ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集、予兆詩集、予言集 (1792年)

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ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集、予兆詩集、予言集 (1792年)」(2011/01/11 (火) 21:26:14) の最新版変更点

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 『&bold(){ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集、予兆詩集、予言集}』は1792年に出版された[[予言集>ミシェル・ノストラダムス師の予言集]]の版の一つである。 #ref(1792duren.PNG) 【画像】扉((画像の出典:[[http://www.propheties.it/]])) *正式名 -LES VRAIES CENTURIES, PRÉSAGES ET PRÉDICTIONS, DE MAITRE MICHEL NOSTRADAMUS, --Exactement revûs, & fidellement corrigés sur les premières Editions ; --précédés de la vie de l'auteur, & suivis d'une NOTICE des principaux événements accomplis, & d'une interprétation complette de tout ce qui a rapport à la Révolution de France, & à une autre révolution qui ne peut manquer d'arriver à Rome. --DOS SIT DEUS --Vera loquor, nec falsa loquor sed munere coeli Qui loquitur DEUS est non ego Nostradamus. --A ANVERS --Chez PETER WAN DUREN, 1792 -ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集・予兆詩集・(六行詩の)予言集 --初期の諸版に基づき正確に校正し忠実に訂正した版 --伝記が本編に先行し、本編の後には成就した主な事件の注記と、フランス革命やローマで必ずや起こるであろう別の革命に関する完全な解釈が続く。 --天来の賜りもの --「私は真理を語り、虚言を語らない。それは天からの賜りものゆえ、 語り手は神であって、私ことノストラダムスではないのだ」 --アントウェルペン、 --ペーター・ヴァン・デュレンの工房にて、1792年。  古版本でこれと同じメインタイトルを採用したものはひとつもない。 *内容  扉に明記されているように、最初に伝記が掲載され、その後本編が続いている。  本編は第一序文([[セザールへの手紙]])、百詩篇第1巻から第6巻(補遺篇の[[第6巻100番>百詩篇第6巻100番]]を含む)、第7巻42番までと73番以降の補遺篇4篇、第二序文(アンリ2世への手紙)、第8巻から第10巻(第8巻の補遺篇を含む)、第11巻2篇、第12巻11篇、[[予兆詩集]]、[[六行詩集>この世紀のいずれかの年のための驚くべき予言]]の順で収められている。  それに続くのが解釈だが、過去に成就した予言の解釈が散文で書かれているのに対し、未来に関する解釈は韻文で書かれるという非常に変則的な構成になっている。 **特色  原文の特色は[[1649年ルーアン版>ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集 (1649年)]]の影響が強い。実際、第7巻の補遺篇のうち、[[43番>百詩篇第7巻43番ter]]、[[44番>百詩篇第7巻44番]]だけを含まない構成は、1649年ルーアン版だけに見られた特色だった。  ただし、1649年版には2つの序文が含まれていなかったため、少なくとももうひとつ以上の版を参照したことは確かだろう。扉にあるラテン語は[[1668年アムステルダム版などに載っていた肖像画>ノストラダムスの肖像画 (アムステルダム、1668年)]]から転用したものだが、1668年版やそれを転用した[[ジャン・ウルセル版>ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ジャン・ウルセル)]]には第一序文が載っていなかったので、それらを参照していたとしても、さらに他の参照元が存在するはずである。 *出版業者  上の正式名の欄にもあるように、扉ではアントウェルペンのペーター・ヴァン・デュレンの出版と明記されている。しかし、ジャン・ジョルジュ・テオドール・グレス『稀覯書の宝庫あるいは書誌学新辞典』(1859年 - 1869年)((原題:Jean George Théodore Graesse, &italic(){Trésors des livres rares et précieux, ou nouveau dictionnaire bibliographique}, Dresden, 1859-1869))ではルーアンのド・リモージュ(De Limoges)という人物の変名であると指摘されている。  [[ミシェル・ショマラ]]は[[ウジェーヌ・バレスト]]の指摘を引用する形で、ル・シュヴァリエ・ド・リモージュ(le Chevalier de Limoges)という人物が当時ルーアンで新聞を刊行していたことや、解釈部分の著者がデドニ・ド・サン=マルス(Desdonitz de Saint-Mars)という人物であったことを紹介した((Chomarat [1989] no.382))。  [[フランソワ・ビュジェ]]によると、サン=マルスはフランス革命中にいくつもの予言関連の著書を発表していたようである((Buget [1863] pp.528-529))。 *所蔵先 -[[ポール・アルボー博物館]] -ほかに[[マリオ・グレゴリオ]]とロベール・ギーが私蔵している。 ---- #comment
 『&bold(){ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集、予兆詩集、予言集}』は1792年に出版された[[予言集>ミシェル・ノストラダムス師の予言集]]の版の一つである。 #ref(1792duren.PNG) 【画像】扉((画像の出典:[[http://www.propheties.it/]])) *正式名 -LES VRAIES CENTURIES, PRÉSAGES ET PRÉDICTIONS, DE MAITRE MICHEL NOSTRADAMUS, --Exactement revûs, & fidellement corrigés sur les premières Editions ; --précédés de la vie de l'auteur, & suivis d'une NOTICE des principaux événements accomplis, & d'une interprétation complette de tout ce qui a rapport à la Révolution de France, & à une autre révolution qui ne peut manquer d'arriver à Rome. --DOS SIT DEUS --Vera loquor, nec falsa loquor sed munere coeli Qui loquitur DEUS est non ego Nostradamus. --A ANVERS --Chez PETER WAN DUREN, 1792 -ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集・予兆詩集・(六行詩の)予言集 --初期の諸版に基づき正確に校正し忠実に訂正した版 --伝記が本編に先行し、本編の後には成就した主な事件の注記と、フランス革命やローマで必ずや起こるであろう別の革命に関する完全な解釈が続く。 --天来の賜りもの --「私は真理を語り、虚言を語らない。それは天からの賜りものゆえ、 語り手は神であって、私ことノストラダムスではないのだ」 --アントウェルペン、 --ペーター・ヴァン・デュレンの工房にて、1792年。  古版本でこれと同じメインタイトルを採用したものはひとつもない。 *内容  扉に明記されているように、最初に伝記が掲載され、その後本編が続いている。  本編は第一序文([[セザールへの手紙]])、百詩篇第1巻から第6巻(補遺篇の[[第6巻100番>百詩篇第6巻100番]]を含む)、第7巻42番までと73番以降の補遺篇4篇、第二序文(アンリ2世への手紙)、第8巻から第10巻(第8巻の補遺篇を含む)、第11巻2篇、第12巻11篇、[[予兆詩集]]、[[六行詩集>この世紀のいずれかの年のための驚くべき予言]]の順で収められている。  それに続くのが解釈だが、過去に成就した予言の解釈が散文で書かれているのに対し、未来に関する解釈は韻文で書かれるという非常に変則的な構成になっている。 **特色  原文の特色は[[1649年ルーアン版>ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集 (1649年)]]の影響が強い。実際、第7巻の補遺篇のうち、[[43番>百詩篇第7巻43番ter]]、[[44番>百詩篇第7巻44番]]だけを含まない構成は、1649年ルーアン版だけに見られた特色だった。  ただし、1649年版には2つの序文が含まれていなかったため、少なくとももうひとつ以上の版を参照したことは確かだろう。扉にあるラテン語は[[1668年アムステルダム版などに載っていた肖像画>ノストラダムスの肖像画 (アムステルダム、1668年)]]から転用したものだが、1668年版やそれを転用した[[ジャン・ウルセル版>ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ジャン・ウルセル)]]には第一序文が載っていなかったので、それらを参照していたとしても、さらに他の参照元が存在するはずである。 *出版業者  上の正式名の欄にもあるように、扉ではアントウェルペンのペーター・ヴァン・デュレンの出版と明記されている。しかし、ジャン・ジョルジュ・テオドール・グレス『稀覯書の宝庫あるいは書誌学新辞典』(1859年 - 1869年)((原題:Jean George Théodore Graesse, &italic(){Trésors des livres rares et précieux, ou nouveau dictionnaire bibliographique}, Dresden, 1859-1869))では[[ルーアン]]のド・リモージュ(De Limoges)という人物の変名であると指摘されている。  [[ミシェル・ショマラ]]は[[ウジェーヌ・バレスト]]の指摘を引用する形で、ル・シュヴァリエ・ド・リモージュ(le Chevalier de Limoges)という人物が当時ルーアンで新聞を刊行していたことや、解釈部分の著者がデドニ・ド・サン=マルス(Desdonitz de Saint-Mars)という人物であったことを紹介した((Chomarat [1989] no.382))。  [[フランソワ・ビュジェ]]によると、サン=マルスはフランス革命中にいくつもの予言関連の著書を発表していたようである((Buget [1863] pp.528-529))。 *所蔵先 -[[ポール・アルボー博物館]] -ほかに[[マリオ・グレゴリオ]]とロベール・ギーが私蔵している。 ---- #comment

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