予兆詩第145番

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予兆詩第145番(旧134番) 1567年4月について *原文 Par grandes maladies religion fachée, Par les enfans & [[legats>legat]] d'ambassade&sup(){1}. Don donné à indigne&sup(){2}, nouvelle loy lachée. Biens de vieux peres, Roy en bonne [[contrade]]. ((原文は Chevignard [1999] p.185 による。)) **異文 (1) d'ambassade &italic(){conj.(BC)} : d'Ambassade &italic(){T.Eds.} (2) indigne : indign. 1650Le 1668 (注記1)この詩の初出である『[[1567年向けの暦>ALMANACH POVR L'AN M.D.LXVII.]]』は現存していないため、底本になっているのは1594JFである。 (注記2)[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]の手稿『[[散文予兆集成>Recueil des Presages Prosaiques de M. Michel de Nostredame]]』には、綴り直されたバージョンが収録されている。 *日本語訳 大病により、宗教は疲弊させられる、 幼子たちや大使館の使節たちにとっても。 贈り物は相応しくない者に与えられ、新たな法は放棄される。 年老いた父たちの財産。王は良き地方に。 **訳について  2行目の par は pour と同一視して読んだ。[[エドガー・レオニ]]は2行目の [[legats>legat]]は明らかに「遺産」の意味で使われているとした((Leoni [1961]))。 *信奉者側の見解  [[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]は、前半を1569年8月に当てはめ、ポワチエ攻囲の際にプロテスタントたちの間で病気が流行ったこととし、それが幼子たちや交渉役たちにも被害をもたらすこととした。3行目は1568年とし、その年に成立した和平をプロテスタントが気に留めないこととした(1568年3月に第二次ユグノー戦争は終結したが、同年8月に第三次が勃発した)。4行目の後半は、王が健やかだったことを指すという((Chavigny [1594] pp.178, 186))。 *同時代的な視点  「大使館」(ambassade)という語は、予兆詩集では2度しか登場していない。あと1回はノストラダムス自身の死を予言したとされてきた[[1567年11月向け>予兆詩第152番]]だけである。 「贈り物」(don)という語も予兆詩集ではわずか3回しか使われていない。あと2回は[[1567年7月向け>予兆詩第148番]]と[[1567年11月向け>予兆詩第152番]]だけである。  [[1567年11月向け>予兆詩第152番]]は改竄されている可能性も指摘されているので、単純な比較はできないが、何か共通のモチーフが含まれているのかもしれない。  その一方で、[[エドガー・レオニ]]のようにここで出ている「大使館」を、ノストラダムス自身の行動にひきつけて理解してよいかには疑問もある。 ---- #comment

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