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[[百詩篇第8巻]]>33番
*原文
Le grand&sup(){1} naistra de Veronne&sup(){2} & Vincence&sup(){3},
Qui portera vn surnom&sup(){4} bien indigne.
Qui à Venise vouldra faire vengeance&sup(){5},
Luy mesme&sup(){6} prins homme du&sup(){7} guet & signe&sup(){8}
**異文
(1) grand : graind(?) 1628、Grand 1772Ri
(2) Veronne : Vironne 1665
(3) Vincence : Vicence 1605 1649Xa 1653 1665 1672 1840
(4) surnom : sur nom 1597 1603Mo 1610 1650Le 1668A 1716
(5) vengeance : vengence 1611B 1660
(6) Luy mesme : Luy-mesme 1668P
(7) du : de 1600 1610 1627 1644 1650Ri 1668 1716
(8) signe : sine 1597 1600 1603Mo 1610 1627, fine 1716
**校訂
1行目の Vincence は Vicence の方が適切。[[ジャン=ポール・クレベール]]は、暦書の登場箇所を示しつつ、ノストラダムスが Vincence も使っていたことを示している。
*日本語訳
[[ヴェローナ]]と[[ヴィチェンツァ]]から生まれた偉人は、
非常に相応しくないあだ名を持つだろう。
その者は[[ヴェネツィア]]への復讐を望むであろうが、
彼自身が監視役とその合図によって囚われる。
**訳について
山根訳2行目「はなはだ不似合いな苗字をもっている」((山根 [1988] p.262))はありうる訳。現代フランス語の surnom はもっぱら渾名の意味にしか使われないが、中期フランス語では苗字(nom de famille)の意味もあった((DMF))。
大乗訳2行目「価値のない名を彼は生み」((大乗 [1975] p.238))は誤訳だろう。
山根訳3行目「ヴェネチアにて復讐をたくらむだろうが」と大乗訳3行目「ベニスでかたきをうとうとするが」はいずれもありうる訳で、[[ピーター・ラメジャラー]]もそう訳しているが、当「大事典」では[[ジャン=ポール・クレベール]]の読み方に従った。
山根訳4行目「監視としるしの男につかまってしまうだろう」も許容される訳。ただし、中期フランス語の signe には signal の意味もあり、ラメジャラーやクレベールはそちらの意味で捉えていることから、当「大事典」ではそれを踏まえて訳した。
大乗訳4行目「見張り人にとらえられる」は signe が訳に反映されていない。
*信奉者側の見解
[[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、ヴェローナとヴィチェンツァはともにヴェネツィアに支配されている有名な町とした上で、残りは平易と述べていた((Garencieres [1672]))。
その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ロルフ・ボズウェル]]の著書には載っていない。
[[ジェイムズ・レイヴァー]]はムッソリーニと解釈した。「ムッソリーニ」は「モスリン(毛織物の一種)を織る者」の意味で、独裁者に不釣合いな名であることが2行目に示されているとした((Laver [1952] p.227))。レイヴァーとどちらが先か不明だが、[[ヘンリー・C・ロバーツ]]もムッソリーニとしていた((Roberts [1949]. レイヴァーの初版は1942年なので、初版にその解釈が載っていたならレイヴァーが先、1952年の改訂版で追加されたのならロバーツが先となる。))。
[[エリカ・チータム]]、[[セルジュ・ユタン]]、[[ネッド・ハリー]]らもムッソリーニと解釈した((Cheetham [1973], Hutin [1978], Halley [1999] p.133))。
日本では、[[黒沼健]]がムッソリーニとする解釈を紹介した((黒沼『世界の予言』p.153))。
*同時代的な視点
ガランシエールも言うように、詩の情景は分かりやすい。ヴェネツィア共和国の支配下にある都市から、謀反を企てる者が現われるが、計画は失敗し、不名誉なあだ名で呼ばれるということだろう。
偉人(単数形)の出身都市が2つ挙げられているのは奇妙なようだが、[[ジャン=ポール・クレベール]]は父方と母方の出自を示したためではないかとした。
ただし、クレベールも[[ピーター・ラメジャラー]]も具体的なモデルは特定していない((Clebert [2003], Lemesurier [2003b/2010]))。
#ref(Vicenza.PNG)
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#comment
[[詩百篇第8巻]]>33番*
*原文
Le grand&sup(){1} naistra&sup(){2} de Veronne&sup(){3} & Vincence&sup(){4},
Qui portera vn surnom&sup(){5} bien indigne.
Qui à Venise vouldra faire vengeance&sup(){6},
Luy mesme&sup(){7} prins homme du&sup(){8} guet & signe&sup(){9}
**異文
(1) grand : graind 1628dR, Grand 1772Ri
(2) naistra : maistre 1716PRc
(3) Veronne : Vironne 1665Ba 1720To
(4) Vincence : Vicence 1605sn 1649Xa 1653AB 1665Ba 1667Wi 1672Ga 1720To 1840
(5) surnom : sur nom 1597Br 1603Mo 1606PR 1607PR 1650Mo 1650Le 1668A 1716PR
(6) vengeance : vengance 1591BR, vengence 1611B 1981EB, veugeance 1716PRb
(7) Luy mesme : Luy-mesme 1668P
(8) du : de 1606PR 1607PR 1610Po 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1667Wi 1668 1716PR
(9) signe : sine 1597Br 1603Mo 1606PR 1607PR 1610Po 1627Ma 1627Di 1650Mo, fine 1716PR
**校訂
1行目の Vincence は Vicence の方が適切。
ただ、[[ジャン=ポール・クレベール]]は、暦書の登場箇所を示しつつ、ノストラダムスが Vincence も使っていたことを示しているので、誤りなのかは分からない。
*日本語訳
[[ヴェローナ]]と[[ヴィチェンツァ]]から生まれた貴人は、
非常に相応しくないあだ名を持つだろう。
その者は[[ヴェネツィア]]への復讐を望むであろうが、
彼自身が監視役とその合図によって囚われる。
**訳について
既存の訳についてコメントしておく。
山根訳2行目「はなはだ不似合いな苗字をもっている」((山根 [1988] p.262))はありうる訳。
現代フランス語の surnom はもっぱら渾名の意味にしか使われないが、中期フランス語では苗字(nom de famille)の意味もあった((DMF))。
大乗訳2行目「価値のない名を彼は生み」((大乗 [1975] p.238))は誤訳だろう。
山根訳3行目「ヴェネチアにて復讐をたくらむだろうが」と大乗訳3行目「ベニスでかたきをうとうとするが」はいずれもありうる訳で、[[ピーター・ラメジャラー]]もそう訳している。
しかし、当「大事典」では[[ジャン=ポール・クレベール]]の読み方に従った。
山根訳4行目「監視としるしの男につかまってしまうだろう」も許容される訳。
ただし、中期フランス語の signe には signal の意味もあり、ラメジャラーやクレベールはそちらの意味で捉えていることから、当「大事典」ではそれを踏まえて訳した。
大乗訳4行目「見張り人にとらえられる」は signe が訳に反映されていない。
*信奉者側の見解
[[テオフィル・ド・ガランシエール]](1672年)は、ヴェローナとヴィチェンツァはともにヴェネツィアに支配されている有名な町とした上で、残りは平易と述べていた((Garencieres [1672]))。
その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ロルフ・ボズウェル]]の著書には載っていない。
[[ジェイムズ・レイヴァー]]はムッソリーニと解釈した。
「ムッソリーニ」は「モスリン(毛織物の一種)を織る者」の意味で、独裁者に不釣合いな名であることが2行目に示されているとした((Laver [1952] p.227))。
同じ時期に、[[ヘンリー・C・ロバーツ]]もムッソリーニとしていた((Roberts [1949]. レイヴァーの初版は1942年なので、初版にその解釈が載っていたならレイヴァーが先、1952年の改訂版で追加されたのならロバーツが先となる。))。
[[エリカ・チータム]]、[[セルジュ・ユタン]]、[[ネッド・ハリー]]らもムッソリーニと解釈した((Cheetham [1973], Hutin [1978], Halley [1999] p.133))。
日本では、[[黒沼健]]がムッソリーニとする解釈を紹介した((黒沼『世界の予言』p.153))。
[[パトリス・ギナール]]は、ナポレオンによるヴェネツィア占領(1797年)と解釈した。1行目をムッソリーニでなくナポレオン Napoléon と理解し、ネ・アポロン Né Apollon(「アポロンから生まれた」に近い言葉)に通じると判断した((Guinard[2011]))。
*同時代的な視点
ガランシエールも言うように、詩の情景は分かりやすい。
ヴェネツィア共和国の支配下にある都市から、謀反を企てる者が現われるが、計画は失敗し、不名誉なあだ名で呼ばれるということだろう。
貴人(単数形)の出身都市が2つ挙げられているのは奇妙なようだが、[[ジャン=ポール・クレベール]]は父方と母方の出自を示したためではないかとした。
ただし、クレベールも[[ピーター・ラメジャラー]]も、具体的なモデルは特定していない((Clebert [2003], Lemesurier [2003b/2010]))。
#ref(Vicenza.PNG)
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