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[[六行詩集]]>57番*
*原文
Peu apres l'aliance&sup(){1} faicte,
Auant&sup(){2} solemniser&sup(){3} la feste&sup(){4},
L'Empereur le tout troublera,
Et la nouuelle mariée&sup(){5},
Au franc pays&sup(){6} par sort&sup(){7} liée&sup(){8},
Dans peu de temps apres mourra&sup(){9}.
**異文
(1) l'aliance : l'Alliance 1672Ga
(2) Auant : Auantque 1600Au
(3) solemniser : solenniser 1628dR 1649Ca, solemnises 1672Ga
(4) feste : Feste 1672Ga
(5) mariée : Mariée 1672Ga
(6) franc pays : Franc Païs 1672Ga
(7) sort : fort 1644Hu
(8) liée : sera[?] liée 1600Au
(9) mourra : elle mourra 1600Au
*日本語訳
その後まもなく同盟が結ばれる。
祝祭を盛大に挙行する前に、
皇帝は全てをかき乱すだろう。
そして新婦は
運命によって自由の国に結び付けられ、
間をおかずに死ぬだろう。
**訳について
5行目 sort には「運命」のほか、中期フランス語では「魔法使い」「まじない」などの意味もあった((DMF))。
*信奉者側の解釈
[[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、フランス王家にどこかの国の女性が嫁入りするが程なくして死ぬと、ほとんどそのまま敷衍したような解釈しかつけていなかった((Garencieres [1672]))。
[[1691年ルーアン版『予言集』>ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ブゾンニュ、1691年)]]に掲載された「当代の一知識人」の解釈では、スペイン王の再婚とアウクスブルク同盟戦争(1689年 - 1697年)、そしてフランス王太子妃マリー・アンヌ・ド・バヴィエールの死(1690年)と解釈された。
*同時代的な視点
モチーフは比較的明瞭だが、偽作されたと思しき1605年以前には、これに当てはまりそうなモチーフが見当たらない。急死した新婦というと、[[アンリ4世]]が再婚を強く望んでいたガブリエル・デストレの死に近いが、彼女の場合、アンリ4世と前妻マルグリットとの離婚が成立する前に歿しており、「新婦」には当てはまらない。
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#comment
[[六行詩集]]>57番*
*原文
Peu apres l'aliance&sup(){1} faicte,
Auant&sup(){2} solemniser&sup(){3} la feste&sup(){4},
L'Empereur le tout troublera,
Et la nouuelle mariée&sup(){5},
Au franc pays&sup(){6} par [[sort]]&sup(){7} liée&sup(){8},
Dans peu de temps apres mourra&sup(){9}.
**異文
(1) l'aliance : l'Alliance 1672Ga
(2) Auant : Auantque 1600Au
(3) solemniser : solenniser 1628dR 1649Ca, solemnises 1672Ga
(4) feste : Feste 1672Ga
(5) mariée : Mariée 1672Ga
(6) franc pays : Franc Païs 1672Ga
(7) sort : fort 1644Hu
(8) liée : sera[?] liée 1600Au
(9) mourra : elle mourra 1600Au
*日本語訳
その後まもなく同盟が結ばれる。
祝祭を盛大に挙行する前に、
皇帝は全てをかき乱すだろう。
そして新婦は
運命によって自由の国に結び付けられ、
間をおかずに死ぬだろう。
**訳について
5行目 [[sort]] には「運命」のほか、中期フランス語では「魔法使い」「まじない」などの意味もあった((DMF))。
*信奉者側の解釈
[[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、フランス王家にどこかの国の女性が嫁入りするが程なくして死ぬと、ほとんどそのまま敷衍したような解釈しかつけていなかった((Garencieres [1672]))。
[[1691年ルーアン版『予言集』>ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ブゾンニュ、1691年)]]に掲載された「当代の一知識人」の解釈では、スペイン王の再婚とアウクスブルク同盟戦争(1689年 - 1697年)、そしてフランス王太子妃マリー・アンヌ・ド・バヴィエールの死(1690年)と解釈された。
*同時代的な視点
モチーフは比較的明瞭だが、偽作されたと思しき1605年以前には、これに当てはまりそうなモチーフが見当たらない。
急死した新婦というと、[[アンリ4世]]が再婚を強く望んでいたガブリエル・デストレの死に近いが、彼女の場合、アンリ4世と前妻マルグリットとの離婚が成立する前に歿しており、「新婦」には当てはまらない。
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