詩百篇第10巻99番

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[[詩百篇第10巻]]>99番* *原文 La fin le loup&sup(){1}, le lyon&sup(){2}, beuf&sup(){3}, & l'asne&sup(){4}, Timide [[dama]]&sup(){5} seront auec mastins&sup(){6}, Plus ne cherra à eux la douce manne&sup(){7}, Plus vigilance & custode aux&sup(){8} mastins&sup(){9}. **異文 (1) loup : Loup 1672Ga (2) lyon : Lyon 1672Ga 1716PR (3) beuf : bœuf 1568B 1568C 1591BR 1597Br 1603Mo 1605sn 1611A 1628dR 1644Hu 1649Xa 1649Ca 1650Le 1653AB 1665Ba 1667Wi 1668 1716PR 1720To 1772Ri 1840, Bœuf 1672Ga (4) l'asne : lasne 1568X 1590Ro, l'asue 1627Di, l'Asne 1672Ga (5) dama : dame 1665Ba 1716PR 1720To (6) mastins : Mastins 1672Ga (7) manne : Manne 1672Ga (8) aux : eux 1650Mo (9) mastins : Mastins 1672Ga *日本語訳 最後には、狼、獅子、牛、ロバ、 臆病な鹿が、マスチフ犬とともにあるだろう。 彼らにはもはや甘い[[マナ]]が降ることはなく、 マスチフ犬に見張りや監視の任が下ることもないだろう。 **訳について  山根訳1行目「狼 獅子 牡牛 ロバの最後」は、言葉の補い方によってはありえないわけではないが、2行目の動詞 seront と整合しなくなる(dama は単数形なので、1行目の名詞との並列と理解しなければならない)。  同4行目「猛犬のためいっそうの監視と用心が肝要」は4行目だけ抜き出した直訳としてはむしろ正しく、[[ピーター・ラメジャラー]]はそう読んでいる。しかし、この場合、3行目と対比されていることが明らかで、否定語を補って読む方が妥当だろう。当「大事典」の訳は[[ピエール・ブランダムール]]の釈義を踏まえたものである。  大乗訳2行目「やさしい雌鹿が マスチフ犬とともにたおれ」((大乗 [1975] p.309))は「たおれ」が不適切。同4行目「マスチフ犬をもはやみまもったり保護することなく」は、許容されうる訳だが、文脈に沿うかは疑問である。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は全ヨーロッパ的な平和が到来する予言とした。「もはやマナは降ってこない」とは、マナが約束の地にたどり着く前の過渡的な食物だったように、ヨーロッパがその過渡的段階を終えることを言ったものだという((Garencieres [1672]))。  その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]の著書には載っていない。[[ロルフ・ボズウェル]]の著書には対訳のみ載っているが、解釈はない((Boswell [1943] p.335))。  [[セルジュ・ユタン]]は現在の世界が終わった後に訪れる黄金時代の予言とした((Hutin [1978/2002]))。  [[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]は、近未来に起こると想定していた大戦で、西欧諸国が没落することと解釈した((Fontbrune (1980)[1982]))。  [[五島勉]]は1999年の破局のあとの地球の描写で、マナのような救いが全くない凄惨な状況の中、奇形化した人類が共食いすることを予言しているとし、「このように解釈するほかなく、そして、ノストラダムスの予知は、まず外れることはありえないのである」とまで断言していた((五島『[[ノストラダムスの大予言]]』 pp.201-204))。 *同時代的な視点  [[ピエール・ブランダムール]]は、古代ラテン詩人たちが描いた黄金時代のモチーフが投影されているとした。それらの詩では、満ち足りた世界の中で肉食獣も草食獣も仲良く暮らし、人間に使役されてきた動物たちもその役目から解放されることが描かれていた((Brind’Amour [1993] p.196))。一部の信奉者の解釈によってバイアスがかかってしまうと、「マナがない」のは絶望的な状況と思い込みかねないが、ブランダムールはむしろ逆に、マナが必要とされないような満ち足りた世界を表現していると解釈した。  黄金時代の描写とする解釈は[[ロジェ・プレヴォ]]、[[ジャン=ポール・クレベール]]も一致している((Prévost [1999] p.215, Clébert [2003]))。  [[ピーター・ラメジャラー]]は4行目を「マスチフ犬へのいっそうの見張りと監視」に近い形で読んでいることもあり、黄金時代がやがて来るはずという約束された未来が、現下の宗教対立によって台無しになってしまうのではないかという懸念が投影されているとした((Lemesurier [2003b/2010]))。 ---- #comment
[[詩百篇第10巻]]>99番* *原文 La fin le loup&sup(){1}, le lyon&sup(){2}, beuf&sup(){3}, & l'asne&sup(){4}, Timide [[dama]]&sup(){5} seront auec mastins&sup(){6}, Plus ne cherra à eux la douce manne&sup(){7}, Plus vigilance & custode aux&sup(){8} mastins&sup(){9}. **異文 (1) loup : Loup 1672Ga (2) lyon : Lyon 1672Ga 1716PR (3) beuf : bœuf 1568B 1568C 1591BR 1597Br 1603Mo 1605sn 1611A 1628dR 1644Hu 1649Xa 1649Ca 1650Le 1653AB 1665Ba 1667Wi 1668 1716PR 1720To 1772Ri 1840, Bœuf 1672Ga (4) l'asne : lasne 1568X 1590Ro, l'asue 1627Di, l'Asne 1672Ga (5) dama : dame 1665Ba 1716PR 1720To (6) mastins : Mastins 1672Ga (7) manne : Manne 1672Ga (8) aux : eux 1650Mo (9) mastins : Mastins 1672Ga *日本語訳 最後には、狼、獅子、牛、ロバ、 臆病なダマジカが、マスチフ犬とともにあるだろう。 彼らにはもはや甘い[[マナ]]が降ることはなく、 マスチフ犬に見張りや監視の任が下ることもないだろう。 **訳について  山根訳1行目「狼 獅子 牡牛 ロバの最後」は、言葉の補い方によってはありえないわけではないが、2行目の動詞 seront と整合しなくなる(dama は単数形なので、1行目の名詞との並列と理解しなければならない)。  同4行目「猛犬のためいっそうの監視と用心が肝要」は4行目だけ抜き出した直訳としてはむしろ正しく、[[ピーター・ラメジャラー]]はそう読んでいる。しかし、この場合、3行目と対比されていることが明らかで、否定語を補って読む方が妥当だろう。当「大事典」の訳は[[ピエール・ブランダムール]]の釈義を踏まえたものである。  大乗訳2行目「やさしい雌鹿が マスチフ犬とともにたおれ」((大乗 [1975] p.309))は「たおれ」が不適切。同4行目「マスチフ犬をもはやみまもったり保護することなく」は、許容されうる訳だが、文脈に沿うかは疑問である。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は全ヨーロッパ的な平和が到来する予言とした。「もはやマナは降ってこない」とは、マナが約束の地にたどり着く前の過渡的な食物だったように、ヨーロッパがその過渡的段階を終えることを言ったものだという((Garencieres [1672]))。  その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]の著書には載っていない。[[ロルフ・ボズウェル]]の著書には対訳のみ載っているが、解釈はない((Boswell [1943] p.335))。  [[セルジュ・ユタン]]は現在の世界が終わった後に訪れる黄金時代の予言とした((Hutin [1978/2002]))。  [[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]は、近未来に起こると想定していた大戦で、西欧諸国が没落することと解釈した((Fontbrune (1980)[1982]))。  [[五島勉]]は1999年の破局のあとの地球の描写で、マナのような救いが全くない凄惨な状況の中、奇形化した人類が共食いすることを予言しているとし、「このように解釈するほかなく、そして、ノストラダムスの予知は、まず外れることはありえないのである」とまで断言していた((五島『[[ノストラダムスの大予言]]』 pp.201-204))。 *同時代的な視点  [[ピエール・ブランダムール]]は、古代ラテン詩人たちが描いた黄金時代のモチーフが投影されているとした。それらの詩では、満ち足りた世界の中で肉食獣も草食獣も仲良く暮らし、人間に使役されてきた動物たちもその役目から解放されることが描かれていた((Brind’Amour [1993] p.196))。一部の信奉者の解釈によってバイアスがかかってしまうと、「マナがない」のは絶望的な状況と思い込みかねないが、ブランダムールはむしろ逆に、マナが必要とされないような満ち足りた世界を表現していると解釈した。  黄金時代の描写とする解釈は[[ロジェ・プレヴォ]]、[[ジャン=ポール・クレベール]]も一致している((Prévost [1999] p.215, Clébert [2003]))。  [[ピーター・ラメジャラー]]は4行目を「マスチフ犬へのいっそうの見張りと監視」に近い形で読んでいることもあり、黄金時代がやがて来るはずという約束された未来が、現下の宗教対立によって台無しになってしまうのではないかという懸念が投影されているとした((Lemesurier [2003b/2010]))。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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