116番) 1565年11月について *原文 Des grands&sup(){1} le nombre plus grand&sup(){2} ne sera tant: Grands changemens&sup(){3}, commotions, fer, peste&sup(){4}: Le peu devis&sup(){5}, prestez&sup(){6}, payez contant. Mois opposite, gelée fort moleste. ((原文はChevignard [1999] p.174 による。)) **異文 (1) Des grands : Des Grands 1589Rec (2) plus grand 1565Od 1594JF 1668P : plus grands 1605 1628 1649Xa 1649Ca 1650Le 1668A (3) changemens : changement 1605 1628 1649Xa 1649Ca (4) peste : perte 1565Od (5) devis : Denys 1589Rec (6) prestez : pressez 1650Le 1668 (注記)1565Od は『[[1565年向けの暦>Almanach Povr L'An M. D. LXV.]]』の異文。1589Rec は[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]の手稿『[[散文予兆集成>Recueil des Presages Prosaiques de M. Michel de Nostredame]]』の異文。 **校訂  2行目最後は 1565Od で perte (損失)になっているが、4行目との韻を考えれば、peste とした[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]の読み方の方が妥当である((cf. Chevignard [1999]))。 *日本語訳 偉人達の数はもはやそれほど多くはないだろう。 大いなる諸変化、精神的な衝撃、鉄、ペスト。 見積もりはほとんどせずに、貸され、満足いくように支払われる。 対蹠の月、霜がひどく害する。 *信奉者側の見解  [[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]は、まず1565年11月に当てはめ、3行目 le peu devis を le peu [[Denys]] と読み替え、この年にブドウが不作だったこととした。4行目の「対蹠の月」とは、1年の中で11月の反対に位置する(翌年の)5月のこととした。  1行目は第三次ユグノー戦争(1568年 - 1570年)やサン=バルテルミーの虐殺(1572年)の中で、多くの有力者の犠牲が相次いだこととした。((Chavigny [1594] pp.148, 188, 212)) *同時代的な視点  「対蹠の月」は[[百詩篇第3巻38番]]でも登場例があり、[[ピエール・ブランダムール]]もシャヴィニーのいうように、12ヶ月を時計の文字盤のように配置したときに正反対の位置に来る月(つまり半年前もしくは半年後)であることを認めている。 ---- #comment

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