詩百篇第9巻9番

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[[詩百篇第9巻]]>9番* *原文 Quand lampe&sup(){1} ardente de feu&sup(){2} inextinguible&sup(){3} Sera trouué&sup(){4} au temple&sup(){5} des&sup(){6} Vestales&sup(){7}, Enfant trouué&sup(){8} feu, eau passant par trible&sup(){9}: Perir eau Nymes&sup(){10}, Tholose&sup(){11} cheoir les halles&sup(){12}. **異文 (1) lampe : Lampe 1672Ga, la lampe 1716PRb (2) feu : son feu 1667Wi (3) inextinguible : inextinquible 1653AB 1665Ba (4) Sera trouué : Sera trouuée 1594JF 1605sn 1628dR 1649Xa 1649Ca 1650Le 1668 1712Guy, Sera treuué 1627Ma 1627Di (5) temple : Temple 1611B 1672Ga 1712Guy (6) des : de 1716PR(b c) (7) Vestales : vestales 1650Mo (8) Enfant trouué : Enfant trouue 1568X, Enfant treuué 1627Ma 1627Di, Enfant trouuè 1650Mo, Enfant trouvée 1672Ga 1840 (9) trible 1568X 1568A 1568C 1590Ro 1653AB 1665Ba 1720To : crible 1568B 1591BR & &italic(){T.A.Eds.} (10) Perir eau Nymes : Nisme eau perir 1594JF, Nismes eau perir 1605sn 1628dR 1649Xa 1649Ca 1672Ga, Perir eaù, Nismes 1650Le, Perir ean Nismes 1716PRb (11) Tholose : Tolose 1590Ro 1611B 1627Ma 1627Di 1981EB 1665Ba, Tholouse 1594JF, Tholouse 1672Ga, Toulouse 1712Guy (12) halles / hales : alles 1644Hu 1650Ri, Halles 1672Ga **校訂  3行目の最後の trible は、古語では「網の一種」や「農業用フォークの一種」を意味するtrubleの綴りの揺れである((DALF, T.08, p.96))。DLFSにも「網の一種」とあるが((DLFS, T.07, p.337))、DMFには載っていない(trubleは載っているが、綴りの揺れとしてのtribleはない)。  しかし、これを[[ジャン=ポール・クレベール]]や[[ピーター・ラメジャラー]]がcrible (篩)の誤植と指摘しているのは、文脈から考えても妥当なものだろう。実際、上の異文欄から明らかなように、初出である[[1568年版>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1568年)]]の中でも、1568Bでは crible と綴られている。 *日本語訳 消えない火の灯るランプが [[ウェスタリス]]の神殿で発見されるであろう時、 水が網目状に流れ、幼子が死体で発見される。 ニームは水で破壊され、トゥールーズでは市場が崩れる。 **訳について  3行目は、普通「火」と訳す feu をラテン語 fatutus から「死んだ」と訳し、crible を格子状(grille)の意味にとらえた[[ジャン=ポール・クレベール]]の読み方に従った。  tribleをcribleとする校訂に従った形だが、上述の通り、tribleには「網(の一種)」の意味があるので、そちらを採用しても「網目状」といった意味合いを想像することは可能だろう。  feu を「死んだ」と訳すのはやや強引だが、故人を表すときにつける feu に近い意味と解釈したものと思われる。  passer au crible は「ふるいにかける」ということなので、その類似表現と考えれば、3行目は「発見された幼子が火と水をふるいにかけ」といった訳も可能かもしれない。  大乗訳は3行目「子供は細かい目のふるいを通って 走っている水をみつける」((大乗 [1975] p.260))が若干不適切。feu が訳に反映されていない。また、trouvé は過去分詞なので「~される」とするのが一般的。実際に、元になった[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳でも A child shall be found, water running through a sieve((Roberts [1949] p.281))と受動態で訳されている(ただし、この点は[[ピーター・ラメジャラー]]のように、aura trouvé の意味にとって能動的に訳す者もいる)。feu が訳されていないのはロバーツの英訳でも、その元になったガランシエールの英訳でも同じ。  山根訳の3行目「幼児が火の中に発見され 水がふるいにかけられる」((山根 [1988] p.288))は、若干言葉を補っているが、許容される意訳の一つといえるのではないだろうか。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、古代ローマの[[ウェスタリス]]たちが名誉を汚す行為に及んだときに、わずかなパンと水、燃えている松明を持たされて穴倉に追いやられたというエピソードを引き合いに出し、そのランプが発見されることと後半の災害を関連付けた((Garencieres [1672]))。  [[バルタザール・ギノー]]は最初の3行を[[百詩篇第5巻66番]]と関連付けつつ、神秘思想に関するものとした。その上で、描かれているランプが発見されるのとほぼ同じ時期にニームやトゥールーズが蒙る被害が4行目に描かれているとし、[[第9巻37番>百詩篇第9巻37番]]と関連付けた((Guynaud [1712] pp.437-439))。  その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]の著書には載っていない。  [[エリカ・チータム]]は1557年に起きたガルドン川大洪水の描写とした((Cheetham [1973]))。  [[セルジュ・ユタン]]は「消えない火が燃える」というのは原爆の描写ではないかとした((Hutin [1978]))。 *同時代的な視点  [[エドガー・レオニ]]は、一つの可能性としてニームのディアナ神殿が元になっている可能性を挙げ、1557年9月のガルドン川大洪水とも関連付けた。  [[ロジェ・プレヴォ]]、[[ピーター・ラメジャラー]]、[[ジャン=ポール・クレベール]]もこれを踏襲した。このときの大洪水は、トゥールーズやニームに大きな被害をもたらしただけでなく、ニームでは地中に埋もれていた古代遺跡をいくつも露出させる効果もあったという((Prévost [1999] pp.50-51, Lemesurier [2003b/2010], Clébert [2003]))。プレヴォやクレベールは[[詩百篇第10巻6番]]などとの関連性も指摘している。  なお、「消えないランプ」のモチーフは異常なようだが、古代からよく知られたモチーフだった((cf. ティルベリのゲルウァシウス 『西洋中世奇譚集成 皇帝の閑暇』 講談社学術文庫、pp.29-30))。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
[[詩百篇第9巻]]>9番* *原文 Quand lampe&sup(){1} ardente de feu&sup(){2} inextinguible&sup(){3} Sera trouué&sup(){4} au temple&sup(){5} des&sup(){6} Vestales&sup(){7}, Enfant trouué&sup(){8} feu, eau passant par trible&sup(){9}: Perir eau Nymes&sup(){10}, Tholose&sup(){11} cheoir les halles&sup(){12}. **異文 (1) lampe : Lampe 1672Ga, la lampe 1716PRb (2) feu : son feu 1667Wi (3) inextinguible : inextinquible 1653AB 1665Ba (4) Sera trouué : Sera trouuée 1594JF 1605sn 1628dR 1649Xa 1649Ca 1650Le 1668 1712Guy, Sera treuué 1627Ma 1627Di (5) temple : Temple 1611B 1672Ga 1712Guy (6) des : de 1716PR(b c) (7) Vestales : vestales 1650Mo (8) Enfant trouué : Enfant trouue 1568X, Enfant treuué 1627Ma 1627Di, Enfant trouuè 1650Mo, Enfant trouvée 1672Ga 1840 (9) trible 1568X 1568A 1568C 1590Ro 1653AB 1665Ba 1720To : crible 1568B 1591BR & &italic(){T.A.Eds.} (10) Perir eau Nymes : Nisme eau perir 1594JF, Nismes eau perir 1605sn 1628dR 1649Xa 1649Ca 1672Ga, Perir eaù, Nismes 1650Le, Perir ean Nismes 1716PRb (11) Tholose : Tolose 1590Ro 1611B 1627Ma 1627Di 1981EB 1665Ba, Tholouse 1594JF, Tholouse 1672Ga, Toulouse 1712Guy (12) halles / hales : alles 1644Hu 1650Ri, Halles 1672Ga **校訂  3行目の最後の trible は、古語では「網の一種」や「農業用フォークの一種」を意味するtrubleの綴りの揺れである((DALF, T.08, p.96))。DLFSにも「網の一種」とあるが((DLFS, T.07, p.337))、DMFには載っていない(trubleは載っているが、綴りの揺れとしてのtribleはない)。  しかし、これを[[ジャン=ポール・クレベール]]や[[ピーター・ラメジャラー]]がcrible (篩)の誤植と指摘しているのは、文脈から考えても妥当なものだろう。実際、上の異文欄から明らかなように、初出である[[1568年版>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1568年)]]の中でも、1568Bでは crible と綴られている。 *日本語訳 消えない火の灯るランプが [[ウェスタリス]]の神殿で発見されるであろう時、 水が網目状に流れ、幼子が死体で発見される。 ニームは水で破壊され、トゥールーズでは市場が崩れる。 **訳について  3行目は、普通「火」と訳す feu をラテン語 fatutus から「死んだ」と訳し、crible を格子状(grille)の意味にとらえた[[ジャン=ポール・クレベール]]の読み方に従った。  tribleをcribleとする校訂に従った形だが、上述の通り、tribleには「網(の一種)」の意味があるので、そちらを採用しても「網目状」といった意味合いを想像することは可能だろう。  feu を「死んだ」と訳すのはやや強引だが、故人を表すときにつける feu に近い意味と解釈したものと思われる。  passer au crible は「ふるいにかける」ということなので、その類似表現と考えれば、3行目は「発見された幼子が火と水をふるいにかけ」といった訳も可能かもしれない。  大乗訳は3行目「子供は細かい目のふるいを通って 走っている水をみつける」((大乗 [1975] p.260))が若干不適切。feu が訳に反映されていない。また、trouvé は過去分詞なので「~される」とするのが一般的。実際に、元になった[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳でも A child shall be found, water running through a sieve((Roberts [1949] p.281))と受動態で訳されている(ただし、この点は[[ピーター・ラメジャラー]]のように、aura trouvé の意味にとって能動的に訳す者もいる)。feu が訳されていないのはロバーツの英訳でも、その元になったガランシエールの英訳でも同じ。  山根訳の3行目「幼児が火の中に発見され 水がふるいにかけられる」((山根 [1988] p.288))は、若干言葉を補っているが、許容される意訳の一つといえるのではないだろうか。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、古代ローマの[[ウェスタリス]]たちが名誉を汚す行為に及んだときに、わずかなパンと水、燃えている松明を持たされて穴倉に追いやられたというエピソードを引き合いに出し、そのランプが発見されることと後半の災害を関連付けた((Garencieres [1672]))。  [[バルタザール・ギノー]]は最初の3行を[[詩百篇第5巻66番>百詩篇第5巻66番]]と関連付けつつ、神秘思想に関するものとした。その上で、描かれているランプが発見されるのとほぼ同じ時期にニームやトゥールーズが蒙る被害が4行目に描かれているとし、[[第9巻37番>百詩篇第9巻37番]]と関連付けた((Guynaud [1712] pp.437-439))。  その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]の著書には載っていない。  [[エリカ・チータム]]は1557年に起きたガルドン川大洪水の描写とした((Cheetham [1973]))。  [[セルジュ・ユタン]]は「消えない火が燃える」というのは原爆の描写ではないかとした((Hutin [1978]))。 *同時代的な視点  [[エドガー・レオニ]]は、一つの可能性としてニームのディアナ神殿が元になっている可能性を挙げ、1557年9月のガルドン川大洪水とも関連付けた。  [[ロジェ・プレヴォ]]、[[ピーター・ラメジャラー]]、[[ジャン=ポール・クレベール]]もこれを踏襲した。このときの大洪水は、トゥールーズやニームに大きな被害をもたらしただけでなく、ニームでは地中に埋もれていた古代遺跡をいくつも露出させる効果もあったという((Prévost [1999] pp.50-51, Lemesurier [2003b/2010], Clébert [2003]))。プレヴォやクレベールは[[詩百篇第10巻6番]]などとの関連性も指摘している。  なお、「消えないランプ」のモチーフは異常なようだが、古代からよく知られたモチーフだった((cf. ティルベリのゲルウァシウス 『西洋中世奇譚集成 皇帝の閑暇』 講談社学術文庫、pp.29-30))。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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