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[[六行詩集]]>14番*
*原文
Au grand siege&sup(){1} encor&sup(){2} grands&sup(){3} forfaits,
Recommançans&sup(){4} plus que iamais
Six cens & cinq&sup(){5} sur la verdure&sup(){6},
La prise & reprise&sup(){7} sera,
Soldats és&sup(){8} champs&sup(){9} iusqu'en&sup(){10} froidure&sup(){11}
Puis apres recommencera.
**異文
(1) siege : Siege 1672Ga
(2) encor : encores 1600Mo
(3) grands : grand 1672Ga
(4) Recommançans : Recommançant 1600Mo, Recommençant 1611 1627Ma 1627Di 1628dR 1644Hu 1649Ca, Recommenceant 1672Ga
(5) & cinq : cinq 1600Mo
(6) verdure : Verdure 1600Mo
(7) prise & reprise : prinse reprinse 1600Mo
(8) és : es 1672Ga
(9) champs : Champs 1672Ga
(10) iusqu'en : iusques en 1600Mo
(11) froidure : froiduze 1627Di
*日本語訳
大攻囲にて、なおも大重罪を、
彼らはかつてないほどに繰り返すから、
六百と五、緑野にて、
占領と奪還があるだろう、
戦場の兵士達が凍えるまで。
それから(占領と奪還が)再開するだろう。
**訳について
2行目 plus que jamais は副詞で recommançants (再開する、繰り返す)を修飾している。この場合は彼ら(ils)を補って訳したが、直訳すれば「大攻囲にて、なおも大重罪がかつてないほどに繰り返すだろうから(~繰り返しつつ)」。
4行目は主語と動詞の活用形が一致していないが、[[詩百篇集]]に見られる変則的な用法を流用したものだろう。6行目 recommencera も4行目と同じように捉えて主語は同じと見るべきである(5行目の soldats を主語にとることはできない)。
*信奉者側の見解
[[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、[[前の詩>六行詩13番]]とともに、アンリ4世とサヴォワ公の争いを描いたもので、「大攻囲」はサヴォワの最重要拠点(the strongest point)であったモンプリアン(Montpelian)の攻囲を指すとした((Garencieres [1672]))。
「モンプリアン」はおそらく現在のサヴォワ県にあるモンメリアン(Montmélian)の誤りだろう。この町では1600年に攻囲戦があったらしい(([[ウィキペディアフランス語版の「Montmélian」の項>http://fr.wikipedia.org/wiki/Montm%C3%A9lian]]))。
*同時代的な視点
詩の情景はそれほど難しくない。3行目の「緑野にて」はガランシエールが「春のころに」(about the Spring)、[[エドガー・レオニ]]が「春に」(in the spring)と英訳したように、「春」を意味する隠喩だろう。要するに、春に始まったどこかの都市の攻囲戦で一進一退の攻防が繰り広げられるが、冬になって中断を余儀なくされ、次の春に再開されるということだろう。
この詩は 1600Au に含まれていない4つの詩([[11番>六行詩11番]]、[[12番>六行詩12番]]、14番、[[27番>六行詩27番]])の1つである。
「六百と五」(1605年)とある以上、この詩はおきたばかりの事件を追加して権威付けを狙った事後予言の可能性がある。
その一方、詩の情景が描く範囲は1605年から翌年にかけてのものとも理解できる。そちらの読み方が正しい場合、当時進行中だった何らかの攻囲戦に関して、政治的な思惑から加えられた偽予言なのかもしれない。
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#comment
[[六行詩集]]>14番*
*原文
Au grand siege&sup(){1} encor&sup(){2} grands&sup(){3} forfaits,
Recommançans&sup(){4} plus que iamais
Six cens & cinq&sup(){5} sur la verdure&sup(){6},
La prise & reprise&sup(){7} sera,
Soldats és&sup(){8} champs&sup(){9} iusqu'en&sup(){10} froidure&sup(){11}
Puis apres recommencera.
**異文
(1) siege : Siege 1672Ga
(2) encor : encores 1600Mo
(3) grands : grand 1672Ga
(4) Recommançans : Recommançant 1600Mo, Recommençant 1611 1627Ma 1627Di 1628dR 1644Hu 1649Ca, Recommenceant 1672Ga
(5) & cinq : cinq 1600Mo
(6) verdure : Verdure 1600Mo
(7) prise & reprise : prinse reprinse 1600Mo
(8) és : es 1672Ga
(9) champs : Champs 1672Ga
(10) iusqu'en : iusques en 1600Mo
(11) froidure : froiduze 1627Di
*日本語訳
大攻囲にて、なおも大重罪を、
彼らはかつてないほどに繰り返すから、
六百と五、緑野にて、
占領と奪還があるだろう、
戦場の兵士達が凍えるまで。
それから(占領と奪還が)再開するだろう。
**訳について
2行目 plus que jamais は副詞で recommançants (再開する、繰り返す)を修飾している。この場合は彼ら(ils)を補って訳したが、直訳すれば「大攻囲にて、なおも大重罪がかつてないほどに繰り返すだろうから(~繰り返しつつ)」。
4行目は主語と動詞の活用形が一致していないが、[[詩百篇集]]に見られる変則的な用法を流用したものだろう。6行目 recommencera も4行目と同じように捉えて主語は同じと見るべきである(5行目の soldats を主語にとることはできない)。
*信奉者側の見解
[[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、[[前の詩>六行詩13番]]とともに、アンリ4世とサヴォワ公の争いを描いたもので、「大攻囲」はサヴォワの最重要拠点(the strongest point)であったモンプリアン(Montpelian)の攻囲を指すとした((Garencieres [1672]))。
「モンプリアン」はおそらく現在のサヴォワ県にあるモンメリアン(Montmélian)の誤りだろう。この町では1600年に攻囲戦があったらしい(([[ウィキペディアフランス語版の「Montmélian」の項>http://fr.wikipedia.org/wiki/Montm%C3%A9lian]]))。
*同時代的な視点
詩の情景はそれほど難しくない。3行目の「緑野にて」はガランシエールが「春のころに」(about the Spring)、[[エドガー・レオニ]]が「春に」(in the spring)と英訳したように、「春」を意味する隠喩だろう。要するに、春に始まったどこかの都市の攻囲戦で一進一退の攻防が繰り広げられるが、冬になって中断を余儀なくされ、次の春に再開されるということだろう。
この詩は 1600Au に含まれていない4つの詩([[11番>六行詩11番]]、[[12番>六行詩12番]]、14番、[[27番>六行詩27番]])の1つである。
「六百と五」(1605年)とある以上、この詩はおきたばかりの事件を追加して権威付けを狙った事後予言の可能性がある。
その一方、詩の情景が描く範囲は1605年から翌年にかけてのものとも理解できる。そちらの読み方が正しい場合、当時進行中だった何らかの攻囲戦に関して、政治的な思惑から加えられた偽予言なのかもしれない。
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