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[[詩百篇第10巻]]>52番*
*原文
Au lieu où&sup(){1} LAYE&sup(){2} & Scelde&sup(){3} se marient,
Seront les nopces&sup(){4} de long temps&sup(){5} maniees&sup(){6},
Au&sup(){7} lieu d'Anuers&sup(){8} où&sup(){9} la [[crappe]]&sup(){10} charient,
Ieune&sup(){11} vieillesse&sup(){12} [[consorte]]&sup(){13} [[intaminee]].
**異文
(1) où : ou 1568X 1590Ro 1605sn 1649Xa 1672Ga 1716PRc, oú 1611B 1772Ri
(2) LAYE : Laye 1590Ro 1597Br 1603Mo 1606PR 1607PR 1610Po 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1653AB 1672Ga 1716PR, Lay t[sic.] 1650Mo, laye 1665Ba
(3) Scelde : scelde 1653AB 1665Ba
(4) nopces : Nopces 1672Ga
(5) long temps : lon temps 1627Ma 1627Di, longtemps 1665Ba 1840, long-temps 1644Hu 1653AB 1667Wi 1668P 1716PR(a c)
(6) maniees : mamées 1672Ga
(7) Au : An 1568X
(8) d'Anuers : Danuers 1568X, D'anuers 1590Ro
(9) où : ou 1568X 1590Ro 1605sn 1649Xa 1672Ga
(10) crappe : Crappe 1981EB, grappe 1672Ga
(11) Ieune : Leune 1627Di
(12) vieillesse : viellesse 1606PR 1607PR 1611B 1650Ri
(13) consorte : conforte 1590Ro 1605sn 1611B 1649Xa 1649Ca 1650Le 1667Wi 1981EB 1668 1840
*日本語訳
レイエ川とスヘルデ川が結ばれる場所で、
長い間準備されてきた婚礼が挙行されるだろう。
彼らが塵埃を運び込むアントウェルペンの場所に、
若者、老人、汚されざる妻。
**訳について
1行目はベルギーを流れる川である。レイエ川(Leie, オランダ語名)はフランス語ではリス川(La Lys)という。スヘルデ川(Schelde)はフランス語ではエスコー川(Escaut)という。
4行目は「若い老人と汚されざる妻」とも訳せる。
山根訳は「レーとシェルト」という地名の表記を除けば、3行目まで問題はない。3行目で[[crappe]]を「もみ殻」と訳しているのも、[[エドガー・レオニ]]らの読みに従えば、可能な訳である。
ただし、4行目「冒涜されざる若き妻と老齢」((山根 [1988] p.328))は、形容詞の位置関係として少々不自然である。もっとも、[[ピーター・ラメジャラー]]は「片や若すぎて方や年老いすぎており、妻が汚されることはない」のように読んでいるので、許容される余地のある読み方だろう。
大乗訳は3行目「アントワープでかれらはぶどうをとって」((大乗 [1975] p.297))は、「ぶどう」が grappe を採用した結果としても、charrier が「とる」という意味になる根拠が不明瞭。
同4行目「若いけがれなき人が 老人をいたわるだろう」の「いたわる」は奇妙なようだが、[[consorte]]が conforte になっている底本に基づく訳なのだろう。
*信奉者側の見解
全訳本の類でしか触れられてこなかった詩で、20世紀前半まででは[[テオフィル・ド・ガランシエール]]と[[ヘンリー・C・ロバーツ]]しか解釈していなかった。
ガランシエールはレイエ川がフランドル地方を流れ、スヘルデ川がアントウェルペンを流れていることを指摘したが、あとは情景をそのまま敷衍したような解釈しかつけていなかった((Garencieres [1672]))。ロバーツは「ベルギーにおける平和の時代が予示されている」という簡略な解釈しかつけていなかった((Roberts (1947)[1949] p.329))。
[[セルジュ・ユタン]]は1940年のナチスのベルギー侵略と解釈した((Hutin [1978]))。
[[ジョン・ホーグ]]はヘントで様々な協約などが調印されてきたことや、1914年の大洪水について述べたものとした((Hogue (1997)[1999]))。
*同時代的な視点
[[ジャン=ポール・クレベール]]が指摘したように、1行目がレイエ川とスヘルデ川の合流点に位置するヘントを指しているのはまず疑いない。
ただし、そこでの盛大な婚礼についてはあてはまりうるモデルが見つからないらしく、クレベールも[[ピーター・ラメジャラー]]も、モデルの特定には至っていない。
*その他
レイエ川が LAYE と大文字のみで綴られている。[[百詩篇第10巻]]では、[[40番>百詩篇第10巻40番]]の [[LONOLE]] と[[46番>百詩篇第10巻46番]]の L'OR も大文字で強調されている。L で始まる語を強調することに何の意味があるのかはよく分からない。
それらが6番おきに配置されていることや、いずれも外国が舞台(40番はイギリス、46番はドイツ、52番はベルギー)になっていることなどにも意味があるのかもしれないが、特に言及している論者はなく、不明。
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#comment
[[詩百篇第10巻]]>52番*
*原文
Au lieu où&sup(){1} LAYE&sup(){2} & Scelde&sup(){3} se marient,
Seront les nopces&sup(){4} de long temps&sup(){5} maniees&sup(){6},
Au&sup(){7} lieu d'Anuers&sup(){8} où&sup(){9} la [[crappe]]&sup(){10} charient,
Ieune&sup(){11} vieillesse&sup(){12} [[consorte]]&sup(){13} [[intaminee]].
**異文
(1) où : ou 1568X 1590Ro 1605sn 1649Xa 1672Ga 1716PRc, oú 1611B 1772Ri
(2) LAYE : Laye 1590Ro 1597Br 1603Mo 1606PR 1607PR 1610Po 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1653AB 1672Ga 1697Vi 1716PR 1720To, Lay t[sic.] 1650Mo, laye 1665Ba
(3) Scelde : scelde 1653AB 1665Ba 1697Vi 1720To
(4) nopces : Nopces 1672Ga
(5) long temps : lon temps 1627Ma 1627Di, longtemps 1665Ba 1840, long-temps 1644Hu 1653AB 1667Wi 1668P 1716PR(a c), long-tems 1697Vi 1720To
(6) maniees : mamées 1672Ga
(7) Au : An 1568X
(8) d'Anuers : Danuers 1568X, D'anuers 1590Ro
(9) où : ou 1568X 1590Ro 1605sn 1649Xa 1672Ga
(10) crappe : Crappe 1981EB, grappe 1672Ga
(11) Ieune : Leune 1627Di
(12) vieillesse : viellesse 1606PR 1607PR 1611B 1650Ri
(13) consorte : conforte 1590Ro 1605sn 1611B 1649Xa 1649Ca 1650Le 1667Wi 1668 1840 1981EB
(注記)1697Viは版の系譜の考察のために加えた。
*日本語訳
レイエ川とスヘルデ川が結ばれる場所で、
長い間準備されてきた婚礼が挙行されるだろう。
彼らが塵埃を運び込むアントウェルペンの場所に、
若者、老人、汚されざる妻。
**訳について
1行目はベルギーを流れる川である。レイエ川(Leie, オランダ語名)はフランス語ではリス川(La Lys)という。スヘルデ川(Schelde)はフランス語ではエスコー川(Escaut)という。
4行目は「若い老人と汚されざる妻」とも訳せる。
山根訳は「レーとシェルト」という地名の表記を除けば、3行目まで問題はない。3行目で[[crappe]]を「もみ殻」と訳しているのも、[[エドガー・レオニ]]らの読みに従えば、可能な訳である。
ただし、4行目「冒涜されざる若き妻と老齢」((山根 [1988] p.328))は、形容詞の位置関係として少々不自然である。もっとも、[[ピーター・ラメジャラー]]は「片や若すぎて方や年老いすぎており、妻が汚されることはない」のように読んでいるので、許容される余地のある読み方だろう。
大乗訳は3行目「アントワープでかれらはぶどうをとって」((大乗 [1975] p.297))は、「ぶどう」が grappe を採用した結果としても、charrier が「とる」という意味になる根拠が不明瞭。
同4行目「若いけがれなき人が 老人をいたわるだろう」の「いたわる」は奇妙なようだが、[[consorte]]が conforte になっている底本に基づく訳なのだろう。
*信奉者側の見解
全訳本の類でしか触れられてこなかった詩で、20世紀前半まででは[[テオフィル・ド・ガランシエール]]と[[ヘンリー・C・ロバーツ]]しか解釈していなかった。
ガランシエールはレイエ川がフランドル地方を流れ、スヘルデ川がアントウェルペンを流れていることを指摘したが、あとは情景をそのまま敷衍したような解釈しかつけていなかった((Garencieres [1672]))。ロバーツは「ベルギーにおける平和の時代が予示されている」という簡略な解釈しかつけていなかった((Roberts (1947)[1949] p.329))。
[[セルジュ・ユタン]]は1940年のナチスのベルギー侵略と解釈した((Hutin [1978]))。
[[ジョン・ホーグ]]はヘントで様々な協約などが調印されてきたことや、1914年の大洪水について述べたものとした((Hogue (1997)[1999]))。
*同時代的な視点
[[ジャン=ポール・クレベール]]が指摘したように、1行目がレイエ川とスヘルデ川の合流点に位置するヘントを指しているのはまず疑いない。
ただし、そこでの盛大な婚礼についてはあてはまりうるモデルが見つからないらしく、クレベールも[[ピーター・ラメジャラー]]も、モデルの特定には至っていない。
*その他
レイエ川が LAYE と大文字のみで綴られている。[[百詩篇第10巻]]では、[[40番>百詩篇第10巻40番]]の [[LONOLE]] と[[46番>百詩篇第10巻46番]]の L'OR も大文字で強調されている。L で始まる語を強調することに何の意味があるのかはよく分からない。
それらが6番おきに配置されていることや、いずれも外国が舞台(40番はイギリス、46番はドイツ、52番はベルギー)になっていることなどにも意味があるのかもしれないが、特に言及している論者はなく、不明。
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