百詩篇第5巻34番

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*原文 Du plus profond de l'occident&sup(){1} Anglois&sup(){2}, Ou&sup(){3} est le chef de l'isle&sup(){4} britannique&sup(){5}: Entrera [[classe]] dans&sup(){6} Gyronde&sup(){7} par Blois, Par vin&sup(){8} & sel&sup(){9}, feuz&sup(){10} cachés aux barriques. **異文 (1) l'occident : l'Occident 1588-89 1597 1600 1605 1610 1611 1627 1628 1644 1649Xa 1650Ri 1653 1660 1665 1668P 1716 1840 (2) Anglois : anglois 1660 (3) Ou 1557U 1557B 1568A 1588Rf 1588Rg 1589PV 1590Ro 1649Xa 1649Ca 1668A : Où &italic(){T.A.Eds.} (4) l'isle : l'Isle 1600 1611 1627 1628 1649Xa 1660 1668P 1672, Lisle 1589Rg (5) britannique 1557U 1557B 1589PV 1660 1668 : Britannique &italic(){T.A.Eds.} (6) dans : dans la 1665, en 1672 (7) Gyronde : Gyrande 1557B 1589PV, Gyron de 1588-89, Gyronne 1600 1610 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1716 1840, Garonne 1672 (8) vin : Vin 1672 (9) & sel : & se 1589PV, & 1649Ca, & tel 1600 1610 1716, & sei 1588Rf 1589Me, & Sel 1672 (10) feuz 1557U 1557B 1568A 1589PV 1590Ro : feux &italic(){T.A.Eds.} (&italic(){sauf} : souz 1588-89, ceux 1600 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1716 1867LP, saux 1672) **校訂  2行目の Ou は当然 Où の方が良い。  [[ジャン=ポール・クレベール]]は1行目と3行目の語末が Anglais / Blais (Blaye) の可能性に触れた。 *日本語訳 イングランド西方の最奥部から ― そこはブリテン島の指導者のいる場所 ― 艦隊が[[ブロワ]]を経由しジロンド川に入るだろう。 ワインと塩の代わりに火器が大樽に隠される。 **訳について  前半は「ブリテン島の指導者のいるイングランド西方の最奥部から」とすべきだが、各行に対応させる必要上、2行目を挿入的に訳した。  大乗訳前半「英国の最西部から/英国諸島の首長のいるところに」((大乗 [1975] p.157))は、2行目冒頭の関係詞 Où の処理が不適切。また、この場合の島は単数形である。  同4行目「ぶどう酒と塩や火で樽にかくれるだろう」は、ワイン、塩、火が並列なら & の位置が不自然で、前半律の切れ目とも対応していない。また、受動態の処理の仕方も微妙である。  山根訳の前半「イギリス西部の奥底から/イギリス諸島の首領がいるところ」((山根 [1988] p.188))も大乗訳同様、関係詞の処理が不適切である。  同4行目「ワインと塩により 大樽に隠された火」は直訳としては正しい。ただし、中期フランス語では feu に「兵器」(engin militaire)の意味もあり((DMF))、文脈からはそれが適切だろうと思われる。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]はブロワとあるのはブライユ(Blaye)の誤植だろうとしたが、具体的な事件には触れなかった((Garencieres [1672]))。[[D.D.]]は川をガロンヌ、ブロワをブライユとする読みを踏襲し、[[次の詩>百詩篇第5巻35番]]とひと続きのものと捉えた((D.D. [1715] p.76))。  その後、[[ロルフ・ボズウェル]]と[[アンドレ・ラモン]]が1940年代に相次いで解釈するまで、解釈は途絶えていたようである。  ボズウェルは第一次大戦中のマルヌの戦い(1918年)と解釈した((Boswell [1943] pp.104-105))。  ラモンは近未来にイギリス軍がフランスに侵攻すると解釈した((Lamont [1943] pp.314-315))。  [[ヘンリー・C・ロバーツ]]は英国艦隊がフランスで機雷を敷設すると解釈したが、時期は明記していなかった((Roberts (1947)[1949]))。[[日本語版>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]では、英国艦隊がフランスで水やビールを奪うという解釈をしたことになっているが、原文と大きく食い違っている。  [[セルジュ・ユタン]]はアメリカ軍によってフランスが解放されたこととした((Hutin [1978]))。 *同時代的な視点  [[ピエール・ブランダムール]]はノストラダムスの複数の書き物をもとに、彼がイギリスをヨーロッパの西端と認識していたことを指摘していた((Brind’Amour [1996] p.382))。この場合も、イングランドからさらに西の果てへということではないのだろう。  [[ピーター・ラメジャラー]]はフロワサールの年代記などに基づいて、百年戦争中の出来事を描写した詩ではないかとした。 ---- - アメリカ独立戦争、ナポレオン戦争(トラファルガー海戦)などで活躍したイギリス海軍提督、ネルソン -- とある信奉者 (2010-12-25 21:18:16) #comment
*原文 Du plus profond de l'occident&sup(){1} Anglois&sup(){2}, Ou&sup(){3} est le chef de l'isle&sup(){4} britannique&sup(){5}: Entrera [[classe]] dans&sup(){6} Gyronde&sup(){7} par Blois, Par vin&sup(){8} & sel&sup(){9}, feuz&sup(){10} cachés aux barriques. **異文 (1) l'occident : l'Occident 1588-89 1597 1600 1605 1610 1611 1627 1628 1644 1649Xa 1650Ri 1653 1660 1665 1668P 1716 1840 (2) Anglois : anglois 1660 (3) Ou 1557U 1557B 1568A 1588Rf 1588Rg 1589PV 1590Ro 1649Xa 1649Ca 1668A : Où &italic(){T.A.Eds.} (4) l'isle : l'Isle 1600 1611 1627 1628 1649Xa 1660 1668P 1672, Lisle 1589Rg (5) britannique 1557U 1557B 1589PV 1660 1668 : Britannique &italic(){T.A.Eds.} (6) dans : dans la 1665, en 1672 (7) Gyronde : Gyrande 1557B 1589PV, Gyron de 1588-89, Gyronne 1600 1610 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1716 1840, Garonne 1672 (8) vin : Vin 1672 (9) & sel : & se 1589PV, & 1649Ca, & tel 1600 1610 1716, & sei 1588Rf 1589Me, & Sel 1672 (10) feuz 1557U 1557B 1568A 1589PV 1590Ro : feux &italic(){T.A.Eds.} (&italic(){sauf} : souz 1588-89, ceux 1600 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1716 1867LP, saux 1672) **校訂  2行目の Ou は当然 Où の方が良い。  [[ジャン=ポール・クレベール]]は1行目と3行目の語末が Anglais / Blais (Blaye) の可能性に触れた。 *日本語訳 イングランド西方の最奥部から ― そこはブリテン島の指導者のいる場所 ― 艦隊が[[ブロワ]]を経由しジロンド川に入るだろう。 ワインと塩の代わりに火器が大樽に隠される。 **訳について  前半は「ブリテン島の指導者のいるイングランド西方の最奥部から」とすべきだが、各行に対応させる必要上、2行目を挿入的に訳した。  大乗訳前半「英国の最西部から/英国諸島の首長のいるところに」((大乗 [1975] p.157))は、2行目冒頭の関係詞 Où の処理が不適切。また、この場合の島は単数形である。  同4行目「ぶどう酒と塩や火で樽にかくれるだろう」は、ワイン、塩、火が並列なら & の位置が不自然で、前半律の切れ目とも対応していない。また、受動態の処理の仕方も微妙である。  山根訳の前半「イギリス西部の奥底から/イギリス諸島の首領がいるところ」((山根 [1988] p.188))も大乗訳同様、関係詞の処理が不適切である。  同4行目「ワインと塩により 大樽に隠された火」は直訳としては正しい。ただし、中期フランス語では feu に「兵器」(engin militaire)の意味もあり((DMF))、文脈からはそれが適切だろうと思われる。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]はブロワとあるのはブライユ(Blaye)の誤植だろうとしたが、具体的な事件には触れなかった((Garencieres [1672]))。[[D.D.]]は川をガロンヌ、ブロワをブライユとする読みを踏襲し、[[次の詩>百詩篇第5巻35番]]とひと続きのものと捉えた((D.D. [1715] p.76))。  その後、[[ロルフ・ボズウェル]]と[[アンドレ・ラモン]]が1940年代に相次いで解釈するまで、解釈は途絶えていたようである。  ボズウェルは第一次大戦中のマルヌの戦い(1918年)と解釈した((Boswell [1943] pp.104-105))。  ラモンは近未来にイギリス軍がフランスに侵攻すると解釈した((Lamont [1943] pp.314-315))。  [[ヘンリー・C・ロバーツ]]は英国艦隊がフランスで機雷を敷設すると解釈したが、時期は明記していなかった((Roberts (1947)[1949]))。[[日本語版>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]では、英国艦隊がフランスで水やビールを奪うという解釈をしたことになっているが、原文と大きく食い違っている。  [[セルジュ・ユタン]]はアメリカ軍によってフランスが解放されたこととした((Hutin [1978]))。 *同時代的な視点  [[ピエール・ブランダムール]]はノストラダムスの複数の書き物をもとに、彼がイギリスをヨーロッパの西端と認識していたことを指摘していた((Brind’Amour [1996] p.382))。この場合も、イングランドからさらに西の果てへということではないのだろう。  [[ピーター・ラメジャラー]]はフロワサールの年代記などに基づいて、百年戦争中の出来事を描写した詩ではないかとした。 ---- &bold(){コメントらん} 以下のコメント欄は[[コメントの著作権および削除基準>著作権について]]を了解の上でご使用ください。 - アメリカ独立戦争、ナポレオン戦争(トラファルガー海戦)などで活躍したイギリス海軍提督、ネルソン -- とある信奉者 (2010-12-25 21:18:16) #comment

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