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+[[百詩篇第8巻]]>41番
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 *原文
 Esleu sera Renad&sup(){1} ne sonnant mot,
 Faisant le saint&sup(){2} public viuant pain d'orge,
 Tyrannizer&sup(){3} apres tant à vn cop&sup(){4},
 Mettant à pied des plus grans sus&sup(){5} la gorge.
 
 **異文
 (1) Renad 1568A 1568B 1568C 1605 1628 1649Xa 1649Ca 1772Ri 1840 : Renard &italic(){T.A.Eds.}
 (2) saint : fait 1600 1610 1716, rat 1627 1644 1650Ri, Saint 1672
 (3) Tyrannizer : Syrannizer 1611
 (4) cop : coup 1627 1644 1650Le 1650Ri 1653 1665 1668, coq 1772Ri
 (5) sus 1568 1590Ro : sur &italic(){T.A.Eds.}
 
 **校訂
  Renad は当然 [[Renard]] であるべき。この点の異論は、立場を問わず一切見られない。
 
 *日本語訳
 狐が選ばれるだろう、声を出さず、
 公 〔おおやけ〕 には聖人のふりをし、大麦のパンを糧にするから。
 そのあとで突如として圧政を行う、
 最も偉大な人々の喉に足を置きつつ。
 
 **訳について
  [[Renard]] が大文字で正しいとすれば、固有名詞として「ルナール」と訳せる可能性もある。いずれにしても、「悪賢い」という意味が込められていると見るべきだろう。
 
  山根訳は問題ない。
  大乗訳も、語句のつながりに不明瞭さはあり、細かい点に疑問もあるが、おおむね許容範囲内だろう。
 
 *信奉者側の見解
  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、質素な暮らしをしていた偽善者が、ローマ教皇に選ばれるや暴君となり、偉大な君主たちの喉を踏みにじることになると解釈していた((Garencieres [1672]))。
 
  [[D.D.]]は[[第8巻57番>百詩篇第8巻57番]]、[[第8巻76番>百詩篇第8巻76番]]とともに、クロムウェルの豹変ぶりの予言と解釈した((D.D. [1715] pp.40-48))。
  [[チャールズ・ウォード]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]も、これをクロムウェルの詩としたが、レイヴァーは同じ詩をナポレオン3世にも当てはめた((Ward [1891] pp.212-213, Boswell [1943] p.88, Lamont [1943] p.114, Laver [1952] pp.128, 202))。ナポレオン3世とする解釈は[[エリカ・チータム]]も採ることになるが、[[エドガー・レオニ]]によると、元祖は[[アンリ・トルネ=シャヴィニー]]らしい ((Leoni [1961], Cheetham [1973/1990]))。
 
  匿名の解釈書『暴かれた未来』(1800年)は、ルイ13世の治世下で権力を振るったリシュリュー枢機卿と解釈した((&italic(){L’Avenir}..., p.105))。
 
  [[マックス・ド・フォンブリュヌ]]は、未来に現われる反キリストと解釈した。この解釈は、息子の[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]にも引き継がれた((Fontbrune [1939] p.268, Fontbrune [1980/1982]))。
 
  [[スチュワート・ロッブ]]は、フランス革命期に多くの者を断頭台送りにしたロベスピエールと解釈した((Robb [1961] pp.112-113))。
 
  [[セルジュ・ユタン]]は、ペタン元帥のヴィシー政権による、フランス第三共和政の終焉と解釈した((Hutin [1978/2002]))。
 
 *同時代的な視点
  「大麦のパン」は質素な食生活の喩え。
  「聖人」という言葉や、世襲ではなく選挙で選ばれるらしいことから、ローマ教皇の座につく者の豹変を描いていると見るのが素直な理解だろう。
 
  [[ピーター・ラメジャラー]]は、ノストラダムスと同時代のローマ教皇ユリウス3世(在位:1550年 - 1555年)がモデルになっていると解釈した((Lemesurier [2003b/2010]))。
  ユリウス3世は十分に敬虔な聖職者であり、神聖ローマ帝国側とフランス側の妥協の産物として支持を集めたが、教皇に選出されると、公約の一つであったトリエント公会議の再開を積極的に進め、これに消極的だったフランスと対立した。
 
  [[ジャン=ポール・クレベール]]は、ノストラダムスとほぼ同じ時代の知識人モンテーニュが、ボニファティウス8世(在位:1294年 - 1303年)が教皇になったときの様子を「狐のよう」、権力を振るうさまを「獅子のよう」、死んだときを「犬のよう」(アナーニ事件で憤死した)と表現したことを引き合いに出し、ノストラダムスもボニファティウス8世が教皇になるときの豹変ぶりを同じように捉えていたものと解釈した。
  ボニファティウス8世は、フランス王フィリップ4世と激しく対立し、ローマ教皇は世俗の諸王に優越すると教勅で宣言するなど、きわめて強硬な姿勢に出た((Clébert [2003]))。
 
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