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&bold(){五島勉}(ごとう べん/ごとう つとむ、1929年11月17日 - 2020年6月16日)は、北海道出身のルポライター、小説家。東北大学法学部卒業。
初期には女性誌のルポのほか、さまざまなテーマの本を出していたが、1973年に『[[ノストラダムスの大予言]]』がベストセラーになってからは、ノストラダムスや予言関連の著書を多く出すようになった。
本人は著書の中で現代文明の行く末を憂えている研究者としての姿勢を打ち出している。
しかし、その論理展開においては架空の資料を持ち出したり、新聞のベタ記事のような大したことのない話を必要以上に膨らませる傾向が見られる。こうした手法については、作家の酒見賢一や[[と学会]]のようにエンターテイナーとして捉える者たちもいる。
&bold(){目次}
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【画像】 五島勉 『ヒトラーの終末予言 側近に語った2039年』
*著者名
最初の単行本である編著『[[続・日本の貞操]]』以降、基本的に「五島勉」を使い続けている。ただし、その読みについて、当初は「&bold(){ごとう つとむ}」としていた。本名は&bold(){「後藤力」(ごとう つとむ)}((読売新聞2020年7月22日朝刊32面、朝日新聞2020年7月22日朝刊34面))であり、そちらの読みの方が自然ではあるのだろう。
志水一夫は『[[ノストラダムスの大予言]]』について、「&color(green){『つとむ』が『べん』となったのは、ここから?}」((『トンデモノストラダムス解剖学』p.209))と指摘していた。実際、その半年ほど前に刊行された『東京ローズの戦慄』までは「ごとう つとむ」だったため、志水の推測は十分に説得的である。
以降の著書ではごく例外的な事例を除くと、「べん」でほぼ統一されている。
もっとも、ルポライター時代に「サソリのベン」と呼ばれていたという話が確かなら、「つとむ」と名乗っていた時期にも、仕事仲間などからは、「勉」の読みを変えて「ベン」と呼ばれることも珍しくなかったのかもしれない。
確実な別名義には「&bold(){倉田英乃介}」(『[[コイン利殖入門]]』)がある。ほかで、ほぼ確実なのは「&bold(){木村敏夫}」(「保安隊」『中央公論』)のみである。
当「大事典」では「&bold(){水野浩}」も五島勉の別名義でないかと疑っている([[続・日本の貞操]]を参照)。
*略歴
五島の経歴については、ほとんどが本人のインタビューなどに基づくしかないので、どこまでが本当か分からない要素も少なくない。それでもとりあえずまとめておくと、以下のとおりである。
五島は1929年11月17日に北海道函館で生まれた((『1999年 高橋克彦対談集』))。両親は函館のハリストス正教会の信徒で((『週刊読売』1991年5月26日))、代々医者の家系である((『男性自身』1980年3月20日号))。五島自身は6人兄弟の末っ子で、兄は3人とも医学系に進学したという((『男性自身』前掲号))。
旧制函館中学、旧制二高仏文科を卒業後、東北大学法学部に進学((『男性自身』前掲号、旧制高校で仏文科という情報のみ『禁じられた地帯』略歴))。大学時代にイールズ声明反対闘争(「大学教育の場から共産主義者を追い出すべき」と主張したGHQ民間情報局教育顧問イールズの声明に反対し、1950年5月に東北大学や北海道大学などで展開された学生運動)を「推進」したという((『禁じられた地帯』略歴))。
大学在学中から「エロ雑誌」の懸賞小説のようなものに応募したのがきっかけで、ルポライターの仕事が入るようになったという((『男性自身』前掲号および『キャリアガイダンス』1981年12月号))。
大学最終学年時には、出版社の依頼で山形の米軍駐屯地と、そこの日本人娼婦を取材した。「五島勉」という名義で刊行された最初の作品『[[続・日本の貞操]]』(1953年)はその取材を踏まえたものだという((『男性自身』前掲号))。取材活動を、仙台のアメリカ第16軍団司令部で通訳の傍ら行ったという話もある((『禁じられた地帯』略歴))。
1953年に大学を卒業((『男性自身』『キャリアガイダンス』各前掲号))。卒業論文は「日本の貨幣と法制」だったというが((『コイン利殖入門』カバー))、この論文名は「倉田英乃介」名義の著書で言及されているだけであり、「五島勉」名義の著書では確認できない。
大学卒業に際して就職先は決まっておらず、仕事の有無を問い合わせた東京の出版社からとりあえず来るように促されて上京し、ライターとしての仕事を始めたという((『週刊読売』前掲号、『月刊オーパス』1994年10月号、『1999年 高橋克彦対談集』))。ただし、社員ではなく、フリーのライターだったらしい((『週刊宝石』1991年4月11日号))。
この点、上京後、「雑誌関係の仕事をしているうちにフリーライターに」((『読売新聞』1988年9月15日別刷7面))と、微妙にニュアンスの異なる書き方をしているものもある。
当初は基地関係のルポルタージュをしていたが、それが目に留まったので、雑誌『知性』(1954年 - 1957年)にルポルタージュを寄稿することになったらしい((『男性自身』前掲号))。
初期のルポルタージュでは、『中央公論』1954年3・4月号に掲載された「保守隊」と題するルポがあったという((『禁じられた地帯』略歴))。実際にそれらの号を調べてみても、そういう題名のルポはないが、1954年4月号・5月号には「保安隊」「続・保安隊」というルポがあるので、おそらくこれを指すものと思われる。これの名義は「木村敏夫」である。
さて、1950年代には、
-『知性』で「禁じられた地帯」を、
-『キング』で「サラリーマン研究」を、
-『日本』で「サラリーマン天国」を((『禁じられた地帯』略歴))、
連載しており、最初の2つは単行本化された。また、1950年代にはほかに『あまとりあ』『夫婦生活』などの雑誌での記事を確認でき、一部は単行本化された。
佐木隆三は「いっしょに仕事をしたライター、編集者」の評として、「なんでもこなす器用な人だが、生マジメなのが玉にキズだったとか」と述べていた((『問題小説』1974年5月号))。
新聞社系ではなく出版社系の週刊誌が次々創刊され、その記者として文学青年や元新聞記者などが求められた中、五島はそのなかでも「軟派の竹中、硬派のジョー、皇室ものの五島」(芸能界に強い竹中労、政治方面に強い児島譲、皇室ネタに強い五島勉)と呼ばれたり((『問題小説』前掲号))、草柳大蔵、竹中労とともに「女性誌三大ルポライター」と呼ばれたりしたらしい((『週刊文春』1974年1月21日、『1999年 高橋克彦対談集』))。
「サソリのベン」というあだ名もあったらしく((山本弘『トンデモノストラダムス本の世界』))、のちに本人も、大したサソリではなく痩せたサソリだったと謙遜しつつも、そういうあだ名があったこと自体は否定していない((『飛鳥昭雄×五島勉』))。
光文社の『女性自身』が1958年に創刊された際に引き抜かれて創刊号から執筆し((『男性自身』前掲号、『飛鳥昭雄×五島勉』))、「総合雑誌のライターから、週刊誌のライターに転向した」((『愛のパズル』まえがき))という。その後、「何となく半専属みたいな立場」((『愛のパズル』まえがき))になり、10年以上『女性自身』で書いたという((『オーパス』前掲号))。
正確な在籍期間は分からないが、1960年安保の時も70年安保の時も『女性自身』にいたらしい((『オーパス』前掲号))。なお、当時の『女性自身』は3年目で80万部、1970年までに最大で135万部という成長を遂げており((新海均『カッパ・ブックスの時代』pp.50-51))、五島はその成長を支えた主力ライターの一人だったことになる。
60年安保の時には、たまたま取材した女性が死の前日の樺美智子だったとも述べており、樺が岸内閣について
「きりっとしたほんとに歯切れのいい声で『あれは犯罪者だ』と言ってましたね。すごく魅力的な人でした。次の日のニュースで亡くなったことを知ったんですが」
と述べている((『オーパス』前掲号))。
もっとも、このエピソード、初期には
「ある女子学生が自分の名前を“カンバ”と答えたのを覚えています。そのコがあの亡くなった樺美智子かどうか確かめようがないけど、いまでもそのシーンは鮮やかに残っていますね」((『男性自身』前掲号))
という曖昧なものだった。
これ自体は、ささいなエピソードの誇張にすぎないが、五島の証言をどの程度信頼できるか(とくに故人をどのように扱っているか)、という参考にはなるだろう。
『女性自身』ではアンカーマンをつとめていたというが((『男性自身』前掲号、『噂の真相』1999年3月号))、光文社が労使紛争で紛糾した際に、黒崎勇、伊賀弘三良らが退社して祥伝社を立ち上げたのに合わせて、五島にも声が掛かったという((『噂の真相』前掲号、『飛鳥昭雄×五島勉』))。
そして、祥伝社から最初に出した『[[ノストラダムスの大予言]]』が大ヒットとなり、予言を含むオカルト関係の著書が増えてゆくこととなったのである。その『大予言』の略歴では、五島が活動した媒体として『週刊新潮』と『アサヒ芸能』も挙げられていた。
なお、光文社から祥伝社が分裂したのが1970年のことであり、そのころ(1970年初頭)五島は「東京マスコミ塾講師」をつとめていたという((『生命の若者たち』カバー、『戦後の暴力史』カバー))(東京マスコミ塾というのは、大宅壮一が主宰していた3か月で修了するカリキュラムの塾であり、ジャーナリスト志望者などを対象にしていた)。
読売新聞では「出版社のストをきっかけにノストラダムスを紹介する作家に転身した」((『読売新聞』前掲日別刷))と紹介されたこともあったが、祥伝社立ち上げの1970年から、『大予言』を刊行する1973年までは、3年ほどの間隔があり、これを直結させるのは適切ではない。
そのころの五島は『現代の英雄 日本が狭すぎる5人の男』(1968年)での池田大作の評伝を皮切りに、1970年代初頭に相次いで創価学会を称賛する本を出版していた。このことから、創価学会とどういう関係だったのかがいろいろ取りざたされてきた。五島自身は晩年になって、「しばらくの間、創価学会というのを一つの新しい光みたいにこっちが見ていた時期がたしかにあるんです」(([[文春オンラインのインタビュー記事>>https://bunshun.jp/articles/-/5624]]))と、少なくとも好意的だった時期があったことは認めている。
なお、『第三文明』1982年10月号に掲載された座談会「いま、青年と宗教の可能性を考える」に五島勉も参加しており、五島の発言から、その年の創価学会の青年主張大会に出席し、挨拶もしたことが分かる。
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【画像】 五島勉 『現代の英雄 ― 日本が狭すぎる5人の男』 (1968年)
この創価学会の礼賛本を立て続けに出した時期(1970年から1972年)は、五島が光文社の『女性自身』から去り、(光文社出身者らが創設した)祥伝社から『[[ノストラダムスの大予言]]』(1973年)を刊行するまでの、ほぼ中間の時期に当たっている。
そのことに意味があるのか偶然なのかはよく分からないが、「ごとうつとむ」から「ごとうべん」への切り替えが『大予言』の刊行と同時(?)であったことと併せると、この1970年頃から1973年頃の時期が五島にとっての何らかの転機だったとは言えるのかもしれない。
2020年6月16日に誤嚥性肺炎で逝去((読売新聞2020年7月22日朝刊32面、朝日新聞2020年7月22日朝刊34面ほか))。
*ノストラダムスの研究歴
五島の経歴の中でも、著書の中で特に食い違いが大きいのがこの点である。そもそもノストラダムスをいつ知ったのかさえ、ずいぶんと食い違っている。詳しくは[[五島勉のノストラダムス研究歴]]を参照。
*受賞
-日本トンデモ本大賞特別功労賞([[と学会]]、1999年)
--なお、本人の著書に出てくる 「『恐怖の大王なんてマボロシが降ると思っていた大賞』をあげますから出席するように、という何かの団体からの招待も(二〇〇〇年夏だったか)来た」((『イスラムvs.アメリカ』2002年、p.156))という話は、事実に立脚しているのだとすれば、日本トンデモ本大賞の話がアレンジされているものと思われる。
*著書
&big(){五島の著書全般については[[五島勉の著書一覧]]を参照のこと。}
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【画像】 五島勉 『BGスパイ - デパートを燃やせ』(1964年)
**ノストラダムス関連の著書
1973年以降の五島の著書には、何らかの形でノストラダムスに言及しているものが多く、全てを挙げるときりがない。以下はノストラダムスを主題としているか、タイトルにノストラダムスを含むもの。
-&bold(){[[『ノストラダムスの大予言』シリーズ]]}(祥伝社、1973年-1998年)
-『ノストラダムスの大秘法』(祥伝社、1983年)
-『地球少年ジュン』(全3巻、祥伝社、1985年-1987年)
-『[[ノストラダムスの超法則 死活の書]]』(青春出版社、1994年)
-『[[1999年日本「大予言(ノストラダムス)」からの脱出]]』(光文社、1996年)
-『ノストラダムス†幸運の秘法 赤い糸・黒い糸の書』(青春出版社、1997年)
-『ザ・ラスト・イヤー 「死海文書」・ノストラダムス・アインシュタイン』(光文社、1998年)
-『[[イスラムvs.アメリカ 「終わりなき戦い」の秘予言]]』(青春出版社、2002年)
ノストラダムスについて言及のある一番新しい著書は、『[[ノストラダムスの大予言 (電子書籍版)]]』(祥伝社、2014年)である(2015年の『ヒトラーの終末予言』は、過去の再版に過ぎない言及であり、新しい情報は含まれていない。それに対し、電子書籍版の『大予言』は合計24ページ分の前書き、後書きが追加されている)。
少なくともノストラダムスに触れた箇所については、『[[イスラムvs.アメリカ 「終わりなき戦い」の秘予言]]』で語っていたことの焼き直しといえる。2012年の[[飛鳥昭雄]]との対談 『[[予言・預言対談 飛鳥昭雄×五島勉]]』 の内容ともエッセンスとしては大差がない。
**著書に収録された対談・インタビューなど
-高橋克彦 『1999年 高橋克彦対談集』 小学館、1990年 / 講談社文庫、1994年
--第3章に当たる「五島勉 ノストラダムスの1999年」(pp.65-98、文庫pp.63-94)が五島との対談。
--もとは『ワンダーライフ』第7号(1987年9月)に掲載されていたが(pp.60-69)、そちらと比べるとかなり増補されている。
-ひろた みを 『ミステリーゾーンの20人』 飛鳥新社、1996年
--「新たなる『ノストラダムスの予言』。解読するほどに、地球の未来が失われていく」(pp.239-254)が五島勉へのインタビュー。
--もとは『話のチャンネル』(日本文芸社)の連載記事だったらしい(五島のインタビューの掲載号は、当「大事典」では未調査)。
-ノストラダムス研究会 『ノストラダムス 21世紀へのメッセージ』 同文書院、1999年
--「第一部・緊急インタビュー 五島勉氏に聞く」(pp.9-62)がインタビュー。
--帯には「五島勉氏が緊急提言!!」とある。ただし、『[[ノストラダムスの大予言・最終解答編]]』の内容を超える要素はほとんどない。
-『[[予言・預言対談 飛鳥昭雄×五島勉]]』 学研パブリッシング、2012年
--著書全体が飛鳥昭雄との対談。
-本橋信宏 『ベストセラー伝説』 新潮新書、2019年
--「第8章 『ノストラダムスの大予言』」に、部分的にインタビューが含まれる。
**他の著書に寄せた推薦文
-「天才的頭脳による恐怖の新仮説」
--桜井邦朋 『地球に急接近するハレー大彗星 宇宙科学が予言する1986年、悪夢の日』(祥伝社、ノン・ブック、1976年)のカバーに掲載。
-「血も凍る大予言小説(スーパー・エンタテイメント)」
--レイモンド・レナード 『ノストラダムスの遺産』(祥伝社、四六判、1985年)のカバーに掲載。
--初版の帯にも「450万部突破!『大予言』の著者 五島勉氏も大絶賛!」等とある。
-「戦慄すべき大予言の新解釈」
--[[川尻徹]] 『滅亡のシナリオ』(祥伝社、ノン・ブック、1985年)のカバーに掲載。
--初版の帯でも「“戦慄すべき大予言の新解釈”と五島勉氏も驚嘆‼」と、大々的にアピールされていた。
-「人類の救いの道を探る奇想天外な新解釈」
--川尻徹 『ノストラダムス メシアの法』(二見書房、1988年)のカバーに掲載。
*新聞・雑誌記事
五島がノストラダムスや終末について語った新聞・雑誌記事は非常に多い。また、ノストラダムスの権威であるかのように捉えられていたことから、彼に何らかのコメントを求めた記事も多い。
当「大事典」で実物もしくはコピーを所蔵している記事をまとめると、以下の通りである(五島の寄稿などは、単行本未収録のもののみ。そのため、雑誌連載をまとめて単行本化した『[[ノストラダムスの大予言V]]』などは除いている)。
**寄稿
五島が各種雑誌に寄稿するなどした論説、エッセイ、コラムなど
-「『ノストラダムスの大予言』恐怖の未発表部分! 『滅亡の詩(うた)』には何が書かれてあったか!?」
--『微笑』 1974年1月26日号、pp.176-184
-「恐怖!ノストラダムスの大予言 25年後に人類は全滅する」
--『高二時代』 1974年2月号、pp.157-161
-「それでも『大予言』は当る わがノストラダムスへの大反響と大批判にこたえて」
--『文芸春秋』 1974年4月号、pp.350-354
-「大予言! 地球は氷河期にむかうか」
--『潮』 1974年4月号、pp.190-202
-「『大予言』始末記」
--『新刊展望』 1974年9月号、pp.10-11
-「ノストラダムスの大予言は始まった」
--『現代』 1976年9月号、pp.194-203
-「ノストラダムスから見た惑星直列とハレー彗星」
--『サンデー毎日』 1980年3月16日号、pp.138-140
-「破局は今年から起る!」
--『BIG TOMORROW』1980年7月号(創刊号)、pp.32-37
-「ノストラダムスの謎を解くKEY! 日本が生き残る道はあるか」
--『ムー』 1981年5月号、pp.48-49
-「未来予知の話 あなたもノストラダムスになれる」
--『自警』 1982年8月号、pp.34-37
-「『一九九九年の大破局』を妄想と笑えるか」
--『朝日ジャーナル』 1982年10月1日号、p.19
-「ノストラダムスの大予言と日本」
--『歴史と旅』 1982年12月号、pp.112-121
-「ノストラダムスの予言にあらわれた情報社会とコンピュータ」
--『事務と経営』 1983年1月号、pp.2-5
-「終末のイメージ」
--『人と日本』 1983年6・7月号、pp.10-11
-「恐怖! ノストラダムス1999年 『日本滅亡』の隠された3つの予言詩を発見!」
--『女性セブン』 1988年1月1日号、pp.79-84
-「新発見! ノストラダムスの恐怖予言 人類滅亡のとき『悪魔の潜水艦が現われる!』」
--『女性セブン』 1988年9月15日号、pp.225-228
-「ノストラダムス 滅亡のとき 『魔王が空から襲う』」
--『女性セブン』 1988年10月6日号、pp.239-241
-「終末予言は現代文明への痛烈な警鐘」
--『ばんぶう』 1990年5月号、pp.86-88
-「ノストラダムスは中東危機をかく予言した」
--『宝石』 1990年12月号、pp.188-193
-「『大予言』がこんな反響を引き起こすとは思わなかった」
--『SPA!』 1994年2月23日号、pp.22-23
-「一九九九年七の月、“降りてくる恐怖の大王”の正体とは」
--『日本の論点99』 文藝春秋、1998年、pp.680-683
-「(解説)水木しげるの大予言」
--『悪魔くん ノストラダムス大予言(水木しげる漫画大全集051)』 講談社、2016年、pp.552-555
-「ノストラダムス研究家 五島勉 あるノストラダムス研究者の最終コメント」
--『ムー』 2019年8月号、pp.34-35
**インタビュー
五島のみを単独でインタビューしたもの。語り口調であっても、インタビュアーのコメントなどが挟まっていないものは、上記「寄稿」にまとめている場合がある。
-「いま話題の本を書いた問題の人 五島勉さん・『大予言』の著者」
--『週刊女性』1974年1月5日号、p.47
-「『1999年世界の終わり』を“取材”し続けるトップ屋ダマシイ」
--『男性自身』1980年3月20日号、pp.21-27
-「繁栄の中に危機を見る 作家・五島 勉さん」
--『読売新聞』1988年9月15日別刷
-「青春残像 世紀末商法を先取りしたノストラダムスの大予言・五島勉」
--『サンデー毎日』 1990年7月8日号、(2p.)
-「いよいよ人類滅亡の90年代ですが・・・」
--『微笑』 1990年1月13日号、pp.220-222
-「人物日本列島・五島勉 『世の中大丈夫と言うより危険だといい続けるのが正しい』」
--『週刊宝石』 1991年4月11日号、pp.92-95
-「ノストラダムスの大予言 1999年まであと7年 “恐怖の大王”はどんな形で現れるのか!?」
--『アサヒ芸能』1992年2月27日号、pp.100-101
-「本のレストラン・五島勉 『UFOに乗って逃げようって、ちょっと怖いよねえ』」
--『週刊宝石』 1993年5月27日号、p.169
-「宜保愛子『ノストラダムス霊視』に異議あり 五島勉さん(ノストラダムス研究家)が指摘する8つの問題点」
--『女性セブン』 1993年7月1日号、pp.65-69
-「五島勉氏が明かした人類を滅亡させる『地獄の王子』の正体!」
--『微笑』 1994年6月11日号、pp.241-243
-「戦後50年の証言・五島勉 『大予言』の確度にはゾッとします」
--『週刊読売』 1994年8月14日、p.141
-「ノストラダムスに捧げた半生 五島勉の軌跡」
--『月刊オーパス』 1994年10月号、pp.10-16
-「ノストラダムス研究の第一人者 五島勉氏にインタビュー」
--『FLASH』 1998年8月11日号、p.63
-「これが五島勉氏の最終解答 恐怖の大王にあなたはもう遭遇している! 」
--『女性セブン』 1998年9月17日号、pp.43-47
-「激白3時間 五島勉が遂に明かしたノストラダムス大予言の真実」
--『週刊宝石』 1999年2月11日号、pp.149-156
-「『恐怖の大王』は?(週刊You・meジャーナル)」
--『朝日新聞』1999年6月24日夕刊大阪
-「あの人は今 五島勉さん」
--『潮』 1999年7月号、pp.152-153
-「ミスター・ノストラダムス 五島勉の『終末』」
--『サイゾー』 1999年9月号、pp.107-109
-「ノストラダムスの大予言は的中していた!!」
--『ムー』 2010年8月号、pp.96-99
-「人類を救う『弥勒大予言』」
--『ムー』 2010年9月号、pp.110-113
-「昭和史探訪『ノストラダムスの大予言』48年11月 不安が生んだ終末ブーム」
--『朝日新聞』2013年12月14日夕刊be
-「『ノストラダムスの大予言』著者・五島勉インタビュー」
--『昭和40年男』2016年6月号、pp.46-47
-「200万部を超える大ベストセラー『ノストラダムスの大予言』の真実 五島勉氏・インタビュー」
--『怪奇秘宝』、2016年9月、pp.196-203
-「伝説のベストセラー作家・五島勉の告白『私がノストラダムスを書いた理由』」
-「ノストラダムス五島勉の遺言『終末を思え、道は開かれる』」
--文春オンライン、2018年1月(([[http://bunshun.jp/articles/-/5624]]および[[http://bunshun.jp/articles/-/5625]]))
-「緊急直撃 ノストラダムスの大予言著者 五島勉 令和の予言」
--『実話ナックルズ』2020年2月号、pp.94-95
**対談・鼎談
-「ミッキー安川の出撃対談 ゲスト・五島勉 『大予言など信じないゾ』『それは自由だが、確実に人類絶滅が迫っている』」
--『週刊ポスト』 1973年12月28日、pp.174-178
-「イーデス・ハンソン対談 ゲスト・五島勉 バカバカしいよ『ノストラダムスの大予言』」
--『週刊文春』 1974年3月18日号、pp.62-66
-「楽しく幸せに生きるための生活問答第120回 滅亡は始まっている ゲスト・五島勉」
--『オール大衆』 1974年5月1日号、pp.20-24
-「大予言対談(ホスト・五島勉) ゲスト・田中光二氏」
--『微笑』 1974年特別号、pp.160-165
-「大予言対談 ゲスト・平野威馬雄氏」
--『微笑』 1974年 74号、pp.156-161
-「大予言対談 ゲスト・小松左京氏」
--『微笑』 1974年 75号、pp.158-163
-「五島勉VS結城モイラ 大予言対談 戦慄の大十字(グランドクロス)!人類は生き残れるか」
--『新鮮』1980年4月号、pp.59-63
-「破局への提言 あと19年しか生きられない!?」
--『現代』 1980年6月号、pp.312-320 (阿刀田高、西丸震哉との鼎談)
-「みのもんた おもいッきり対談 ゲスト・五島勉」
--『サンデー毎日』 1991年3月17日号、pp.186-189 (みのもんたとの対談)
-「三枝のホンマでっか ゲスト・五島勉」
--『週刊読売』 1991年5月26日号、pp.130-134 (桂三枝〔現・桂文枝〕との対談)
**関連記事
五島にコメントを求めるなどした記事
-「ノストラダムスの大予言 この戦慄のベストセラーに何を読むべきか」
--『週刊プレイボーイ』 1973年12月18日号、pp.140-144
-「トップ屋五島勉氏に“滅亡教始祖”にされた16世紀の奇人ノストラダムスの有難迷惑」
--『週刊文春』 1974年1月21日号、pp.114-116
-「いまなお“一九九九年七月破滅”への否定肯定論争が続いています!」
--『週刊大衆』 1974年8月22日号、pp.36-38
-「『ノストラダムスの大予言』『糸川英夫・未来捜査局の大予測』は的中するか! 『80年中東原油戦争』『82年日本大地震』の不安をえぐる!」
--『週刊ポスト』 1979年12月21日号、pp.22-27
-「あの『大予言』に新たな裏付け! 迫りくる大十字(グランド・クロス)の恐怖 1999年8月に人類は滅亡する!」
--『微笑』 1979年12月29日号、pp.46-53
-「もう一つの『ノストラダムスの大予言』 第三次世界大戦はこうして起こる!」
--『週刊文春』 1980年2月21日号、pp.156-159
-「『ノストラダムスの大予言』パートIIの恐怖」
--『サンデー毎日』 1980年2月24日号、pp.38-41
-「ノストラダムスの大予言はほんとうに来るか?」
--『主婦と生活』 1980年3月号、pp.162-167
-「『新釈ノストラダムス』の日本への大予言」
--『週刊ポスト』 1981年9月25日号、pp.22-27
-「コロンビア大噴火、ハレー彗星と『ノストラダムスの大予言』」
--『週刊ポスト』 1985年12月6日号、pp.38-41
-「幻のノストラダムス『諸世紀第11巻』を発見」
--『週刊ポスト』 1986年1月3・10日、pp.216-219
-「ノストラダムス『諸世紀』はスペース・シャトル爆発も予言していた」
--『週刊ポスト』 1986年2月21日号、pp.47-49
-「ノストラダムスの『エイズ予言詩!』」
--『週刊ポスト』 1992年1月3・10日、pp.68-70
-「世界の有名予言者9人が『世紀末』を透視した!」
--『微笑』 1995年5月27日号、pp.50-53
-「『ノストラダムスの大予言』で嘘だ! ねじまげている! いやそうではない、の大論争」
--『女性セブン』 1998年10月15・22日、pp.60-61
-「なるほど、これがノストラダムス予言『恐怖の大王』だったのか」
--『週刊ポスト』 1999年1月1・8日、pp.256-259
-「『'99年人類は滅亡する!?』 専門家6人が大激論」
--『女性セブン』 1999年、1月7・14日号、pp.66-69
-「ノストラダムス大予言と大地震の可能性」
--『週刊新潮』 1999年1月21日号、pp.140-141
-「五島勉『ノストラダムス本』のデタラメ度」
--『週刊文春』 1999年3月25日号、pp.47-48
-「信じているの?! 『1999年7の月』」
--『朝日新聞』 1999年7月1日(夕刊) 1面
-「それでも〈恐怖の大魔王〉は降りてくる!?」
--『週刊プレイボーイ』 1999年7月13日号、pp.34-38
-「『1999年7の月人類滅亡』ノストラダムス大予言を煽る人踊る人」
--『FOCUS』 1999年7月14日号、pp.62-65
-「予言を信ずる著者五島勉氏らは今! 『運命の7月』の迎え方」
--『週刊大衆』 1999年7月19日号、pp.173-175
-「ノストラダムス本の著者が今頃語る 『恐怖の大王』が来なかった理由」
--『SPA!』 1999年8月11日・18日号、pp.136-139
-「ノストラダムス成金が恐れる賠償請求 - 五島勉」
--『週刊朝日』 1999年9月3日号、pp.148-149
-「何もなかった“1999年、7の月” ブームを煽ったあの作者の“現在”」
--『週刊女性』 2000年7月11日号、p.225
-「ホントに懲りない五島勉 『ノストラダムス外れてない』」
--『週刊朝日』 2000年12月15日号、p.165
-「五島勉ノストラダムス大予言『的中』騒動」
--『週刊女性』 2001年10月9日号、p.38
-「あの『主人公』はいま / 文化人」
--『新潮45』 2004年10月号、pp.41-43
-「『ノストラダムスの大予言』でもまだ書き足りない五島勉」
--『週刊文春』 2008年8月14・21日号、p.56
-「検索猿人第4回 ノストラダムスの大予言」
--『BIG COMICスピリッツ』 No.6・7合併号(2009年1月26・29日)、(2p.)
-「五島勉曰く『ノストラダムスは令和の危機も予言した』」
--『週刊新潮』2019年6月20日号、pp.40-41
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&bold(){コメントらん}
以下に投稿されたコメントは&u(){書き込んだ方々の個人的見解であり}、当「大事典」としては、その信頼性などをなんら担保するものではありません (当「大事典」管理者である sumaru 自身によって投稿されたコメントを除く)。
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- 五島 勉先生の話は。ペテンシなんかじゃありません。 -- 名無しさん (2012-09-29 19:45:38)
- あたっています。 -- 名無しさん (2012-09-29 19:46:19)
- 別のものが存在しています。 -- 名無しさん (2012-09-29 19:47:54)
- 彼をを擁護する人へ。彼は金儲けのために神聖な予言を汚した。 時代が時代なら、彼は非国民として処分されるべき存在だ。 良かったですね。平和ボケしているサヨクだらけで。戦前の大本教のようにならなくて。 オウム真理教の一旦は彼にある、そう思っている。 -- とある信奉者 (2013-05-10 22:29:06)
- ↑他の投稿者を非難するような文言は控えていただけませんか。五島氏を擁護するつもりは毛頭ありませんが、過度に激烈な言葉を重ねることには違和感を覚えます。 -- sumaru (2013-05-11 00:02:45)
- 信奉者などと名乗っている時点で語るに落ちる愚か者であるのは明らか。この項目に限らず、このハンドルネームの書き込みは全て違和感どころか説得力が無い。 -- 名無しさん (2019-05-03 01:32:19)
- ↑私が「とある信奉者」さんに向けているコメントの通り、他の投稿者を非難するような文言は控えていただけないでしょうか。 -- sumaru (2019-05-04 10:00:05)
&bold(){五島勉}(ごとう べん/ごとう つとむ、1929年11月17日 - 2020年6月16日)は、北海道出身のルポライター、小説家。東北大学法学部卒業。
初期には女性誌のルポのほか、さまざまなテーマの本を出していたが、1973年に『[[ノストラダムスの大予言]]』がベストセラーになってからは、ノストラダムスや予言関連の著書を多く出すようになった。
本人は著書の中で現代文明の行く末を憂えている研究者としての姿勢を打ち出している。
しかし、その論理展開においては架空の資料を持ち出したり、新聞のベタ記事のような大したことのない話を必要以上に膨らませる傾向が見られる。こうした手法については、作家の酒見賢一や[[と学会]]のようにエンターテイナーとして捉える者たちもいる。
&bold(){目次}
#contents(level=2)
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【画像】 五島勉 『ヒトラーの終末予言 側近に語った2039年』
*著者名
最初の単行本である編著『[[続・日本の貞操]]』以降、基本的に「五島勉」を使い続けている。ただし、その読みについて、当初は「&bold(){ごとう つとむ}」としていた。本名は&bold(){「後藤力」(ごとう つとむ)}((読売新聞2020年7月22日朝刊32面、朝日新聞2020年7月22日朝刊34面))であり、そちらの読みの方が自然ではあるのだろう。
志水一夫は『[[ノストラダムスの大予言]]』について、「&color(green){『つとむ』が『べん』となったのは、ここから?}」((『トンデモノストラダムス解剖学』p.209))と指摘していた。実際、その半年ほど前に刊行された『東京ローズの戦慄』までは「ごとう つとむ」だったため、志水の推測は十分に説得的である。
以降の著書ではごく例外的な事例を除くと、「べん」でほぼ統一されている。
もっとも、ルポライター時代に「サソリのベン」と呼ばれていたという話が確かなら、「つとむ」と名乗っていた時期にも、仕事仲間などからは、「勉」の読みを変えて「ベン」と呼ばれることも珍しくなかったのかもしれない。
確実な別名義には「&bold(){倉田英乃介}」(『[[コイン利殖入門]]』)がある。ほかで、ほぼ確実なのは「&bold(){木村敏夫}」(「保安隊」『中央公論』)のみである。
当「大事典」では「&bold(){水野浩}」も五島勉の別名義でないかと疑っている([[続・日本の貞操]]を参照)。
*略歴
五島の経歴については、ほとんどが本人のインタビューなどに基づくしかないので、どこまでが本当か分からない要素も少なくない。それでもとりあえずまとめておくと、以下のとおりである。
五島は1929年11月17日に北海道函館で生まれた((『1999年 高橋克彦対談集』))。両親は函館のハリストス正教会の信徒で((『週刊読売』1991年5月26日))、代々医者の家系である((『男性自身』1980年3月20日号))。五島自身は6人兄弟の末っ子で、兄は3人とも医学系に進学したという((『男性自身』前掲号))。
旧制函館中学、旧制二高仏文科を卒業後、東北大学法学部に進学((『男性自身』前掲号、旧制高校で仏文科という情報のみ『禁じられた地帯』略歴))。大学時代にイールズ声明反対闘争(「大学教育の場から共産主義者を追い出すべき」と主張したGHQ民間情報局教育顧問イールズの声明に反対し、1950年5月に東北大学や北海道大学などで展開された学生運動)を「推進」したという((『禁じられた地帯』略歴))。
大学在学中から「エロ雑誌」の懸賞小説のようなものに応募したのがきっかけで、ルポライターの仕事が入るようになったという((『男性自身』前掲号および『キャリアガイダンス』1981年12月号))。
大学最終学年時には、出版社の依頼で山形の米軍駐屯地と、そこの日本人娼婦を取材した。「五島勉」という名義で刊行された最初の作品『[[続・日本の貞操]]』(1953年)はその取材を踏まえたものだという((『男性自身』前掲号))。取材活動を、仙台のアメリカ第16軍団司令部で通訳の傍ら行ったという話もある((『禁じられた地帯』略歴))。
1953年に大学を卒業((『男性自身』『キャリアガイダンス』各前掲号))。卒業論文は「日本の貨幣と法制」だったというが((『コイン利殖入門』カバー))、この論文名は「倉田英乃介」名義の著書で言及されているだけであり、「五島勉」名義の著書では確認できない。
大学卒業に際して就職先は決まっておらず、仕事の有無を問い合わせた東京の出版社からとりあえず来るように促されて上京し、ライターとしての仕事を始めたという((『週刊読売』前掲号、『月刊オーパス』1994年10月号、『1999年 高橋克彦対談集』))。ただし、社員ではなく、フリーのライターだったらしい((『週刊宝石』1991年4月11日号))。
この点、上京後、「雑誌関係の仕事をしているうちにフリーライターに」((『読売新聞』1988年9月15日別刷7面))と、微妙にニュアンスの異なる書き方をしているものもある。
当初は基地関係のルポルタージュをしていたが、それが目に留まったので、雑誌『知性』(1954年 - 1957年)にルポルタージュを寄稿することになったらしい((『男性自身』前掲号))。
初期のルポルタージュでは、『中央公論』1954年3・4月号に掲載された「保守隊」と題するルポがあったという((『禁じられた地帯』略歴))。実際にそれらの号を調べてみても、そういう題名のルポはないが、1954年4月号・5月号には「保安隊」「続・保安隊」というルポがあるので、おそらくこれを指すものと思われる。これの名義は「木村敏夫」である。
さて、1950年代には、
-『知性』で「禁じられた地帯」を、
-『キング』で「サラリーマン研究」を、
-『日本』で「サラリーマン天国」を((『禁じられた地帯』略歴))、
連載しており、最初の2つは単行本化された。また、1950年代にはほかに『あまとりあ』『夫婦生活』などの雑誌での記事を確認でき、一部は単行本化された。
佐木隆三は「いっしょに仕事をしたライター、編集者」の評として、「なんでもこなす器用な人だが、生マジメなのが玉にキズだったとか」と述べていた((『問題小説』1974年5月号))。
新聞社系ではなく出版社系の週刊誌が次々創刊され、その記者として文学青年や元新聞記者などが求められた中、五島はそのなかでも「軟派の竹中、硬派のジョー、皇室ものの五島」(芸能界に強い竹中労、政治方面に強い児島譲、皇室ネタに強い五島勉)と呼ばれたり((『問題小説』前掲号))、草柳大蔵、竹中労とともに「女性誌三大ルポライター」と呼ばれたりしたらしい((『週刊文春』1974年1月21日、『1999年 高橋克彦対談集』))。
「サソリのベン」というあだ名もあったらしく((山本弘『トンデモノストラダムス本の世界』))、のちに本人も、大したサソリではなく痩せたサソリだったと謙遜しつつも、そういうあだ名があったこと自体は否定していない((『飛鳥昭雄×五島勉』))。
光文社の『女性自身』が1958年に創刊された際に引き抜かれて創刊号から執筆し((『男性自身』前掲号、『飛鳥昭雄×五島勉』))、「総合雑誌のライターから、週刊誌のライターに転向した」((『愛のパズル』まえがき))という。その後、「何となく半専属みたいな立場」((『愛のパズル』まえがき))になり、10年以上『女性自身』で書いたという((『オーパス』前掲号))。
正確な在籍期間は分からないが、1960年安保の時も70年安保の時も『女性自身』にいたらしい((『オーパス』前掲号))。なお、当時の『女性自身』は3年目で80万部、1970年までに最大で135万部という成長を遂げており((新海均『カッパ・ブックスの時代』pp.50-51))、五島はその成長を支えた主力ライターの一人だったことになる。
60年安保の時には、たまたま取材した女性が死の前日の樺美智子だったとも述べており、樺が岸内閣について
「きりっとしたほんとに歯切れのいい声で『あれは犯罪者だ』と言ってましたね。すごく魅力的な人でした。次の日のニュースで亡くなったことを知ったんですが」
と述べている((『オーパス』前掲号))。
もっとも、このエピソード、初期には
「ある女子学生が自分の名前を“カンバ”と答えたのを覚えています。そのコがあの亡くなった樺美智子かどうか確かめようがないけど、いまでもそのシーンは鮮やかに残っていますね」((『男性自身』前掲号))
という曖昧なものだった。
これ自体は、ささいなエピソードの誇張にすぎないが、五島の証言をどの程度信頼できるか(とくに故人をどのように扱っているか)、という参考にはなるだろう。
『女性自身』ではアンカーマンをつとめていたというが((『男性自身』前掲号、『噂の真相』1999年3月号))、光文社が労使紛争で紛糾した際に、黒崎勇、伊賀弘三良らが退社して祥伝社を立ち上げたのに合わせて、五島にも声が掛かったという((『噂の真相』前掲号、『飛鳥昭雄×五島勉』))。
そして、祥伝社から最初に出した『[[ノストラダムスの大予言]]』が大ヒットとなり、予言を含むオカルト関係の著書が増えてゆくこととなったのである。その『大予言』の略歴では、五島が活動した媒体として『週刊新潮』と『アサヒ芸能』も挙げられていた。
なお、光文社から祥伝社が分裂したのが1970年のことであり、そのころ(1970年初頭)五島は「東京マスコミ塾講師」をつとめていたという((『生命の若者たち』カバー、『戦後の暴力史』カバー))(東京マスコミ塾というのは、大宅壮一が主宰していた3か月で修了するカリキュラムの塾であり、ジャーナリスト志望者などを対象にしていた)。
読売新聞では「出版社のストをきっかけにノストラダムスを紹介する作家に転身した」((『読売新聞』前掲日別刷))と紹介されたこともあったが、祥伝社立ち上げの1970年から、『大予言』を刊行する1973年までは、3年ほどの間隔があり、これを直結させるのは適切ではない。
そのころの五島は『現代の英雄 日本が狭すぎる5人の男』(1968年)での池田大作の評伝を皮切りに、1970年代初頭に相次いで創価学会を称賛する本を出版していた。このことから、創価学会とどういう関係だったのかがいろいろ取りざたされてきた。五島自身は晩年になって、「しばらくの間、創価学会というのを一つの新しい光みたいにこっちが見ていた時期がたしかにあるんです」(([[文春オンラインのインタビュー記事>>https://bunshun.jp/articles/-/5624]]))と、少なくとも好意的だった時期があったことは認めている。
なお、『第三文明』1982年10月号に掲載された座談会「いま、青年と宗教の可能性を考える」に五島勉も参加しており、五島の発言から、その年の創価学会の青年主張大会に出席し、挨拶もしたことが分かる。
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【画像】 五島勉 『現代の英雄 ― 日本が狭すぎる5人の男』 (1968年)
この創価学会の礼賛本を立て続けに出した時期(1970年から1972年)は、五島が光文社の『女性自身』から去り、(光文社出身者らが創設した)祥伝社から『[[ノストラダムスの大予言]]』(1973年)を刊行するまでの、ほぼ中間の時期に当たっている。
そのことに意味があるのか偶然なのかはよく分からないが、「ごとうつとむ」から「ごとうべん」への切り替えが『大予言』の刊行と同時(?)であったことと併せると、この1970年頃から1973年頃の時期が五島にとっての何らかの転機だったとは言えるのかもしれない。
2020年6月16日に誤嚥性肺炎で逝去((読売新聞2020年7月22日朝刊32面、朝日新聞2020年7月22日朝刊34面ほか))。
*ノストラダムスの研究歴
五島の経歴の中でも、著書の中で特に食い違いが大きいのがこの点である。そもそもノストラダムスをいつ知ったのかさえ、ずいぶんと食い違っている。詳しくは[[五島勉のノストラダムス研究歴]]を参照。
*受賞
-日本トンデモ本大賞特別功労賞([[と学会]]、1999年)
--なお、本人の著書に出てくる 「『恐怖の大王なんてマボロシが降ると思っていた大賞』をあげますから出席するように、という何かの団体からの招待も(二〇〇〇年夏だったか)来た」((『イスラムvs.アメリカ』2002年、p.156))という話は、事実に立脚しているのだとすれば、日本トンデモ本大賞の話がアレンジされているものと思われる。
*著書
&big(){五島の著書全般については[[五島勉の著書一覧]]を参照のこと。}
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【画像】 五島勉 『BGスパイ - デパートを燃やせ』(1964年)
**ノストラダムス関連の著書
1973年以降の五島の著書には、何らかの形でノストラダムスに言及しているものが多く、全てを挙げるときりがない。以下はノストラダムスを主題としているか、タイトルにノストラダムスを含むもの。
-&bold(){[[『ノストラダムスの大予言』シリーズ]]}(祥伝社、1973年-1998年)
-『ノストラダムスの大秘法』(祥伝社、1983年)
-『地球少年ジュン』(全3巻、祥伝社、1985年-1987年)
-『[[ノストラダムスの超法則 死活の書]]』(青春出版社、1994年)
-『[[1999年日本「大予言(ノストラダムス)」からの脱出]]』(光文社、1996年)
-『ノストラダムス†幸運の秘法 赤い糸・黒い糸の書』(青春出版社、1997年)
-『ザ・ラスト・イヤー 「死海文書」・ノストラダムス・アインシュタイン』(光文社、1998年)
-『[[イスラムvs.アメリカ 「終わりなき戦い」の秘予言]]』(青春出版社、2002年)
ノストラダムスについて言及のある一番新しい著書は、『[[ノストラダムスの大予言 (電子書籍版)]]』(祥伝社、2014年)である(2015年の『ヒトラーの終末予言』は、過去の再版に過ぎない言及であり、新しい情報は含まれていない。それに対し、電子書籍版の『大予言』は合計24ページ分の前書き、後書きが追加されている)。
少なくともノストラダムスに触れた箇所については、『[[イスラムvs.アメリカ 「終わりなき戦い」の秘予言]]』で語っていたことの焼き直しといえる。2012年の[[飛鳥昭雄]]との対談 『[[予言・預言対談 飛鳥昭雄×五島勉]]』 の内容ともエッセンスとしては大差がない。
**著書に収録された対談・インタビューなど
-高橋克彦 『1999年 高橋克彦対談集』 小学館、1990年 / 講談社文庫、1994年
--第3章に当たる「五島勉 ノストラダムスの1999年」(pp.65-98、文庫pp.63-94)が五島との対談。
--もとは『ワンダーライフ』第7号(1987年9月)に掲載されていたが(pp.60-69)、そちらと比べるとかなり増補されている。
-ひろた みを 『ミステリーゾーンの20人』 飛鳥新社、1996年
--「新たなる『ノストラダムスの予言』。解読するほどに、地球の未来が失われていく」(pp.239-254)が五島勉へのインタビュー。
--もとは『話のチャンネル』(日本文芸社)の連載記事だったらしい(五島のインタビューの掲載号は、当「大事典」では未調査)。
-ノストラダムス研究会 『ノストラダムス 21世紀へのメッセージ』 同文書院、1999年
--「第一部・緊急インタビュー 五島勉氏に聞く」(pp.9-62)がインタビュー。
--帯には「五島勉氏が緊急提言!!」とある。ただし、『[[ノストラダムスの大予言・最終解答編]]』の内容を超える要素はほとんどない。
-『[[予言・預言対談 飛鳥昭雄×五島勉]]』 学研パブリッシング、2012年
--著書全体が飛鳥昭雄との対談。
-本橋信宏 『ベストセラー伝説』 新潮新書、2019年
--「第8章 『ノストラダムスの大予言』」に、部分的にインタビューが含まれる。
**他の著書に寄せた推薦文
-「天才的頭脳による恐怖の新仮説」
--桜井邦朋 『地球に急接近するハレー大彗星 宇宙科学が予言する1986年、悪夢の日』(祥伝社、ノン・ブック、1976年)のカバーに掲載。
-「血も凍る大予言小説(スーパー・エンタテイメント)」
--レイモンド・レナード 『ノストラダムスの遺産』(祥伝社、四六判、1985年)のカバーに掲載。
--初版の帯にも「450万部突破!『大予言』の著者 五島勉氏も大絶賛!」等とある。
-「戦慄すべき大予言の新解釈」
--[[川尻徹]] 『滅亡のシナリオ』(祥伝社、ノン・ブック、1985年)のカバーに掲載。
--初版の帯でも「“戦慄すべき大予言の新解釈”と五島勉氏も驚嘆‼」と、大々的にアピールされていた。
-「人類の救いの道を探る奇想天外な新解釈」
--川尻徹 『ノストラダムス メシアの法』(二見書房、1988年)のカバーに掲載。
*新聞・雑誌記事
五島がノストラダムスや終末について語った新聞・雑誌記事は非常に多い。また、ノストラダムスの権威であるかのように捉えられていたことから、彼に何らかのコメントを求めた記事も多い。
当「大事典」で実物もしくはコピーを所蔵している記事をまとめると、以下の通りである(五島の寄稿などは、単行本未収録のもののみ。そのため、雑誌連載をまとめて単行本化した『[[ノストラダムスの大予言V]]』などは除いている)。
**寄稿
五島が各種雑誌・単行本に寄稿するなどした論説、エッセイ、コラムなど
-「『ノストラダムスの大予言』恐怖の未発表部分! 『滅亡の詩(うた)』には何が書かれてあったか!?」
--『微笑』 1974年1月26日号、pp.176-184
-「恐怖!ノストラダムスの大予言 25年後に人類は全滅する」
--『高二時代』 1974年2月号、pp.157-161
-「それでも『大予言』は当る わがノストラダムスへの大反響と大批判にこたえて」
--『文芸春秋』 1974年4月号、pp.350-354
-「大予言! 地球は氷河期にむかうか」
--『潮』 1974年4月号、pp.190-202
-「『大予言』始末記」
--『新刊展望』 1974年9月号、pp.10-11
-「ノストラダムスの大予言は始まった」
--『現代』 1976年9月号、pp.194-203
-「ノストラダムスから見た惑星直列とハレー彗星」
--『サンデー毎日』 1980年3月16日号、pp.138-140
-「破局は今年から起る!」
--『BIG TOMORROW』1980年7月号(創刊号)、pp.32-37
-「ノストラダムスの謎を解くKEY! 日本が生き残る道はあるか」
--『ムー』 1981年5月号、pp.48-49
-「未来予知の話 あなたもノストラダムスになれる」
--『自警』 1982年8月号、pp.34-37
-「『一九九九年の大破局』を妄想と笑えるか」
--『朝日ジャーナル』 1982年10月1日号、p.19
-「ノストラダムスの大予言と日本」
--『歴史と旅』 1982年12月号、pp.112-121
-「ノストラダムスの予言にあらわれた情報社会とコンピュータ」
--『事務と経営』 1983年1月号、pp.2-5
-「終末のイメージ」
--『人と日本』 1983年6・7月号、pp.10-11
-「恐怖! ノストラダムス1999年 『日本滅亡』の隠された3つの予言詩を発見!」
--『女性セブン』 1988年1月1日号、pp.79-84
-「新発見! ノストラダムスの恐怖予言 人類滅亡のとき『悪魔の潜水艦が現われる!』」
--『女性セブン』 1988年9月15日号、pp.225-228
-「ノストラダムス 滅亡のとき 『魔王が空から襲う』」
--『女性セブン』 1988年10月6日号、pp.239-241
-「終末予言は現代文明への痛烈な警鐘」
--『ばんぶう』 1990年5月号、pp.86-88
-「ノストラダムスは中東危機をかく予言した」
--『宝石』 1990年12月号、pp.188-193
-「『大予言』がこんな反響を引き起こすとは思わなかった」
--『SPA!』 1994年2月23日号、pp.22-23
-「大予言を超える人類の未来へのメモリアル」
--石&small(){ノ}森章太郎 『リュウの道』第5巻、竹書房文庫、1995年、pp.342-343
-「一九九九年七の月、“降りてくる恐怖の大王”の正体とは」
--『日本の論点99』 文藝春秋、1998年、pp.680-683
-「(解説)水木しげるの大予言」
--『悪魔くん ノストラダムス大予言(水木しげる漫画大全集051)』 講談社、2016年、pp.552-555
-「ノストラダムス研究家 五島勉 あるノストラダムス研究者の最終コメント」
--『ムー』 2019年8月号、pp.34-35
**インタビュー
五島のみを単独でインタビューしたもの。語り口調であっても、インタビュアーのコメントなどが挟まっていないものは、上記「寄稿」にまとめている場合がある。
-「いま話題の本を書いた問題の人 五島勉さん・『大予言』の著者」
--『週刊女性』1974年1月5日号、p.47
-「『1999年世界の終わり』を“取材”し続けるトップ屋ダマシイ」
--『男性自身』1980年3月20日号、pp.21-27
-「繁栄の中に危機を見る 作家・五島 勉さん」
--『読売新聞』1988年9月15日別刷
-「青春残像 世紀末商法を先取りしたノストラダムスの大予言・五島勉」
--『サンデー毎日』 1990年7月8日号、(2p.)
-「いよいよ人類滅亡の90年代ですが・・・」
--『微笑』 1990年1月13日号、pp.220-222
-「人物日本列島・五島勉 『世の中大丈夫と言うより危険だといい続けるのが正しい』」
--『週刊宝石』 1991年4月11日号、pp.92-95
-「ノストラダムスの大予言 1999年まであと7年 “恐怖の大王”はどんな形で現れるのか!?」
--『アサヒ芸能』1992年2月27日号、pp.100-101
-「本のレストラン・五島勉 『UFOに乗って逃げようって、ちょっと怖いよねえ』」
--『週刊宝石』 1993年5月27日号、p.169
-「宜保愛子『ノストラダムス霊視』に異議あり 五島勉さん(ノストラダムス研究家)が指摘する8つの問題点」
--『女性セブン』 1993年7月1日号、pp.65-69
-「五島勉氏が明かした人類を滅亡させる『地獄の王子』の正体!」
--『微笑』 1994年6月11日号、pp.241-243
-「戦後50年の証言・五島勉 『大予言』の確度にはゾッとします」
--『週刊読売』 1994年8月14日、p.141
-「ノストラダムスに捧げた半生 五島勉の軌跡」
--『月刊オーパス』 1994年10月号、pp.10-16
-「ノストラダムス研究の第一人者 五島勉氏にインタビュー」
--『FLASH』 1998年8月11日号、p.63
-「これが五島勉氏の最終解答 恐怖の大王にあなたはもう遭遇している! 」
--『女性セブン』 1998年9月17日号、pp.43-47
-「激白3時間 五島勉が遂に明かしたノストラダムス大予言の真実」
--『週刊宝石』 1999年2月11日号、pp.149-156
-「『恐怖の大王』は?(週刊You・meジャーナル)」
--『朝日新聞』1999年6月24日夕刊大阪
-「あの人は今 五島勉さん」
--『潮』 1999年7月号、pp.152-153
-「ミスター・ノストラダムス 五島勉の『終末』」
--『サイゾー』 1999年9月号、pp.107-109
-「ノストラダムスの大予言は的中していた!!」
--『ムー』 2010年8月号、pp.96-99
-「人類を救う『弥勒大予言』」
--『ムー』 2010年9月号、pp.110-113
-「昭和史探訪『ノストラダムスの大予言』48年11月 不安が生んだ終末ブーム」
--『朝日新聞』2013年12月14日夕刊be
-「『ノストラダムスの大予言』著者・五島勉インタビュー」
--『昭和40年男』2016年6月号、pp.46-47
-「200万部を超える大ベストセラー『ノストラダムスの大予言』の真実 五島勉氏・インタビュー」
--『怪奇秘宝』、2016年9月、pp.196-203
-「伝説のベストセラー作家・五島勉の告白『私がノストラダムスを書いた理由』」
-「ノストラダムス五島勉の遺言『終末を思え、道は開かれる』」
--文春オンライン、2018年1月(([[http://bunshun.jp/articles/-/5624]]および[[http://bunshun.jp/articles/-/5625]]))
-「緊急直撃 ノストラダムスの大予言著者 五島勉 令和の予言」
--『実話ナックルズ』2020年2月号、pp.94-95
**対談・鼎談
-「ミッキー安川の出撃対談 ゲスト・五島勉 『大予言など信じないゾ』『それは自由だが、確実に人類絶滅が迫っている』」
--『週刊ポスト』 1973年12月28日、pp.174-178
-「イーデス・ハンソン対談 ゲスト・五島勉 バカバカしいよ『ノストラダムスの大予言』」
--『週刊文春』 1974年3月18日号、pp.62-66
-「楽しく幸せに生きるための生活問答第120回 滅亡は始まっている ゲスト・五島勉」
--『オール大衆』 1974年5月1日号、pp.20-24
-「大予言対談(ホスト・五島勉) ゲスト・田中光二氏」
--『微笑』 1974年特別号、pp.160-165
-「大予言対談 ゲスト・平野威馬雄氏」
--『微笑』 1974年 74号、pp.156-161
-「大予言対談 ゲスト・小松左京氏」
--『微笑』 1974年 75号、pp.158-163
-「五島勉VS結城モイラ 大予言対談 戦慄の大十字(グランドクロス)!人類は生き残れるか」
--『新鮮』1980年4月号、pp.59-63
-「破局への提言 あと19年しか生きられない!?」
--『現代』 1980年6月号、pp.312-320 (阿刀田高、西丸震哉との鼎談)
-「みのもんた おもいッきり対談 ゲスト・五島勉」
--『サンデー毎日』 1991年3月17日号、pp.186-189 (みのもんたとの対談)
-「三枝のホンマでっか ゲスト・五島勉」
--『週刊読売』 1991年5月26日号、pp.130-134 (桂三枝〔現・桂文枝〕との対談)
**関連記事
五島にコメントを求めるなどした記事
-「ノストラダムスの大予言 この戦慄のベストセラーに何を読むべきか」
--『週刊プレイボーイ』 1973年12月18日号、pp.140-144
-「トップ屋五島勉氏に“滅亡教始祖”にされた16世紀の奇人ノストラダムスの有難迷惑」
--『週刊文春』 1974年1月21日号、pp.114-116
-「いまなお“一九九九年七月破滅”への否定肯定論争が続いています!」
--『週刊大衆』 1974年8月22日号、pp.36-38
-「『ノストラダムスの大予言』『糸川英夫・未来捜査局の大予測』は的中するか! 『80年中東原油戦争』『82年日本大地震』の不安をえぐる!」
--『週刊ポスト』 1979年12月21日号、pp.22-27
-「あの『大予言』に新たな裏付け! 迫りくる大十字(グランド・クロス)の恐怖 1999年8月に人類は滅亡する!」
--『微笑』 1979年12月29日号、pp.46-53
-「もう一つの『ノストラダムスの大予言』 第三次世界大戦はこうして起こる!」
--『週刊文春』 1980年2月21日号、pp.156-159
-「『ノストラダムスの大予言』パートIIの恐怖」
--『サンデー毎日』 1980年2月24日号、pp.38-41
-「ノストラダムスの大予言はほんとうに来るか?」
--『主婦と生活』 1980年3月号、pp.162-167
-「『新釈ノストラダムス』の日本への大予言」
--『週刊ポスト』 1981年9月25日号、pp.22-27
-「コロンビア大噴火、ハレー彗星と『ノストラダムスの大予言』」
--『週刊ポスト』 1985年12月6日号、pp.38-41
-「幻のノストラダムス『諸世紀第11巻』を発見」
--『週刊ポスト』 1986年1月3・10日、pp.216-219
-「ノストラダムス『諸世紀』はスペース・シャトル爆発も予言していた」
--『週刊ポスト』 1986年2月21日号、pp.47-49
-「ノストラダムスの『エイズ予言詩!』」
--『週刊ポスト』 1992年1月3・10日、pp.68-70
-「世界の有名予言者9人が『世紀末』を透視した!」
--『微笑』 1995年5月27日号、pp.50-53
-「『ノストラダムスの大予言』で嘘だ! ねじまげている! いやそうではない、の大論争」
--『女性セブン』 1998年10月15・22日、pp.60-61
-「なるほど、これがノストラダムス予言『恐怖の大王』だったのか」
--『週刊ポスト』 1999年1月1・8日、pp.256-259
-「『'99年人類は滅亡する!?』 専門家6人が大激論」
--『女性セブン』 1999年、1月7・14日号、pp.66-69
-「ノストラダムス大予言と大地震の可能性」
--『週刊新潮』 1999年1月21日号、pp.140-141
-「五島勉『ノストラダムス本』のデタラメ度」
--『週刊文春』 1999年3月25日号、pp.47-48
-「信じているの?! 『1999年7の月』」
--『朝日新聞』 1999年7月1日(夕刊) 1面
-「それでも〈恐怖の大魔王〉は降りてくる!?」
--『週刊プレイボーイ』 1999年7月13日号、pp.34-38
-「『1999年7の月人類滅亡』ノストラダムス大予言を煽る人踊る人」
--『FOCUS』 1999年7月14日号、pp.62-65
-「予言を信ずる著者五島勉氏らは今! 『運命の7月』の迎え方」
--『週刊大衆』 1999年7月19日号、pp.173-175
-「ノストラダムス本の著者が今頃語る 『恐怖の大王』が来なかった理由」
--『SPA!』 1999年8月11日・18日号、pp.136-139
-「ノストラダムス成金が恐れる賠償請求 - 五島勉」
--『週刊朝日』 1999年9月3日号、pp.148-149
-「何もなかった“1999年、7の月” ブームを煽ったあの作者の“現在”」
--『週刊女性』 2000年7月11日号、p.225
-「ホントに懲りない五島勉 『ノストラダムス外れてない』」
--『週刊朝日』 2000年12月15日号、p.165
-「五島勉ノストラダムス大予言『的中』騒動」
--『週刊女性』 2001年10月9日号、p.38
-「あの『主人公』はいま / 文化人」
--『新潮45』 2004年10月号、pp.41-43
-「『ノストラダムスの大予言』でもまだ書き足りない五島勉」
--『週刊文春』 2008年8月14・21日号、p.56
-「検索猿人第4回 ノストラダムスの大予言」
--『BIG COMICスピリッツ』 No.6・7合併号(2009年1月26・29日)、(2p.)
-「五島勉曰く『ノストラダムスは令和の危機も予言した』」
--『週刊新潮』2019年6月20日号、pp.40-41
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- 五島 勉先生の話は。ペテンシなんかじゃありません。 -- 名無しさん (2012-09-29 19:45:38)
- あたっています。 -- 名無しさん (2012-09-29 19:46:19)
- 別のものが存在しています。 -- 名無しさん (2012-09-29 19:47:54)
- 彼をを擁護する人へ。彼は金儲けのために神聖な予言を汚した。 時代が時代なら、彼は非国民として処分されるべき存在だ。 良かったですね。平和ボケしているサヨクだらけで。戦前の大本教のようにならなくて。 オウム真理教の一旦は彼にある、そう思っている。 -- とある信奉者 (2013-05-10 22:29:06)
- ↑他の投稿者を非難するような文言は控えていただけませんか。五島氏を擁護するつもりは毛頭ありませんが、過度に激烈な言葉を重ねることには違和感を覚えます。 -- sumaru (2013-05-11 00:02:45)
- 信奉者などと名乗っている時点で語るに落ちる愚か者であるのは明らか。この項目に限らず、このハンドルネームの書き込みは全て違和感どころか説得力が無い。 -- 名無しさん (2019-05-03 01:32:19)
- ↑私が「とある信奉者」さんに向けているコメントの通り、他の投稿者を非難するような文言は控えていただけないでしょうか。 -- sumaru (2019-05-04 10:00:05)