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[[百詩篇第8巻]]>83番
*原文
Le plus grand voile hors du port de Zara&sup(){1},
Pres de Bisance fera son entreprinse,
D'ennemy&sup(){2} perte&sup(){3} & l'amy ne sera
Le tiers à deux fera grand [[pille]] & prinse.
**異文
(1) Zara : Zars 1627
(2) D'ennemy : Dennemy 1590Ro, D'Ennemy 1672
(3) perte : perre 1627
(注記)1627のZars は特に a が手書きのような不自然なフォントになっているが、リヨン市立図書館蔵のディディエ版も、マリオ・グレゴリオが公開しているユグタン版も同じようになっている。
*日本語訳
[[ザーラ>ザダル]]の港の外の最も大きな艦船が、
[[ビュザンティオン>イスタンブル]]の近くでその計略を遂行するだろう。
敵の損失、そして友はいないだろう。
第三者が両者にひどい掠奪と捕獲を行うだろう。
**訳について
山根訳は3行目「敵と友の損失は生じることなく」が、語順から言って妥当性を欠く。
大乗訳1行目「偉大なる者がザーラの港を出航し」((大乗 [1975] p.251))は、区切り方がおかしい。voile hors de で「出航する」という成句でもあるのなら別かもしれないが、DMF などには見当たらない。[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳では The greatest sail out of the port of Zara ((Roberts [1949] p.269))となっている。
同3行目「そこには敵も味方もなく」は、perte (損失)が訳に反映されていない。
同4行目「第三の者は第二の者以上に大略奪をするだろう」は、à deux を「第二の者以上に」と訳すのが強引。ロバーツの英訳は The third shall make a great pillage upon the two でそれほど問題はない。
*信奉者側の見解
[[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、ザーラはヴェネツィア領のダルマチアの港町で、この詩が過去に成就したものなら、20年前にヴェネツィア人がテネドス島(ボズジャーダ島)を手に入れたことかもしれないとした((Garencieres [1672]))。
その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]の著書には載っていない。
[[セルジュ・ユタン]]は、1918年にユーゴスラビア(当時の名称はセルブ・クロアート・スロヴェーヌ王国)が建国されたこととした。
[[エリカ・チータム]]や[[ジョン・ホーグ]]は、遡及的な予言として、1202年の第四次十字軍のこととした。特異な贋作説を唱える[[ジョセフ・サビノ]]も第四次十字軍の予言とし、ノストラダムスが生きていた時代よりも前の予言が含まれているのは、彼がより前の時代の大予言者の作品を剽窃したという自分の仮説に適合するとしていた((Cheetham [1973], Hogue [1997/1999], サビノ [1992] pp.113-115))。
*同時代的な視点
チータムやホーグが主張する第四次十字軍とする解釈は、[[エドガー・レオニ]]が最初に主張していたものである((Leoni [1961]))。
第四次十字軍は聖地に向かう船をヴェネツィアに頼ったが、その船賃を払えないことから、ヴェネツィアの提案に基づいてザーラを攻略し、掠奪行為に及んだ。ザーラはカトリック信徒が暮らす町だったため、激怒した教皇インノケンティウス3世が参加者全員を破門する騒ぎに発展した(後に撤回)。
その後、十字軍は本来の目的地とは異なり、東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリス(ビュザンティオン)を陥落させ、略奪行為に及んだ。この十字軍の結果、ヴェネツィアは、制海権をはじめ様々な漁夫の利を得て、勢力拡大に成功した。
[[ピーター・ラメジャラー]]も、第四次十字軍と解釈した。また、明記はしてないが、[[ロジェ・プレヴォ]]も同じ見解のようである((Lemesurier [2003b/2010], Prévost [1999] p.21))。
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【画像】 ヴィルアルドゥワン 『コンスタンチノープル征服記―第四回十字軍』
#ref(zara.PNG)
[[詩百篇第8巻]]>83番*
*原文
Le plus&sup(){1} grand voile hors&sup(){2} du port de Zara&sup(){3},
Pres&sup(){4} de Bisance fera&sup(){5} son entreprinse,
D'ennemy&sup(){6} perte&sup(){7} & l'amy ne sera
Le tiers à deux fera grand [[pille]] & prinse.
**異文
(1) plus : p us 1716PRc
(2) hors : hort 1591BR
(3) Zara : Zɑrs 1627Di
(4) Pres : Prez 1716PR
(5) fera : sera 1650Mo
(6) D'ennemy : Dennemy 1590Ro, D'Ennemy 1672Ga
(7) perte : perre 1627Di
(注記)1627DiのZɑrs は特に ɑ が手書きのような不自然なフォントになっているが、リヨン市立図書館蔵の1627年ディディエ版も、マリオ・グレゴリオが公開している1627年ユグタン版も同じようになっている。
*日本語訳
[[ザーラ>ザダル]]の港の外の最も大きな艦船が、
[[ビュザンティオン>イスタンブル]]の近くでその計略を遂行するだろう。
敵の損失、そして友はいないだろう。
第三者が両者にひどい掠奪と捕獲を行うだろう。
**訳について
既存の訳についてコメントしておく。
山根訳は3行目「敵と友の損失は生じることなく」((山根[1988]))が、語順から言って妥当性を欠く。
大乗訳1行目「偉大なる者がザーラの港を出航し」((大乗 [1975] p.251))は、区切り方がおかしい。voile hors de で「出航する」という成句でもあるのなら別かもしれないが、DMF などには見当たらない。[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳では The greatest sail out of the port of Zara ((Roberts [1949] p.269))となっている。
同3行目「そこには敵も味方もなく」は、perte (損失)が訳に反映されていない。
同4行目「第三の者は第二の者以上に大略奪をするだろう」は、à deux を「第二の者以上に」と訳すのが強引。ロバーツの英訳は The third shall make a great pillage upon the two でそれほど問題はない。
*信奉者側の見解
[[テオフィル・ド・ガランシエール]](1672年)は、ザーラを[[ヴェネツィア]]領の[[ダルマチア]]の港町と注記し、この詩が過去に成就したものなら、20年前(=1652年頃)にヴェネツィア人がテネドス島(ボズジャーダ島)を手に入れたことかもしれないとした((Garencieres [1672]))。
その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]の著書には載っていない。
[[セルジュ・ユタン]]は、1918年にユーゴスラビア(当時の名称はセルブ・クロアート・スロヴェーヌ王国)が建国されたこととした。
[[エリカ・チータム]]や[[ジョン・ホーグ]]は、遡及的な予言として、1202年の第四次十字軍のこととした。
特異な贋作説を唱える[[ジョセフ・サビノ]]も第四次十字軍の予言とし、ノストラダムスが生きていた時代よりも前の予言が含まれているのは、彼がより前の時代の大予言者の作品を剽窃したという自分の仮説に適合するとしていた((Cheetham [1973], Hogue [1997/1999], サビノ [1992] pp.113-115))。
*同時代的な視点
チータムやホーグが主張する第四次十字軍とする解釈は、[[エドガー・レオニ]]が最初に主張していたものである((Leoni [1961]))。
第四次十字軍は聖地に向かう船をヴェネツィアに頼ったが、その船賃を払えないことから、ヴェネツィアの提案に基づいてザーラを攻略し、掠奪行為に及んだ。
ザーラはカトリック信徒が暮らす町だったため、激怒した教皇インノケンティウス3世が参加者全員を破門する騒ぎに発展した(後に撤回)。
その後、十字軍は本来の目的地とは異なり、東ローマ帝国の首都[[コンスタンティノポリス(ビュザンティオン)>イスタンブル]]を陥落させ、略奪行為に及んだ。この十字軍の結果、ヴェネツィアは、制海権をはじめ様々な漁夫の利を得て、勢力拡大に成功した。
[[ピーター・ラメジャラー]]も、第四次十字軍と解釈した。また、明記はしてないが、[[ロジェ・プレヴォ]]も同じ見解のようである((Lemesurier [2003b/2010], Prévost [1999] p.21))。
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【画像】 ヴィルアルドゥワン 『コンスタンチノープル征服記―第四回十字軍』
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