An alminacke and prodigious premonstration, made for the yeare of grace. 1566.

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 『&bold(){1566年向けの暦と驚異の前兆}』(&italic(){An Alminacke and prodigious premonstration, made for the yeare of grace. 1566.})は、1566年頃にロンドンの[[ヘンリー・デナム]]によって出版された[[ノストラダムス]]の[[暦書]]。偽版であろうと推測されている。 【画像】『1566年向けの暦と驚異の前兆』の扉((画像の出典:[[http://www.propheties.it/]])) *正式名 -An Alminacke and prodigious premonstration, made for the yeare of grace. 1566. By Mi. Nostrodamus, --The God which eche mans visage well doth see, /His temple gates to come for to vnbarre : / And Pandores boxe vncouered shall bee,/ A great thicke cloude for to dissolue from farre -Mi. ノストロダムスによって1566年向けに作成された暦と驚異の前兆 --神はそれぞれの者たちの顔をよく御覧になる。/来るべき神殿の門をお開きになるために。/そしてパンドラの箱の蓋が取り去られるだろう。/分厚い大きな雲を遠くから取り去るために。 *内容  この暦書は扉しか現存していないため、内容は全く分からない。  しかし、扉に掲げられた四行詩は英語で韻を踏んでいるため、フランス語から訳されたものでないことが明らかである。  また、ノストラダムス本人は Mi. という略し方を一度も使っていなかったため、著者名の Mi. ノストロダムスという表記も不自然である。Mi. という略し方は[[ノストラダムス2世]]の著作になら見られる。  [[ピエール・ブランダムール]]はこれらの点から偽版と推測していた((Brind’Amour [1993] p.492))。 *所蔵先 -大英図書館に扉のみ現存している。 ---- #comment
 『&bold(){1566年向けの暦と驚異の前兆}』(&italic(){An Alminacke and prodigious premonstration, made for the yeare of grace. 1566.})は、1566年頃にロンドンの[[ヘンリー・デナム]]によって出版された[[ノストラダムス]]の[[暦書]]。偽版であろうと推測されている。 #ref(1566alminacke.jpg) 【画像】『1566年向けの暦と驚異の前兆』の扉((画像の出典:[[http://www.propheties.it/]])) *正式名 -An Alminacke and prodigious premonstration, made for the yeare of grace. 1566. By Mi. Nostrodamus, --The God which eche mans visage well doth see, /His temple gates to come for to vnbarre : / And Pandores boxe vncouered shall bee,/ A great thicke cloude for to dissolue from farre -Mi. ノストロダムスによって1566年向けに作成された暦と驚異の前兆 --神はそれぞれの者たちの顔をよく御覧になる。/来るべき神殿の門をお開きになるために。/そしてパンドラの箱の蓋が取り去られるだろう。/分厚い大きな雲を遠くから取り去るために。 *内容  この暦書は扉しか現存していないため、内容は全く分からない。  しかし、扉に掲げられた四行詩は英語で韻を踏んでいるため、フランス語から訳されたものでないことが明らかである。  また、ノストラダムス本人は Mi. という略し方を一度も使っていなかったため、著者名の Mi. ノストロダムスという表記も不自然である。Mi. という略し方は[[ノストラダムス2世]]の著作になら見られる。  [[ピエール・ブランダムール]]はこれらの点から偽版と推測していた((Brind’Amour [1993] p.492))。 *所蔵先 -大英図書館に扉のみ現存している。 ---- #comment

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