「ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (クロード・ガルサン、1643年)」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
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『[[ミシェル・ノストラダムス師の予言集]]』は、1643年にマルセイユの[[クロード・ガルサン]]によっても2種類出版された。2種類の版は題名も内容も異なるが、いずれも第二部まで収められているにもかかわらず、二部構成を採用しなかった初めての版である。
【画像】扉に使われている木版画((画像の出典:Chomarat [1989] p.216))
*ミシェル・ノストラダムス師の予言集
**正式名
-LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS.
--PRINSES SVR LA COPIE IMPRIMEE à Lyon, par Benoist Rigaud.1568.
--A MARSEILLE, Chez CLAUDE GARCIN, Imprimeur de la Ville : à la Loge.
--M. D. C. XXXXIII.
-ミシェル・ノストラダムス師の予言集
--1568年にリヨンで出されたブノワ・リゴーの版に基づく版
--マルセイユ市当局の御用印刷業者クロード・ガルサンの工房にて。
--1643年
à la Loge というのは、街区の名前なのか旗印なのかよく分からない。
**内容
168ページからなる。
扉のあとに百詩篇第1巻から第10巻までが収められている。[[ロベール・ブナズラ]]によれば、二つの序文が省かれていることと、[[第7巻43番>百詩篇第7巻43番ter]]、[[同44番>百詩篇第7巻44番]]が収録されていることを除けば、[[1568年版>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1568年)]]を忠実に復刻しているという((Benazra [1990] p.196))。
**所蔵先
-マルセイユ市立図書館
*プロヴァンスのミシェル・ノストラダムス師の予言集
**正式名
-LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS PROVENCAL.
--PRINSES SVR LA COPIE IMPRIMEE à Lyon, par Benoist Rigaud.1568.
--A MARSEILLE, Par CLAUDE GARCIN, Imprimeur du Roy & de la Ville.
--M. D. C. XXXXIII.
-プロヴァンスのミシェル・ノストラダムス師の予言集
--1568年にリヨンで出されたブノワ・リゴーの版に基づく版
--マルセイユにて、国王と市当局の御用印刷業者クロード・ガルサンによる。
--1643年
**内容
読者に向けて、予言が正当なものであると説明する5ページ分の序言が付けられている(英語による抄訳は、[[エドガー・レオニ]]の著書に示されている((Leoni [1961] pp.51-52)))。
そのあとの内容は184ページからなる。まず、百詩篇第1巻から第10巻が収録されており、補遺篇は[[第7巻43番>百詩篇第7巻43番ter]]、[[同44番>百詩篇第7巻44番]]のみである。
第11巻と位置付けられているのは六行詩51篇で、標準的な[[六行詩集>この世紀のいずれかの年のための驚くべき予言]]に比べて[[12番>六行詩12番]]、[[16番>六行詩16番]]、[[19番>六行詩19番]]、[[24番>六行詩24番]]、[[25番>六行詩25番]]、[[54番>六行詩54番]]、[[55番>六行詩55番]]が省かれている。
続いて、通常なら第11巻として収録される2篇([[91番>百詩篇第11巻91番]]、[[97番>百詩篇第11巻97番]])が「第12巻」として掲載されている。
[[百詩篇第12巻]](11篇)もそのあと「第13巻」として収録されている((Leoni [1961], Chomarat [1989] による。Benazra [1990] ではこれも「第12巻」と位置付けられていることになっている。))。そこで[[56番>百詩篇第12巻56番]]が省かれているのは同時期の他の版と同じだが、最後に[[第10巻補遺篇>Adiousté depuis l'impression de 1568.]]が掲載されているので、都合11篇になっている。それらは1番から11番までの通し番号が与えられており、旧来の番号は無視されている((以上のうち、特に断り書きのない要素は Benazra [1990] pp.196-197 の紹介を参照した。))。
**所蔵先
-トゥルーズ市立図書館、アグノー市立図書館(BM Haguenau)
-カザナテンセ図書館、ペルージャ市立アウグスタ図書館、ハーヴァード大学
-かつて[[ダニエル・ルソ]]も私蔵していた。
*特色
第二部まで含んでいるにもかかわらず、二部構成をとっていないことと、二つの序文を省いていることの2点は、先行する版にはいっさい見られない特色である。また、題名も特殊で、ほかには引き継がれなかった。
かつて[[エドガー・レオニ]]は、刊行年が明記されている版の中で、最初に[[第7巻43番>百詩篇第7巻43番ter]]、[[同44番>百詩篇第7巻44番]]が収録された版と位置付けていた((Leoni [1961] p.52))。[[1627年版>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1627年リヨン)]]が確認されたことにより、レオニの主張は不正確だったことが明らかになっているが、そうした位置づけが結果的にこの版を必要以上に有名にした側面があったように思われる。
[[ロベール・ブナズラ]]は、最初の版はルイ13世の死(1643年5月14日)よりも前、二つ目の版はそれよりも後と推測している。政治的な意図を持つ編集で、反マザランの立場の可能性もあると指摘した。また、ページ番号が付いている部分が168ページから184ページと16ページ分増えたのは1枚増やしたからと指摘した(この版は八つ折版なので、1枚増やせば16ページ増える)((Benazra [1990] p.197))。
二つ目の版で「国王の御用業者」という肩書きが付け加わっているところを見ると、新王ルイ14世の下で御用業者になれたということなのかもしれない。
表紙の木版画は明らかに[[1627年版>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1627年リヨン)]]を真似ている。[[1568年版>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1568年)]]を参照していたのなら、正当性をアピールするためにそちらの木版画を使いそうなものなのに、何故そうしなかったのかはよく分からない。
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#comment
『[[ミシェル・ノストラダムス師の予言集]]』は、1643年にマルセイユの[[クロード・ガルサン]]によっても2種類出版された。2種類の版は題名も内容も異なるが、いずれも第二部まで収められているにもかかわらず、二部構成を採用しなかった初めての版である。
#ref(1643garcin.PNG)
【画像】扉に使われている木版画((画像の出典:Chomarat [1989] p.216))
*ミシェル・ノストラダムス師の予言集
**正式名
-LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS.
--PRINSES SVR LA COPIE IMPRIMEE à Lyon, par Benoist Rigaud.1568.
--A MARSEILLE, Chez CLAUDE GARCIN, Imprimeur de la Ville : à la Loge.
--M. D. C. XXXXIII.
-ミシェル・ノストラダムス師の予言集
--1568年にリヨンで出されたブノワ・リゴーの版に基づく版
--マルセイユ市当局の御用印刷業者クロード・ガルサンの工房にて。
--1643年
à la Loge というのは、街区の名前なのか旗印なのかよく分からない。
**内容
168ページからなる。
扉のあとに百詩篇第1巻から第10巻までが収められている。[[ロベール・ブナズラ]]によれば、二つの序文が省かれていることと、[[第7巻43番>百詩篇第7巻43番ter]]、[[同44番>百詩篇第7巻44番]]が収録されていることを除けば、[[1568年版>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1568年)]]を忠実に復刻しているという((Benazra [1990] p.196))。
**所蔵先
-マルセイユ市立図書館
*プロヴァンスのミシェル・ノストラダムス師の予言集
**正式名
-LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS PROVENCAL.
--PRINSES SVR LA COPIE IMPRIMEE à Lyon, par Benoist Rigaud.1568.
--A MARSEILLE, Par CLAUDE GARCIN, Imprimeur du Roy & de la Ville.
--M. D. C. XXXXIII.
-プロヴァンスのミシェル・ノストラダムス師の予言集
--1568年にリヨンで出されたブノワ・リゴーの版に基づく版
--マルセイユにて、国王と市当局の御用印刷業者クロード・ガルサンによる。
--1643年
**内容
読者に向けて、予言が正当なものであると説明する5ページ分の序言が付けられている(英語による抄訳は、[[エドガー・レオニ]]の著書に示されている((Leoni [1961] pp.51-52)))。
そのあとの内容は184ページからなる。まず、百詩篇第1巻から第10巻が収録されており、補遺篇は[[第7巻43番>百詩篇第7巻43番ter]]、[[同44番>百詩篇第7巻44番]]のみである。
第11巻と位置付けられているのは六行詩51篇で、標準的な[[六行詩集>この世紀のいずれかの年のための驚くべき予言]]に比べて[[12番>六行詩12番]]、[[16番>六行詩16番]]、[[19番>六行詩19番]]、[[24番>六行詩24番]]、[[25番>六行詩25番]]、[[54番>六行詩54番]]、[[55番>六行詩55番]]が省かれている。
続いて、通常なら第11巻として収録される2篇([[91番>百詩篇第11巻91番]]、[[97番>百詩篇第11巻97番]])が「第12巻」として掲載されている。
[[百詩篇第12巻]](11篇)もそのあと「第13巻」として収録されている((Leoni [1961], Chomarat [1989] による。Benazra [1990] ではこれも「第12巻」と位置付けられていることになっている。))。そこで[[56番>百詩篇第12巻56番]]が省かれているのは同時期の他の版と同じだが、最後に[[第10巻補遺篇>Adiousté depuis l'impression de 1568.]]が掲載されているので、都合11篇になっている。それらは1番から11番までの通し番号が与えられており、旧来の番号は無視されている((以上のうち、特に断り書きのない要素は Benazra [1990] pp.196-197 の紹介を参照した。))。
**所蔵先
-トゥルーズ市立図書館、アグノー市立図書館(BM Haguenau)
-カザナテンセ図書館、ペルージャ市立アウグスタ図書館、ハーヴァード大学
-かつて[[ダニエル・ルソ]]も私蔵していた。
*特色
第二部まで含んでいるにもかかわらず、二部構成をとっていないことと、二つの序文を省いていることの2点は、先行する版にはいっさい見られない特色である。また、題名も特殊で、ほかには引き継がれなかった。
かつて[[エドガー・レオニ]]は、刊行年が明記されている版の中で、最初に[[第7巻43番>百詩篇第7巻43番ter]]、[[同44番>百詩篇第7巻44番]]が収録された版と位置付けていた((Leoni [1961] p.52))。[[1627年版>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1627年リヨン)]]が確認されたことにより、レオニの主張は不正確だったことが明らかになっているが、そうした位置づけが結果的にこの版を必要以上に有名にした側面があったように思われる。
[[ロベール・ブナズラ]]は、最初の版はルイ13世の死(1643年5月14日)よりも前、二つ目の版はそれよりも後と推測している。政治的な意図を持つ編集で、反マザランの立場の可能性もあると指摘した。また、ページ番号が付いている部分が168ページから184ページと16ページ分増えたのは1枚増やしたからと指摘した(この版は八つ折版なので、1枚増やせば16ページ増える)((Benazra [1990] p.197))。
二つ目の版で「国王の御用業者」という肩書きが付け加わっているところを見ると、新王ルイ14世の下で御用業者になれたということなのかもしれない。
表紙の木版画は明らかに[[1627年版>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1627年リヨン)]]を真似ている。[[1568年版>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1568年)]]を参照していたのなら、正当性をアピールするためにそちらの木版画を使いそうなものなのに、何故そうしなかったのかはよく分からない。
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