詩百篇第10巻90番

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*原文 Cent&sup(){1} foys mourra le tyran&sup(){2} inhumain. Mys à son lieu scauant & debonnaire, Tout le senat&sup(){3} sera dessoubz sa main, Faché&sup(){4} sera par malin themeraire. **異文 (1) Cent : Cens 1665 (2) tyran : Tyran 1611B 1660 1672 (3) senat : Senat 1597 1600 1610 1611 1627 1644 1649Xa 1650Ri 1653 1660 1665 1672 1716 1840 (4) Faché 1568B 1568C 1568I 1627 1772Ri : Fache 1568A, Fasché 1590Ro 1597 1600 1605 1610 1611 1628 1644 1649Xa 1649Ca 1650Ri 1650Le 1653 1660 1665 1668 1716 1840, Fasche 1672 **校訂  [[ジャン=ポール・クレベール]]は、冒頭の「百回」(Cent fois, サン・フォワ) が「信仰を持たずに」(Sans foi, サン・フォワ) なのかもしれないとした。 *日本語訳 非人間的な暴君が百回死ぬだろう。 その座には穏和な賢者が据えられる。 元老院全体が彼の手の下にあり、 奸悪にして不敵な者に悩まされるだろう。 **訳について  山根訳は問題ない。  大乗訳は2行目「やさしい気質の人が その場で召使になり」((大乗 [1975] p.307))は誤訳。[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳に出てくる savant (知識人、学者)を servant (召使)と見間違えたのだろう。また、構文理解上も問題がある。  同3、4行目「すべての上院は彼の要求をいれ/彼は悪い人を激しく怒る」も、どのように構文を把握したのかがよく分からない。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、時期も人物も確定できないだけで平易な予言としていた((Garencieres [1672]))。  ナポレオンが皇帝になって間もなかった1806年に解釈した[[テオドール・ブーイ]]は、暴君をロベスピエール、その後釜に座って議会を支配下に置く賢者はナポレオンと解釈した((Bouys [1806] pp.80-82))。  [[アナトール・ル・ペルチエ]]は、逆に非人間的な暴君をナポレオンと解釈した。百回死ぬは、そのまま「苦しみで百回死ぬだろう」と解釈している。フランス語の cent fois は「何回も」の意味にもなるが、いずれにしても比喩的なものと解釈したのだろう。2行目の「温和な賢者」はルイ18世で、彼を悩ませる「奸悪にして不敵な者」はベリー公を暗殺したルヴェルだという((Le Pelletier [1867a] p.233))。  [[チャールズ・ウォード]]もその読みをほぼ踏襲したが、「百回死ぬ」は自殺を企てたり、ワーテルローの敗戦や流刑の中でたびたび死の危険にさらされていたことと解釈された((Ward [1891] pp.316-317))。  [[ジェイムズ・レイヴァー]]、[[スチュワート・ロッブ]]、[[エリカ・チータム]]もナポレオンとルイ18世とする解釈を踏襲した((Laver [1952] p.191, Robb [1961] p.120, Cheetham [1973/1990]))。また、[[セルジュ・ユタン]]も疑問符つきでナポレオンとしていた((Hutin [1978/2002]))。  [[英森単]]は、未来において自身のクローンを製造することで長い期間支配し続ける独裁者が現われることの予言とした((英森『ノストラダムス・ホモサピエンスサバイバル』pp.161-162))。なお、英森はこの詩について「&italic(){世界中のノストラダムス研究者の間でさえ、脈絡のない難解な予言詩として無視するか、置き去りにされていただろう}」((前掲書、p.4))と述べていたが、上で見てきたように事実に反する憶測に過ぎない。 *同時代的な視点  [[ロジェ・プレヴォ]]は、ジャン・カルヴァンが健康を害し、何度も死の危険に瀕しながらもジュネーヴでの独裁を続けたことと、そのあとに支配的な地位についたテオドール・ド・ベーズのことと解釈した((Prévost [1999] p.207))。ただし、カルヴァンの死は1564年のことなので、[[1558年版『予言集』>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1558年)]]が実在したのなら、この解釈は採れないだろう。  [[ピーター・ラメジャラー]]は、暴君カリグラの死とその後継者クラウディウスがモデルと推測した((Lemesurier [2003b/2010]))。 ---- &bold(){コメントらん} 以下のコメント欄は[[コメントの著作権および削除基準>著作権について]]を了解の上でご使用ください。 - 「信仰を持たずに」死ぬのは共産主義中国で,2行以下は同時期の欧米のどこかの国について述べられているのではないか。 -- とある信奉者 (2011-01-01 01:29:32) #comment
[[詩百篇第10巻]]>90番* *原文 Cent&sup(){1} foys mourra&sup(){2} le tyran&sup(){3} inhumain. Mys&sup(){4} à son lieu scauant & debonnaire, Tout le senat&sup(){5} sera dessoubz sa main, Faché&sup(){6} sera par malin&sup(){7} themeraire. **異文 (1) Cent : Cens 1665Ba 1720To (2) mourra : montra 1650Mo (3) tyran : Tyran 1611B 1981EB 1672Ga (4) Mys : Mais 1650Mo 1653AB 1665Ba 1720To (5) senat : Senat 1591BR 1597Br 1603Mo 1606PR 1607PR 1610Po 1611 1627Ma 1627Di 1644Hu 1649Xa 1650Ri 1653AB 1665Ba 1667Wi 1672Ga 1716PR 1720To 1840 1981EB (6) Faché 1568A 1568B 1568C 1627Ma 1627Di 1772Ri : Fache 1568X, Fasche 1672Ga, Fasché &italic(){T.A.Eds.} (7) malin : main 1665Ba 1720To (注記)1716PRbはページ欠落のため比較できず。 **校訂  [[ジャン=ポール・クレベール]]は、冒頭の「百回」(Cent fois, サン・フォワ) が「信仰を持たずに」(Sans foi, サン・フォワ) なのかもしれないとした。 *日本語訳 非人間的な暴君が百回死ぬだろう。 その座には穏和な賢者が据えられる。 元老院全体が彼の手の下にあり、 奸悪にして不敵な者に悩まされるだろう。 **訳について  山根訳は問題ない。  大乗訳は2行目「やさしい気質の人が その場で召使になり」((大乗 [1975] p.307))は誤訳。[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳に出てくる savant (知識人、学者)を servant (召使)と見間違えたのだろう。また、構文理解上も問題がある。  同3、4行目「すべての上院は彼の要求をいれ/彼は悪い人を激しく怒る」も、どのように構文を把握したのかがよく分からない。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、時期も人物も確定できないだけで平易な予言としていた((Garencieres [1672]))。  ナポレオンが皇帝になって間もなかった1806年に解釈した[[テオドール・ブーイ]]は、暴君をロベスピエール、その後釜に座って議会を支配下に置く賢者はナポレオンと解釈した((Bouys [1806] pp.80-82))。  [[アナトール・ル・ペルチエ]]は、逆に非人間的な暴君をナポレオンと解釈した。百回死ぬは、そのまま「苦しみで百回死ぬだろう」と解釈している。フランス語の cent fois は「何回も」の意味にもなるが、いずれにしても比喩的なものと解釈したのだろう。2行目の「温和な賢者」はルイ18世で、彼を悩ませる「奸悪にして不敵な者」はベリー公を暗殺したルヴェルだという((Le Pelletier [1867a] p.233))。  [[チャールズ・ウォード]]もその読みをほぼ踏襲したが、「百回死ぬ」は自殺を企てたり、ワーテルローの敗戦や流刑の中でたびたび死の危険にさらされていたことと解釈された((Ward [1891] pp.316-317))。  [[ジェイムズ・レイヴァー]]、[[スチュワート・ロッブ]]、[[エリカ・チータム]]もナポレオンとルイ18世とする解釈を踏襲した((Laver [1952] p.191, Robb [1961] p.120, Cheetham [1973/1990]))。また、[[セルジュ・ユタン]]も疑問符つきでナポレオンとしていた((Hutin [1978/2002]))。  [[英森単]]は、未来において自身のクローンを製造することで長い期間支配し続ける独裁者が現われることの予言とした((英森『ノストラダムス・ホモサピエンスサバイバル』pp.161-162))。なお、英森はこの詩について「&italic(){世界中のノストラダムス研究者の間でさえ、脈絡のない難解な予言詩として無視するか、置き去りにされていただろう}」((前掲書、p.4))と述べていたが、上で見てきたように事実に反する憶測に過ぎない。 *同時代的な視点  [[ロジェ・プレヴォ]]は、ジャン・カルヴァンが健康を害し、何度も死の危険に瀕しながらもジュネーヴでの独裁を続けたことと、そのあとに支配的な地位についたテオドール・ド・ベーズのことと解釈した((Prévost [1999] p.207))。ただし、カルヴァンの死は1564年のことなので、[[1558年版『予言集』>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1558年)]]が実在したのなら、この解釈は採れないだろう。  [[ピーター・ラメジャラー]]は、暴君カリグラの死とその後継者クラウディウスがモデルと推測した((Lemesurier [2003b/2010]))。 ---- &bold(){コメントらん} 以下のコメント欄は[[コメントの著作権および削除基準>著作権について]]を了解の上でご使用ください。 - 「信仰を持たずに」死ぬのは共産主義中国で,2行以下は同時期の欧米のどこかの国について述べられているのではないか。 -- とある信奉者 (2011-01-01 01:29:32) #comment

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