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&bold(){ウジェーヌ・バレスト}ないし&bold(){バレート}(Eugène Bareste, 1814年8月5日 - 1861年6月3日)は、19世紀パリのジャーナリスト、作家。
*生涯
20歳の時に刊行した『人民の伝記』で文筆活動を開始した。これは「人民双書」(bibliothèque populaire)の1冊として刊行されたものであったが、その中でもよく売れ、唯一4版を数えた。 1836年には[[トロワ]]で刊行されていた『ジュルナル・ド・ローブ』紙(journal de l'Aube)の編集者として、4か月間文芸面を担当し、同じ年には『オーブ県の偉人伝』を出版した。その後パリに戻り、いくつかの媒体に(時には匿名で)寄稿を行った。その後も、二月革命の際に、いち早く『ラ・レピュブリック』紙(La République)を創刊するなど、ジャーナリストとしての活動を続けた(ちなみに同紙は1851年12月に廃刊)。
**主な著書
『人民の伝記、あるいは名高くなった何人かの人々に関するいくつかの言葉』(1834年)
『オーブ県の偉人伝』(1836年)
『ガラス絵画の歴史序説』(1837年)
『予言。諸時代の終焉』(1840年)
『新聞における反論権について』(1841年)
『挿絵入りホメロス』(1842年)
『ある巫女による赤い小男の覚書と予言』(1843年)
『哲学の歌』(1845年)
『保証金と新聞の輸送について』(1848年)
*ノストラダムス関連
バレストは予言に傾倒していたことで知られ、1840年には『ノストラダムス』([[Nostradamus, Bareste, 1840]])、『予言。諸時代の終焉』の2冊を上梓した。前者にはノストラダムス『[[百詩篇集]]』の原文が収録されている。このうち、百詩篇第4巻53番までは[[1555年初版>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1555年リヨン)]]の原文が転記されていたので、1980年代に初版が再発見されるまでは、稀な原文として引用されることがしばしばあった。なお、後者は、ノストラダムスのほか、[[聖マラキ]]、[[ピエール・チュレル]]、[[リシャール・ルーサ]]、[[オリヴァリウスの予言]]と[[オルヴァルの予言]]などを扱ったものである。
また、同じ頃、『「ノストラダムス」の著者による、1841年向けの挿絵入りの有用な予言暦』を刊行した。この暦書は、多彩な話題を扱った読み物として成功をおさめた。そのため、翌年以降も毎年刊行され続け、バレストの死後も少なくとも1902年まで刊行が続けられた(1849年向け以降は「『ノストラダムス』の著者」の部分が「[[ノストラダムスの甥]]」という虚偽の名義になっている)。なお、彼は同時代人から&bold(){バレスタダムス}(Barestadamus)などとあだ名されたこともあったという。
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&bold(){ウジェーヌ・バレスト}ないし&bold(){バレート}(Eugène Bareste, 1814年8月5日 - 1861年6月3日)は、19世紀パリのジャーナリスト、作家。
*生涯
20歳の時に刊行した『人民の伝記』で文筆活動を開始した。これは「人民双書」(bibliothèque populaire)の1冊として刊行されたものであったが、その中でもよく売れ、唯一4版を数えた。 1836年には[[トロワ]]で刊行されていた『ジュルナル・ド・ローブ』紙(journal de l'Aube)の編集者として、4か月間文芸面を担当し、同じ年には『オーブ県の偉人伝』を出版した。その後パリに戻り、いくつかの媒体に(時には匿名で)寄稿を行った。その後も、二月革命の際に、いち早く『ラ・レピュブリック』紙(La République)を創刊するなど、ジャーナリストとしての活動を続けた(ちなみに同紙は1851年12月に廃刊)。
**主な著書
『人民の伝記、あるいは名高くなった何人かの人々に関するいくつかの言葉』(1834年)
『オーブ県の偉人伝』(1836年)
『ガラス絵画の歴史序説』(1837年)
『予言。諸時代の終焉』(1840年)
『新聞における反論権について』(1841年)
『挿絵入りホメロス』(1842年)
『ある巫女による赤い小男の覚書と予言』(1843年)
『哲学の歌』(1845年)
『保証金と新聞の輸送について』(1848年)
*ノストラダムス関連
バレストは予言に傾倒していたことで知られ、1840年には『ノストラダムス』([[Nostradamus, Bareste, 1840]])、『予言。諸時代の終焉』の2冊を上梓した。前者にはノストラダムスの[[百詩篇集]]の原文が収録されている。このうち、百詩篇第4巻53番までは[[1555年初版>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1555年リヨン)]]の原文が転記されていたので、1980年代に初版が再発見されるまでは、稀な原文として引用されることがしばしばあった。なお、後者は、ノストラダムスのほか、[[聖マラキの予言]]、[[ピエール・チュレル]]、[[リシャール・ルーサ]]、[[オリヴァリウスの予言]]と[[オルヴァルの予言]]などを扱ったものである。
また、同じ頃、『「ノストラダムス」の著者による、1841年向けの挿絵入りの有用な予言暦』を刊行した。この暦書は、多彩な話題を扱った読み物として成功をおさめた。そのため、翌年以降も毎年刊行され続け、バレストの死後も少なくとも1902年まで刊行が続けられた(1849年向け以降は「『ノストラダムス』の著者」の部分が「[[ノストラダムスの甥]]」という虚偽の名義になっている)。なお、彼は同時代人から&bold(){バレスタダムス}(Barestadamus)などとあだ名されたこともあったという。
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