百詩篇第3巻64番

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*原文 Le chef&sup(){1} de Perse remplira grande&sup(){2} [[OLXAΔES>olcade]]&sup(){3} [[Classe>classe]]&sup(){4} trireme&sup(){5} contre gent&sup(){6} Mahumetique&sup(){7} De Parthe&sup(){8}, & Mede : & piller&sup(){9} les Cyclades&sup(){10}: Repos long temps&sup(){11} au grand port&sup(){12} Ionique&sup(){13}. **異文 (1) chef : Chef 1672 (2) grande : grand 1672, grands 1589PV 1649Ca 1650Le 1668 (3) OLXAΔES 1555 1840 : Olchade &italic(){T.A.Eds.}(&italic(){sauf} : Olxades 1589PV, Olchades 1627 1644 1649Ca 1650Ri 1650Le 1653 1665 1668) (4) Classe : Clnsse 1568A (5) trireme : trieme 1588-89, Triteme 1600 1610, Trireme 1568 1590Ro 1597 1605 1611 1628 1649Xa 1772Ri, Tritenne 1716 (6) gent : gens 1597 1600 1610 1627 1716 (7) Mahumetique 1555 1644 1650Ri 1840 : Mahometique &italic(){T.A.Eds.} (&italic(){sauf} : Mahometiques 1600 1610 1716, mahometique 1605 1660, mahumetique 1653) (8) Parthe : sparte 1557B, parthe 1588-89, Patrhe 1600, Rarthe 1665? (9) piller : pillier 1589PV 1627 1649Ca 1650Le 1668 (10) les Cyclades : Cyclades 1589Me, les cyclades 1665 (11) long temps : lon temps 1589Me, long-temps 1627 1644 1649Xa 1668P 1716, longtemps 1665 (12) port : Port 1672 (13) Ionique : Jonique 1672 1716 1772Ri (注記)1588Rf の Olchade は不鮮明で判読できない。しかし、ブランダムールはそう読んでいるのでここではそれに従った。 **校訂  1行目の grande は grands となるべき。これは[[ピエール・ブランダムール]]が指摘し、[[ブリューノ・プテ=ジラール]]らが支持している。 *日本語訳 ペルシアの指導者は満たすだろう、大きな輸送船団 つまりムハンマドの信徒に対抗する三段櫂の艦隊を、 パルティアとメディアの者たちで。キクラデスを掠奪するために。 イオニアの大きな港での長期に渡る休息。 **訳について  1行目の輸送船団を満たすのが3行目の「パルティアとメディアの者(兵士)たち」というのは、ブランダムールやクレベールの読み方を踏まえたものである。  大乗訳1行目「ペルシァの岬は商船で満たされ」((大乗 [1975] p.113))は、Olchades を商船と訳すのは良いとしても、それで満たされるとは構文上読めない。また、chef を岬とする根拠も不明。  山根訳1行目「ペルシアの指導者が大スペインを満員に」((山根 [1988] p.134))は、[[Olchades>olcade]]のかつての読み方からすると許容されうるものではあったが、現在ではもはや支持できないだろう。 *信奉者側の解釈  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は地名についての説明をしているだけで、事件の内容には踏み込んでいなかった。なお、[[Olchades>olcade]]については不明としていた((Garencieres [1672]))。  その後も全訳本以外ではあまり触れられてこなかった詩である。[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]、[[スチュワート・ロッブ]]の著書には載っていない。  [[マックス・ド・フォンブリュヌ]]や[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]は、レパントの海戦(1571年)に関する詩とした((Fontbrune [1939] p.77, Fontbrune (1980)[1982]))。  [[セルジュ・ユタン]]はギリシア独立戦争中のナヴァリノ海戦(1827年)と解釈した。のちの[[ボードワン・ボンセルジャン]]の改訂では、1897年から1907年の情勢の描写とする解釈に差し替えられた((Hutin [1978/2002]))。 *同時代的な視点  [[ピエール・ブランダムール]]は、イオニアの港がおそらくミティリーニだろうという推測を示すにとどまった((Brind’Amour [1996]))。  [[ジャン=ポール・クレベール]]はペルシアとオスマン帝国の衝突を描いたもので、イオニアの港はケルキラ(コルフ)もしくはザキントス(ザンティ)だろうとした((Clébert [2003]))。  [[ピーター・ラメジャラー]]は『[[ミラビリス・リベル]]』の予言がモデルになっていると推測した((Lemesurier [2003b/2010]))。 ---- #comment
*原文 Le chef&sup(){1} de Perse remplira grande&sup(){2} [[OLXAΔES>olcade]]&sup(){3} [[Classe>classe]]&sup(){4} trireme&sup(){5} contre gent&sup(){6} Mahumetique&sup(){7} De Parthe&sup(){8}, & Mede : & piller&sup(){9} les Cyclades&sup(){10}: Repos long temps&sup(){11} au grand port&sup(){12} Ionique&sup(){13}. **異文 (1) chef : Chef 1672 (2) grande : grand 1672, grands 1589PV 1649Ca 1650Le 1668 (3) OLXAΔES 1555 1840 : Olchade &italic(){T.A.Eds.}(&italic(){sauf} : Olxades 1589PV, Olchades 1627 1644 1649Ca 1650Ri 1650Le 1653 1665 1668) (4) Classe : Clnsse 1568A (5) trireme : trieme 1588-89, Triteme 1600 1610, Trireme 1568 1590Ro 1597 1605 1611 1628 1649Xa 1772Ri, Tritenne 1716 (6) gent : gens 1597 1600 1610 1627 1716 (7) Mahumetique 1555 1644 1650Ri 1840 : Mahometique &italic(){T.A.Eds.} (&italic(){sauf} : Mahometiques 1600 1610 1716, mahometique 1605 1660, mahumetique 1653) (8) Parthe : sparte 1557B, parthe 1588-89, Patrhe 1600, Rarthe 1665? (9) piller : pillier 1589PV 1627 1649Ca 1650Le 1668 (10) les Cyclades : Cyclades 1589Me, les cyclades 1665 (11) long temps : lon temps 1589Me, long-temps 1627 1644 1649Xa 1668P 1716, longtemps 1665 (12) port : Port 1672 (13) Ionique : Jonique 1672 1716 1772Ri (注記)1588Rf の Olchade は不鮮明で判読できない。しかし、ブランダムールはそう読んでいるのでここではそれに従った。 **校訂  1行目の grande は grands となるべき。これは[[ピエール・ブランダムール]]が指摘し、[[ブリューノ・プテ=ジラール]]らが支持している。 *日本語訳 ペルシアの指導者は満たすだろう、大きな輸送船団 つまりムハンマドの信徒に対抗する三段櫂の艦隊を、 パルティアとメディアの者たちで。キクラデスを掠奪するために。 イオニアの大きな港での長期に渡る休息。 **訳について  1行目の輸送船団を満たすのが3行目の「パルティアとメディアの者(兵士)たち」というのは、ブランダムールやクレベールの読み方を踏まえたものである。  大乗訳1行目「ペルシァの岬は商船で満たされ」((大乗 [1975] p.113))は、Olchades を商船と訳すのは良いとしても、それで満たされるとは構文上読めない。また、chef を岬とする根拠も不明。  山根訳1行目「ペルシアの指導者が大スペインを満員に」((山根 [1988] p.134))は、[[Olchades>olcade]]のかつての読み方からすると許容されうるものではあったが、現在ではもはや支持できないだろう。 *信奉者側の解釈  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は地名についての説明をしているだけで、事件の内容には踏み込んでいなかった。なお、[[Olchades>olcade]]については不明としていた((Garencieres [1672]))。  その後も全訳本以外ではあまり触れられてこなかった詩である。[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]、[[スチュワート・ロッブ]]の著書には載っていない。  [[マックス・ド・フォンブリュヌ]]や[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]は、レパントの海戦(1571年)に関する詩とした((Fontbrune [1939] p.77, Fontbrune (1980)[1982]))。  [[セルジュ・ユタン]]はギリシア独立戦争中のナヴァリノ海戦(1827年)と解釈した。のちの[[ボードワン・ボンセルジャン]]の改訂では、1897年から1907年の情勢の描写とする解釈に差し替えられた((Hutin [1978/2002]))。 *同時代的な視点  [[ピエール・ブランダムール]]は、イオニアの港がおそらくミティリーニだろうという推測を示すにとどまった((Brind’Amour [1996]))。  [[ジャン=ポール・クレベール]]はペルシアとオスマン帝国の衝突を描いたもので、イオニアの港はケルキラ(コルフ)もしくはザキントス(ザンティ)だろうとした((Clébert [2003]))。  [[ピーター・ラメジャラー]]は『[[ミラビリス・リベル]]』の予言がモデルになっていると推測した((Lemesurier [2003b/2010]))。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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