An excellent tretise...

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 『&bold(){健康のために有益な一論文}』(An excellent tretise...)は、英訳された[[ノストラダムス]]の著書のひとつ。1559年にロンドンの[[ジョン・デイ]]によって出版された。 【画像】扉((画像の出典:[[http://www.propheties.it/]])) *正式名 -An excellent tretise, shevving suche perillous, and contagious infirmities, as shall insue. 1559. and .1566 vvith the signes, causes, accidentes, and curatio, for the health of such as inhabit the. 7.8. and. 9. climat. compiled by Maister Michael Nostrodamus, Doctor in Phisicke, and translated into Englysh at the desire of Laurentius Philotus, Tyl. --Imprinted at London by Jhon [sic.] Day, dwelling ouer Aldersgate beneath S. Martins. --Cum priuilegio ad imprimendum solum. -医学博士ミシェル・ノストラダムス師により構成され、ラウレンティウス・ピロトゥスの希望で英訳された、1559年と1566年に発生するであろう危険な伝染病を、その徴候・原因・症例・処方とともに示す、第7・8・9気候区の住民の健康のために有益な一論文 --オルダースゲートの向こう側、セント・マーティンス教会のすぐ下に住むジョン・デイによって、ロンドンで印刷された。 --印刷の特認つき。 *内容  32ページからなる文献である。  冒頭に「まさしく卓越し、高貴にして有徳なる我が主人、使徒座秘書官にしてマコン司教エマニューへ。貴方の賤しくも従順な従卒にして雄弁家ミシェル・ノストラダムスが、キリストに貴方の健康と長命をお祈りしました。」(To the right excellent, noble, & vertuous Lord, my Lord Emanieu, Byshoppe of Macon, Pronotharie of the Apostolique Seat, etc. Michel Nostrodamus, your humble, and obedient seruaunt, & oratour, vvisheth health & long life in Christ.)と題する1558年8月12日付の献辞が収録されている。  このエマニューという人物はかつてのカルカソンヌ司教アマニアン・ド・フォワと同一人物である。[[ピエール・ブランダムール]]によると、1556年から1558年にアマニアン・ド・フォワはマコン司教だったという((Brind’Amour [1996] p.480))。  本編は四季ごとに分けられ、ペストや熱病の症状などについて説明がなされている。  末尾には「1559年3月」(ANNO CHRISTI. 1559. Mense Martij.)と書かれている。 *位置づけ  [[ピエール・ブランダムール]]は本物のノストラダムス作品と見なしていた。その上で、オリジナルのフランス語作品は1558年に現われていたと推測した。[[ロベール・ブナズラ]]もオリジナルの出現は1558年から1559年だろうとしていた((Benazra [1990] p.42))。  従来から、伝聞のみが存在している『[[きわめて有益な治癒策>Le Remede tres utile contre la peste et toutes fievres pestilentielles]]』(1561年)に対応している英語文献という指摘はあった。確認できる範囲内でその可能性を最初に指摘したのは、19世紀の書誌学者ブリュネである((cf. Chomarat [1989] no.51))。  なお、この内容に対応するイタリア語の手稿の存在が、ブランダムールによって指摘されている(1966年に公刊された)((Brind’Amour [1993] pp.121, 487))。  他方、[[パトリス・ギナール]]のように、これを正統なノストラダムス作品とは認めない立場も存在する。ギナールによれば当時の地理区分で第9気候区はイングランドを指すというが、フランス語原本が存在するのだとすれば、プロヴァンスに対応する第4気候区などを対象にしていないのは不自然というわけだ。  また、ギナールはアマニアン・ド・フォワがマコン司教だったことを認めた上で、ノストラダムスが長命を祈っているにもかかわらず1559年に死んだことを指摘した。出版された時点で故人となっている有力者に献辞をささげるパターンは、偽作の『暦書』などでもしばしば見られる悪意含みの冗談だと指摘している((Patrice Guinard, [[Le pseudo-traité de la peste de 1559>>http://cura.free.fr/dico5ct/609Bext59.html]]))。 *所蔵先 -コロンビア大学図書館、イリノイ大学図書館、オックスフォード大学ボドレー図書館 ---- #comment
 『&bold(){健康のために有益な一論文}』(An excellent tretise...)は、英訳された[[ノストラダムス]]の著書のひとつ。1559年にロンドンの[[ジョン・デイ]]によって出版された。 #ref(1559tretise.JPG) 【画像】扉((画像の出典:[[http://www.propheties.it/]])) *正式名 -An excellent tretise, shevving suche perillous, and contagious infirmities, as shall insue. 1559. and .1566 vvith the signes, causes, accidentes, and curatio, for the health of such as inhabit the. 7.8. and. 9. climat. compiled by Maister Michael Nostrodamus, Doctor in Phisicke, and translated into Englysh at the desire of Laurentius Philotus, Tyl. --Imprinted at London by Jhon [sic.] Day, dwelling ouer Aldersgate beneath S. Martins. --Cum priuilegio ad imprimendum solum. -医学博士ミシェル・ノストラダムス師により構成され、ラウレンティウス・ピロトゥスの希望で英訳された、1559年と1566年に発生するであろう危険な伝染病を、その徴候・原因・症例・処方とともに示す、第7・8・9気候区の住民の健康のために有益な一論文 --オルダースゲートの向こう側、セント・マーティンス教会のすぐ下に住むジョン・デイによって、ロンドンで印刷された。 --印刷の特認つき。 *内容  32ページからなる文献である。  冒頭に「まさしく卓越し、高貴にして有徳なる我が主人、使徒座秘書官にしてマコン司教エマニューへ。貴方の賤しくも従順な従卒にして雄弁家ミシェル・ノストラダムスが、キリストに貴方の健康と長命をお祈りしました。」(To the right excellent, noble, & vertuous Lord, my Lord Emanieu, Byshoppe of Macon, Pronotharie of the Apostolique Seat, etc. Michel Nostrodamus, your humble, and obedient seruaunt, & oratour, vvisheth health & long life in Christ.)と題する1558年8月12日付の献辞が収録されている。  このエマニューという人物はかつてのカルカソンヌ司教アマニアン・ド・フォワと同一人物である。[[ピエール・ブランダムール]]によると、1556年から1558年にアマニアン・ド・フォワはマコン司教だったという((Brind’Amour [1996] p.480))。  本編は四季ごとに分けられ、ペストや熱病の症状などについて説明がなされている。  末尾には「1559年3月」(ANNO CHRISTI. 1559. Mense Martij.)と書かれている。 *位置づけ  [[ピエール・ブランダムール]]は本物のノストラダムス作品と見なしていた。その上で、オリジナルのフランス語作品は1558年に現われていたと推測した。[[ロベール・ブナズラ]]もオリジナルの出現は1558年から1559年だろうとしていた((Benazra [1990] p.42))。  従来から、伝聞のみが存在している『[[きわめて有益な治癒策>Le Remede tres utile contre la peste et toutes fievres pestilentielles]]』(1561年)に対応している英語文献という指摘はあった。確認できる範囲内でその可能性を最初に指摘したのは、19世紀の書誌学者ブリュネである((cf. Chomarat [1989] no.51))。  なお、この内容に対応するイタリア語の手稿の存在が、ブランダムールによって指摘されている(1966年に公刊された)((Brind’Amour [1993] pp.121, 487))。  他方、[[パトリス・ギナール]]のように、これを正統なノストラダムス作品とは認めない立場も存在する。ギナールによれば当時の地理区分で第9気候区はイングランドを指すというが、フランス語原本が存在するのだとすれば、プロヴァンスに対応する第4気候区などを対象にしていないのは不自然というわけだ。  また、ギナールはアマニアン・ド・フォワがマコン司教だったことを認めた上で、ノストラダムスが長命を祈っているにもかかわらず1559年に死んだことを指摘した。出版された時点で故人となっている有力者に献辞をささげるパターンは、偽作の『暦書』などでもしばしば見られる悪意含みの冗談だと指摘している((Patrice Guinard, [[Le pseudo-traité de la peste de 1559>>http://cura.free.fr/dico5ct/609Bext59.html]]))。 *所蔵先 -コロンビア大学図書館、イリノイ大学図書館、オックスフォード大学ボドレー図書館 ---- #comment

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