ノストラダムスの肖像画 (アムステルダム、1668年)

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#ref(1668portrait.PNG) ((画像の出典: Carlo Patrian, &italic(){Nostradamus. le profezie}, 1978, p.11;基本データの出典:Benazra [1990])) *基本データ :作品名|なし :作者|不明 :作成時期|不明 :様式|版画 :サイズ|72 x 126 cm(収録文献のサイズ) :収録文献名|[[『ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集』1668年アムステルダム版>ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ジャン・ジャンソンほか、1668年)]] *コメント  ラテン語の標語は以下の通り。 Vera loquor, nac falsa loquor, sed munere coeli Qui loquitur DEUS est, non ego NOSTRADAMUS 私は真理を語り、虚言を語らない。それは天からの賜りものゆえ、 語り手は神であって、私ことノストラダムスではないのだ。 *起源  この版画の初出は『[[ミシェル・ノストラダムス師の真の四行詩集の解明>Eclaircissement des veritables Quatrains de Maistre Michel Nostradamus]]』(1656年)らしい。 #ref(1656portrait.PNG) 【画像】1656年の解釈書の扉らしき写真((画像の出典:金森誠也「大予言者ノストラダムスの秘密」(『ムー』第29号、1983年)p.37))  ただし、[[ロベール・ブナズラ]]によると、この肖像画が載っている伝本と載っていない伝本があるという((Benazra [1990]))。  1656年の解釈書はアムステルダムで出版されたという説もあるので、ことによるとその繋がりで1668年版に引き継がれたのかもしれない。 *派生  このデザインは直接的には、[[1668年ジャン・リブー版>ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ジャン・リブー、1668年)]]、1680年代頃のジャン・ウルセル版、1689年ジャン=バチスト・ブゾンニュ版などに転用されていった。ブゾンニュ版は1691年と1710年に再版された上、1710年バルテルミー・ジラン版も(印刷業者はブゾンニュだったので)実質的に全く同じ版である。 #ref(ribou oursel besongne.PNG) 【画像】左からリブー版、ウルセル版、ブゾンニュ版((画像の出典:[[http://www.propheties.it/]]))  リブー版がほぼ忠実な転写だったのに対し、ウルセル版はかなり粗くなっているのが分かる。ブゾンニュ版に至っては、ラテン語の標語が削除されてしまっている。 ---- #comment
#ref(1668portrait.PNG) ((画像の出典: Carlo Patrian, &italic(){Nostradamus. le profezie}, 1978, p.11;基本データの出典:Benazra [1990])) *基本データ :作品名|なし :作者|不明 :作成時期|不明 :様式|版画 :サイズ|72 x 126 cm(収録文献のサイズ) :収録文献名|[[『ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集』1668年アムステルダム版>ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ジャン・ジャンソンほか、1668年)]] *コメント  ラテン語の二行詩は以下の通り。 Vera loquor, nac falsa loquor, sed munere coeli Qui loquitur DEUS est, non ego NOSTRADAMUS 私は真理を語り、虚言を語らない。それは天からの賜りものゆえ、 語り手は神であって、私ことノストラダムスではないのだ。 *起源  この版画の初出は『[[ミシェル・ノストラダムス師の真の四行詩集の解明>Eclaircissement des veritables Quatrains de Maistre Michel Nostradamus]]』(1656年)らしい。同書では、二行詩はその解釈書の著者自身が書いたとされている。なお、1656年の解釈書では口絵の下に Larmessin fecit と記載され、ニコラ・ド・ラルメサン1世 (Nicolas I de Larmessin) が作成した銅版画であることも示されている((Chomarat [1989] p.130))。 #ref(1656portrait.PNG) 【画像】1656年の解釈書の扉らしき写真((画像の出典:金森誠也「大予言者ノストラダムスの秘密」(『ムー』第29号、1983年)p.37))  ただし、[[ロベール・ブナズラ]]によると、この肖像画が載っている伝本と載っていない伝本があるという((Benazra [1990]))。  1656年の解釈書はアムステルダムで出版されたという説もあるので、ことによるとその繋がりで1668年版に引き継がれたのかもしれない。 *派生  このデザインは直接的には、[[1668年ジャン・リブー版>ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ジャン・リブー、1668年)]]、1680年代頃のジャン・ウルセル版、1689年ジャン=バチスト・ブゾンニュ版などに転用されていった。ブゾンニュ版は1691年と1710年に再版された上、1710年バルテルミー・ジラン版も(印刷業者はブゾンニュだったので)実質的に全く同じ版である。 #ref(ribou oursel besongne.PNG) 【画像】左からリブー版、ウルセル版、ブゾンニュ版((画像の出典:[[http://www.propheties.it/]]))  リブー版がほぼ忠実な転写だったのに対し、ウルセル版はかなり粗くなっているのが分かる(銅版画を木版画として模写したことによるものだろう)。ブゾンニュ版に至っては、ラテン語の二行詩が削除されてしまっている。 ---- #comment

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