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予兆詩第140番 1566年12月について
*原文
Mars posera les armes : prestres non trop contens:
Malheur sur gens d'Eglise tant du presche que messe&sup(){1}:
La messe au sus sera. Dieu seul omnipotent
Apaisera le tout, mais non sans grand destresse. ((原文は Chevignard [1999] p.182 による。))
**異文
(1) messe : Messe 1566Brb
(注記1)1566Br は『[[1566年向けの暦>ALMANACH POVR L'AN M. D. LXVI.]]』の異文。この暦書は2箇所ずつ予兆詩が登場していることから、最初に登場している方を 1566Bra とし、後に登場している方を 1566Brb とした。
(注記2)[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]の手稿『[[散文予兆集成>Recueil des Presages Prosaiques de M. Michel de Nostredame]]』にも見られるが、めぼしい異文はない。この詩は1594JFでは数語だけの抜粋しか載らなかったため、他の異文も存在しない。
*日本語訳
[[マルス]]が武器を置くだろう。それでも司祭たちは余り満足しない。
説教の方にもミサの方にも教会の人々には不幸が。
ミサは上にあるだろう。万能にして唯一の神が、
万民をなだめるだろう。しかし大きな悲嘆がなくもない。
*信奉者側の見解
この詩は『フランスのヤヌスの第一の顔』では[[予兆詩第101番]]の解釈の中で、La messe au sus sera. という3行目の一部が引き合いに出されただけで、[[1605年版>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1605年)]]以降の『予言集』各版にも引き継がれなかった。そのため、この詩に関しては[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]が手稿『[[散文予兆集成>Recueil des Presages Prosaiques de M. Michel de Nostredame]]』において、ついに休戦が実現することとカトリック・プロテスタント両派に不幸があることと解釈した以外には、信奉者側の解釈が存在しない。
*同時代的な視点
「説教」がプロテスタント、「ミサ」がカトリックの隠喩というのは、シャヴィニーの指摘通りだろう。
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