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[[詩百篇第1巻]]>87番*
*原文
[[Ennosigée]]&sup(){1} feu du centre&sup(){2} de terre&sup(){3}
Fera trembler&sup(){4} au tour&sup(){5} de cité&sup(){6} neufue&sup(){7}:
Deux grands&sup(){8} rochiers&sup(){9} long temps&sup(){10} feront la guerre,
Puis Arethusa&sup(){11} rougira&sup(){12} nouueau&sup(){13} fluue&sup(){14}.
**異文
(1) Ennosigée : Enuosigée 1557B, En nosigée 1605sn 1611A 1611B 1628dR 1649Xa 1981EB
(2) du centre : de centre 1590Ro, du Centre 1672Ga
(3) terre : Terre 1672Ga
(4) trembler : troubler 1612Me
(5) au tour 1555 1557U 1568 1590Ro 1590SJ : autour &italic(){T.A.Eds.} (&italic(){sauf} : auteur 1667Wi 1668P)
(6) cité : cite 1605sn, Cité 1590SJ 1649Ca 1650Le 1668 1672Ga
(7) neufue : Neuve 1672Ga
(8) grands : graãds 1611B
(9) rochiers 1555 1557U 1568 1772Ri 1840 : rochers &italic(){T.A.Eds.} (&italic(){sauf} : Rochers 1672Ga)
(10) long temps : lon temps 1591BR 1627Ma, longtemps 1611A 1628dR 1665Ba, long-temps 1667Wi, long lẽps 1716PRa
(11) Arethusa 1555 1557U 1557B 1568X 1588-89 1589PV 1590Ro 1590SJ 1612Me 1649Ca 1650Le 1667Wi 1668 1840 : Arethuse &italic(){T.A.Eds.}
(12) rougira : rongira 1588Rf 1589Rg
(13) nouueau : nouuelle 1589Me 1612Me
(14) fluue 1555V : fleuue &italic(){T.A.Eds.} (&italic(){sauf} : Fleuue 1590SJ 1649Ca 1650Le 1668)
(注記)1611Abは該当ページが脱漏しているので、上の「1611A」では考慮されていない。
**校訂
2行目 au tour について[[五島勉]]は、「正統的な原本」では autour なのに対し「いくつかの異本」では au tour となっているとしていた((五島『ノストラダムスの大予言・地獄編』p.189))。しかし、上の異文欄から明らかな通り、[[1555>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1555年リヨン)]](初版本)、[[1557U>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1557年)]](生前に出版された唯一の正当な増補版)、[[1568>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1568年)]](最初の完全版)はいずれも au tour と綴っており、五島の主張は事実に反している。
*日本語訳
大地の中心からの火エンノシガイオスが、
新しい都市の周辺で震動させるだろう。
二人の偉人は長い間、岩と戦争をするだろう。
そして新しい川はアレトゥサを赤くするだろう。
**別訳
エンノシガイオスを大地の中心からの火が
新しい都市の周辺で震動させるだろう。
二つの大きな岩が長い間、戦争をするだろう。
そしてアレトゥサは新しい川を赤くするだろう。
(注記)複数の訳しようがある詩は珍しくないが、この詩(特にその後半)は実証的な側でも読みが大きく割れているので、あえて二通り掲載した。
**訳について
上の2つの訳のうち、最初のものを「訳1」、別訳の方を「訳2」として説明する。
前半は[[エンノシガイオス>Ennosigée]]を「大地を震わせる者」(震源となる火山)ととるか「海」ととるかの違いである。
なお、2行目について[[五島勉]]は au tour の場合、「新しい都市の塔で」と訳せる余地があるとしていたが、事実に反する。tour には男性名詞と女性名詞があり、au のあとにあるこの場合は男性名詞である。「塔」と訳せるのは女性名詞の場合であり、ここでは当てはまらない。ゆえに au tour だろうと autour だろうと意味に違いはない(そもそも autour の語源は au tour である((『仏和大辞典』)))。
3行目を直訳すると「訳2」になる。「訳1」は rochiers の前に aux を補って訳す[[ピエール・ブランダムール]]の読み方に沿うもので、[[高田勇]]・[[伊藤進]]、[[ピーター・ラメジャラー]]らも採用している。
4行目を語順どおりに素直に読めば「訳2」になる。「訳1」はブランダムール、高田・伊藤、[[マリニー・ローズ]]らの読み方に従ったものである((Rose [2002c] p.408))。この差は、アレトゥサをどう解釈するのかに由来する。
さて、既存の訳についてもコメントしておく。
山根訳は[[Ennosigée]] を地震と訳していることが厳密に言えば不正確とはいえ、おおむね許容範囲内だろう。
大乗訳1行目「地球の中心の火なるものが」((大乗 [1975] p.67))は、[[Ennosigée]] が訳に全く反映されていない([[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳では訳さずにそのまま組み込まれている)。
同2行目「新しい都市に地震を起こし」は autour de (~の周辺で)が訳に反映されていない。
同4行目「そのあとで古い泉は 新鮮な川を赤く染めるだろう」の「古い泉」は、ロバーツがアレトゥサに an everflowing classic spring((Roberts [1949] p.38))と注釈をつけていたのを中途半端に訳文に取り込んだ結果だろう。
*信奉者側の見解
[[テオフィル・ド・ガランシエール]]はいくつかのキーワードの説明(エンノシガイオスは海神の異称、新しい都市はそれを語源とするナポリ、アレトゥーサはシチリアの泉など)をしたうえで、「残りの解釈は読者に委ねる」としていた((Garencieres [1672]))。
それ以降、20世紀に入るまでこの詩を解釈したものはいないようである。少なくとも、[[バルタザール・ギノー]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]らは解釈していなかった。
[[アンドレ・ラモン]](1943年)は、アレトゥサをイタリアの隠喩とする以外の対応関係を明示していなかったが、1939年にイギリスがドイツに宣戦布告をして戦火が拡大し、さらに日本の真珠湾攻撃によって世界規模の大戦となって、人々の血が多く流されていることの予言とした((Lamont [1943] p.153))。
[[ロルフ・ボズウェル]](1943年)はニューヨークの破壊を予言した人々が何人もいることに触れ、ノストラダムスもこの詩と[[第10巻49番>百詩篇第10巻49番]]でそれを予言したと述べた((Boswell [1943] pp.349-350))。[[エリカ・チータム]]も、1973年の時点では第10巻49番と関連付けることまで含めて、ボズウェルの解釈を踏襲していた((Cheetham [1973]))。
これらは時期の記載のない曖昧なものだったが、[[五島勉]]はアメリカ同時多発テロ(2001年9月11日)が起こった後に、チータムのこの解釈はニューヨークへのテロを見通したものだったと主張するようになった((『イスラムvs.アメリカ』ほか))。
なお、[[チータムの最終版>The Final Prophecies of Nostradamus]](1989年)ではセント・ヘレンズ大噴火(1980年)のことだろうとする解釈に差し替えられていたが、五島はそれに一切触れていない。
また、五島自身、以前に『[[ノストラダムスの大予言・地獄編]]』(1994年)で独自にこの詩を解釈したことがあったが、そのときには「新しい都市」をニューヨークなどとする解釈に触れ、「このように個々の街の名前を当てはめるのはバカらしいと思う」と一蹴していた。そして、この詩を、全地球規模で都市文明が危機にさらされるような海底の「超火山脈」の活動が引き起こす大地震のこととしていた((五島『大予言・地獄編』pp.181-191))。
原秀人(1988年)は、3行目を二つの岩盤がぶつかり合う様子とし、ノストラダムスがプレートテクトニクス理論を知っていたとした。その上で、「新しい都市」は東京、その周辺を揺るがした火は三原山の噴火(1986年11月)とした((チータム [1988] ))。
3行目をプレートテクトニクスに関連付ける解釈は[[加治木義博]](1991年、1993年)も行ったが、彼の場合は雲仙普賢岳の噴火(1991年)の予言とし、さらに今後も日本列島のどこかで次々に起こる地震の予言だとした((加治木『真説ノストラダムスの大予言・日本篇』pp.90-91, 同シリーズ『激動の日本・激変する世界』p.98))。なお、雲仙普賢岳についての解釈は大阪新聞で紹介されたことがあったという((加治木『真説ノストラダムスの大予言・黄金の世紀』pp.37-39))。
[[藤島啓章]](1989年)や[[池田邦吉]](1995年)のように、20世紀末までに起こる大地震の予言と解釈していた者たちもいた((藤島『ノストラダムスの大警告』、池田『未来からの警告』pp.48-51))。
*同時代的な視点
地震や火山と縁の深い「新しい都市」がネアポリス(新しい都市)を語源とする[[ナポリ]]であろうとすることに異論はない。
1724年の匿名の論文「[[ミシェル・ノストラダムスの人物と著作に関する批判的書簡>Lettre Critique sur la personne & sur les Ecrits de Michel Nostradamus]]」は、ほぼ「訳2」のように読んで、前半はベズビオ山の噴火がナポリ周辺の海域(エンノシガイオス → ポセイドン)をしばしば揺るがせたこととした。
また、4行目はアレトゥサを[[シチリア島]]の隠喩とし、シチリアにあるエトナ山も、噴火によって新しい赤い川(溶岩流)を作り出すことがあったことを表現しているとした。
3行目は『オデュッセイア』に登場するスキュレーの岩とカリュブディスの岩を表現したものとした。これらは航海上の難所が怪物の棲む岩として伝説化されたもので、そうした難所の隠喩となっている((&italic(){Lettre critique}..., 1724))。
[[ジャン=ポール・クレベール]]は基本線でこの読み方を踏襲している((Clebert [2003]))。
[[ピエール・ブランダムール]]は「訳1」をとり、エンノシガイオスを「大地を震わせる者」とし、火山活動が惹起するナポリ近郊の地震と解釈した。
3行目の「岩と戦う」は無駄な戦いの比喩とした。4行目の「新しい川」はアルペイオス川で、英雄アルペイオスがシチリア島[[シラクーザ]](シュラクサイ)のニンフ、アレトゥサに恋し、川に変じたアレトゥサを追って自らも川に転じた伝説が元になっているとした。つまり、「赤くする」は「赤面させる」の意味になる((Brind’Amour [1996]))。
この解釈を紹介した[[高田勇]]・[[伊藤進]]が指摘するように、言葉の解釈は明快だが、全体像が不鮮明なのは否めない((高田・伊藤 [1999]))。
[[ピーター・ラメジャラー]]は3行目までは「訳1」のように読んでいるが、4行目は「そしてアレトゥサが新しい赤い川を噴出させるだろう」のように読んでいる。そして、ベズビオ山とエトナ山の噴火が、フランスでのカトリック、プロテスタントの戦いの泥沼化を予見させる凶兆となるであろうことを描いたのではないかとした((Lemesurier [2003b]))。
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&bold(){コメントらん}
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- ニューヨークを襲った同時多発テロと解釈した五島の解釈は現代から見れば正しかったと言える。 -- 信奉者 (2010-07-22 22:42:55)
- これこそが911の予言じゃないかな -- mmm (2019-01-22 23:49:37)
#comment
[[詩百篇第1巻]]>87番*
*原文
[[Ennosigée]]&sup(){1} feu du centre&sup(){2} de terre&sup(){3}
Fera trembler&sup(){4} au tour&sup(){5} de cité&sup(){6} neufue&sup(){7}:
Deux grands&sup(){8} rochiers&sup(){9} long temps&sup(){10} feront la guerre,
Puis Arethusa&sup(){11} rougira&sup(){12} nouueau&sup(){13} fluue&sup(){14}.
**異文
(1) Ennosigée : Enuosigée 1557B, En nosigée 1605sn 1611A 1611B 1628dR 1649Xa 1981EB
(2) du centre : de centre 1590Ro, du Centre 1672Ga
(3) terre : Terre 1672Ga
(4) trembler : troubler 1612Me
(5) au tour 1555 1557U 1568 1590Ro 1590SJ : autour &italic(){T.A.Eds.} (&italic(){sauf} : auteur 1667Wi 1668P)
(6) cité : cite 1605sn, Cité 1590SJ 1649Ca 1650Le 1668 1672Ga
(7) neufue : Neuve 1672Ga
(8) grands : graãds 1611B
(9) rochiers 1555 1557U 1568 1772Ri 1840 : rochers &italic(){T.A.Eds.} (&italic(){sauf} : Rochers 1672Ga)
(10) long temps : lon temps 1591BR 1627Ma, longtemps 1611A 1628dR 1665Ba, long-temps 1667Wi, long lẽps 1716PRa
(11) Arethusa 1555 1557U 1557B 1568X 1588-89 1589PV 1590Ro 1590SJ 1612Me 1649Ca 1650Le 1667Wi 1668 1840 : Arethuse &italic(){T.A.Eds.}
(12) rougira : rongira 1588Rf 1589Rg
(13) nouueau : nouuelle 1589Me 1612Me
(14) fluue 1555V : fleuue &italic(){T.A.Eds.} (&italic(){sauf} : Fleuue 1590SJ 1649Ca 1650Le 1668)
(注記)1611Abは該当ページが脱漏しているので、上の「1611A」では考慮されていない。
**校訂
2行目 au tour について[[五島勉]]は、「正統的な原本」では autour なのに対し「いくつかの異本」では au tour となっているとしていた((五島『ノストラダムスの大予言・地獄編』p.189))。しかし、上の異文欄から明らかな通り、[[1555>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1555年リヨン)]](初版本)、[[1557U>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1557年)]](生前に出版された唯一の正当な増補版)、[[1568>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1568年)]](最初の完全版)はいずれも au tour と綴っており、五島の主張は事実に反している。
*日本語訳
大地の中心からの火エンノシガイオスが、
新しい都市の周辺で震動させるだろう。
二人の偉人は長い間、岩と戦争をするだろう。
そして新しい川はアレトゥサを赤くするだろう。
**別訳
エンノシガイオスを大地の中心からの火が
新しい都市の周辺で震動させるだろう。
二つの大きな岩が長い間、戦争をするだろう。
そしてアレトゥサは新しい川を赤くするだろう。
(注記)複数の訳しようがある詩は珍しくないが、この詩(特にその後半)は実証的な側でも読みが大きく割れているので、あえて二通り掲載した。
**訳について
上の2つの訳のうち、最初のものを「訳1」、別訳の方を「訳2」として説明する。
前半は[[エンノシガイオス>Ennosigée]]を「大地を震わせる者」(震源となる火山)ととるか「海」ととるかの違いである。
なお、2行目について[[五島勉]]は au tour の場合、「新しい都市の塔で」と訳せる余地があるとしていたが、事実に反する。tour には男性名詞と女性名詞があり、au のあとにあるこの場合は男性名詞である。「塔」と訳せるのは女性名詞の場合であり、ここでは当てはまらない。ゆえに au tour だろうと autour だろうと意味に違いはない(そもそも autour の語源は au tour である((『仏和大辞典』)))。
3行目を直訳すると「訳2」になる。「訳1」は rochiers の前に aux を補って訳す[[ピエール・ブランダムール]]の読み方に沿うもので、[[高田勇]]・[[伊藤進]]、[[ピーター・ラメジャラー]]らも採用している。
4行目を語順どおりに素直に読めば「訳2」になる。「訳1」はブランダムール、高田・伊藤、[[マリニー・ローズ]]らの読み方に従ったものである((Rose [2002c] p.408))。この差は、アレトゥサをどう解釈するのかに由来する。
さて、既存の訳についてもコメントしておく。
山根訳は[[Ennosigée]] を地震と訳していることが厳密に言えば不正確とはいえ、おおむね許容範囲内だろう。
大乗訳1行目「地球の中心の火なるものが」((大乗 [1975] p.67))は、[[Ennosigée]] が訳に全く反映されていない([[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳では訳さずにそのまま組み込まれている)。
同2行目「新しい都市に地震を起こし」は autour de (~の周辺で)が訳に反映されていない。
同4行目「そのあとで古い泉は 新鮮な川を赤く染めるだろう」の「古い泉」は、ロバーツがアレトゥサに an everflowing classic spring((Roberts [1949] p.38))と注釈をつけていたのを中途半端に訳文に取り込んだ結果だろう。
*信奉者側の見解
[[テオフィル・ド・ガランシエール]]はいくつかのキーワードの説明(エンノシガイオスは海神の異称、新しい都市はそれを語源とするナポリ、アレトゥーサはシチリアの泉など)をしたうえで、「残りの解釈は読者に委ねる」としていた((Garencieres [1672]))。
それ以降、20世紀に入るまでこの詩を解釈したものはいないようである。少なくとも、[[バルタザール・ギノー]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]らは解釈していなかった。
[[アンドレ・ラモン]](1943年)は、アレトゥサをイタリアの隠喩とする以外の対応関係を明示していなかったが、1939年にイギリスがドイツに宣戦布告をして戦火が拡大し、さらに日本の真珠湾攻撃によって世界規模の大戦となって、人々の血が多く流されていることの予言とした((Lamont [1943] p.153))。
[[ロルフ・ボズウェル]](1943年)はニューヨークの破壊を予言した人々が何人もいることに触れ、ノストラダムスもこの詩と[[第10巻49番>百詩篇第10巻49番]]でそれを予言したと述べた((Boswell [1943] pp.349-350))。[[エリカ・チータム]]も、1973年の時点では第10巻49番と関連付けることまで含めて、ボズウェルの解釈を踏襲していた((Cheetham [1973]))。
これらは時期の記載のない曖昧なものだったが、[[五島勉]]はアメリカ同時多発テロ(2001年9月11日)が起こった後に、チータムのこの解釈はニューヨークへのテロを見通したものだったと主張するようになった((『イスラムvs.アメリカ』ほか))。
なお、[[チータムの最終版>The Final Prophecies of Nostradamus]](1989年)ではセント・ヘレンズ大噴火(1980年)のことだろうとする解釈に差し替えられていたが、五島はそれに一切触れていない。
また、五島自身、以前に『[[ノストラダムスの大予言・地獄編]]』(1994年)で独自にこの詩を解釈したことがあったが、そのときには「新しい都市」をニューヨークなどとする解釈に触れ、「このように個々の街の名前を当てはめるのはバカらしいと思う」と一蹴していた。そして、この詩を、全地球規模で都市文明が危機にさらされるような海底の「超火山脈」の活動が引き起こす大地震のこととしていた((五島『大予言・地獄編』pp.181-191))。
原秀人(1988年)は、3行目を二つの岩盤がぶつかり合う様子とし、ノストラダムスがプレートテクトニクス理論を知っていたとした。その上で、「新しい都市」は東京、その周辺を揺るがした火は三原山の噴火(1986年11月)とした((チータム [1988] ))。
3行目をプレートテクトニクスに関連付ける解釈は[[加治木義博]](1991年、1993年)も行ったが、彼の場合は雲仙普賢岳の噴火(1991年)の予言とし、さらに今後も日本列島のどこかで次々に起こる地震の予言だとした((加治木『真説ノストラダムスの大予言・日本篇』pp.90-91, 同シリーズ『激動の日本・激変する世界』p.98))。なお、雲仙普賢岳についての解釈は大阪新聞で紹介されたことがあったという((加治木『真説ノストラダムスの大予言・黄金の世紀』pp.37-39))。
[[藤島啓章]](1989年)や[[池田邦吉]](1995年)のように、20世紀末までに起こる大地震の予言と解釈していた者たちもいた((藤島『ノストラダムスの大警告』、池田『未来からの警告』pp.48-51))。
*同時代的な視点
地震や火山と縁の深い「新しい都市」がネアポリス(新しい都市)を語源とする[[ナポリ]]であろうとすることに異論はない。
1724年の匿名の論文「[[ミシェル・ノストラダムスの人物と著作に関する批判的書簡>Lettre Critique sur la personne & sur les Ecrits de Michel Nostradamus]]」は、ほぼ「訳2」のように読んで、前半はベズビオ山の噴火がナポリ周辺の海域(エンノシガイオス → ポセイドン)をしばしば揺るがせたこととした。
また、4行目はアレトゥサを[[シチリア島]]の隠喩とし、シチリアにあるエトナ山も、噴火によって新しい赤い川(溶岩流)を作り出すことがあったことを表現しているとした。
3行目は『オデュッセイア』に登場するスキュレーの岩とカリュブディスの岩を表現したものとした。これらは航海上の難所が怪物の棲む岩として伝説化されたもので、そうした難所の隠喩となっている((&italic(){Lettre critique}..., 1724))。
[[ジャン=ポール・クレベール]]は基本線でこの読み方を踏襲している((Clebert [2003]))。
[[ピエール・ブランダムール]]は「訳1」をとり、エンノシガイオスを「大地を震わせる者」とし、火山活動が惹起するナポリ近郊の地震と解釈した。
3行目の「岩と戦う」は無駄な戦いの比喩とした。4行目の「新しい川」はアルペイオス川で、英雄アルペイオスがシチリア島[[シラクーザ]](シュラクサイ)のニンフ、アレトゥサに恋し、川に変じたアレトゥサを追って自らも川に転じた伝説が元になっているとした。つまり、「赤くする」は「赤面させる」の意味になる((Brind’Amour [1996]))。
この解釈を紹介した[[高田勇]]・[[伊藤進]]が指摘するように、言葉の解釈は明快だが、全体像が不鮮明なのは否めない((高田・伊藤 [1999]))。
[[ピーター・ラメジャラー]]は3行目までは「訳1」のように読んでいるが、4行目は「そしてアレトゥサが新しい赤い川を噴出させるだろう」のように読んでいる。そして、ベズビオ山とエトナ山の噴火が、フランスでのカトリック、プロテスタントの戦いの泥沼化を予見させる凶兆となるであろうことを描いたのではないかとした((Lemesurier [2003b]))。
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- ニューヨークを襲った同時多発テロと解釈した五島の解釈は現代から見れば正しかったと言える。 -- 信奉者 (2010-07-22 22:42:55)
- これこそが911の予言じゃないかな -- mmm (2019-01-22 23:49:37)